参議院選挙がおわりました。
たくさんの方々が尽力されたと思います。ひとまず、本当におつかれさまでした。
僕の反省点としては、ちょうどアルバムをつくっていて連日ほんとうに時間がなく、恒例としてブログで書いている「(自分は)誰に投票するか?」というのを、じっくり書く時間がありませんでした。とくに大阪選挙区のことなど、結果がでる前にもうすこしじっくり考えてみたかった。
この「誰に投票するか?」シリーズは、およそ、二つの合わせワザを提唱するものです。一つ目は「消去法」(または「どちらがマシか」法)、そして二つ目は「戦略的投票」と呼ばれている考え方です。しかし、これにも課題が残っていると思います。
戦略的投票について説明します。たとえば今回の東京選挙区ですと、もっとも応援するべきは共産党の吉良佳子候補であり、その次には社民党の朝倉玲子候補でした。しかし、吉良候補は当選ほぼ間違いないと目されていましたし、朝倉候補は当選に達しないと考えられていました。そういうことですので、二人のどちらに投票しても当落には影響がありませんので、より僕の投票を活かすためには、もっと当落ラインをさまよっている候補者――今回ですとそれは立憲民主の山岸候補ですーーへ投票するのが良いということになります。同時に、同じ議席を争っている音喜多候補(維新)を落選させるという意味ももちます。
これはこれで合理的な考え方なのですが、この戦略的投票の考え方は、僕がべつのブログ記事で書いている「囚人のジレンマ」というものに、まるっきり当てはまり、そして解決法がまるっきり矛盾しています。
つまり、選択肢をならべたうえで、それぞれを選んだ場合の結果を予想し、そのなかでもっとも良いと思われるものを選択するという、この一見は正しいようにみえる意思決定プロセスはじつは十分ではないということです。
その記事に書いたように、「囚人のジレンマ」から抜け出すためは、「長期的」で「包括的」な視点がカギとなります。つまり、数年ではなく数十年や数百年先のことを考える。同時に、自分ひとりだけでなく、僕たち全員が同じ行動をとった場合のことを考えなければなりません。
この場合ですと、多くの人が同じ理屈で立憲民主党の山岸候補に投票してしまうと、共産党の吉良候補がどれくらいの人数のひとたちから支持を得ていたかということが分からなくなってしまうことが問題です。つぎの選挙でも勝ってもらうための重要な情報に狂いがでています。さらに得票数は重要な歴史的資料です。数百年後に僕たちの子孫に自由を掴んでもらうためには歴史的視点をはずすことは望ましくありません。
そもそも、一人一人が意見を表明する、という民主主義の根幹から逸脱していることが大問題です。
そういうことですので、今後は、消去法と戦略的投票にくわえて、上記のような三つ目の意思決定法も合わせてかんがえていこうと思っています。
さて、今回の選挙では、自民が議席を減らし、立憲民主党が躍進しました。同時に、共産が一議席を失い、れいわ新選組が一議席増やしました。
れいわが台風の目となり、従来にはなかった戦術で選挙戦をたたかいました。投票から三日たった現在、この党の躍進を支持するか不支持かで、リベラル・左派のあいだで色々な意見に分かれているようです。
僕の、現在の意見を記しておきます。
この現象が「ポピュリズムか否か」という論争は決着していて、もちろんポピュリズムと思います。しかしそれ自体は批判するほどのことではなくて、ポピュリズムにはポピュリズムで対抗するしかない、という試みもあってしかるべきと思うからです。
僕がれいわを支持するかどうかは、別のブログ記事(「グリッツは食料品店」)で書きました。その考えは今日のところも変わっていません。
これからの大きな課題は二つだと思います。一つ目は、共産党や立憲民主党と、れいわが力をあわせることができるか、ということ。これまで野党共闘に協力的であった人物とは僕の目には映っていません。いくら台風の目となることができても結局のところは他党と協力しなければ何も実現しないのですから本当の意味で支持者の期待に応えることは出来ないのは言うまでもありません。 二つ目は、これから、しっかりと反知性主義的なものと決別することができるか、です。すなわちトンデモ貨幣論や、天皇に直訴したという過去などです。
たくさんの方々が尽力されたと思います。ひとまず、本当におつかれさまでした。
