2019年5月アーカイブ

超高層シティ

 

 NHKスペシャル『超高層シティ』をみた。
 戦慄をおぼえる内容だった。

(番組内容)
高さ100メートルを超す超高層ビルの建設ラッシュにわく東京。平成に完成したビルは300を超えた。平成の初めにバブルがはじけ、不良債権の山と化した東京が、なぜ「失われた20年」の中で高層シティーへと姿を変えたのか。実は国は、厳しく規制していた容積率の「異次元緩和」という禁じ手を使ったのだ。果たして巨大開発は、日本の発展の象徴となるのか、それとも過剰な開発競争を引き起こすのか。その光と影を検証する。



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 問題はたくさんある。
 まず第一に、これが容積率の規制緩和という禁じ手であったこと。日本という国は、世界に例をみない地震国。中国やヨーロッパには地震はぜったいに来ない。そんなところの国際都市と競争するなんて、絶対に日本がやってはいけないこと。
 二つめは、これがバブルであると警告されていること。この建設ラッシュに実体経済がおいつかずにバブルが弾けたあと何がおこるか。さらなる大不況と、商業施設や高層ビルのゴーストタウン化。耐震対策・メンテナンスは不可能となったらどうするのか。解体工事もできない、なんて恐ろしい事態に発展するのではないか。
 三つめは、そのバブルによって、さらに地方からの人口流入を加速させていること。人口が減ってゆく日本でバブルをささえているのは地方から東京にでてくる人たち。「東京の景気回復なくして日本の不況脱出はない」などとさけべば正論に聞こえるがこれは真逆。いまの日本がかかえる一番の問題は、東京一極集中と地方弱体化であって、それをのりこえる政策こそ待たれているのに。

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 それで、いきなり話しはとぶのですが、僕はレイチャールズの歌を思い出す。
 「Greenback」という歌。場所は、1920年代に、空前の好景気にわくニューヨークか、それとも第二次大戦の終戦直後でしょうか。南部の田舎からでてきた男が、夜遊びをしようとして、街の女にいっぱい食わされるというお話し。

(歌詞翻訳)
http://osakamonaurail.com/nakata/2018/05/greenback-1958.html

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 僕はこの歌は、本当に資本主義というものの本質を見事に言い当てていると思っているのです。
 つまり、資本主義というのは、都市で人間が燃やされてゆくのだということ。貨幣が人々の欲望を際限なくかきたてて、それに魅了された大勢の人々がはるばる遠方から集まってくる。都市とはそういった人々の労働を飲み込んで肥大化していくものだということ。
 この歌の主人公は、20ドル札と5ドル札を、魅力的な女性に掠め取られる。そのあと、「さようなら、大統領!」と手をふる。つまり、女性に手をふるのではなくて、ただの紙切れとの別れを惜しむ。かくして、彼が汗を流した数日間の労働は都会にのみこまれていった・・・。
 この街にはすべてがある。そしてあの緑色の紙切れさえ手に入れれば、すべて何とかなるーーそんな幻想を人に信じ込ませるのが資本主義だと思う。
(それもこれも、カワイ子ちゃんのお尻を追いかけるだけなら、ふるさとで同じことをやっていれば、貨幣も介在せずもっとシンプルなことだったのに!)

 そんなわけで、もう20世紀の初頭以来、高層ビルというのは都会の象徴である。人類のあやまちの最たるもの、資本主義の象徴が高層ビル。それが人を飲み込む。そんなものに不況打破の活路をみいだそうとするなんて! よりによって地方再生こそ求められる時代に。それは、泳ぎかたを知っている者がわざわざ藁をつかんで溺れてゆく行為。麻薬中毒者にさらなる麻薬を投与する行為。バクチですったカネをバクチで取りかえそうとする行為。
 ヨコ移動(田舎→都会)の次がタテ移動(低層→超高層)。その次には何があるのだろう。そりゃあ決まっている、さらにうえ(宇宙)にいくか地面に倒れるか、その二つに一つだろうと思う。
Inner City Blues (Make Me Wanna Holler) by Marvin Gaye, 1971




