マーサ・ハイ物語(第一回)
マーサ・ハイの来日を記念して、このブログでじっくりと彼女の経歴を紹介していきたいと思います。
せっかく書くのですから、世界中でどの記事よりも一番詳しく、できるだけ分かりやすく紹介したいと思います。
パワフルな歌声と美しいハイトーンを持つ、JBファミリーのスーパーシンガー、マーサ・ハイ。ジェイムズブラウンの一座で通算32年、メイシオパーカーのバンドで15年、そして何よりR&B/SOUL/FUNK界のプロ歌手として52年という、ファンク歌姫としての彼女の輝かしいSOUL/FUNKヒストリーです。
まず、第一回目は大まかな紹介を。
マーサハイは、本名メアリー・マーサ・ハーヴィンといいます。1945年1月9日にワシントンDCに生まれ、そこで育ちました。
再来日する今年は72歳です。(年齢のことを言うのもはばかられるのですが、まあ、ほとんどの人から、必ずといってよいほど訊かれますので。)でも、本当にその年齢に見えるか聴こえるか、ぜひ楽しみにしていてください! 実のところ、「元気な60歳」くらいにしか思えません。
マーサ・ハイのもっとも知られた功績としては、ジェイムズブラウンのバックコーラス歌手としての活動です。
JBショーには、1960年代から実に通算32年間も在籍したのです。この記録は、司会のダニーレイを除けば、歴代トップでしょう。何十人もいる(もしかしたら百人を超えるかもしれません)JB関連のミュージシャンのなかで一番というのはスゴいことです。
JB代表曲のひとつ「THE PAYBACK」(1973年)や「Make It Funky」(1972年)「Ain't That a Groove」(1967年)などでの印象的なバックコーラスはマーサが担当しています。とくに、ゴールドディクアルバム『THE PAYBACK』のほうでは、ほぼ全編にわたってマーサのバックコーラスが聴かれます。
70年代、80年代のライブでは一人でJBをバックアップしていますし、90年代にはビタースイーツのリーダーとしてステージに立っています。
ところが、マーサは、ソウル業界用語(?)でいうところの〈フィーチャードシンガー〉としての経歴は少なく、彼女自身のシングルもアルバムは数少なくて、すべてバックコーラスとしての仕事なのです。ですから、リンコリンズやヴィッキーアンダーソンやマーヴァホイットニーほどには、名前が世界に知られてこなかったのです。本当は、「同じ釜の飯」で同じJBプロダクションズ仲間・・・なんですが。
というのも、実のところそれには理由があって、・・・それは追って書きます。JBファンの間では、よく知られたことなんですが。
マーサのソロアルバムは、JBプロダクションの下では一枚だけです。1979年、サルソウルレコードと契約したブラウンが、トミースチュアート制作でつくったアルバム『Martha High』です。
もちろん、50年以上にわたるマーサの活躍はこれだけではありません。これの前にもあるし、この後にもたくさんあるのです。
その詳しい経歴を、次回からお話ししたいと思います。
ソウルファン/JBファンの方には、とくに楽しんでいただけるのではないでしょうか。 また、ハードコアなJBファンでない方々にも、わかりやすくお話ししてみたいと思います。
(その2へつづく)
マーサ・ハイの来日を記念して、このブログでじっくりと彼女の経歴を紹介していきたいと思います。
せっかく書くのですから、世界中でどの記事よりも一番詳しく、できるだけ分かりやすく紹介したいと思います。
パワフルな歌声と美しいハイトーンを持つ、JBファミリーのスーパーシンガー、マーサ・ハイ。ジェイムズブラウンの一座で通算32年、メイシオパーカーのバンドで15年、そして何よりR&B/SOUL/FUNK界のプロ歌手として52年という、ファンク歌姫としての彼女の輝かしいSOUL/FUNKヒストリーです。
まず、第一回目は大まかな紹介を。
マーサハイは、本名メアリー・マーサ・ハーヴィンといいます。1945年1月9日にワシントンDCに生まれ、そこで育ちました。
再来日する今年は72歳です。(年齢のことを言うのもはばかられるのですが、まあ、ほとんどの人から、必ずといってよいほど訊かれますので。)でも、本当にその年齢に見えるか聴こえるか、ぜひ楽しみにしていてください! 実のところ、「元気な60歳」くらいにしか思えません。
マーサ・ハイのもっとも知られた功績としては、ジェイムズブラウンのバックコーラス歌手としての活動です。
JBショーには、1960年代から実に通算32年間も在籍したのです。この記録は、司会のダニーレイを除けば、歴代トップでしょう。何十人もいる(もしかしたら百人を超えるかもしれません)JB関連のミュージシャンのなかで一番というのはスゴいことです。
JB代表曲のひとつ「THE PAYBACK」(1973年)や「Make It Funky」(1972年)「Ain't That a Groove」(1967年)などでの印象的なバックコーラスはマーサが担当しています。とくに、ゴールドディクアルバム『THE PAYBACK』のほうでは、ほぼ全編にわたってマーサのバックコーラスが聴かれます。
70年代、80年代のライブでは一人でJBをバックアップしていますし、90年代にはビタースイーツのリーダーとしてステージに立っています。
ところが、マーサは、ソウル業界用語(?)でいうところの〈フィーチャードシンガー〉としての経歴は少なく、彼女自身のシングルもアルバムは数少なくて、すべてバックコーラスとしての仕事なのです。ですから、リンコリンズやヴィッキーアンダーソンやマーヴァホイットニーほどには、名前が世界に知られてこなかったのです。本当は、「同じ釜の飯」で同じJBプロダクションズ仲間・・・なんですが。
というのも、実のところそれには理由があって、・・・それは追って書きます。JBファンの間では、よく知られたことなんですが。
マーサのソロアルバムは、JBプロダクションの下では一枚だけです。1979年、サルソウルレコードと契約したブラウンが、トミースチュアート制作でつくったアルバム『Martha High』です。
とくにヨーロッパで人気が高くて、この10年はあちこちから招待を受けて、アルバムを制作しています。2016年のアルバムはこちら、イタリアのプロデューサー、ルカ・サピオの手による『Singing For The Good Times』です。
もちろん、50年以上にわたるマーサの活躍はこれだけではありません。これの前にもあるし、この後にもたくさんあるのです。
その詳しい経歴を、次回からお話ししたいと思います。
ソウルファン/JBファンの方には、とくに楽しんでいただけるのではないでしょうか。 また、ハードコアなJBファンでない方々にも、わかりやすくお話ししてみたいと思います。
(その2へつづく)