Visions(スティービーワンダー 1973年)

 
"VISIONS" by Stevie Wonder, 1973




ひとは手を取り合って
とうとう約束の地へやってきた
憎しみは儚く消え 愛は永遠につづくーー
僕の頭の中に見えるだけだろうか?

法律が実現しなくたって
「ついに自由だ!」と信じられる時代
はるばるやってきた ここまでやってきたーー
僕の頭の中に見えるだけだろうか?

 おとぎ話をしてるんじゃない
 葉っぱは緑色で
 茶色にかわるのは秋
 本当のことしか言わないよ
 今日は昨日じゃなくて
 万事に終わりがある

でも、知りたいのは
そんな美しい国は存在するかということ
翼をつけて飛んで行こうかな
みんなで、頭のなかに見える世界へ

 おとぎ話をしたいんじゃない
 葉っぱは緑色で
 茶色にかわるのは秋
 本当のことしか言わないよ
 今日は昨日じゃなくて
 万事に終わりがある

でも、知りたいのは
そんな美しい国は存在するかということ
翼をつけて飛んで行こうかな
みんなで、頭のなかに見える世界へ


People hand in hand
Have I lived to see the milk and honey land?
Where hate's a dream and love forever stands
Or is this a vision in my mind?

The law was never passed
But somehow all men feel they're truly free at last
Have we really gone this far through space and time
Or is this a vision in my mind?

I'm not one who make believes
I know that leaves are green
They only turn to brown
When autumn comes around
I know just what I say
Today's not yesterday
And all things have an ending

But what I'd like to know
Is could a place like this exist so beautiful
Or do we have to find our wings and fly away
To the vision in our mind?

I'm not one who make believes
I know that leaves are green
They only change to brown when autumn comes around
I know just what I say
Today's not yesterday
And all things have an ending

But what I'd like to know
Is could a place like this exist so beautiful
Or do we have to take our wings and fly away
To the vision in our minds?





Too High(スティービーワンダー 1973年)

 
"TOO HIGH" by Stevie Wonder, 1973




ハイになっちゃった
やりすぎちゃった
それでも
この手が 空に届くわけもなく

ハイになっちゃった
やりすぎちゃった
それでも
この手が 空に届くわけもなく

 夢をみてる彼女
 四つ目のオバケがテレビに映ってる
 またひとつ吸って こう言う
 「こりゃあスゲエ場面だな」
 赤色はめっちゃ緑色で
 彼女はミカン

ハイになっちゃった
やりすぎちゃった
それでも
この手が 空に届くわけもなく

ハイになっちゃった
やりすぎちゃった
それでも
この足が 地面から浮くでもなく

ハイになっちゃった
やりすぎちゃった
もう
地面に降りたくないね

 彼女が住むところ
 そこは見せかけのパラダイス
 かつては幸せになれるチャンスもあった
 もはや無理だけど
 自分のせいでね

(間奏 ハーモニカ)

ハイになっちゃった
やりすぎちゃった
それでも
この手が 空に届くわけもなく

ハイになっちゃった
やりすぎちゃった
もう
苦しくて死にそうだ

 彼女は過去の人
 やっと分かってくれたみたい
 そして 今日どうなったか、知ってる?
 亡くなったんだって
 知り合いがこう言ってたよ:

「ハイになっちゃった」って
「やりすぎちゃった」って
「あれじゃ持たないよね」って。


I'm too high
I'm too high
But I ain't touch the sky
I'm too high
I'm too high
But I ain't touch the sky

She's a girl in a dream
She sees a four eyed cartoon monster on the T.V. screen
She takes another puff and says "It's a crazy scene"
That red is green
And she's a tangerine

I'm too high
I'm too high
But I ain't left the ground
I'm too high
I'm too high
I hope I never ever come down

She's the girl in her life
But her world's a superficial paradise
She had a chance to make it big more than once or twice
But no dice
She wasn't very nice

I'm too high
I'm too high
I can't ever touch the sky
I'm too high
I'm so high
I feel like I'm about to die

She's a girl of the past
I guess that I got to her at last
A did you hear the news about the girl today
She passed away
What did her friend say

They said she's too high
Too high
Can't hang around anyway...


