「IR法案」が衆議院にて強行採決されました。民進党ほか野党は、「ギャンブル依存症」という言葉を軸にして抗戦にでているようです。それも悪くないのだがすこしだけ筋が違うような気がしています。
カジノ・ギャンブルの何がいけないのか、その本質的な解明が足らないんじゃないか。
「ギャンブル依存症」だけを話題にしていては、問題を捉えきっていないのではないか。
「ギャンブル依存におちいってしまう意志の弱い人たちの問題」として問題が矮小化されているのではないか。
本当は、ギャンブルは、もっと恐ろしい、構造的で邪悪なものです。
ギャンブルの最大の問題点は、要するに「資産の少ない人ほどギャンブルをする。そして確実に損をする。」ということなのです。
これは、経済学(や心理学)で〈期待効用理論〉〈限界効用逓減の法則〉そして〈プロスペクト理論〉と呼ばれているもので、十分に説明しつくされていることです。だから、野党は、大学の先生を呼んできてレクチャーさせたらよいだろうと思います。
しかしながら、結局のところ、難しい数式をつかわずとも、誰でも知っているようなことです。第一に、競馬やパチンコにいそしむ人にお金持ちはいません。第二に、競馬やパチンコで儲けた人なんてどこにもいません。
つまり、賭博場とは、シンプルに「お金のない人から順番に、お金を巻き上げるシステム」でしかありえないのです。だからこそ、許してはいけないのです。
賭博を合法化すると社会全体は、もっとも弱い立場のものを犠牲にして収益をあげる吸血鬼となるのです。
公営のギャンブルとは、所得再分配という政府の本分の放棄であり、その真逆をいっています。
ギャンブルをすべて禁止する必要はないと僕は思います。しかし最低限の「娯楽」にとどめておかなければならないのです。
加えて、ギャンブルを積極的に肯定する社会は、人々の勤労意欲をそぎ、地域のモラルを著しく低下させることは言うまでもありません。
また、「おいしい話にみえるが実は確実に搾り取られる」という意味では、よく似たものに「ねずみ講」というのがあります。あれなんかは、一気に盛り上がって一気に消滅しますから、まだ可愛いほうです。一方、ギャンブルは、少しずつ人々を蝕むもので、ねずみ講と較べても輪をかけてタチの悪いものです。
ちなみに、このような馬鹿げたものを「成長の柱」「成長戦略の目玉」(Copyright 2014 安倍晋三)と呼んだ者がいます。情けなくて涙がでてきます。
(その2へつづく)