ソウルミュージックとプロテストソング(全3回)
その3:1970-1974



 話しを東海岸に戻します。1971年に登場したのが〈新しい詩人〉ことギル・スコットヘロンでした。彼はどのようなテーマを扱ったでしょうか。
 「REVOLUTION WILL NOT BE TELEVISED(革命はテレビで放送されない)」は、テレビは大企業による広告だから、黒人に役立つことは何も映っていないという詩です。つまるところ、自分たちの暮らしを良くするためには集会や行進をやらなければならないと訴えています。二枚目アルバム収録の「THE BOTTLE」は「ビン漬け」とでも訳せばよいのか、《あそこの父ちゃんも〝ビン漬け〟だぜ》といって、ゲットーにおけるアルコール中毒の悪害について訴えています。「HOME IS WHERE HATRED IS」は、同じくゲットーで麻薬に冒されて死を待つだけの絶望的な日々をおくる人の歌です。




 ロバータ・フラッグの歌った「COMPARED TO WHAT?」も、資本主義や政府の欺瞞を暴こうと試みる歌です。それから、ダニー・ハサウェイが登場して、「EVERYTHING IS EVERYTHING」(僕なら「どないもこないも」とでも訳します。ここでは〈ゲットーの人々の現実をみろ〉という意味)、「GHETTO」、「LITTLE GHETTO BOY」を歌いました。




 このころを境に、ニューヨーク、LA、シカゴ、デトロイトといった北部・西部における都市部でのゲットーの問題のプロテストソングが増えます。貧困・暴力・麻薬・アルコール・ギャンブル・住宅・医療、それから警察暴力の問題を訴えます。

 七〇年代の旗手といえば、あと二人、マービン・ゲイとスティービー・ワンダーでしょう。そして、ひきつづきカーティス・メイフィールドです。
 マービン・ゲイの『WHAT'S GOING ON』はアルバムまるごと社会派ソングのコンセプトアルバムでした。有名な表題曲については、ベトナムでの戦争と、アメリカの世代が分断していること(ヒッピーや学生と保守派)を、自らの親子喧嘩(父親とマービン)に重ね合わせているのは僕はどうも感心しません。ただ、「さまよえるアメリカ」という時代の雰囲気は見事に掴んでいるのでしょう。二曲目は、ベトナムからの復員をひかえた兵士が電話で「そろそろ帰れそうだよ! そっちはどんな調子だい?」と訊くのだが、故郷の友人たちは生返事ばかり、という歌。これは反戦曲であると同時に、不況を描いています。他の曲は、麻薬、放射能や大気汚染など、テーマは多岐にわたります。
 ラストを飾る「INNER CITY BLUES (MAKE ME WANNA HOLLAR)」は、都市の内部(つまりゲットーのこと)における〝現代のブルーズ〟を綴ります。静かな曲調がその叫びをいっそう際立たせています。貧困・インフレ・失業・増税......。そして貧しい若者から順にベトナムに志願してゆきます。



 スティービー・ワンダーの「LIVING FOR THE CITY」は、都市とは、田舎からやってくる黒人を飲み込むという物語です。ミシシッピ州のまっとうな青年が大都会ニューヨークで、警察の蛮行により投獄され、元囚人となってしまうストーリーを描いた名作です。

 「YOU HAVEN'T DONE NOTHING(アンタは何一つ成し遂げていない)」は、ウォーターゲート事件をうけて退陣寸前であったニクソンに宛てた歌。「HE'S MISTRA KNOW-IT-ALL(あの人は、なんでも出来る素晴らしいお方)」もニクソン大統領へ皮肉なげつける曲でした。



 ソロに転向してからカーティス・メイフィールドがとりあげた問題も、都市ゲットーの貧困・犯罪・麻薬過多(『SUPERFLY』・『THERE'S NO PLACE LIKE AMERICA TODAY』)、ベトナム復員兵の悲劇(『BACK TO THE WORLD』)です。それから、肌の色なんて最終的には関係ないんだ、肌の色で人や物事をみてはだめだというメッセージ(「IF THERE'S A HELL BELOW」・「THE UNDERGROUND」)を引き続いて訴えました。大事なものが最後になりましたが、「MOVE ON UP」や「KEEP ON KEEPIN' ON」は、下火になってしまった公民権運動に喝を入れようとするものでした。