音楽の空想

 
 ジェイムズブラウンの音楽というものを、まだ聴いたことがなかった高校生のころ、「〈ジェイムズブラウン〉っていう人の音楽って、こういう感じかな?」と妄想していた、そういうみじかい時期がある。(いまでも、その妄想はつづいているのだけれど。)
 音楽を聴いたこともないのに、なぜ妄想が始まったかというと、それは、名前だけを先に知ったからだ。奈良の学園前というところで母親の歯医者を待っているあいだ(それは重要ではないけれど)、歯医者のとなりにあった図書館に入り、そこで、音楽の本がならぶところで、マイルスデイヴィスに取材した本を手にとった。
 「オレはジェイムズブラウンのような音楽をやるんだ」とマイルスが記者に答えていた。それ誰だろう、となった。ひきつづいて、坂本龍一の対談集だったか何だったかを読んだ。そうすると、「世の中には、ボクのやるような音楽と対極に位置する音楽も存在しているわけですよね。たとえば、ジェイムズブラウンっていう人は、自分のコンサートで毎ステージ、あまりの自己陶酔で、さいごに卒倒してしまうらしい」とかなんとか、言うているのを読んだ。(うろ覚えです。)
 そういうわけで、へえ、そりゃあ凄そうだな、どんな音楽なのだろう、と思った。僕のなかで、まだ聴いたことのない〈ジェイムズブラウン〉という音楽への妄想はふくらんでいった。そして、その妄想はいまでも、ある。聴こえる。それがどんな聴き心地の音楽なのか、言葉で説明できたらいいけれども、簡単には説明できない。ただ、無理を押して書くなら、「ジェイムズブラウンという名前の、ものすごいエネルギッシュなおじさんが居て、そこらじゅうを飛び跳ねているような感じ」ということである。まあ、何も言っていないに等しいけれども。
 そこから三十年以上が経ったのだけれど、その妄想音楽とぴったり同じものは、いまだに耳にしたことがない。しかし、それに一番ちかいと云える曲が、たった一曲だけ、いちおう存在している。それはジェイムズブラウンの「It's Your Money$」という、よっぽどのファン以外は誰も気に留めていない曲なんである。
 だから、ジェイムズブラウンの録音物は星の数ほどあるにせよ、そのなかでも、その曲が僕の考える理想の音楽である。いや、それは言い過ぎ。「僕が勝手に妄想していた音楽に似ている」。いや、それだと話がちいさくなっちゃう。その妄想はまだ終わっていないから、「僕がいまだに妄想している音楽にかぎりなく近い」ということです。
 ところで、その曲のプロデューサーは誰なのかとか、参加ミュージシャンは誰なのかとか、録音された年はいつか、お芋を掘るときのつるみたいにたぐってゆけば、似たような曲がみつかるのではないかと、ふつうは考える。ところが、なんとこれが、一体だれがプロデューサで誰が演奏しているのか、いつ録音されたのか、歌詞を書いたのは誰か作曲したのは誰か、いまだに、まったくナゾの曲なのである。
 歌っているのはジェイムズブラウンなのだけれども、そして、この音楽は、明らかに、前からみても斜めからみても、「こりゃあジェイムズブラウンの音楽」「こりゃあジェイムズブラウンが率いているバンドの演奏」とわかるものだ。そういうファンクだ。ただし、「こんな曲は、ジェイムズブラウンの他のレコードをいくら探しても、ほかには無い」というものなのである。すくなくとも、僕の耳にはそう聴こえる。
 いちおう言うておくと、誰が聴いてもカッコいい曲かどうかは、わからない。僕の知る限り、世の話題になったことが一度もないという埋もれた曲であるので、これを読んでくださった人が聴いたところで、イイと思うかどうかは確信がない。でも、繰り返しになるけれども、とにかく僕が三十年以上妄想している雰囲気に限りなく近い曲は、これ一曲しかない。

