今日のゴミ収集はお休み
うちのゴミもほったらかし
なぜかって?
賃上げ要求中だから
バス運行もストライキ中
運賃は値上げ予定
このままいけば
大気汚染がすすんじゃうね
でもそうやって世界が回ってるわけ
上がったり
下がったり
ぐるぐるまわる
回転木馬みたいに
労働者のアタマが
すげ代えられるだけの世の中......
若者よ
抵抗せよ
世界を回すのはわれわれ人民なのだ
ウォール街では株が下がって
投資家が損をしたらしい
その原因といえば
「最近の若者は働かない」からだって
金持ちは安楽椅子で
太い葉巻をくわえて煙をくゆらせる
気にしない気にしない
貧乏人のことなんて気にしない
でもそれで世界が回ってるわけ
上がったり
下がったり
ぐるぐるまわる
回転木馬みたいに
労働者のアタマが
すげ代えられるだけの世の中......
若者よ
抵抗せよ
世界を回すのはわれわれ人民なのだ
われわれ人民が世界を回すのだ
われわれ人民が世界を回すのだ
Trash men didn't get my trash today
Oh, why? Because they want more pay
Buses on strike want a raise in fare
So they can help pollute the air
But that's what makes the world go round
The ups and downs, a carousel
Changing people's heads around
Go underground, young man
People make the world go round
Wall Street is losing dough on every share
They're blaming it on longer hair
Big men are smoking' in their easy chairs
On a fat cigar without a care
But that's what makes the world go round
The ups and downs, a carousel
Changing people's heads around
Go underground, young man
People make the world go round
People make the world go round
People make the world go round
ご存知のように、もう三年になるでしょうか、ここ日本にも新型コロナというものががやってきて、「ソーシャル・ディスタンスをとりましょう」という話になりました。
その新語に、なんだか違和感をおぼえたのは僕だけでなかったと思う。 とっさに僕はこう思った。
「ソーシャルなディスタンスをとったらアカンやん、フィジカルなディスタンスをとるのは必要なんだろうけど」
ただでさえ人と人のあいだが遠くなっている世の中で、「もっと遠くしましょう」なんて、いくら感染症のことだから別の話だと理解していても、言葉が悲しい。
ところが、日本にかぎったことではなく、英語をつかう国々はもちろんのこと、世界中のひとが「ソーシャル・ディスタンス」と言っている。
つまり、僕の憶えた違和感はまちがいであった。
僕の英語のセンスが悪かった、という話。
何のことはない、「ソーシャル」というのはただ単に「人間の」という意味であって、この場合は人間という物体どうしのあいだに距離を置きましょうという意味にしかならない。
それで僕は膝を打った。
「ソーシャル」って「人間の」という意味だった・・・知らなかった。びっくり。
もしやと思って、「ソサイエティ」という言葉を辞書でひいてみる。そうしたらこう書いてある。
society
noun
UK /səˈsaɪ.ə.ti/ US /səˈsaɪ.ə.t̬i/
(People) A large group of people who live together in an organized way, making decisions about how to do things and sharing the work that needs to be done. All the people in a country, or in several similar countries, can be referred to as a society.
ソサイエティ
(名詞)
(人びと)①なんらかの秩序を保ち、運営方法を決定したり、やらねばならない任務を共同でおこないながら、大勢であつまって暮らしている人間の集団。②ある一つの国(または似通った国が複数の場合もある)に住むすべての人びと。
ようするに「ソサイエティ」って「大勢の人間」という、ただそれだけの意味の言葉である。
それを明治以来のことだろうけど、日本語では「社会」と翻訳している。 社会なんていう漢字二字の熟語に入れ替わったとたんに意味がわからなくなる。
地域に建ち並ぶ、区役所や郵便局、駅や鉄道、商店街や銀行のことが頭にうかぶ。
もしくは地理。なんとか山脈とか、なんとか性気候とか。
もしくは歴史。源頼朝とか徳川家康とか。または明治維新とか日清戦争とか。
「社会」で画像検索してみると、高層ビルや東京タワーのみえる東京の空撮写真ばかりがでてくる。
「Society」で画像検索してみると、人間があつまっているイラストばかりがでてくる。
本来「ソサイエティ」というのは大勢の人間(が共生している)という意味だったものが、日本語で「社会」という訳語となり、それの意味するところは、よーするに高層ビルのことである。
こんなアホな話があるか。
これが日本における、カギカッコ付き「社会」の実態であり、社会が無いからそうなのか、言葉が無いからそうなのか、もしくは言葉(概念)がないだけで実は「社会」に相当するものはどこかに存在しているのか。もしくは、そもそも人間(個人の集合)という概念が無いからこそ、そうなってしまうのか。
なにぶん言葉の話であるゆえ、どこに元凶をもとめるか、頭のこんがらがることではあるけれど、僕の考えとしては、「わたしたちの社会」なんていう言葉を使っても解決が遠のくばかりだから、「世の中」とか「人びと」とか「地域のみなさん」とか「国民」あるいは「人民」などを使うほうが、まだ人の住む世をあらわすような気がしている。
ただ、その逆の立場で「社会という言葉をもっともっと浸透させ、その意味をつくり直してゆくべき」という立場も、当然ありうると思う。どちらでもよい。
アラバマ州はお行儀よろしくありませんわテネシー州にも一言もうしあげますミシシッピ州もご近所に知れております・・・くそくらえ!アラバマ州はお行儀よろしくありませんわテネシー州にも一言もうしあげますミシシッピ州もご近所に知れております・・・くそくらえ!あなたも知ってるでしょう?肌で感じるでしょう?たちこめる独特の空気重苦しくて耐えられないああだれかお祈りをアラバマ州はお行儀よろしくありませんわテネシー州にも一言もうしあげますミシシッピ州もご近所に知れております・・・くそくらえ!
