(こちらは、『ブルース&ソウル・レコーズ』No.146(2019年2月発売 特集:ブラックミュージックのメッセージ)に書き下ろしたものです。発売からしばらく経ちましたので、編集部よりの承諾をいただいて転載・公開します。興味をもたれたかたはぜひ、雑誌のほうをお求め下さい。)
ソウルミュージックとプロテストソング(全3回)
その1:1963-1965
1963年、ボブ・ディランの「BLOWIN' IN THE WIND(風に吹かれて)」を初めて聴いてメイヴィス・ステイプルズは、「すごい、これは私たち黒人の歌だ! 本来であればこんな歌をうたう黒人歌手が登場しなくてはオカシイ!」と思ったそうです。
How many roads must a man walk down before he's called a man?
ひとりの人間として認められるまで いったいあとどれくらい歩けばよいのだろう?
歌いだしが、あまりにもキング牧師たちの「行進」(マーチ)を鮮明に描いているようでした。〈差別、戦争、抑圧は、どうすればこの世から無くすことができるのだろう、その答えは目の前にあるが掴むことができない〉という歌です。この「a man」という言葉。「有色人種」でも「ニグロ」でも「黒人」でも、その他の何でもなく、〈人間〉となることが真の解放なのだということを捉えています。
また、二行目は《白鳩は、あといくつの海をわたれば土のうえで安らぐことができるのだろう》というもので、流離の民であるアメリカ黒人の長い旅(たとえば、南部から北部への移動)を想起させますから、これにもメイヴィスは舌をまいたことでしょう。
そういうことで、「風に吹かれて」をさっそく自身のショーのレパートリにくわえた人がいました。誰あろうサム・クックです。彼がこの歌をとりあげたのは必然だったのです。そして、差別に抗議するこのような歌をうたうこと(とりわけテレビで)は本当に勇敢なことだったはずです。
そしてサム・クックは、「風に吹かれて」に駆り立てられるかたちで、かの「A CHANGE IS GONNA COME」を自ら書きました。
I was born by the river in a little tent
Just like the river I've been running ever since
川のほとりの小さなテントで僕は生まれた
あの川に流れる水のごとく 押しながされて逃げるばかりの人生だった
詞・曲・編曲ともに、ボビー・ウォマックが「死を連想してしまう」と言ったという不気味な悲壮感・絶望感でおおわれていますが、各コーラスの最後の一行だけは希望でしめくくられています。《でも、きっと、変わる。ああそうだよ。》
〈帰ることのできる家(故郷)は無く、やすらぐ居場所も無い。生きることは苦しく、死を待つのもつらい〉と歌います。教会のおしえでは、人は死ぬと、神に召されて天国という素晴らしいところへ行き、苦しみから解放されるので、死(=自由)を楽しみにできないというのは信仰がゆらいでいる苦悩の状態です。
ゴスペル歌手から転向して、いまやR&B歌手となっていたサム・クックがこれを歌い、死や自由と向き合っている。逆説的にいえば、ほかの霊歌におなじく、現世での自由への闘いを、天国へ召されることになぞらえている歌なのだと僕は考えています。
五〇年代後半にはじまった公民権運動は、黒人霊歌・ゴスペル・フォークとともにありました。「WE SHALL OVER COME(勝利を我らに)」、「OH FREEDOM」、「THIS LITTLE LIGHT OF MINE」、「YOUR EYES ON THE PRIZE」そのほか多数の古い霊歌を歌いながら、行進や座り込みをおこなって南部の隔離政策と闘いました。今回は、霊歌などは採りあげませんが、六〇年代・七〇年代に生み出されたプロテストソングの流れを追ってみたいと思います。
公民権運動にふかく関わった音楽グループのひとつは、なんといってもステイプル・シンガーズでしょう。キング牧師に帯同して各地の演説会で演奏をしていました。お父さんのローバックが作曲した「WHY? (I AM TREATED SO BAD)」は、毎晩キング牧師から演奏するようせがまれたそうです。アーカンソー州リトルロック高校事件(1957年、白人黒人の共学を実施するため九人の生徒が登校したが州知事が反対して州兵を出動させた)をテレビで見て書いた曲だと言われています。《こんなにひどい目にあっても、それでも、主がお示しになる道を歩きつづけます》というゴスペルソングです。
歩く、という歌をもう一つ。「Freedom Highway」は、キング牧師による1965年3月のセルマ〜モンゴメリー行進をそのまま歌にしたものです。この抗議行動は、アラバマ州で黒人も選挙登録ができるように求めておこなわれた行進でした。
March on freedom highway. March each and everyday.
