応答せよ、応答せよ


日曜日、東京芸大の学園祭に行きました。

僕は美術のことなどさっぱり分かりませんが(まあ音楽のこともですけれど)、いろいろと僕なりにインスピレーションをもらうことが出来ました。学生さんたちに感謝です。
http://geisai.geidai.ac.jp/2016/

いろいろな作品がありましたが、チンプンカンプンなので、評論はできません。
ひとつ、「やきもち」というのがありまして、ポンプを手で押すと、シリコン製と思われるお餅から、ゴム風船で作られたふくらみがプーッと膨らむ、楽しい仕組みの作品です。
芸術としてどうなのかは僕には分かりませんけれども、エンターテイメントとしては、この「やきもち」が最もよろしかった。

つぎに、中庭では、学園祭よろしく、ロックバンドが演奏していました。なんという呼ぶのか知りませんが、ハードコアっていうのかなあ。物凄い音量でしたので、思わず、「藝大であっても、こんな類いの音楽を演奏するのか」と眉をひそめてしまいました。
ところがよく歌詞を聞くと、笑ってしまいました。日本の大新聞社の名前を大声で連呼する内容でした。なかなか感銘を受けました。良いバンドだなと思いました。夕方四時ごろ出演のバンドです。
(そこは美術学部の中庭にあるステージですので、音楽学部とは別の世界と言うべきなのでしょう。)

それからアニメーションを観ました。短編を10本強ほど観たなかでは『RADIO WAVE』というのが良かったです。
http://animation.geidai.ac.jp/08zoom/geisai/index.html#1

美術だけでなく、音楽のほうへも行きましたが、もはや整理券がないと入れないコンサートばかりで、出遅れた僕は、ほとんど何も聴くことができませんでした。

廊下を歩いていると、ガムラン音楽を研究している四回生の人と立ち話をすることができました。
かの小泉文夫が集めたたというガムランの楽器を見せていただき、話を聞かせてくれました。
http://www.geidai.ac.jp/labs/koizumi/gcato/japanese/html-text/j01.html

それからビッグバンドの演奏が始まりました。午後五時ごろだったでしょうか。
藝大にだってジャズをやっている学生さんが居るのですね。おそらくは、サークルでしょうね、学部学科ではないでしょうね。
「Shinny Stockings」「I Can't Stop Loving You」など、カウントベイシー楽団を中心とした演目です。
意外に、と言うべきでしょうかね。エリート中のエリートである藝大の皆さんなら、もっと小難しい曲目をとりあげるのかと思っていましたが、反してカウントベイシー/レイチャールズ路線とは、たいへんに好印象です。スイングしていました。

ただし、「50年代のビッグバンド」っちゅうもんは、スーツを着てスイングして欲しいなと僕なんかは思います。
総じてジャズは「スイングしなければ意味がない」ですが、モダンジャズは馬鹿騒ぎするためのものではありません。すくなくともモダンジャズは。
服装はなんでもいいのかもしれませんが、スピリットとしてはそこはおさえておいたほうが良いのでは。

じつは、僕が学生だったころのビッグバンドも、よく似た雰囲気だったのです。
ハッピを着て頭にハチマキをまいて、にぎやかに50年代のベイシーを演奏していたのです。
いまから思うと、やはりそれは、音楽の歴史の誤認識というべきかなと僕なんかは思います。

さて、学園祭のテーマは、
「藝祭2016 応答せよ 応答せよ」
だそうです。

僕なりに考えてみました。
「応答せよ」と言っている(しかも二回も)からには、「応答がない」ということなのでしょう。
「応答がない」のは、表現者が表現したにも関わらず、受け手からの応答が無い、ということを意味しているのか?
それとも、表現者たちが世界に対して応答することが出来ないことが常態で、「さあ芸術家たちよ、応答しよう」と呼びかけているのか?
または、その両方なのでしょうか。

学園祭ポスターには、携帯電話や通信アンテナなどが描かれ、主に電波などでコミュニケーションしている一人の人間の頭部が描かれています。
なんとなく、このポスターが示しているのは、どちらかというと、情報過多の現代にあって〈応答〉できない孤独な人間(応答する必要があるかどうかは不明だが)のように見えますが、どうでしょうか。

いずれにせよ、「応答していない」という状況を問題視しており、「応答せよ」と呼びかけているのでしょうね。
僕はそのように理解しておきます。

さて、ここからは、自分自身の問題です。
ここ数ヶ月、Relavantという英語の単語の、よい日本語訳が思い当たらず、ぼんやりと考えていたところです。
(去年から翻訳に取り組んでいるギルスコットヘロンの「Revolution Will Not Be Televised」の中で使われていたことから端を発しているのですが。)

Relavantというのは、たとえば、Relavant to the time(時代に合っている=時代の要求に応えている)というように使われる形容詞です。
「応答していない」という意味は、まさに、「Relavantでない」ということかと思います。

つい先日まで、放送大学の青山昌文氏による「西洋芸術の歴史と理論」という講義を楽しみにして録画していました。とても平易で、僕のような美術に関心のなかった者にも、傑作と呼ばれる作品を分かりやすく解説(紹介)する内容でした。その、15回にわたる講義の結論は、下記のようなことです。

〈芸術とは現代の表現である。素晴らしい芸術とは、現代を見事に表現した作品のことである〉

その結論を聞いた僕の感想は、「め、め、めちゃくちゃ明瞭やん・・・。な、な、なんでそんな大事なこと、誰も早くオレに誰も教えてくれへんかったん・・・」というものでした。

・・・そんなわけでした。
〈表現〉とは、Relavantでなければならない。
〈芸術〉とは、時代や世界に〈応答〉していなければならない。

学園祭を訪れたことで今回、学生さんたちの息吹をあびて、その肉付けを少しだけ頂いたという気持ちです。

2024年6月

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