*     *     *

 20世紀初頭にはじまり1940年代をピークに1970年ごろまで、六百万人の人々が、自由をもとめて北部・西部に移り住みました。〈大移動〉の先に待ち受けていたものは都市の貧困問題や麻薬戦争
でした。探し求めた「約束の地」は、北の方角には無かったということになるのでしょうか?
 前述した「LIVING FOR THE CITY」は、まさに上記を描きだした大作です。かつて1950年代には、北部のシカゴから差別のはげしい南部であるアラバマをおとずれたエメット少年が、白人女性に口笛をふいたためにリンチで殺害されたのですが、いまや南部のミシシッピからニューヨークへでてきた青年が歩いていただけで投獄されるという物語です。差別の根強い南部から北部への移住、そして都市のゲットーでの警察暴力、麻薬問題、不完全な裁判制度。さらには、現在アメリカの最大の問題である〈大量投獄〉、警察取り調べや刑務所内での暴力の問題を予見していたといえるでしょう。
 今回はここまで、七〇年代前半までとします。アフリカからアメリカ大陸へと流されてきた人々は、南から北へと新天地をもとめて「移動」しました。ヨコ移動です。このあと、ふたたび二輪馬車に乗って天国へ向かうというタテ移動の物語が復権します。
 いうまでもありません、問題はこれからです。これから、アメリカでも日本でも公民権運動やブラック・ライヴズ・マター運動をひきつぐ大きな運動がおこると思いますし、必ずそこに音楽もあると思います。(おわり) 

ソウルミュージックとプロテストソング(全3回)
その2:1965-1969



 次に、60年代中期以後のインプレッションズをみていきたいと思うのですが、そのまえに、ニーナ・シモンのことを付け加えておきます。
 ニーナ・シモンは、50年代、グリニッヂ・ビレッジ地区でジェイムズ・ボールドウィン、ラングストン・ヒューズ、ロレイン・ハンズベリーと親しくしていて、ニューヨークの進歩的な空気を象徴する存在となっていきました。
 曲タイトルでパンチを一発おみまいする「MISSISSIPPI GODDAMN」(1963年)は、《アラバマはお行儀よろしくありませんね、テネシーにも一言申し上げます、ミシシッピにいたってはご近所に知れわたっていますわ・・・クソくらいやがれ!》と歌います。アラバマは少女四人が死亡した教会爆破事件(バーミンガム、同年9月)、ミシシッピは活動家メドガー・エヴァース暗殺(同年6月)とエメット・ティル少年の惨殺事件(1955年)について歌っています。「テネシー」というのはおそらくナッシュヴィルの座り込み運動(1960年)のことでしょうか。とにかく差別の激しい三州を非難しています。



 わざと底抜けに明るい調子の曲をあてて、ここでニーナがあらわしているものは、リンチなどの暴力や差別への猛烈な「怒り」です。もはや冷静でいられないという激しい直接的な怒り。思えば、ジャズでは、ビリー・ホリディは「奇妙な果実」の静かな曲想によって、そしてチャールズ・ミンガスはおどけた曲想で、激しい怒りを表現しました。
 ゴスペル側にいるステイプル・シンガーズやインプレッションズが希望を歌っていることと比較すると、ずいぶんスタイルが違うというべきでしょうか。

 1965年夏のLAワッツ暴動を経て、時代は、ゴスペル音楽や非暴力主義などの柔和な戦術では、黒人社会全体の不満に応えられなくなってゆきました。1967年暮れの、インプレッションズの「WE'RE A WINNER」は、公民権運動のつぎの段階として、キリスト教主義だけでなく、黒人の誇り・尊厳、そして団結をこれからの運動の柱にしようというメッセージが語られます。とても具体的で実践的です。

  We're a winner. Don't let anybody say,
  "Boy, you can't make it." because feeble mind is in your way.
  私たちは勝者の民なのだ 誰にも〝おい小僧〟なんて言わせるな
  蔑みの言葉を投げつけられて実力を発揮できなくなる




