CD『LIVE IN SPAIN』ライナーノーツ



 このアルバムは、2008年11月のスペイン・バルセロナの公演を収録したもの。本当は2時間ほどあるライブだったが、CD一枚に収まるようにしてある。実際のライブからちょうど1年が経ってようやくリリースすることになった。
 いま、明日が締め切りのこの原稿をパリのホテルで書いている。などというと、もしかしたら何だか気取っているようにとられるかも知れないが、オイルヒーターが壊れていて寒さこのうえないホテルの部屋。今日の夜にパリに着いたところで、ついさきほど、カスカスの肉がはさんであったマクドナルドの冷えたやつを2個、流しこんで空腹をしのいできたばかりで、なんとも言えない腹ぐあいだ。部屋でタバコを吸えることぐらいがせめてもの救いか。あさってから、パリ、マルセイユ、ボルドー、モンペリエの4日間連続のライブが待っている。

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 このCDの2008年のツアーは僕たちの3回目のヨーロッパツアーだった。最初のツアーはたったの6回だけの公演で、2007年から合計15本の初のまともなツアー(そのうちの3公演はマーヴァ・ホイットニーのショーだった)になった。この2回目からハードな日程のツアーを組んだ。もともと詰め込み式のツアーをやることこそ僕の夢だったから、ひとつそれがかなった瞬間だった。最初の数日間(イギリスとアイルランドとフランス)は、飛行機ばかりの移動だったので、ライブを終えた次の日には、朝早くに空港に到着しなくてはならず、睡眠時間が極端にすくなく、しかも、ホテルには星が5個くらいキラキラしているわけではないので(2つか3つくらい)疲労ものこっていった。頭がモウロウとする中でダブリンからパリ行きの飛行機に乗り込んだのを、いまになるとかえって鮮明に憶えている。
 ヨーロッパに行って思うことは2つ。ひとつは、日本とほとんど同じだな、ということ。お店にはいって、サウンドチェックをやって、本番まで用意して...、というルーティーンは日本と全く同じ。エンジニアの言うこともだいたい同じ。「はい、ベースドラムからチェックお願いします」とか。ライブをやっても、盛り上がりたいところで盛り上がれるし、なんといっても、アメリカ産の60sのソウルミュージックは世界的なものだから、僕らのやっているジェイムズ・ブラウンのスタイルを基本としたショーは、来るものを拒むところはないと思う。ヨーロッパの各都市に、ソウルミュージックやファンク(もちろんジャズ、そしてノーザンソウル)などのオーセンティックなものを愛好しているDJやプロモータが居て、熱いシーンを築こうと頑張っている。日本でもほぼ同じところを目指してやっているわけ。だから、どこへ行っても、同じ前提や問題意識をもっている同志だから、会話もスムーズにはずむ。レアグルーヴやアシッドジャズを通って、ディープファンクがあって、「さて次はみんなで何処へ行こう?」というところ。
 日本と違う点のひとつは、観衆の幅が広いということだと思う。40代50代はざらにみかける。夫婦らしき50代の男女は全く珍しくない。夜10時くらいに演奏開始になるクラブギグと呼んだほうが適切なコンサートにそういう人達もやってくる。特に金曜・土曜に、出かける生活スタイルがあるみたいだ。日本にもこういう習慣さえあれば音楽文化が劇的に変わるだろうに、と思う。ティーンエイジャー向けのポップスのみでなく、もっといろんな種類の音楽やその他の舞台芸術で街がにぎわうだろうに。当然ながらプロモータも、日本のような狭い層のみに向けて宣伝活動をしていない。新聞や情報誌、それから街中に貼るポスターなどが主な宣伝ツールのようだ。
 2008年は、セルビアやタイにも行ったが、本格的なツアーは秋の合計17本で、イギリス、アイルランド、フランス、スペイン、ドイツを廻った。スペインが特に大成功で、マドリッド・バルセロナ・バレンシアの3回の公演ともすべてほぼ売り切れになっていた。なかでも、マドリッドは早くから売り切れていて、当日券を求める人達が、なんと、店の外から角をまがって2ブロック先までの長い列をなしていた。当然ながら、こんな光景をみたのは、僕たちアンダーグラウンドのアーティストにとって、人生で初めての体験だった。長くバンドをやっていると、こんないいこともあるもんだな、と思った。
 バルセロナもほぼ売り切れで、次の年のバルセロナは、同じ店で、ひとつ上の階にある大きいステージでやろう、ということになった。その名も「アポロ」というナイトクラブで、そこは40年代を彷彿とさせるような大きなボールルーム(ダンスホール)だった。すぐさま「来年は撮影できたらなあ!」と思ったのだった。それがこのDVDになった。

