ソウルミュージックとプロテストソング その2:1965-1969

ソウルミュージックとプロテストソング(全3回)
その2:1965-1969



 次に、60年代中期以後のインプレッションズをみていきたいと思うのですが、そのまえに、ニーナ・シモンのことを付け加えておきます。
 ニーナ・シモンは、50年代、グリニッヂ・ビレッジ地区でジェイムズ・ボールドウィン、ラングストン・ヒューズ、ロレイン・ハンズベリーと親しくしていて、ニューヨークの進歩的な空気を象徴する存在となっていきました。
 曲タイトルでパンチを一発おみまいする「MISSISSIPPI GODDAMN」(1963年)は、《アラバマはお行儀よろしくありませんね、テネシーにも一言申し上げます、ミシシッピにいたってはご近所に知れわたっていますわ・・・クソくらいやがれ!》と歌います。アラバマは少女四人が死亡した教会爆破事件(バーミンガム、同年9月)、ミシシッピは活動家メドガー・エヴァース暗殺(同年6月)とエメット・ティル少年の惨殺事件(1955年)について歌っています。「テネシー」というのはおそらくナッシュヴィルの座り込み運動(1960年)のことでしょうか。とにかく差別の激しい三州を非難しています。



 わざと底抜けに明るい調子の曲をあてて、ここでニーナがあらわしているものは、リンチなどの暴力や差別への猛烈な「怒り」です。もはや冷静でいられないという激しい直接的な怒り。思えば、ジャズでは、ビリー・ホリディは「奇妙な果実」の静かな曲想によって、そしてチャールズ・ミンガスはおどけた曲想で、激しい怒りを表現しました。
 ゴスペル側にいるステイプル・シンガーズやインプレッションズが希望を歌っていることと比較すると、ずいぶんスタイルが違うというべきでしょうか。

 1965年夏のLAワッツ暴動を経て、時代は、ゴスペル音楽や非暴力主義などの柔和な戦術では、黒人社会全体の不満に応えられなくなってゆきました。1967年暮れの、インプレッションズの「WE'RE A WINNER」は、公民権運動のつぎの段階として、キリスト教主義だけでなく、黒人の誇り・尊厳、そして団結をこれからの運動の柱にしようというメッセージが語られます。とても具体的で実践的です。

  We're a winner. Don't let anybody say,
  "Boy, you can't make it." because feeble mind is in your way.
  私たちは勝者の民なのだ 誰にも〝おい小僧〟なんて言わせるな
  蔑みの言葉を投げつけられて実力を発揮できなくなる




 しかし、この曲がヒットしているさなか、「団結」の中心的存在であったキング牧師が暗殺され、アメリカは混沌・分断の時代、ブラックパワーの時代へと一気に向かいます。カーティスはそれに異を唱えました。
 「CHOICE OF COLORS」は、《肌の色をえらべるとしたら、黒と白どちらを選ぶ?》と問いかけます。つまり、そんな質問をすることは馬鹿げている。黒人も白人も、人間として正しい道を生きようと訴えます。当時は、人種問題に挑発的な内容であるとしてラジオ放送できなかったそうです。
 「MIGHTY MIGHTY (SPADE & WHITEY)」は、キング牧師もロバート・ケネディも暗殺され、黒人もリベラル白人も次々とリーダーを失って、アメリカが分断されていくことを食い止めようとしています。《クロ野郎もシロ野郎も力をあわせろ。ブラックパワーは失敗する》と言うのです。この二曲はともに、公民権運動が下火になって台頭したブラックパワー運動の分離独立主義を批判しています。

 ブラックパワー時代のアンセムといえば、何といってもジェイムズ・ブラウンの、1968年夏に黒人の尊厳をうたった「SAY IT LOUD - I'M BLACK & I'M PROUD」です。〈みんなで叫ぼう:黒人ってカッコいい!〉 キング牧師が暗殺されてから半年ちかく経ったころ、黒人社会にあたえたインパクトは計り知れないものがあったと云われています。この曲がラジオでかかった次の日からは、肌の色の濃い男の子や女の子がモテるようになったのだそうです。(それまでは、黒人のあいだでも色の薄いコがモテていた。)ヘアスタイルも、縮れた髪を矯正したりウィッグを使ったりしない〈ナチュラルルック〉が流行しました。
 ところで、実はこのような、ラディカルで実力行使的として知られる曲も、第二段落は、古い霊歌「BUKED AND SCORNED」の引用であることを指摘しておきたいと思います。また、第一段落では、「move」という言葉をつかって「前に進むことをやめない」といっています。



 そのほか、JBによるプロテストソングは意外に多くありませんが、「I DON'T WANT NOBODY TO GIVE ME NOTHING」(1969)は姉妹曲として重要だと思います。《オレは施しは受けない。ただ、扉を開いてくれ》と演説調で訴えます。フェアにして機会を平等にしてくれ、学校を建てるなどしろ、そこまでは政府がやってくれ、そのあとは自分たちの黒人コミュニティーで経済をまわしていく、と同胞とアメリカ社会全体の両方に向けて訴えています。これは分離独立主義ではなくフェアネス(機会均等)を求めているのだ、というのがブラウンの主張です。(まあ、民主党を支持していても、ニクソンが当選したらホイホイと祝賀会に出演したりする人なのですが。)
 ほかにブラック・プライド(黒い肌は美しい)を表現した歌は、ニーナ・シモンの「(TO BE) YOUNG, GIFTED, AND BLACK」、カーティス・メイフィールドの「MISS BLACK AMERICA」などがありました。

 六〇年代後半、かのジェイムズ・ブラウンさえも時代遅れになりかねないほど輝きだしたのは1967年に登場したスライ&ファミリーストーンでした。歌詞云々でなく、グループの存在そのものがプロテストでした。つまり、黒人も白人も、男も女も、R&Bもロックも、メッセージソングもダンス曲も、すべての「分断」を無くしてしまえというのが結成のコンセプトだったのです。まさに六〇年代を象徴するグループでした。
 「STAND!」では、何をやるにしたって、そして黒人も白人も、自由のためにたちあがらなきゃダメと力強く訴えました。「EVERYDAY PEOPLE」は、だれだって一人ひとりが同じ「ふつうの人間」なんだから、いがみあうことなく干渉せずに共生しよう、とサラリと(分離主義でも融合主義でもなく)個人主義を唱えました。混沌の時代にあって、自由の町・サンフランシスコの若者が発したこのメッセージは、いまでも大きな影響力をもっているのだと、映画などで耳にするたび思います。



 この曲は「次世代の黒人解放運動アンセム」にはならなかったようです。まだまだ、目の前には解決せねばならない問題が山積していたからです。しかし、カーティス・メイフィールドもジェイムズ・ブラウンも最終的なメッセージはほぼ同じです。「黒人は誇りを取り戻そう」「団結せよ」「肌の色なんて関係ない、みんな同じ〝人間〟になろう」です。これらは矛盾しません。ブラックパワーの「分離主義・独立主義」と、公民権運動の「統合主義」は矛盾点があれば少しずつ軌道修正しながら共に前進してゆくのだと思います。(その3へつづく)

 その1 1963-1965:ボブディラン、サムクック、ステイプルシンガーズ、インプレッションズ
 その3 1970-1974:ギルスコットヘロン、ダニーハサウェイ、マーヴィンゲイ、カーティスメイフィールド、スティーヴィーワンダー


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