 しかし、この曲がヒットしているさなか、「団結」の中心的存在であったキング牧師が暗殺され、アメリカは混沌・分断の時代、ブラックパワーの時代へと一気に向かいます。カーティスはそれに異を唱えました。
 「CHOICE OF COLORS」は、《肌の色をえらべるとしたら、黒と白どちらを選ぶ?》と問いかけます。つまり、そんな質問をすることは馬鹿げている。黒人も白人も、人間として正しい道を生きようと訴えます。当時は、人種問題に挑発的な内容であるとしてラジオ放送できなかったそうです。
 「MIGHTY MIGHTY (SPADE & WHITEY)」は、キング牧師もロバート・ケネディも暗殺され、黒人もリベラル白人も次々とリーダーを失って、アメリカが分断されていくことを食い止めようとしています。《クロ野郎もシロ野郎も力をあわせろ。ブラックパワーは失敗する》と言うのです。この二曲はともに、公民権運動が下火になって台頭したブラックパワー運動の分離独立主義を批判しています。

 ブラックパワー時代のアンセムといえば、何といってもジェイムズ・ブラウンの、1968年夏に黒人の尊厳をうたった「SAY IT LOUD - I'M BLACK & I'M PROUD」です。〈みんなで叫ぼう:黒人ってカッコいい!〉 キング牧師が暗殺されてから半年ちかく経ったころ、黒人社会にあたえたインパクトは計り知れないものがあったと云われています。この曲がラジオでかかった次の日からは、肌の色の濃い男の子や女の子がモテるようになったのだそうです。(それまでは、黒人のあいだでも色の薄いコがモテていた。)ヘアスタイルも、縮れた髪を矯正したりウィッグを使ったりしない〈ナチュラルルック〉が流行しました。
 ところで、実はこのような、ラディカルで実力行使的として知られる曲も、第二段落は、古い霊歌「BUKED AND SCORNED」の引用であることを指摘しておきたいと思います。また、第一段落では、「move」という言葉をつかって「前に進むことをやめない」といっています。



 そのほか、JBによるプロテストソングは意外に多くありませんが、「I DON'T WANT NOBODY TO GIVE ME NOTHING」(1969)は姉妹曲として重要だと思います。《オレは施しは受けない。ただ、扉を開いてくれ》と演説調で訴えます。フェアにして機会を平等にしてくれ、学校を建てるなどしろ、そこまでは政府がやってくれ、そのあとは自分たちの黒人コミュニティーで経済をまわしていく、と同胞とアメリカ社会全体の両方に向けて訴えています。これは分離独立主義ではなくフェアネス(機会均等)を求めているのだ、というのがブラウンの主張です。(まあ、民主党を支持していても、ニクソンが当選したらホイホイと祝賀会に出演したりする人なのですが。)
 ほかにブラック・プライド(黒い肌は美しい)を表現した歌は、ニーナ・シモンの「(TO BE) YOUNG, GIFTED, AND BLACK」、カーティス・メイフィールドの「MISS BLACK AMERICA」などがありました。

 六〇年代後半、かのジェイムズ・ブラウンさえも時代遅れになりかねないほど輝きだしたのは1967年に登場したスライ&ファミリーストーンでした。歌詞云々でなく、グループの存在そのものがプロテストでした。つまり、黒人も白人も、男も女も、R&Bもロックも、メッセージソングもダンス曲も、すべての「分断」を無くしてしまえというのが結成のコンセプトだったのです。まさに六〇年代を象徴するグループでした。
 「STAND!」では、何をやるにしたって、そして黒人も白人も、自由のためにたちあがらなきゃダメと力強く訴えました。「EVERYDAY PEOPLE」は、だれだって一人ひとりが同じ「ふつうの人間」なんだから、いがみあうことなく干渉せずに共生しよう、とサラリと(分離主義でも融合主義でもなく)個人主義を唱えました。混沌の時代にあって、自由の町・サンフランシスコの若者が発したこのメッセージは、いまでも大きな影響力をもっているのだと、映画などで耳にするたび思います。



 この曲は「次世代の黒人解放運動アンセム」にはならなかったようです。まだまだ、目の前には解決せねばならない問題が山積していたからです。しかし、カーティス・メイフィールドもジェイムズ・ブラウンも最終的なメッセージはほぼ同じです。「黒人は誇りを取り戻そう」「団結せよ」「肌の色なんて関係ない、みんな同じ〝人間〟になろう」です。これらは矛盾しません。ブラックパワーの「分離主義・独立主義」と、公民権運動の「統合主義」は矛盾点があれば少しずつ軌道修正しながら共に前進してゆくのだと思います。(その3へつづく)

