CD『STATE OF THE WORLD』ライナーノーツ



 かなりの時間をかけてつくったこのアルバムがようやく完成し、マスタリングを済ませてからすぐ旅路についた。もう締め切りがほとんど過ぎてしまったこの原稿をいまニュージーランドのホテルで書いている。クイーンズタウンという町での演奏を終えて部屋に戻ってきたところだ。などというとなんだか気取っているようにとられるかも知れないが、空腹をしのぐために封を切ったポテトチップがルームチャージ約千円もすることに気がついて少しヘコんでいるところ。さらに、湯をわかして「辛ラーメン」というカップ麺も流し込んだので、なんとも言えない腹ぐあいだ。星はキレイやが。

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 このアルバムがどういう意味をなすのかとか、そんなことを作った人が文章にする必要があるのかなとも思うのだけれど、なにとぞお付き合いください。  昔話で恐縮だが、高校一年生の春、レイ=チャールズが出演していたウイスキーのCMを見て、奈良から近鉄電車に乗って難波・高島屋のちかくのスターレコードという謎の店に行き、CD『What'd I Say』を手にした。50年代を通したレイ、つまりブギウギや、当時最先端のリズム&ブルーズからルイ=ジョーダンのようなR&B、もろにナット=キング=コールのようなスタイル、それからソウル黎明期というべきサウンドが、節操なく収録されていた。
 はっきりいって、これのなにがいいのか解らなかった。そりゃそうだ。1980年代後半で田舎っぺの15歳に、「50年代アトランティック」などといってわかるはずがない。がしかし「これがすごいらしい。これがキホンらしいぞ。これが理解できなきゃダメらしいぞ」と勝手に思い込んでいたので、繰り返しくりかえし聴いたのだった。
 それが僕の一番の根っこの体験。それ以前の小学校・中学校では谷村新司やYMOに取り憑かれていたのだがそのへんは省略。それとほぼ時期を同じくして、ジェイムズ=ブラウンの、クリフ=ホワイトというイギリス人がつくったベスト盤『CD of JB』を手にした。これがまたものすごい衝撃だった。そういうわけで、ほとんどその二枚だけで、そのあと四半世紀ちかく突っ走ってきた感がある。
 そんでもって大学に進学して所謂ジャズ研に入ると、友人のTが「〝アシッドジャズ〟というものがあるらしい」と言うので「聴いてみるべ」ということで一緒にコンピレーションのCDを買いに行った。当時は、ひとつしか持ってない穴だらけのGパン、髪はボサボサで、草履でもはくような調子だったので、阪急電車に乗ってCD屋に行くだけで一大事だった。
 とまあ、そんなことをいちいち思い出していると日が暮れるので全部すっ飛ばすのだが、そのあと国内外を問わず、レアグルーヴとアシッドジャズはもちろんのこと、ヒップホップという一大ムーヴメントがあり、〝ディープファンク〟ブームがきた。一方、僕はといえば、いろいろやってきたにせよ、そんな都会モンについていけるほどフットワークが軽いわけではなく、つまるところ「あの二枚」を理解できるようになるだけで25年かかった気がする。さらに25年後には、演奏もできるようになっているといいのだが。これが、前のライブアルバムで説明した〝尺八理論〟というやつ。(僕たちがブラックミュージックを演奏しようとするのはガイジンさんが尺八を習うようなものでほとんど習得不可能だという喩え。ただし修練を積むのは大いに奨励される。『LIVE IN SPAIN』ライナー参照ください。)

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 さあ、ポスト=ディープファンクだ。可能性としていくつかアイデアがないわけではない。大きくわけて二つくらい。ひとつは〝エスニック〟または〝アフロ〟への傾き。ミュンヘンのホワイトフィールド=ブラザーズやニューヨークのブードーズ=バンド、それから今やコロンビアのクアンティックを僕は大絶賛していて、音楽性・コンセプト・録音技術など、どこをとっても申し分の無い現代の快作をつくっている。僕の解釈では、60年代のアメリカで生まれたソウルやファンクというスタイルを、肌ざわりはそのままに踏襲しつつも懐古趣味の枠に閉じ込めずに、アフロやラテンの力を借りて新たな展開をつくろうという試みだ。言いかえれば、「フェラ=クティのような男が1960年代の南米にもし居たとしたら?」とか「もしジミ=ヘンドリックスが1970年代にも生きていてアフリカへ旅行したら?」とか「メキシコの民謡とファンクを合体させるとどうなるか?」など、勝手な妄想を次々と考えだすことでファンクに新しいエッセンスを加えようとするような方法といってよいかもしれない。
 もうひとつの可能性は、1950年代あたりへの回帰。ソウル(60年代前半〜中期)や50年代のリズム&ブルーズに活路を見いだそうという発想。それこそアトランティック時代のレイ=チャールズやルイ=ジョーダン。それからビバップ、スウィングジャズ、モダン以前のブルーズなど。業界老舗のシャロン=ジョーンズ&ダップ=キングズもかなり早くからそういったテイストを打ち出している。ご存知ケブ=ダージの提唱しているロカビリーもここに入る。
 あくまで一端ではあるが、当面は上記のようなことが考えうる。日本のみならず世界中で同じようなことを考えているヤツがたくさんいると思う。前者〝エスニック〟のアプローチが主にアーティスト(バンド)の進路であるのに対して、後者はクラブミュージック的な色合いが濃いので〝現代版レアグルーヴ〟と位置づけるべきかな。
 というわけで、さあ、結局、僕自身はそこんとこをどうやっていくのか? 僕の考えはこうだ。この二者択一問題(またはその両方をどうバランスさせるか)とて、〝尺八理論〟でやっつけるのだ。