 そんなことなのであるが、ここから衝撃の展開がある。もちろん、僕にとって衝撃なだけで、他の人にはつまらないことかもしれない。
 つい半年くらい前だったか、ものすごいジェイムズブラウンのマニアが居て・・・ってそりゃあまあ、世界中にいろんな人がいる。ジェイムズブラウンのファンと一口に言っても、ライブが好きな人、レコードが好きな人、写真が好きな人、リズム&ブルーズが好きな人やジャズが好きな人、歌が好きな人やダンスが好きな人、男の人や女の人、おじさんおばさん、おじいさんおばあさん、アメリカ人やヨーロッパの人や日本の人、オバマが好きな人やトランプ支持の人、60年代からライブに通っていた人、70年代や80年代からライブを観ている人、ヒップホップから来た人やらリズム&ブルーズが好きな人、もう、本当にいろんな人がいる。それぞれの切り口で、ジェイムズブラウンというものを愛して、楽しんでいる。  そういうファンの一人。僕がとてもシンパシーを感じているヤツがいるのだが、彼が、その曲「It's Your Money$」は、1980年のアルバム「Soul Syndrome」のアウトテイクだと思う、とぽつりと言った。たぶんそうじゃないかな、と言った。そいつもこの曲のことが好きだったのだ。
 僕は仰天した。
 ああ、なんでこんなことに気づかなかったんだろう! その通りだ。演奏をしっかり聴けばわかる。僕は、自分の思い込みと、よくわからないSEにまどわされて、ちゃんと自分の耳で演奏を聴いていなかったのだ。それとその「妄想」と。
(書くのがずいぶん遅れたけれども、その曲は、1989年の異色ヒップホップアルバム『I'm Real』におさめられていて、一番最後のほうに、ひっそりと収録されている。曲はいやらしいほどに派手な曲なんだが、それがゆえに居場所がなく、人が気づかないようなところにあるのだ。)
 僕はてっきり、打ち込みビートでアルバムをつくる際に、ジェイムズブラウンが、一曲だけオレのバンドの曲を入れろ、ってワガママを言ったのかな、と想像していた。だから、これは80年代後半のメイシオとスウィートチャールズが率いる「Soul G's」の演奏かなと思っていた。まったく違う。いわゆる「編集室の床におちていたテープ」ってやつだ。10年ちかく前の録音を、どこからともなく引っ張り出して、新たにボーカルとSEをオーバーダビングを施した曲だったのだ。だからこれは「ザ・JBズ・インターナショナル」の演奏だ。
 どこにも証拠はないけど、いちおう僕だって長年のJBファンだ。言われさえすれば、この仮説は正しいとすぐに分かる。それって、世界じゅうのJBファンは、みんな分かっていたことなのか? 彼は、「たぶんそうだろうなー」ってずっと考えてたらしい。早く言ってくれよ!
 そんなわけで結論が三つ。一つは、1980〜1981年あたり、冬の時代といわれている頃のジェイムズブラウンサウンドは、とっつきにくいかもしれないが、じつは、すごい。二つ目は、僕の妄想音楽は、やっぱり妄想音楽で、あるどこかの歴史の時点には存在しない音楽だったということ。最後に、この妄想は1990年代的な「リサイクル」っぽい発想から来ているということ。
 じゃあ、とりあえず、「妄想音楽のつくりかた」は、もう分かってきたやん。・・・そういうことになるのかもしれない。あくまで妄想。