 その1 1963-1965:ボブディラン、サムクック、ステイプルシンガーズ、インプレッションズ
 その3 1970-1974:ギルスコットヘロン、ダニーハサウェイ、マーヴィンゲイ、カーティスメイフィールド、スティーヴィーワンダー


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(こちらは、『ブルース&ソウル・レコーズ』No.146(2019年2月発売 特集:ブラックミュージックのメッセージ)に書き下ろしたものです。発売からしばらく経ちましたので、編集部よりの承諾をいただいて転載・公開します。興味をもたれたかたはぜひ、雑誌のほうをお求め下さい。)


ソウルミュージックとプロテストソング(全3回)
その1:1963-1965



 1963年、ボブ・ディランの「BLOWIN' IN THE WIND(風に吹かれて)」を初めて聴いてメイヴィス・ステイプルズは、「すごい、これは私たち黒人の歌だ! 本来であればこんな歌をうたう黒人歌手が登場しなくてはオカシイ!」と思ったそうです。

  How many roads must a man walk down before he's called a man?
  ひとりの人間として認められるまで いったいあとどれくらい歩けばよいのだろう?


 歌いだしが、あまりにもキング牧師たちの「行進」(マーチ)を鮮明に描いているようでした。〈差別、戦争、抑圧は、どうすればこの世から無くすことができるのだろう、その答えは目の前にあるが掴むことができない〉という歌です。この「a man」という言葉。「有色人種」でも「ニグロ」でも「黒人」でも、その他の何でもなく、〈人間〉となることが真の解放なのだということを捉えています。
 また、二行目は《白鳩は、あといくつの海をわたれば土のうえで安らぐことができるのだろう》というもので、流離の民であるアメリカ黒人の長い旅(たとえば、南部から北部への移動)を想起させますから、これにもメイヴィスは舌をまいたことでしょう。



 そういうことで、「風に吹かれて」をさっそく自身のショーのレパートリにくわえた人がいました。誰あろうサム・クックです。彼がこの歌をとりあげたのは必然だったのです。そして、差別に抗議するこのような歌をうたうこと(とりわけテレビで)は本当に勇敢なことだったはずです。
 そしてサム・クックは、「風に吹かれて」に駆り立てられるかたちで、かの「A CHANGE IS GONNA COME」を自ら書きました。

  I was born by the river in a little tent
  Just like the river I've been running ever since
  川のほとりの小さなテントで僕は生まれた
  あの川に流れる水のごとく 押しながされて逃げるばかりの人生だった


 詞・曲・編曲ともに、ボビー・ウォマックが「死を連想してしまう」と言ったという不気味な悲壮感・絶望感でおおわれていますが、各コーラスの最後の一行だけは希望でしめくくられています。《でも、きっと、変わる。ああそうだよ。》
 〈帰ることのできる家(故郷)は無く、やすらぐ居場所も無い。生きることは苦しく、死を待つのもつらい〉と歌います。教会のおしえでは、人は死ぬと、神に召されて天国という素晴らしいところへ行き、苦しみから解放されるので、死(=自由)を楽しみにできないというのは信仰がゆらいでいる苦悩の状態です。
 ゴスペル歌手から転向して、いまやR&B歌手となっていたサム・クックがこれを歌い、死や自由と向き合っている。逆説的にいえば、ほかの霊歌におなじく、現世での自由への闘いを、天国へ召されることになぞらえている歌なのだと僕は考えています。



*    *    *

 五〇年代後半にはじまった公民権運動は、黒人霊歌・ゴスペル・フォークとともにありました。「WE SHALL OVER COME(勝利を我らに)」、「OH FREEDOM」、「THIS LITTLE LIGHT OF MINE」、「YOUR EYES ON THE PRIZE」そのほか多数の古い霊歌を歌いながら、行進や座り込みをおこなって南部の隔離政策と闘いました。今回は、霊歌などは採りあげませんが、六〇年代・七〇年代に生み出されたプロテストソングの流れを追ってみたいと思います。
 公民権運動にふかく関わった音楽グループのひとつは、なんといってもステイプル・シンガーズでしょう。キング牧師に帯同して各地の演説会で演奏をしていました。お父さんのローバックが作曲した「WHY? (I AM TREATED SO BAD)」は、毎晩キング牧師から演奏するようせがまれたそうです。アーカンソー州リトルロック高校事件(1957年、白人黒人の共学を実施するため九人の生徒が登校したが州知事が反対して州兵を出動させた)をテレビで見て書いた曲だと言われています。《こんなにひどい目にあっても、それでも、主がお示しになる道を歩きつづけます》というゴスペルソングです。



