映画『ジェームス・ブラウン 最高の魂を持つ男』劇場公開パンフレット




「ナマズの頭のシチュー」という料理を知ってるかい? そのシチューに入っているナマズはとてもすばしっこいから、食べられる前に逃げちゃうんだよ。そんなわけで、そのシチューには何も入っていないのさ。
ーーージェイムズブラウン、Mind Power(1973)


 20世紀の音楽史を塗り替えた偉人、ジェイムズブラウンは70年あまりの波乱の生涯を終えて2006年に永眠しました。安らかに……と言いたいところなのですが、そんな悠長な状況でもありません。盛大な葬儀がなぜか二回も行われたり(遺体を運んでいる最中に腐敗が始まって大変だったらしい)、DNAテストのために遺体の脚を切断したり。1億ドルとされる莫大な遺産をめぐる裁判は今も続いていますし、それにも関わらずサウスカロライナ州の豪邸で隠し金庫の中身が家族によって盗み出されたという話もあったり。それから、遺体は埋められずに約一千万円もかけてミイラにされたと聞きますし、きわめつけに、息子が「お父さんは殺害されたのだ」という本を出版しました。とにかく、家族や関係者周辺はいまだに大混乱の中です。
 でも、そんなゴタゴタはおいておきましょう。逝去から八年も経って、すべては歴史になりました。結局、虚実を織り交ぜた「ジェイムズブラウン」の核心って何だったのか、ということについて、僕が思うことを三つくらい書こうかなと思います。

 本人がこの世を去ってしまったことをきっかけとして、たくさんのことが分かってきました。多くのバンドメンバーや関係者が本を出版したり、ドキュメンタリが制作されたりしました。本編にも登場するメイシオパーカー(1964-1988年 断続的に在籍)やマーヴァホイットニー(1967-1970年 在籍)が自伝を発売しました。それからマーサハイ(歌手、通算三〇年以上在籍)も自伝を発表予定です。トロンボーン奏者・フレッドウェスリー(1968-1975年 断続的に在籍)、娘・ヤマブラウンや息子ダリルブラウンの本もでました。
 加えて、僕たち(オーサカ=モノレール)は、幸運にもマーヴァホイットニーやフレッドウェスリーと演奏する機会に恵まれて、ツアーの道中、食事やリハーサルの合間にいろんな話をきくことができました。
 書籍やインタビュー、直接ヒアリングも含めて、バンドメンバーや関係者が口を揃えて言うことがあります。それが「核心」の一つめ。ジェイムズブラウンという人物は様々な問題を抱えた人だったけれど、「パフォーマーとしてのジェイムズブラウン」については大いに認めるところで賛辞を惜しまない、と誰もが言うのです。
 実は舞台裏で、バンドメンバー達がいつも戦々恐々としていたのはよく知られていることです。衣装にシワがあって罰金をとられたとか、レコーディングをするために深夜に叩き起こされたとか、ときどきの一座専属の女性歌手(ジェイムズブラウンのガールフレンドでもある)が殴られて顔にアザができているとか、あげくの果てにはバンドメンバーが頭に銃をつきつけられたとか……。枚挙にいとまがなく、「楽屋がそんな状況で、本当にショーがうまく進行するの?」と思ってしまいますが、そこがジェイムズブラウンの凄いところで、ひとたび彼がステージに立って歌い踊り始めれば、そんなモヤモヤはすべて吹っ飛んでしまい、演奏するミュージシャン達も、思わず一緒になってショーを楽しみ、いくらでも熱の入った演奏をしてしまうんだそうです。ジェイムブラウンの歌手・エンターテイナーとしての凄さをうかがい知る、嘘のような本当の話です。

 そんな"ジェイムズブラウン・ショー"が、最も革新的だったのは1962年から1971年までの10年間といっていいでしょう。映画もそれを中心に描いています。六〇年代は、ブッキングエージェントだった大物ベンバートをマネージャとして招き入れ、破竹の勢いでR&B界のトップへ登り詰めました。18人編成の豪華な楽団と、シンガーやダンサーそしてコメディアンまでを含めた総勢約25人の「レヴュー」といわれる華麗なショーを年間300本もやっていました。(当時は、そんな大規模なバンドを抱えて巡業を日常的にやっているR&Bアーティストはいなかったのです。)本人の成功の象徴である専用ジェット機や、バンドメンバーが乗るツアーバスはとても有名で、劇中でもかなり精巧に再現されています。
 そんな豪華で過酷なツアーのなか、ジェイムズブラウンが完成させたのが"ファンク"という新しい音楽でした。従来のR&Bに、ジャズのハーモニーとラテンのリズムを取り入れて、一拍目にアクセントを置く強いリズムで仕上げた、激しいダンスミュージックでした。(このファンクが後に "ディスコ"や"ヒップホップ"という音楽をうみます。)ファンク黎明期の「Out Of Sight (1964)」「Papa's Got A Brand New Bag (1965)」「Cold Sweat (1967)」といったヒット曲は、ズバ抜けてジャジーでクールな最先端のサウンドだったのです。
 実際に、これらをカタチにしたのはナットジョーンズやピーウィーエリスやフレッドウェスリーといった卓越した音楽監督たちでした。ジェイムズブラウンの功績はそういった優れたミュージシャンを雇い入れて、彼らに背筋をピンと伸ばして仕事をさせたことである、という言い方ができるだろうと思います。ここでのジェイムズブラウンの役割は、ミュージシャンというよりは、いわば、時代の流行を嗅ぎとるアイデアマンで、従業員にも過酷な勤務体制を求めるワンマン社長のような役割……と表したらよいでしょうか。それが二つめ。

 最後に、もっとも大事な点です。大恐慌の1930年代に、人種差別の激しい南部で、電気も水道もない小屋に死産で生まれて育ち、お母さんにもお父さんにも捨てられた、という悲惨な体験。兄弟もいません。彼のその後の人生は、誰一人にも頼ることなく如何なる苦境からも必ず脱する、という不撓不屈の信念で貫かれています。冒頭で引用した「魚の肉ではなく頭(=捨てる部分)さえも入っていないシチュー」の話は、彼の経験した貧困を、アメリカ南部の言い回しで語っているものです。
 それが、極貧から巨万の富を築き、世界のダンスミュージックの方向性を決定付け、アメリカ黒人の権利回復の歴史にも大きな1ページを飾った、この人のパワーの源泉……。そう言わざるを得ないと思います。この映画のメインテーマの一つとしてそれがしっかり汲み上げられたことにも、当然とはいえ大きな拍手を送ります。


名前: 中田 亮(オーサカ=モノレール)