路上には警察犬留置場には学校の児童たち黒猫がまえを横切るいつ殺されてもおかしくないああ神よ 私たちのこの国いつか必ず自分の国に住むはずだけどどこにいってもわたしに居場所は無い神に祈っても意味がないだまって私の話をききなさいわたしたち同胞はもう時間切れこの目でみたからよく知ってるわたしたちは「急ぐな!」ばかり言われるの急ぐのか、急がないのか そこが問題なわけ窓を拭くにしても「早くしろ!」綿をつむいでも「早くしろ!」「まったくあきれた奴だな、早くしろ!」「たいした怠け者だな、早くしろ!」「考えなくていいから、早くしろ!」どこに行けばいいのかなにをすればいいのかああ分からないとにかく最善をつくしましょうみんなでたちあがりましょうミシシッピ州の惨状は知れ渡っています ・・・くそくらえ!
デモ行進も学校ボイコットも共産主義者の陰謀だなんてわたしたちは平等をもとめるだけ姉妹のため 兄弟のため 黒人全体のためそして私自身のためうそにまみれたこの国ハエみたいに全員死んじゃえばいいもうあなたたちのことは信用しないあなたたちは「急ぐな!」ばかり言う急ぐのか、急がないのか そこが問題なわけ人種隔離の廃止にしたって「おそすぎる」大衆参加にしたって「おそすぎる」市民統合にしたって「おそすぎる」社会変革がゆるやかで「おそすぎる」これではさらなる惨状をまねくだけ気づかないの?感じないの?ああ分からない私のとなりに住めと言ってるんじゃないのわたしとあなたは平等だと言ってるだけミシシッピ州のことは知れ渡ってるアラバマ州のことも知れ渡ってる誰でも知っているあのクソみたいなミシシッピ州
題名に惹かれて、じつに興味ぶかい本をよみました。
吉田洋一という数学者によって書かれた本。
数学の歴史などについて、ふつうの人がたのしめるように書かれたもの。
初版は戦前だが、いまだに人気のある、とても有名な本だとききました。
「零の発見:数学の生い立ち」という読み物です。

古代のひとびとが数(かず)をあつかうようになり、一やニや三は知っていても、零(れい)すなわちゼロは知らなかったといいます。
ゼロの概念はインドの商人がつくったそうです。
厳密にいうと、それまでゼロをあらわす文字がなかった。
誰もゼロって書くことができない・・・どんなかんじだろう。
「無」というのは意識できたのだろうけど、ゼロというものが数字の一つとして考えられていなかった、ということだろう。
僕なりに解釈してみると、きっと、
2 ー 2 = ?