 さて、僕は、このライブアルバムはオーサカ=モノレールのキャリア(もうすぐ満18年になる)のなかでも、(いくつかあるうちの)ひとつのピークだろうと思っている。バンドというのはやっぱり生き物だから、あがったりさがったり、あっちやこっちへ行ったりする。オーサカ=モノレールは、92年に大学の仲間で結成した。何回もメンバー交替を経てきたが、音楽的に一番大きな変化があったのは、2003年暮れから翌年はじめにかけて、大阪から東京に引っ越しをしたときだった。メンバーが半分以上入れ替わって、あたらしく東京圏で出会った人材が加わってくれた。それでサウンドが大幅に向上した。僕が想像していた以上に優秀なミュージシャンが集まり、そして何よりバンドに尽力してくれた。その刺激をうけて、僕や、創立メンバーの平石、ベースの大内やギターの速水も、サウンドを大幅に変えることに成功したと思う。その時に掲げた目標は「日本一のバンドをつくる」というもので、そこから一年ほど経ったら、あっけなく目標を達成してしまった(気がする)。もちろん「オレの物差しで日本一」という意味。その物差しというのは、基本的に「シャクハチ理論」と呼ばれているもので、これがあったら、世界にも通用できるんじゃないかと思っている。尺八理論とは、次のようなもの。

 尺八理論の説明(その1、トムさんの場合):コロラド州に住むトムさんは、生粋のアメリカ人だが、尺八に命をかけて練習を積んで来た。小さい頃から尺八の入っているCDを通信販売で手に入れ、なかなか難しかったが五線紙に書きおこして一生懸命に練習した。20年間にわたり尺八ひとすじに練習を積んだ。腕前が格段に上達したと思われたところで、親戚や友人を呼んでホームコンサートを開くことにした。客人の中に日本人がひとり居た。演奏を終えて、感想を訊かれたその日本人が言った。「あのー、尺八のことは詳しくはないんですが、言いにくいんですが正直なところ、立って演奏するより、座って演奏したほうがいいんではないでしょうか。立って演奏するにしても、そのー、トムさんみたいに、片足を前にだして吹くのはどうかと思うんですがー。」
トムさんは、「(片足が前か後ろかなんて、音楽と関係ないじゃないか)」と思い、心外だったが、気をとりなおして言った。「あのセーザってやつは、足が痛くなるからやったことないんです。」
 尺八理論の説明(その2、マイケルさんの場合):マサチューセッツ州からやってきたマイケルさんは、生粋のアメリカ人だが、三味線を習おうと決心し、日本へやってきて、その道50年の先生の門を叩いた。「弟子はとらん!」と追い返されたが、3日目にしてようやく弟子入りを認めてもらった。住み込みで、朝は5時に起きて、雑巾がけをやってからみそ汁をつくれと言われた。「ソウジ ト アサゴハン ヲ ツクル コトガ、ヤチン ト イウコト デスネ」というと、「ばかもん!」と殴られた。毎日、ほかのお弟子さんの稽古に立ち会わされたが、マイケルさん自身の三味線を聴いてもらえたのは半年も経ってからだった。
初めて稽古をつけてもらえた日、師匠が「いや、そこは"ペンペン、ペン"じゃない。"ペン、ペペン"だ」と言った。マイケルさんは、実は判っていたのだが、わざとそう弾いたのだった。「"ペンペン、ペン" ノ ホウガ カッコイイ ト オモッタ ノ デス ガ ダメ デスカ?」と言った。「何を言っとるか」とあきれられてしまった。マイケルさんは悩むようになった。「僕自身の三味線はいつになったら弾かせてもらえるんだ? 他のみんなと同じようにやっていては、Originalityがないじゃないか。いつまでたっても他の弟子から抜きんでることができないじゃないか」