 歩く、という歌をもう一つ。「Freedom Highway」は、キング牧師による1965年3月のセルマ〜モンゴメリー行進をそのまま歌にしたものです。この抗議行動は、アラバマ州で黒人も選挙登録ができるように求めておこなわれた行進でした。

  March on freedom highway. March each and everyday.
  I made up my mind. I won't turn around.
  自由へのハイウェイを行進しよう 毎日々々行進しよう
  もう心に決めた ひきかえしはしない


 警察と衝突を避けるため3月9日の行進が中止、つまり「ひきかえし」になったあと、やっと3月17日の行進で成功したことを歌っています。



 もう一組、ゴスペル寄りのR&Bスタイルで「公民権運動のサウンドトラック」を奏でたグループは、カーティス・メイフィールド率いるインプレッションズです。代表曲「PEOPLE GET READY」は、なにかにプロテスト(異議を唱える)しているわけではありませんが、黒人が自由に向かうところを美しくえがいています。ワシントン大行進に参加するため各地から列車やバスで集まってくる人々の姿に着想をえたと言われています。

  People get ready. There's a train a-coming.
  You don't need no baggage. Just thank the Lord.
  みなさまご用意ください 列車がまいります
  荷物も持たずにそのままご乗車ください 主に感謝するだけでよいのです




   以上みてきた曲はすべて、行進すること、歩くこと、または流されたり彷徨ったりすることを描いています。自由と仕事を求めて北部へ移り住むこと、個人が神に召されて天国へ向かうこと、民としてモーゼに導かれて約束の地へと向かうこと、これらのイメージが相互に強く結びつけられています。(その2へつづく)



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MAXINE by Donald Fagen (1982)

 
MAXINE by Donald Fagen, 1982


僕たちは大胆すぎるんだって
大人になるまで待てと
何もする前から「やめろ」なんて
でも卒業までは頑張ろう
今は我慢しようね マキシン

待ち合わせはリンカーンモール
世界はまだ眠りのなか
人生のあれこれについて語り合う
これがかのスプロール現象かな
今は我慢しようね マキシン

メキシコシティは別世界
今年は天候もいいらしい
僕のセニョリータになってよ
真珠をつけてジーンズ姿の君
ところで高速道路をおりようか
この出口だね

いつかマンハッタンに家を借りよう
友達を大勢呼んでパーティーをしたり
海までドライブしてすぐ帰ってくる
朝おきてすぐ愛し合ったり
でも時期がくるまで
今は我慢しようね マキシン


Some say that we're reckless
They say we're much too young
Tell us to stop before we've begun
We've got to hold out till graduation
Try to hang on, Maxine

While the world is sleeping
We meet at Lincoln Mall
Talk about life, the meaning of it all
Try to make sense of the suburban sprawl
Try to hang on, Maxine

Mexico City is like another world
Nice this year they say
You'll be my senorita
In jeans and pearls
But first let's get off this highway

We'll move up to Manhattan
And fill the place with friends
Drive to the coast and drive right back again
One day we'll wake up and make love but 'til then
Try to hang on, Maxine


藤子・F・不二雄ミュージアム

 
 神奈川県川崎市の多摩区というところは、すこしふるい郊外です。川崎の「工業地帯」という知られるイメージとはちがって、北のほうですので随分とのんびりしたところです。
 むかし、向ヶ丘遊園という遊園地があって、もう廃園になってしまいましたが、その脇のところに、〈藤子・F・不二雄ミュージアム〉というものがおよそ十年前にできました。F先生の自宅はこの辺りにあるのです。

 F先生にまつわるいろんなものが展示されています。ドラえもんやキテレツ大百科やエスパー魔美の原画をはじめ貴重なものがたくさん。ここは子供向けの施設なのですが、じつは、おとずれた中年男性には不意に大号泣してしまう人が少なくないらしい。

