ヴァンピーブルズ親子インタビュー再掲(その1:メルヴィン編)
2005年9月、憧れの人・メルヴィン ヴァン ピーブルズとその息子・マリオ ヴァン ピーブルズが来日し、僕は光栄にもインタビューの機会を頂きました。メルヴィンの『スウィート・スウィートバック』を題材にした新作『バッドアス!』公開にあわせて親子で来日していたのです。これは、寄稿した記事の元となるインタビューの書きおこしです。転載を快諾くださった諸氏に感謝いたします。
中田 最初の質問です。あなたは『スウィートバック』で巨大なお金を手にしたとされています。制作費はいくらでしたか?
メルヴィン(以下メル) 誰も知らない。今まで言ったことはない。
中田 (沈黙) ......。
マリオ もし知ったら父さんに殺されるよ(笑)。
中田 わかりました(笑)。では興行収入は?
メル 興収は約1400万ドルだ。ただ、当時チケットが1ドルだった。今は10ドル位だから......。
マリオ 今のお金で4000万ドル位だろうね。
メル デカい数字だ。最初の公開では映画館はたった2館だった。政治的な内容だから、動員があるなんて誰も思わなかった。他の都市で公開する予定さえ立っていなかった。息子が監督した『バッドアス!』でも描かれているように、水曜日デトロイトで、金曜日にディープサウスのアトランタで公開された。皮肉にもね。(注※1) この2都市での大成功をみて皆は「まぐれだ。つぎの都市では成功しないぞ」と言っていた。その後、シカゴ、ニューヨーク、ボストンを廻って、ふたたび大成功しても「またまぐれが起こったぞ」と言ってたよ。その調子がつづいて全国を廻りきったのさ。
中田 最初の公開の時、映画館に居たんですよね?
メル そうさ。『バッドアス!』を観たろ?
中田 最初の上映は、あなたとカップルが数組だけで......。
メル いや、最初の上映では客は2人だけだった。 1500人も収容できるデカい劇場でね。15分したらその客は席を立ち、映画館に金を返せと言って帰ってしまった。2回目の上映は誰も居なかった。ところが3回目が始まる頃には、映画館の外に行列ができていた。次の曲がり角のさらに向こうまでね。とにかく1日の出来事なんだ。映画をみたらわかるよ。
中田 奇跡が起こったのは3回目の上映だったんですね。
メル そうだ。人が多すぎたから、 15年間も使っていなかった2階席を開放しなければなかった。ポップコーンも売切れて...。全部映画で描かれてる通りさ。
中田 じゃあやはり本当なんですよね。映画をみても信じられなかったので。
メル それだけでなく、双子の劇場オーナーと興行成績に関して賭けをしたというのも本当の話だ。特上のスーツをね。
マリオ 父さんはそのスーツを今でも持ってるよ。
中田 1回目の上映で空っぽだった時、どうしましたか? 泣いたりしたのですか?
メル 泣きはしないが、もちろん悲しかったな。それに〝タフな友達〟からカネを借りていたのでね。
中田 あれだけの偉業を成し遂げるには「決心」っていうのが重要と思うんです。この2作とも「決心」の映画だと思ってるんですが。
メル そうだな。だが、私にとって『スウィートバック』は14年の積み重ねの結果だった。映画をつくるぞ!って決めたのはずっと前だった。映画の勉強をしようと決心し、独学でまなんだ。アメリカには機会がないと悟り、ヨーロッパへ行った。フランス語を覚えなければならなくなった。監督になるチャンスを掴むために、小説家になろうと考えた。そうして小説家になった。(注※2) いずれにせよ、それが俺の選んだ道だったわけだ。
何かを成し遂げようって思う時、サンタクロースは居ないと知りながら煙突のそばでサンタを待つのはバカ者だ。立ち上がって自分でやらなきゃいけないんだよ。
中田 誰かに言われてやるんじゃない、と。
メル そうだ。映画をつくるなんてクレイジーだっていうヤツも居るさ。でも関係ないんだ。
注記 ※ 1「ディープサウスのアトランタで公開された」.....アメリカ南部の州の中でも、サウスカロライナ州・ジョージア州・アラバマ州・ルイジ アナ州・ミシシッピ州のことを深南部(Deep south)と呼ぶ。フロリダ州とテキサス州が加わることもある。ジョージア州アトランタは深南部とは云われないと思うのですが、ここでは「人種差別の激しいところ」という意味なのかもしれない。
※ 2「(映画監督になるためにヨーロッパで)小説家になった」.....フランスで小説「Story of A Three Days Pass」を書き、自ら監督して映画化した。
中田 あなたの楽譜を見た時は本当にビックリしましたよ。みたこともないような楽譜でしたからね。でも次の瞬間、ああこれが何かを成し遂げる人間の仕事だな、って思ったんです。
メル おんなじことさ。なんでも自分で自分に教えなきゃな。
中田 アースウインド&ファイアーっていう最適な人材が居たから実際の楽器に置きかえることも可能だったんですよね。
メル いや、俺はすでに、アルバムを3枚だしていたよ。当時の秘書が「私のボーイフレンドのバンドを聴いてあげて」といってきてた。それがモリース(ホワイト)たちだったんだ。とても優秀なミュージシャン達だったよ。だが彼らはまだ一枚もレコードをだしていなかったよ(笑)。
中田 サントラはSTAXレコードから発売されましたよね。
メル 私の初期の3枚はA&M社からだしていた。だがA&Mの連中が映画を気に入らなかったんだ。それでほかを探した。STAX社は黒人経営の会社だったからそこに持っていったのさ。
中田 あなたは STAXの映画『ワッツタックス』にも出演していますよね。