 作り話につきあってもらって恐縮だが、日本人なら、トムさんやマイケルさんの道のりは遠そうだ、と判ってもらえるだろう。畳で寝たことのない人が、みそ汁を飲んだことのない人が、邦楽を習得できるだろうか。三味線の世界に数年いるだけで容易にオリジナリティをだすことができるだろうか。
 日本人がソウルミュージックをやる、なんて到底無理なことなんじゃないか、ということがいいたい。伝統芸能としてブラックミュージックを捉えるなら、オリジナリティなんて議論する必要なし、と考える。しかし、やるからには、やるしかないので、そういうわけでやるのである。そしてそれもまた楽しいこと。そこのところが、ガイジンさんにも伝わったら、それはそれでオリジナリティ(みたいなもの)と呼ぶ。そこが、このライブアルバムの一番の核心のところ。バンドの引っ越しをした2004年からのラインアップで、約4年間の修身した結果として、このライブアルバムが存在しています。

 撮影・録音とも現地のスタッフにお願いして、映像編集までやってもらった。音のミックスダウンとマスタリングは日本でおこなった。スペインのチームはとても真摯に頑張ってくれて、想像以上のクオリティをだしてくれた。それから、司会をやってくれたアルベルトは、地元のモッズのバンドで活動している人。スペイン語でなかなか神妙な司会をやってくれたから、僕らのショーにぴったりだったと思う。
 最初の2曲は、ザ・テンプテーションズとジミ・ヘンドリクスの曲。本当はアンダーカバー・エクスプレスのアルバムに収録した長いメドレーをそのまま演奏したのだけれど、ここでは割愛してこの2曲にとどめてある。そして僕らのアルバムからの曲を2つ。「Down & Out」は、2001年の発表時に7インチでリリースしていて、そのころ、特にスノウボーイがイギリスでプレイしてくれていたと人づてで聞いて驚いたのを思い出す。いまから思えば、この7インチがヨーロッパに渡った最初のシングルだったと思う。いまはそれほどでもないだろうが、当時(90年代後半から2000年代前半にかけて)はCDではダメだったのだ。「Quicksand」は、友人のサム・リディックというシンガーとつくった曲で、ドラムの奥瀬が考え出した面白いドラムパターンでできている。
 続いてカバーを4曲。ジェイムズ・ブラウンの、有名曲「Ain't It Funky, Now」とそれほど有名ではないが「Eyesight」と「Evil」という曲を採りあげている。バート・バカラックの「Walk On By」は、ソウルファンの方ならすぐ判ると思うが、同年に逝ってしまったアイザック・ヘイズへの追悼として、このツアー用に特別にレパートリに加えた。アイクの名盤『Hot Buttered Soul』のアレンジ。そのあとは、僕らの曲をいくつかやって盛り上がったところでライブは終了。本当はこのあとにアンコールがあるのだけれど残念ながら割愛した。

 というわけで、毎年のヨーロッパのツアーは多少の苦労もあるがとても楽しんでいる。ほぼすべてワンマンの興行で、2時間のライブを毎日やって、音楽的にとても充実した旅だ。ロンドンには、ディオンヌ・チャールズや元ガリアーノのコンセンタイン、スピードメーターなんかが遊びに来てくれた。ベルリンにはポエッツ・オブ・リズムのメンバーが来てくれた。バルセロナには、スウィート・ヴァンダルズのマイカがわざわざマドリッドから遊びに来てくれて2曲一緒に演った。ザ・ニュー・マスターサウンズのピートも来てくれた。もちろんながらイギリス・リーズでのライブにもニューマスターサウンズのエディーやサイモンも来てくれた。ちなみに、今年(2009年)は、ブレイケストラがちょうどツアー中で、行く先々で彼らのポスターも並んで貼ってある。2008年はナッシュヴィルのチャールズ・ウォーカー&ザ・ダイナマイツがヨーロッパを廻っているところだった。
 みんな目指しているところはそれぞれに違うが、ジャズというのか、ファンクというのか、ソウルというのか知らないが、たぶん2010年代には、規模はどうあれ、またひとつの世界的な波が生まれ、新しい言葉(ジャンル)ができて、そこに僕らもかってに括られて、たくさんの旧譜再発や、新譜や、ライブギグがあって、よい時代になるだろうと確信している。


2009.11.23 中田亮(オーサカ=モノレール/SHOUT!)