ロケット
 月面着陸
   カネをまわせ
      貧しき者に
賃金は
 働けども
  手にするまえに
    くすねられる

 泣き叫びたい
 このひどい仕打ち
 泣き叫びたい
 このひどい仕打ち
 こんな暮らしなんてない
 こんな暮らしなんてない

物価は上昇
 手取りのほうは
    上向くきざし
         無し
請求書は
 たまるばかり
  子供たちを送ろう
        戦場へ

 泣き叫びたい
 このひどい仕打ち
 泣き叫びたい
 このひどい仕打ち

悩みばかり
 心は落ち込み
   運にも見放され
    どうにもならない
そんなわけで
 いうまでもなく
   いまのオレには
    税金も払えない

 泣き叫びたい
 もうどうにもならないよ
 泣き叫びたい
 もうどうにもならないよ

犯罪は
 増加をたどる
   警察は銃を
    市民にむける
混乱は
 ひろがり
   未来は
    どうなる?


Rockets, moon shots
Spend it on the have-not's
Money, we make it
Before we see it, you take it

Make you want to holler
The way they do my life
Make me want to holler
The way they do my life
This ain't living, No, No
This ain't living, No, No

Inflation no chance
To increase finance
Bills pile up sky high
Send that boy off to die

Make me want to holler
The way they do my life
Make me want to holler
The way they do my life

Hang-ups, let-downs
Bad-breaks, set-backs
Natural fact is
I can't pay my taxes

Make me want to holler
Throw up both my hands
Makes me want to holler
Throw up both my hands

Crime is increasing
Trigger happy policing
Panic is spreading
God knows where we're heading


まったく面白くもない話

 
まったく面白くない話しをするので、とてもヒマな人しか読まないでください。
あれは、たしか、去年のいまごろのことです。
例年のごとく、数週間ほどヨーロッパに遠征にいきました。
そのツアーで、うちのバンドの、誰とは云いませんがTの衣類の用意に注目があつまっていたのです。

ツアーでは連日のように飛行機にのって次の公演地に移動するのですが、そのさい、格安の飛行機会社をつかうことが頻繁です。格安会社は、持ち運ぶことのできる荷物の制限(重さやスーツケースの大きさ)がとても厳しいのです。荷物が多いと超過料金を払わされてしまいますので、それをさけるため、できるだけ衣類を少なめに持っていくようにしなければなりません。
バンドメンバー全員が工夫をして個人の荷物を小さくおさめています。すくない衣類でも寒い日や暑い日に対応できるようにします。
そんな中でもTの用意周到ぶりは抜きん出ていました。

「今日は第一形態です」「今日は第二形態です」と彼は言いました。
どうやら、第五形態くらいまで考えられているようで、暑いところ(たとえばイタリアや南フランス)の軽装から、寒い地域(たとえばイギリスやスウェーデン)の防寒まで、しっかり練られています。
小さなカバンなのでほとんど服を収める余裕が無いだろうに、一体どうやっていくつものパターンを着替えているのか、本当によく考えられています。僕は舌をまいていました。

「今日はどのパターンなん?」と尋ねると、
「あ、今日は、第三形態っスね」といいました。

その「形態」という言葉のチョイスが面白いので、しつこく、今日は第何番の形態なのか、と訊いていたのです。
さて、そこでTくんの話は終わりです。

僕はこの「形態」という言葉は、トランスフォーマー(乗り物がロボットに変態する子供向けアニメ)から採られたのかと思っていましたが、しばらくすると、どうやら『シン・ゴジラ』から採っているのだと気づきました。

公開からすでに三年ちかくも経っていましたが、僕はシン・ゴジラは観たことがなかったのです。
観たことがないのに、なぜ「第〇形態」の元ネタがシン・ゴジラであると気づいたのでしょうか、思い出せません。とにかく、気づいたのです。それで僕は「あっ!」と思いました。
「シン・ゴジラは変態(メタモルフォーゼ)するのか!」
映画は観ていませんでしたが、シン・ゴジラは原発事故を描いているのだと、皆が口を揃えて言っていたので、それだけは了解していました。
そのシン・ゴジラに、「第一形態」や「第二形態」があるらしい。・・・そ、そ、それでは一体、最終形態は何だというのでしょう?