I made up my mind. I won't turn around.
自由へのハイウェイを行進しよう 毎日々々行進しよう
もう心に決めた ひきかえしはしない
警察と衝突を避けるため3月9日の行進が中止、つまり「ひきかえし」になったあと、やっと3月17日の行進で成功したことを歌っています。
もう一組、ゴスペル寄りのR&Bスタイルで「公民権運動のサウンドトラック」を奏でたグループは、カーティス・メイフィールド率いるインプレッションズです。代表曲「PEOPLE GET READY」は、なにかにプロテスト(異議を唱える)しているわけではありませんが、黒人が自由に向かうところを美しくえがいています。ワシントン大行進に参加するため各地から列車やバスで集まってくる人々の姿に着想をえたと言われています。
People get ready. There's a train a-coming.
You don't need no baggage. Just thank the Lord.
みなさまご用意ください 列車がまいります
荷物も持たずにそのままご乗車ください 主に感謝するだけでよいのです
以上みてきた曲はすべて、行進すること、歩くこと、または流されたり彷徨ったりすることを描いています。自由と仕事を求めて北部へ移り住むこと、個人が神に召されて天国へ向かうこと、民としてモーゼに導かれて約束の地へと向かうこと、これらのイメージが相互に強く結びつけられています。(その2へつづく)
その2 1965-1969:インプレッションズ、ニーナシモン、ジェイムズブラウン、カーティスメイフィールド、スライ&ファミリーストーン
その3 1970-1974:ギルスコットヘロン、ダニーハサウェイ、マーヴィンゲイ、カーティスメイフィールド、スティーヴィーワンダー
ソウルミュージックとプロテストソング(全3回)
その1:1963-1965
1963年、ボブ・ディランの「BLOWIN' IN THE WIND(風に吹かれて)」を初めて聴いてメイヴィス・ステイプルズは、「すごい、これは私たち黒人の歌だ! 本来であればこんな歌をうたう黒人歌手が登場しなくてはオカシイ!」と思ったそうです。
How many roads must a man walk down before he's called a man?
ひとりの人間として認められるまで いったいあとどれくらい歩けばよいのだろう?
歌いだしが、あまりにもキング牧師たちの「行進」(マーチ)を鮮明に描いているようでした。〈差別、戦争、抑圧は、どうすればこの世から無くすことができるのだろう、その答えは目の前にあるが掴むことができない〉という歌です。この「a man」という言葉。「有色人種」でも「ニグロ」でも「黒人」でも、その他の何でもなく、〈人間〉となることが真の解放なのだということを捉えています。
また、二行目は《白鳩は、あといくつの海をわたれば土のうえで安らぐことができるのだろう》というもので、流離の民であるアメリカ黒人の長い旅(たとえば、南部から北部への移動)を想起させますから、これにもメイヴィスは舌をまいたことでしょう。
そういうことで、「風に吹かれて」をさっそく自身のショーのレパートリにくわえた人がいました。誰あろうサム・クックです。彼がこの歌をとりあげたのは必然だったのです。そして、差別に抗議するこのような歌をうたうこと(とりわけテレビで)は本当に勇敢なことだったはずです。
そしてサム・クックは、「風に吹かれて」に駆り立てられるかたちで、かの「A CHANGE IS GONNA COME」を自ら書きました。
I was born by the river in a little tent
Just like the river I've been running ever since
川のほとりの小さなテントで僕は生まれた
あの川に流れる水のごとく 押しながされて逃げるばかりの人生だった
詞・曲・編曲ともに、ボビー・ウォマックが「死を連想してしまう」と言ったという不気味な悲壮感・絶望感でおおわれていますが、各コーラスの最後の一行だけは希望でしめくくられています。《でも、きっと、変わる。ああそうだよ。》