僕の反省点としては、ちょうどアルバムをつくっていて連日ほんとうに時間がなく、恒例としてブログで書いている「(自分は)誰に投票するか?」というのを、じっくり書く時間がありませんでした。とくに大阪選挙区のことなど、結果がでる前にもうすこしじっくり考えてみたかった。
この「誰に投票するか?」シリーズは、およそ、二つの合わせワザを提唱するものです。一つ目は「消去法」(または「どちらがマシか」法)、そして二つ目は「戦略的投票」と呼ばれている考え方です。しかし、これにも課題が残っていると思います。
戦略的投票について説明します。たとえば今回の東京選挙区ですと、もっとも応援するべきは共産党の吉良佳子候補であり、その次には社民党の朝倉玲子候補でした。しかし、吉良候補は当選ほぼ間違いないと目されていましたし、朝倉候補は当選に達しないと考えられていました。そういうことですので、二人のどちらに投票しても当落には影響がありませんので、より僕の投票を活かすためには、もっと当落ラインをさまよっている候補者――今回ですとそれは立憲民主の山岸候補ですーーへ投票するのが良いということになります。同時に、同じ議席を争っている音喜多候補(維新)を落選させるという意味ももちます。
これはこれで合理的な考え方なのですが、この戦略的投票の考え方は、僕がべつのブログ記事で書いている「囚人のジレンマ」というものに、まるっきり当てはまり、そして解決法がまるっきり矛盾しています。
つまり、選択肢をならべたうえで、それぞれを選んだ場合の結果を予想し、そのなかでもっとも良いと思われるものを選択するという、この一見は正しいようにみえる意思決定プロセスはじつは十分ではないということです。
その記事に書いたように、「囚人のジレンマ」から抜け出すためは、「長期的」で「包括的」な視点がカギとなります。つまり、数年ではなく数十年や数百年先のことを考える。同時に、自分ひとりだけでなく、僕たち全員が同じ行動をとった場合のことを考えなければなりません。
この場合ですと、多くの人が同じ理屈で立憲民主党の山岸候補に投票してしまうと、共産党の吉良候補がどれくらいの人数のひとたちから支持を得ていたかということが分からなくなってしまうことが問題です。つぎの選挙でも勝ってもらうための重要な情報に狂いがでています。さらに得票数は重要な歴史的資料です。数百年後に僕たちの子孫に自由を掴んでもらうためには歴史的視点をはずすことは望ましくありません。
そもそも、一人一人が意見を表明する、という民主主義の根幹から逸脱していることが大問題です。
そういうことですので、今後は、消去法と戦略的投票にくわえて、上記のような三つ目の意思決定法も合わせてかんがえていこうと思っています。
さて、今回の選挙では、自民が議席を減らし、立憲民主党が躍進しました。同時に、共産が一議席を失い、れいわ新選組が一議席増やしました。
れいわが台風の目となり、従来にはなかった戦術で選挙戦をたたかいました。投票から三日たった現在、この党の躍進を支持するか不支持かで、リベラル・左派のあいだで色々な意見に分かれているようです。
僕の、現在の意見を記しておきます。
この現象が「ポピュリズムか否か」という論争は決着していて、もちろんポピュリズムと思います。しかしそれ自体は批判するほどのことではなくて、ポピュリズムにはポピュリズムで対抗するしかない、という試みもあってしかるべきと思うからです。
僕がれいわを支持するかどうかは、別のブログ記事(「グリッツは食料品店」)で書きました。その考えは今日のところも変わっていません。
これからの大きな課題は二つだと思います。一つ目は、共産党や立憲民主党と、れいわが力をあわせることができるか、ということ。これまで野党共闘に協力的であった人物とは僕の目には映っていません。いくら台風の目となることができても結局のところは他党と協力しなければ何も実現しないのですから本当の意味で支持者の期待に応えることは出来ないのは言うまでもありません。 二つ目は、これから、しっかりと反知性主義的なものと決別することができるか、です。すなわちトンデモ貨幣論や、天皇に直訴したという過去などです。
この二つを「立場がひとをつくる」ということによって乗り越えることができれば、僕はれいわ新選組という政党を評価するべきだと考えています。もしそれができなければ、今回の参議院選挙でもふたたび国民は大変な消耗を強いられただけ、ということになってしまいます。