 こういうふうにやる。朝起きたら、「今年は1968年ですが、それが何か?」とか言う。次の日の朝には、「1959年ですが、暑い日が続きますね」などと言うことにする。たまには、「いまは1970年ですが、それがどうかしましたか?」と。そして、僕が「(たとえば)1967年です」と言うとき、それは、ラジオのスイッチをひねればニーナ=シモンの美しいピアノが聴こえてきたり、テレビをつければいま一番ホットなソウル歌手であるオーティス=レディングが歌声が響いてくるという世界が僕の部屋の外にもひろがっていることを意味している。
 懐古趣味ではない。〝ビンテージ〟というのも違う。「今」から見た価値はファッションでしかないから、望遠鏡で「昔」を覗いているくらいなら、そこに行ってしまおうと言っている。自分勝手な「そこ」でいいのだ。それが僕のだす〝答え〟。そんなふうにファンクミュージックをやりたい。ファンクだろうがソウルだろうがジャズだろうがリズム&ブルーズだろうが、つい最近に隣りの町で生まれたばかりの音楽だ!と。

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 曲解説。タイトル曲【1】はとても明確なサウンドのイメージがあったうえでつくった。僕はそれを〝未来のファンク〟と呼びたいと考えていて、そのイメージとは次のようなもの。「1977年ごろ、中央アフリカ。うっそうとした森があって、その奥深くで不思議な野外フェスティバルが開催されている。ある地元グループ(ホーンセクションやパーカッションも含む大人数の編成)が出演していて、かなりの人気ぶりだ。明らかに1970年代初頭のジェイムズ=ブラウンのサウンドに影響をうけている。しかしそれだけではなく、独自に進化・発展したとみられるファンクだ。客席にいる僕はこう思う。〝ふむふむ、アフリカのミュージシャンのほうがアメリカ人よりも当然すぐれているのだろうと今まで思っていたが、実は彼らだってアメリカの商業音楽の影響を受けている(目指している)側面も大いにあるのだな。しかし、ここではあのリズムだけがとても発展していて、どうやらディスコやフュージョンの影響は最小限に食い止められているようだぞ〟」
 この曲のモチーフは、わりあい複雑な変遷を経てきた。転調したところででてくる変ホ長調のフレーズは、10年以上も前から構想していたもので、いままで幾度となく録音したこともあったのだが、ようやく発表の運びとなった。実はライブ盤『EYEWITNESS』にもでてくるのだが、当時から完成した気がしておらず、クラビネットやエレピを加えたかったし、同じキーにとどまるのも納得がいっていなかった。この新しいバージョンは変ニ短調から(ベースが変わらずに)変ホ長調にいくのがとても気に入っている。それは、ヒップホップのようなものを意識しているのだけれど、もしかしたら90年代風と言われてしまうかもしれない。
 さて肝心の歌詞のほうだが、〝世界情勢〟というタイトルどおり、今の世界のことを憂いている内容だ。三月の地震の直前につくったので、内容が当てはまっている部分もあるし、逆にずれてしまったところもあるかなと思っている。

  【2】は、二つの調(変ニ短調とホ短調)が同時に流れているようにつくられていて、得体の知れない気持ちよさを生み出していると思う。モダンになり過ぎないように工夫したつもり。【3】〝Endemism〟というは生物学の用語で〝固有種〟と訳されて、ある一定の地域にしか住んでいないのこと。つまり、生態系が閉じていたりすることなどにより、その地域独特の進化を遂げた生物のこと。沖縄にしかいないヤンバルクイナとか、ガラパゴスにしかいないイグアナなど。日本列島に生息する僕たちにピッタリの言葉かなと。【4】は67年くらいのファンキー・ソウルがやりたかった。【5】鳥の鳴き声に模せられるパンフルートのようなシンセサイザーがリードをとっていることと、なぜだか途中で思わず弾いたフレーズも鳥に関係しているのでこういうタイトル(鳥が声をだす器官のこと)にした。【6】からがB面。とても遅いテンポのファンクで「エンヤコラ」とやっているところ。【7】は7インチシングルの既発曲だったのですこし毛色が違うかな。【8】の曲名は〝オオサンショウウオ〟の学名。【9】これはライブでいつもやってるJBレパートリ。オルガンのインストとして演ってみた。【10】も同じくJB曲だが手を加えてみた。その意味では構造が【2】と同じ。この演奏はとても気に入っている。最後の【10】【11】はパリで録音したので思い出ぶかい。そんな空気がでていると面白いのだが。

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 えらい長くなってしまったが、要するに「ファンク、まだまだいけまっせ」と言いたい。やりかたはいくらでもあるのだ。音楽のジャンルやスタイルにこだわると、どうしても閉塞的になってしまうけれども、そこにこそドアを打ちやぶる快感というか、やりがいがあるだろうと思う。なにより、やらねばならないことは山ほど残っているのだ。


2011年6月30日 中田亮