無人島に行きたい

 
こういうことってあるのではないかと思うのです。
インターネットの時代、グローバリゼーションの時代というのは、人を愛することが出来なくなっちゃうのじゃないかと。
いま、僕の考えているのはこういう理屈です。
たとえば、僕が無人島に居たとします。
そこへ、もう一人、全然知らない人がやってくるとします。
そうすると、たぶん、なんとかして仲良くなろうと努力すると思うのです。
食べ物は半分になっちゃうかもしれないけど、それでも、人は、一人よりも二人のほうがいい。

もう一人増えたらどうなるだろう。
もしかしたら、三人で仲良くするか、二対一の構図になっちゃうかもしれない。

さらにもう一人増えたらどうでしょう。
二対二になるとか、一対三とか、ねがわくば四人全員で仲良く出来たらいい。

さらに増えて、五人でも(もっと増えても)仲良くすることは出来るはずだ。
どっちにしたって、いがみ合ったり、仲良くしたりして生きて行くしかない。
世界が閉じているから。

でも、その無人島に船があって、別の世界へ行ってもいくことも出来るようになったら、どうなるだろう。
すこし喧嘩しただけで、別の世界に出て行っちゃうかもしれない。
その逆も考えられる。
別の世界に出て行くこともできる、って思っていたら、その住んでいる島の人たちを大切にすることが出来なくなってしまう。
そんなことがあるんじゃないだろうか。
インターネットで、いろんなことが、あたかも目の前で発生しているような錯覚をおぼえる。
そこには広い世界がひろがっている。(実際にはそれほど広くないかもしれない。)

自分の小さな島を大切にしないといけないのに。
あると信じる、海の向こうの世界の情報のイメージに心を乱され、現実の人のつながりが薄くなってしまう・・・。

そんなことがあるのではないか。
これは恐ろしいことです。
自分にかぎってそんなことは無い、あの人にかぎってそんなことは無い、って思っていたら、 インターネットとかスマホとか、いろんな情報流通や各種娯楽産業は、まるで小さなアリがダンゴムシが家のなかに入ってくるみたいに、 少しずつ少しずつ、僕たちの心を蝕んでゆくのではないか。

というか、そんなことここに書かなくたって、きっと、誰でも感じてることだろうけど。





私はバスに乗りました
一体どこにいるでしょう
後部座席にいてなけりゃ
私はどこにいるでしょう
前の座席のほうじゃない?
そこに座ってるんじゃない?

 前の座席にすわってる
 前の座席にすわってる
 ちゃんと前もさがしてね
 私はそこに座ってる

私はデモに行きました
一体どこにいるでしょう
デモ隊のなかにいなければ
私はどこにいったでしょう
市の留置場へ行ったのでは?
そちらでお泊まりになったのでは?

 留置場でお泊まりです
 留置場にお泊まりです
 市の留置場で会いましょう
 私はそちらに泊まってます

私は泳ぎにいきました
一体どこにいるでしょう
ミシシッピ川にいてなけりゃ
私はどこにいるでしょう
スイミングプールにいるんじゃない?
そこで泳いでるんじゃない?

 スイミングプールで泳いでる
 スイミングプールで泳いでる
 スイミングプールで会いましょう
 私はそこで泳いでる

私は綿花畑にはおりません
一体どこにいるでしょう
綿花畑で働いてなけりゃ
私はどこにいるでしょう
投票所にいるんじゃない?
そこで投票してるとこじゃない?

 投票所へ出かけます
 投票所へ出かけます
 町の投票所で会いましょう
 私はそちらにいってます

私はバスに乗りました
一体どこにいるでしょう
後部座席にいてなけりゃ
私はどこにいるでしょう
前の座席のほうじゃない?
そこに座ってるんじゃない?