 ここには、F先生の仕事場を再現した展示などもあります。どういったものからアイデアを得て創作されていたかを知ることができます。そういったものは中年男性の興味をひく。
 しかし大号泣するとは何事でしょう。そんな愛用されていた文房具や図書をみただけで泣いてしまうのではないだろう。
 実物大のタイムマシンやどこでもドアを見るのは、大人であってもわくわくすると思いますが、まさかそんなことで泣いてしまうのではないでしょう。
 憧れのF先生の仕事机に置いてあったアイテムをみれば気持ちは高まるかもしれない。でも、それだけで泣いてしまうのではないだろう。

 なぜ泣いてしまうかというと、何十年も前、自分が子供のころ大好きだったドラえもんやオバケのQ太郎に久しぶりに出会うから・・・ではない。それよりもっと重要なこと。本当のところ、生まれてはじめて〈藤子不二雄〉という人と「再会」するからなのだ。
 F先生が漫画にこめていたメッセージを、四十年ちかく経ってからようやく自分の頭で理解することができるのです。

 子供のころには分からなかったことがある。
 なぜ、のび太とジャイアンはいつも遊んでいるのか? (あんなにイジメられているのに。
 なぜ、のび太はしずかちゃんと結婚することができるのか? (あんなにのび太はダメな男なのに。)
 なぜ、ドラえもんはさじを投げることなくのび太を救おうとするのか?
 そもそも、なぜ、のび太なんていう取り柄の無いキャラクターが主人公なのか?
 なぜ、劇場用映画のときだけ、のび太が勇敢になったりジャイアンが優しくなったりするのか?

 そういった、長い間ほとんど無意識にぼんやりと抱いていた疑問が、一気に氷解する。  それが本当の藤子不二雄に出会うということだと思う。
 藤子不二雄は、読者である子供たちに大切なメッセージを届けようとして必死に漫画を描いてくれた。そしてF先生は62歳の若さで亡くなってしまったのだ。

 まるで、幼稚園や小学校時代の、一番やさしかった先生に再会するようなことだろうか。または、一度もじっくり話しをしたことのなかった父の日記を読むようなことだろうか。

   ここでは子供と一緒に来場する大人も、大人であると同時に「むかし子供だったひと」として迎えられているのだ。そこにちょっとマジックがある。
 大人がいだく子供時代への郷愁というのは現代の子供たちにとっての悪害になりうる。だから、このミュージアムは、僕のような世代の者にとっては、懐かしむところではなく、お父さんというものが子供に何をあたえるべきか考えるための場所になるべきだと思う。もちろん、いくら憧れてもF先生のようになれないけれども。


スマホを握りしめて眠る少年

 
よい天気だが、マクドナルドの脇で、自転車を停めて、地べたに少年が眠っているのである。
人通り多い商店街で、昼間からスヤスヤと。疲れているのだろう。
マクドナルドの壁面にもたれかかり、道の脇に座り込んで、片手にスマホを握ったまま。よく眠っているが、なぜかスマホが落ちない。
眠りながら、黒い大きめの箱を、少年は両足で挟んでいる。箱に「UBER EATS」と書いてある。

   *   *   *

いま、新型コロナというウイルスが世界を襲っていて、僕たちは出来るかぎり外出や人との接触をさけて生活しています。それが約1ヶ月つづいたところ。さんざん云われている言葉は、「自粛」「自粛要請」「緊急事態宣言」「不要不急(であるかどうか)」「ステイホーム」など。
このブログを、数ヶ月後や数年後に読み返したとき、なにを思うのでしょう? 「あのときは大変だったな」「みんなで乗り越えたよね」であってほしい。とくに家にいる子供たちは大人になってから「あのときいっぱい遊んだよね」「懐かしいね」と言ってほしい。

でも、そういうわけにはいかないと多くが報じています。じっさいに命を落とす人があらわれ、これからもっと増えてゆくのかもしれません。そして、ひきおこされる「コロナショック」は壮大なものになると云われる。IMFは2020年の世界の経済成長がマイナス3パーセントになるだろうと予測を発表しました。これは1929年の大恐慌以来の数字なのだそうです。
大恐慌といえば、数年で各国のGDPが数十パーセントも下がるという凄まじいものです。
もちろん、マスコミというのものは往々にして大げさに書きたてて人の恐怖をあおる。
予測がはずれることを祈ります。しかし、いまは分かりません。