〈帰ることのできる家(故郷)は無く、やすらぐ居場所も無い。生きることは苦しく、死を待つのもつらい〉と歌います。教会のおしえでは、人は死ぬと、神に召されて天国という素晴らしいところへ行き、苦しみから解放されるので、死(=自由)を楽しみにできないというのは信仰がゆらいでいる苦悩の状態です。
ゴスペル歌手から転向して、いまやR&B歌手となっていたサム・クックがこれを歌い、死や自由と向き合っている。逆説的にいえば、ほかの霊歌におなじく、現世での自由への闘いを、天国へ召されることになぞらえている歌なのだと僕は考えています。
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五〇年代後半にはじまった公民権運動は、黒人霊歌・ゴスペル・フォークとともにありました。「WE SHALL OVER COME(勝利を我らに)」、「OH FREEDOM」、「THIS LITTLE LIGHT OF MINE」、「YOUR EYES ON THE PRIZE」そのほか多数の古い霊歌を歌いながら、行進や座り込みをおこなって南部の隔離政策と闘いました。今回は、霊歌などは採りあげませんが、六〇年代・七〇年代に生み出されたプロテストソングの流れを追ってみたいと思います。
公民権運動にふかく関わった音楽グループのひとつは、なんといってもステイプル・シンガーズでしょう。キング牧師に帯同して各地の演説会で演奏をしていました。お父さんのローバックが作曲した「WHY? (I AM TREATED SO BAD)」は、毎晩キング牧師から演奏するようせがまれたそうです。アーカンソー州リトルロック高校事件(1957年、白人黒人の共学を実施するため九人の生徒が登校したが州知事が反対して州兵を出動させた)をテレビで見て書いた曲だと言われています。《こんなにひどい目にあっても、それでも、主がお示しになる道を歩きつづけます》というゴスペルソングです。
歩く、という歌をもう一つ。「Freedom Highway」は、キング牧師による1965年3月のセルマ〜モンゴメリー行進をそのまま歌にしたものです。この抗議行動は、アラバマ州で黒人も選挙登録ができるように求めておこなわれた行進でした。
March on freedom highway. March each and everyday.
I made up my mind. I won't turn around.
自由へのハイウェイを行進しよう 毎日々々行進しよう
もう心に決めた ひきかえしはしない
警察と衝突を避けるため3月9日の行進が中止、つまり「ひきかえし」になったあと、やっと3月17日の行進で成功したことを歌っています。
もう一組、ゴスペル寄りのR&Bスタイルで「公民権運動のサウンドトラック」を奏でたグループは、カーティス・メイフィールド率いるインプレッションズです。代表曲「PEOPLE GET READY」は、なにかにプロテスト(異議を唱える)しているわけではありませんが、黒人が自由に向かうところを美しくえがいています。ワシントン大行進に参加するため各地から列車やバスで集まってくる人々の姿に着想をえたと言われています。
People get ready. There's a train a-coming.
You don't need no baggage. Just thank the Lord.
みなさまご用意ください 列車がまいります
荷物も持たずにそのままご乗車ください 主に感謝するだけでよいのです
以上みてきた曲はすべて、行進すること、歩くこと、または流されたり彷徨ったりすることを描いています。自由と仕事を求めて北部へ移り住むこと、個人が神に召されて天国へ向かうこと、民としてモーゼに導かれて約束の地へと向かうこと、これらのイメージが相互に強く結びつけられています。(その2へつづく)
その2 1965-1969:インプレッションズ、ニーナシモン、ジェイムズブラウン、カーティスメイフィールド、スライ&ファミリーストーン
その3 1970-1974:ギルスコットヘロン、ダニーハサウェイ、マーヴィンゲイ、カーティスメイフィールド、スティーヴィーワンダー