と尋ねられると、当時の答えとしては「そんなの、わかりきってるじゃん、なくなっちゃうんだよ、なにをばかな質問してるんだよ」ということになったのであろう。
大真面目な顔をして、
「こたえは、ゼロです」
なんて言わなかったんだろう。
それも分かる気もしなくもないけど。
それが、何世紀のころか知らないけど、インドのひとが、「1や2や3ばかりじゃなくて、〈無〉をあらわす数字もつくったほうが便利だよ」と言い出したと。
それは何年もかけた大革命だったのだろう。
いうまでもなく、そのあとさらにマイナスの概念が発見される。それはもっともっと後の話。マイナスの発見も、大革命だったにちがいない。
そういえば、高校で「虚数」というものを習った。
たしか、「二乗したらマイナスになる」という存在しない数のこと。
存在しないのだが、いちおう存在すると自分自身をだましてみることで、わからなかったことがわかる、新しい世界が見えて来るという。
古代の人はゼロを知らなかった、と聞くとやはり古代のひとびとは数学的に未開だったのだなあ、なんて思うが、人のことを嗤っていられない気もする。
日本人は本当にゼロやマイナスを理解しているのか、心もとない。
というのは、やっぱり、あの、エレベーターの話があるから。
日本で「一階」というのは、諸外国のエレベーターでは「0」というボタンを押します。
日本でいう「二階」というのは、英語では「The first floor」と呼びます。エレベーターのボタンでは「1」になる。
だから、ホテルに宿泊するときには、大きなホテルは困らないのですが、小さなホテルだと頭がこんがらがる。
エレベーターのない小さな宿の場合、レセプションの人から「あなたの部屋は15です。一階にありますから、そこの階段をあがってください」と不気味な指示をもらう。
そのあと、うちのバンドメンバーとの会話で、
「中田さんの部屋はどこですか」
「オレは二階だよ」
「それって、ようするに一階っていう意味ですか」
などという意味のわからない会話をするはめになる。
これは西洋と東洋で、階(かい)がひとつずれている、という単純な話ではありません。
地上階(The ground level)のことを「一階」と呼ぶのか「零階」とかんがえるのか、の違い。
地下一階が、マイナス1なのであれば、日本で云う「一階」は、「零階」とよばなければつじつまが合わないことになる。
もしかしたらどこかの外国からのお客さんが、日本のエレベーターに乗ったら、
「ああ、日本のひとはゼロの概念が希薄なんですね」
などと言われちゃうかもしれない。
僕がその本『零の発見』をなぜ手にとったかというと、ファンクをかんがえる手がかりになるんじゃないかと思ったからです。
ご存知のように、ジェイムズ・ブラウンは「The one」なるものを発明/発見した、と云われています。
ファンクというものに魅せられたひとたちは口をそろえて「The oneだよ! すごいよ! 大発明だよ!」と嬉しそうに言う。
「1、2、3、4、ときて、ふたたびあの1がくるんだ。すごい!」
とあたりまえのことを言う。さらには、
「1、2、3、4、の四つのそれぞれも、やはりおなじ1なんだよね、すごい!」
とか、
「2と4が大事だと思ってたら、じつは音楽は1と3から始まってるんだ、すごい!」
とあたりまえのことをさも大発見のように言う。
つまり、さっきの零(ゼロ)のはなしとおなじで、その概念を知る人は「これがなくちゃやってられない」となるのだけど、まだくっきりと概念がみえていない段階の人は「なにをあたりまえのことを言ってるのだ?」となる。
「The one」をよく知るひとは皆、その話をしだすといきなり「イエーイ! The one!」とか、うれしそうなスイッチがはいって、宇宙と交信するような感覚となる。
ようするに、The oneというのは、神みたいなもん、それにちょっと似た存在なのだろう。
存在。
それが、そこにあるということ。
音楽における音符(ノート)というものは、たらたらと奏でられては時間とともに消え、川の水ように流れてどこかへ去ってゆく、そんな感覚があるけれど、それを打ち破るような概念。
一つ一つの音符が、リズムが、楽器の音が、なにかたしかな存在であるという感覚。がっしりしたもので形成されていて、何かによってしっかりと支えられているという感覚。
その支配的な物体(The one)の存在のなかにもまた、果てしない世界がひろがっているような。
いわば果てしない時間をつくるビッグバンのような。
それがThe oneというもの・・・なのかな。
まあどこまでいっても意味不明なはなしではあるのですが、とにかくジェイムズブラウンは「一(いち)を発見」したとして知られる。
岩波書店から『一の発明』(ジェイムズ・ブラウン著)という本でも発売させないといけない。
一(いち)というのは、そこにある。
もしかしたら無いのかもしれないけど、あると強く思えば、存在をつくることができる。
そうして、それをつくる主体もまた、「The one」だと云う。
すべてを手に入れる時が来る
愛し合えるよろこびを
分かち合いましょう
「まだ子どもだから分からない」
なんてもう言わせない
私はあなたを愛してる
あたたは私を愛してる
わたしたちの時代がやってくる
そこまで来てる もうすこし
涙はもう要らない
愛を信じて 笑顔でいましょう
この夢は魔法の力を持つ
愛があふれつづけて
わたしたちの時代がやってくる
わたしたちの時代がやってくる
わたしたちの時代がやってくる
Our day will come
And we'll have everything
We'll share the joy
Falling in love can bring
No one can tell me that I'm too young to know
I love you so
And you love me...
Our day will come
It will just wait a while
No tears for us
Think love and wear a smile
Our dreams have magic
Because we will always stay in love this way
Our day will come
Our day will come
Our day will come