かつての世界恐慌は、すぐにヒトラーの台頭を生み、それは十年弱で世界第二次世界大戦へ突入した。
日本でも、都市に失業者があふれ、農村部にしわよせが行った。そこから兵隊がとられて中国へ行った。
政治が無策であったがため、人々は軍部を信じた。「日本は戦争は強いのだ。外国で暴れれば、農村の貧困を救うことになるのだ。」そういう物語を信じてしまった。

それでは、次に登場するヒトラーは、誰なのだ、どの国から登場するのだろう、という話になる。
次に登場する関東軍やら東条英機やらは、誰なのだ、どの組織から登場するのだ、という話になる。
でも、歴史は繰り返さない、と云われる。あれと同じことは起きない。ああいった、爆撃機が空をとんだり、戦車が野をかけるような、戦争はたぶん起きないのだろう。
しかし、人は失敗を繰り返す、と云われる。あのときと同じ間違いをおかす。でも、その間違が一体なにだったのか、それが分かりません。未来の予想は難しいことです。けれど、考えていかなくてはいけません。もしかしたら止めることは出来ないかもしれない。でも、考えたり行動したりすることは、やめてはいけないと思います。

短期的に何が発生するかは、容易にわかります。
さらなる不況がやってきて、いまの格差社会に拍車をかけるということです。
インターネットというモンスターが、非正規雇用を加速させています。
弱いものにはとことん厳しい世の中、強いものはどんどん太る世の中になってゆくのでしょう。

インターネットは、それこそ「双方向」です。
UBER EATSが便利だ、なんて言ったらダメだと思う。なぜならUBER EATSにとっては配達員さんが「便利」なのだから。
つまり、僕たちも配達員さんになるのです、もうすぐ。
アマゾンが便利だ、なんて言ったらダメだと思う。なぜ価格が安いのか、送料が無料なのか。
つまり、この前の記事でも書いたけれど、アマゾンの倉庫係さんや配達員さんたち、非正規雇用構造を出来る限り見えなくしているという見せかけの「便利」だからです。
スマホが便利だ、なんて言ったらオカシイと思う。スマホは、世界を操縦するリモコンスイッチのように見える(『鉄人28号』みたいな) けれど、それは逆で、スマホで企業からのリモートコントロール指令をうけているのは僕たちのほうなのだ。
グーグルが便利だ、なんて言ったらダメだと思う。なぜならグーグルは誰にとっても便利な存在なのだから、僕の敵にとってもグーグルは便利なはずだ。つまり、強い者はもっと強くなり、弱い者は相対的にもっと弱くなる。
それって、グーグルは強い者の味方であるということだ。つまり弱い者の敵ということになる。
何より、グーグルにとって僕たちこそ「便利」なのだ。

それなのに、インターネット企業は、弱い者の味方の顔をしている。
不況時代の救世主のように見せかけて、じつは格差社会をうんでいる張本人なのでしょう。
よーするに、不況下のドイツの救世主か、どこかの国の暴走する軍部そのもののようにしか見えません。