ご存知のように、世にも恐ろしいあの原発事故は、民主党政権を崩壊させ、安倍自民党政権を復活させました。そこを起点とした日本の凋落ぶりは、ここであらためて説明するまでもないでしょう。
ですから、ゴジラは日本をおそった災いを表現しているのですから、それがメタモルフォーゼするのであれば、それは第一形態は大地震であり、第二形態は大津波であり、第三形態は原発事故による放射能であり、第四形態は安倍政権の復活にちがいありません。シン・ゴジラの「シン」は安倍晋三のことだったのか・・・!
もしかして、第五形態も描かれているのだろうか。第五形態とは一体なんだろう。安保法制か、金融緩和か、働き方改革か、特定秘密保護法か、北方領土の放棄か。いやそれともトランプ政権か。

僕は、この安倍政権という世にもおそろしい物体は、いまだに本当の正体をあらわしていないという気がしています。かつて、戦後ここまで肥大化して暴走した政権はありませんでした。その中心で総理大臣の椅子にすわっているのは、あの、権力欲の無さそうな、父ちゃん坊や然とした、ハリの無い顔つきをした人物というのがあまりにも不気味です。誰が糸を操っているのか? 張り子が倒れたあとは何が登場するのか? こんな背筋の凍ることは無いと僕は思っています。
シン・ゴジラという映画はこの時代の何を捉えているのだろう? やっぱり、シンは「晋」なのか? あるとすれば第五形態はいったい何か?

そういえば、漫画『AKIRA』は、2020年の東京オリンピックを描いていました。
漫画『二〇世紀少年』は大阪万博の再開催や、カルト教団政権のストーリーでした。
シン・ゴジラはいったい何をあらわしているのだろう?

   *   *   *

そんなわけでシン・ゴジラを観たのですが、周知のとおり僕の勝手な妄想は大ハズレで、惨憺たる気持ちになっただけでした。
第一形態は地震、第二形態は津波、第四形態から原発。そこまでで終わりです。
政治家や官僚が日本のために命をかけて大活躍する映画です。(ふつうの国民の目線を意図的に排除している。)原子炉は冷却されて事故は完全に収束します。現実とあまりにもかけはなれた結末で途方にくれるばかりです。
これほどまでにウソをつかれると、「力をあわせれば日本の未来はひらくことができる」というプロパガンダ映画でさえなく、そのまま空虚に響いて、むしろ「どうしたって未来はひらくことができない」と訴えかけている逆プロパガンダ映画にしか思えません。
(大きなデブリが都心に横たわっているという結末は、われわれに問題を提起していますが、エクスキューズかどうかはさておき、「それはイイけど、もっといっぱい描きこむことあっただろー」という感想。)

いまのところ、手がワナワナと震えてきて夜に眠れなくなるほどハラがたつのは、『神様の愛い奴』と『君の名は。』につづいて歴代第三位くらいにランクインです。
でも、もしかしたらもしかして、東宝がラストシーンを差し替えたんじゃないかとか、ゴジラの手のひらを上にむける仕草は、ひょっとしたら安倍晋三なのではないかとか。

以上、旅慣れたミュージシャンの鏡であるトランペット担当の旅準備がスゴいという話題と、まったくスゴくない映画をまちがえて観てしまったという面白くない記事はこれでおわりです。


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