 前の座席にすわってる
 前の座席にすわってる
 ちゃんと前もさがしてね
 私はそこに座ってる


If you miss me at the back of the bus
And you can't find me nowhere,
Come on up to the front of the bus
I'll be riding up there

I'll be riding up there
I'll be riding up there
Come on up to the front of the bus
I'll be sitting right there

If you miss me at Mississippi River
And you can't find me nowhere
Come on over to the swimming pool
I'll be swimming right there

I'll be swimming right there
I'll be swimming right there
Come on over to the swimming pool
I'll be swimming right there

If you miss me at Jackson State
And you can't find me nowhere
Come on over to the Ole Miss
I'll be learning over there
I'll be learning over there
I'll be learning over there
Come on over to the Ole Miss
I'll be learning over there

If you miss me at the picket lines
And you can't find me nowhere
Come on down to the city jail
I'll be rooming over there

I'll be rooming over there
I'll be rooming over there
Come on down to the city jail
I'll be rooming over there

If you miss me at the cotton fields
And you can't find me nowhere
Come on over to the courthouse
I'll be voting right there

I'll be voting right there
I'll be voting right there
Come on over to the courthouse
I'll be voting right there




THE MAKINGS OF YOU




君のつくりかた


砂糖を少々
スイカズラの花 それから
幸せいっぱいの笑顔
それに加えまして
バラが十本あれば
よろこばれるでしょう
にぎやかな子供たちに囲まれるしあわせ
これでほぼ出来上がり

君のつくりかた

正しい道をゆく
子供たちはよく知っています
知らなければ教えてあげよう
君に替わることのできる人はいない

どの成分ひとつをとっても
大きな愛がつまっています
これでほとんど出来上がりですが
成分はこれだけではありません
足しても足しても足しきれないほどの愛を
それが
君のつくりかた


Add a little sugar and honeysuckle
A great, big expression of happiness
You couldn't miss with a dozen roses
Such would astound you
The joy of children laughing around you
These are the makings of you
It is true
The makings of you

The righteous way to go
Little one would know
Or believe if I told them so
You're second to none

The love of all mankind
Should reflect some sign
Of these words I've tried to recite
They are close, but not quite
Almost impossible to do
Reciting the makings of you



GIVE IT UP



僕の考えだけど
二人とも疑りぶかい 性質 たち
しあわせを掴もうとしても
最初でつまづいてしまう

暮らしは随分よくなった
子供も出来た そして君がいる
それで実際のところを
正直に言うよ

 もう諦めるしかないと思う
 もう諦めるしかないと思う

 思いやりとか信頼とか そういうのは築けなかった
 共に歩んだり お互いを愛したり
 そういうのは出来なかった
 心から残念だよ

君のことを愛してる
子供たちも愛してる 知ってるよね
星座については
気にしたことがない

でも星座の示すとおりだった
相性が悪いのはどうしようもない
二人とも頑張ったけど
結局おたがい興味をもてない

 もう諦めるしかないと思う
 もう諦めるしかないと思う

 思いやりとか信頼とか そういうのは築けなかった
 共に歩んだり お互いを愛したり
 そういうのは出来なかった
 心から残念だよ

 もう諦めるしかないと思う
 もう諦めるしかないと思う

 君がいなくなれば すごく寂しくなる
 でも諦めるしかないと思う
 もう諦めるしかないと思う


It is my theory
The two of us are somewhat leery
About the happiness
We both set out to posses

We've got all the comforts of life
A few kids and you are my wife
And I tell it like it is
I must confess

I'm gonna have to give it up
I'm gonna have to give it up

All concern and the trusts that never happened with us
The walk of embraces and the love of our faces
It never happened you see and I'm so sorry

I really truly love you
And the kinds you must agree
And I never had too much
Concern or interest in astrology

But as I read it must be so
The invulnerable word incompatible
No matter how much we try
Our indifference but still show

Now we've got to give it up
I'm gonna have to give it up

All concern and the trusts that never happened with us
The walk of embraces and the love of out faces
It never happened you see and I'm so sorry

Now we've got to give it up
I'm gonna have to give it up
I'd be so lonely without you
But we've got to give it up
I'm gonna have to give it up