メル それはこの映画が成功した後の話しだ。『スウィートバック』がヒットしてサントラも売れたから、ハリウッドは『黒いジャガー』を作ろうと決め、サントラはスタックス社に頼もうと考えた。つまりこの(音楽を絡めるという)映画産業のマーケティング方法は私が開発したものだよ。『黒いジャガー』では主役俳優も無名で不安要素が多かったから、話題になり売れるサントラをつくらせるため、俺のマネをして STAX社に頼んだというわけだ。これが、STAX社が映画産業に深く踏み入ることになったいきさつだ。
中田 映画と映画音楽の関係のありかたに大きな影響を与えた、というわけですね。
メル もちろんだ。「影響を与えた」んじゃない。誰もやっていなかったことだ。 100%俺のまったく新しいアイデアだよ。
中田 僕は1960年代後半から70年代前半という時期にすごく憧れがあるんです。ベトナム戦争があり、そして政治、音楽、映画、ファッション...。すべてがパワフルな時代でした。
メル 私は新しい音楽を始めたんだ。それはいま「ラップ」と呼ばれている。なぜなら当時の音楽は、いい音楽ではあってもストーリーを伝えるようなフォーマットじゃなかった。ゲットーでの出来事を反映したような歌はなかったんだ。だからストーリを語れるようなスタイルを発明した。メロディを排し、言葉をメロディの替わりにした。これがラップになったんだ。ギルスコットヘロンも、ラストポエッツも俺に習ったんだ。その後は、ランDMC、カーティスブロウ......。それ以前の音楽は、メッセージをうまく伝えるものではなかったんだ。ウータンクラン、NWA...。そういった連中が後に続いた。映画の世界で『スウィートバック』が『バッドアス!』まで発展したように、音楽では、俺が「スポークンワード」って呼んでるスタイルから現代に〈ギャングスタ ラップ〉と呼ばれてものに続いた。
中田 スウィートバックは、まさに革命的とも言えますが――
メル 「とも言える」じゃない。まさに「革命的」だ。
中田 はい、そうでした(笑)。アレステッドデベロプメントが「おれたちは現在でもいまだに革命のことを語り続けてるぜ」っと唄ったのは1992年でした。どうでしょうか? 2005年の今、まだ革命のことは語られていますか?(注※3)
メル そうでもないな......。(しばし沈黙。)映画でも音楽でも、独占的企業は少しばかりの余裕をもたせてはいるが、政治的な側面は取り除くようにしているようだ。
中田 打破するために何かすべきですか? できることはありますか?
メル 私が仕事をするときは......。そうだな、私ひとり個人の力で、独占的映画スタジオや、大手レコード会社と競争するのは不可能だ。政治的になれば「ああこれは成功しないぞ」 と言われる。カネが大事で、メッセージ性は嫌われる。政治的な側面とか、権利獲得のメッセージとか、そういったものは取り除かれてしまう。
中田 例を挙げてもらえませんか?
メル そうだな、ブラクスプロイテーション映画は「反革命的(カウンターレボリューショナリー)」だ。(注※ 4) 私の映画が革命的なのに対して。例えば、シャフト(映画『黒いジャガー』の主人公)は「体制」に仕えてるだろ? これではまさに反革命的だ。プロットをよく理解すればわかる。こういった事項はサブリミナルに折り込まれる。(注※5)●●が言うセリフで「********」ていうのがある。これじゃあ革命的どころか全くその逆だろ?(注※6)
中田 子供の頃のヒーローは誰でしたか?
メル ミラーだ。
中田 ミラーって誰ですか?
メル ミラーだ。「鏡」だよ。鏡を見たら映ってる人間だ。強いて挙げるならそいつだ。当時ヒーローなんて居なかったよ。
マリオ お父さん(マリオにとってのお爺さん)は?
メル まあな。でもアーティストとかのヒーローのことを聞いてるんだろ? 当時の映画には道化的な黒人しか登場しない。ヘラヘラヘラってな。(おどけて見せる。)そんなのがヒーローか? 当時は誰も居なかった。だから俺がヒーローを作る必要があったたんだよ。
マリオ 映画の中のヒーローに限らず、だよね?
中田 そうです。僕だったらモハメドアリとか、ジェイムズブラウンとか......。
メル ジョールイスとかかもな......。でもヒーローらしいヒーローは居なかったんだ。後になって勉強してブラックヒーローが存在していたことを知るんだ。いろんな発明をした黒人もいたけれど、黒人であることは知られていなかったんだよ。歴史は、常に「歴史的な文脈の中」でのみ語られる。「歴史的な文脈」では「黒人」 という情報は削られるんだ。昔、見本として見習うように教えられた人々は......それは奴隷だ。
中田 わかりました。メルヴィンさんへの質問は以上です。
マリオ 父さんは休んでもいいかな?
中田 どうぞ。 (「その2」へつづく)
※ 3.....60年代後半に提唱されたような " 革命 " のことを謳っている90年代以後のポップカルチャーの例としてArrested Developmentのことを挙げたつもりだったが、この曲はスパイク=リーの映画「Malcolm X」の挿入曲であったことを僕は忘れていた。当時メルヴィンはこの映画にいささか否定的で、のちに『パンサー』を製作する。
※ 4「反革命的」.....Counter-revolutionary。「似非革命的」でもなく「反」革命的だ、とメルヴィンは言っている。
※ 5「サブリミナルに折り込まれる」.....映画『黒いジャガー(Shaft, 1971)では、主人公・シャフトは一見、皮のコートを羽織った一匹狼の私立探偵、白人に媚びを売らない黒人、として描かれている。しかし実際のストーリーは全く逆で、警察に脅されて強制的に捜査に加担させられる、という実に皮肉な内容だった。
※ 6.....ここは何を言っているのか聞き取れなかった。インタビューの録音テープが残っているはずなので、折りをみて聴き直します。