出前の配送指令をまつ少年には、家に帰って寝たほうがいいよ、と言うほかありません。
でも、もちろん、そんな事を言ったって・・・という話です。


「レボリューショナリー」について

 
 「革命(かくめい)」という言葉がありますが、それから想い起される人物といえば、チェゲバラや毛沢東であり、ストークリーカーマイケルやブラックパンサーであって、ひと昔まえであれば、とりあえず、「革命だー!」とか「革命をー!」とか叫んでおればそれでオーケーだろう、みたいな時代もあったのかもしれないのですが、いまの時代は、むしろそれと反対の風潮があるようで、トランプやら安倍晋三やらマクロンやら、それから橋下徹やら小池百合子やら極右政治家が、「変えてみせる!」とか「取り戻してあげる!」などと煽ることによって票をあつめて、それによって世界の平和が破壊されてゆくのをちょうど目の当たりにしているところで、まさかこんな奴らに暴れられてはたまったものではありませんから、こうなってくると「革命」よりも、とにかく十年か二十年くらい前に「戻す」ほうが急務だ、という感覚になっていて、そうなってくると、革命という言葉が、もはや魅力的でなくなってゆくのです。
 僕たちは今、そういう時代に生きているので、「革命!」などと安直に口にするのは避けたほうがよいのかな、なんて思ったりもするのですが、しかし、それこそが、世界的な潮流である右傾化にながされて左寄りの人達も一緒にすこし右へ移動しているという意味ですから、大問題です。一体どうしたものだと思っているところへ、真正面から革命をあつかっている、少なくともそのようにみえる、映画『ブラック・クランズマン』がやってきて、僕は字幕の監修というかたちで参加させてもらいました。
 この映画のなかで、「革命」という言葉を連発していて、主人公は、どうしようもない、寝ぼけている反革命の警察官なのですが、そのガールフレンドは革命家で、ストークリーカーマイケルを招聘して演説会をおこなったり、マイクロフィルムを覗いて戦前のリンチ事件について語り継ぐ会を催したり、ブラックパワーのデモを行っているところが描かれます。それが時代の要請なのかアナクロニズムなのか、わざとよくわからないかんじになっていて、それこそがまさに本作の問いかけているところのようです。
 革命なんていうと、民衆が武装蜂起をして政治家や軍人を殺してしまうようなものが想像されるかもしれませんが、僕が思うには、そしてスパイク・リーもそう賛同してくれるだろうと勝手に思うには、もっとも現実的でかつ最近に発生した「革命」は、一九六三年八月のワシントン大行進をピークとする「公民権運動」です。これは翌年の公民権法の制定という大成果につながったデモ運動でした。これを、革命と呼ぶのです。革命というのは、一回で終わりではなくて、たくさんのプロセスを経るもの、たくさんのプロセスで成り立っているもの、という考えかたです。そして、そのプロセスの一つ一つもまた、革命と呼ばれるんじゃないかなと考えているのです。
 ですから、たとえば、僕がバスのなかでお年寄りに席を譲ったとか、選挙の日に投票所へ出向いたりしたときに、「これも革命の一つだな」なんて心のなかで思っちゃったりしているわけですが、しかし、そんな大人だったら当たり前のことをわざわざ「革命」なんて呼んでいることが他人にバレてしまうと、ものすごく恥ずかしいでしょう。革命と呼べば大袈裟になっちゃうものについては、《まともなことをしました》《良いことをしました》くらいで適当です。しかしそのような、素朴な言葉だと、よい意味でもわるい意味でも、言葉の範囲が小さすぎて、日常の「良いことをする」こそが革命の一部にほかならないということを、僕自身が忘れてしまいそうで、そうなると、一番最初に書いたようにこの大きな資本主義に他分にもれず飲み込まれていくようで、なんとかして別の言葉をつかって上手く言い表すことができないかなあ、と考えているわけで、そうすると目の前には、〈レボリューショナリー〉という言葉がある。つまり、「革命」に「的」をくっつけて、〈革命的(かくめいてき)〉ということである。つまり「レボリューション」というのは、本当は恥ずかしがってはいけないのですが、やはり恥ずかしいので、そういう理由で「レボリューショナリー」と呼んだのかどうか知りませんが、とにかく、いちおう、僕の思っていたモヤモヤをさらりと拭いさってくれる。
 「あの映画はレボリューショナリー」とか「けっこうレボリューショナリー」とか、「レボリューショナリーなところとカウンターレボリューショナリー(反レボリューショナリー)なところ」などというふう使えて、これは非常に良いと僕は思った。効果的だと思った。なぜそれが効果的なのかという理屈をほかの用語で説明してみると、たとえば、なにかを讃えたりするときに「素晴らしい!」なんていうのですが、この「素晴らしい」は、あまりにも自分も他人も、常日頃から連発しているので、手垢がついている訳ではないけれど、やはり、もっといい言葉があったはずだ、と悔しい気分になる。しかし小難しい言葉を使うと、実直な美しさが逃げてゆくようなので、少し違った戦法にでることにして、たとえば、「もしかして、本当に素晴らしい物ってこういうものかもしれません。」とかなんとか、わざと一歩さがってみることによって、むしろ真に迫るんじゃないか、みたいな、すこし小賢しいことかもしれないけれど、そういう雰囲気で、闘うツールになるんじゃないか、みたいなことです。
 くりかえしになりますが、そういうことで、レボリューションと云うほうが本当はレボリューショナリーなのですが、レボリューショナリーと云うカウンターレボリューショナリーな言葉のほうが今はレボリューショナリーではないか、いやちがった、レボリューションではないか、ということです。



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