本棚のなかの本

 
僕の育った家で印象的だったことの一つは、その本棚です。
父の本や、母の本がおいてあります。
どの本が父のもので、どの本が母のものか、子供である僕にとってはあいまいです。
いろいろな本があるのですが、そのなかに、ひとつヘンな本がありました。
とても有名な本です。
「箱男(はこおとこ)」という小説です。
初版本で、ケースには「純文学書き下ろし特別作品」とわざわざ書いてある、それこそ、箱のような、ちょっとぶかぶかの赤茶色の外函におさめられていました。

よく知られた本ですので、読んだことのある人は多いと思います。
この小説は、まったくタイトルの通りの内容で(小説というのは、タイトルがあらすじとまったく関連がないことも珍しくないと思いますが)、なんとまあ、冷蔵庫につかわれるダンボールやら何やらの大きめの箱をもってきて、小さなのぞき穴をつくり、その中に男が棲みつく、という突拍子もない話です。
いったん箱のなかの生活をはじめると、いいことがいろいろあるので、なかなかやめられない、ということらしいです。
いいこと、というのは(読んだのはずいぶん前ですので、内容はもう忘れているのですが)、たとえば、自分が誰かわからなくなる、自分が誰であるか他人にしられることがなくなる、もしくは自分が〈何者か〉である必要がなくなる、ということです。

その本は、僕が幼いときから、そこにありました。
高校生くらいになって、手にとり、読んでみました。そのとき一度読んで、そのあと十年後くらいにもういちど読みました。
いまここで詳しく論じるでもありませんが、書いた本人によると、箱男というのは、アイデンティティーの問題、それから「民主主義」の問題なのだそうです。
個人として自立した人間があつまって民主主義を担うことが、これからの日本で可能か問うているんだろうと思います。

まあ、それはいいのですが、その本の箱の表紙には、イラストはなく、大きな字で「箱男」とかいてあります。その下に作者の名「安部公房」とありまして、さらに下のほうに、彼の写真があります。
長髪でもありませんが(当時はこれを長髪と云ったのかもしれません)、うっとおしい、雀の巣のような髪で、黒いふちの眼鏡をかけたオジサンです。
作品のわりには、作者の顔写真がわざわざケースの表側にでかでかと載っています。オジサンとは云ったものの、発表当時の安部公房はちょうど、いまの僕の年齢くらいだったはずです。

そのモジャモジャの髪、黒い太ぶちの眼鏡、そしてその目が、僕の父の四十代のころの風貌にそっくりです。こりゃあ、父が買った本にちがいないと思い込んでいました。
父の死の数年前、そのことを訊ねたら、「あれはボクの本じゃない。あそこの隣りに並んでいた高橋和巳の本はボクのだが、あれは違う」と言うていました。だから母の本だったのかもしれません。母も買った記憶がないと言うていますので、よくわかりません。ただ、云われてみれば、安部公房みたいな斜に構えたのは父の趣味ではありませんから、それもうなずけます。
「安部公房本人によると、箱男とは民主主義について述べた小説らしいよ」と父に言いましたら、「それはちがうだろう」と父は言い捨てました。

物心ついたころから、そこにあった箱男という不思議な本。
その本の表紙にある作者の顔写真が父を思わせるので、この本を読んだら父のことが理解できるのかもしれない、と僕が思い込んでいた本。

三年前父は往き、その数年後にコロナという災いがやってきて、僕も、皆と同じように家に閉じこもっていたら、数十年まもりとおした坊主頭が、そのうちモジャモジャになった。こんなに伸びたのは中学生のとき以来だろうか。それから三度ほど散髪に行ったにせよ、髪の毛なんていくらでも伸びてくるもので、あいわらずの伸び具合です。

この一年半、僕は演奏旅行に出掛けることもなくなり、いろんなものが失われてゆく。反対に、役にたたない髪はのび、いつ、元の坊主頭にもどそうか、いやこのまま伸ばしておこうか、と考える。


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