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(第一段落)
You will not be able to stay home, brother. You will not be able to plug in, turn on and cop out. You will not be able to lose yourself on skag and skip out for beer during commercials. Because the revolution will not be televised.

なあブラザー もはや家に閉じこもっていられないぜ。家でテレビのスイッチをいれてチャンネルをひねってくつろいでる場合じゃない。家でヘロインで夢心地になっている場合じゃない。CM中にビールをとりに行っている場合じゃない。なぜなら・・・革命はテレビ放送されないからだ。


(第一段落の解説)
 この詩で語られるメッセージはいたってシンプルで力強いものです。ギルは、単刀直入に、最も伝えたいことを、冒頭、第一段落の一行目で言い切っています。それは、《黒人は、家から出ろ》ということです。
 これほど分かりやすいメッセージがあるでしょうか。これが彼の言いたいことの全てです。(これから詳しく書きます。)つまり「黒人の暮らしを良くするためには、我々は行動しなくてはならないのだ」と言っているわけです。
 なぜ家を出なくてはならないのでしょうか。曰く、「なぜなら、〈革命〉が家に届けられることはないから」。家でテレビを見たり、ビールを飲んだり、ヘロインやコカインをやっても、革命はやってこないぞ、と言っています。

 二行目の「plug in, tune on and cop out(電源コードを差し込み、スイッチをいれて、現実から逃げる)」は、LSDの推奨者として知られるティモシーリアリーの有名なスローガン「Turn on, turn in, drop out」(「キメろ、ハマれ、ブッ飛べ」拙訳・・・みたいな感じかな?)をもじったものです。ギルの文脈は、「LSDを使って意識を解放させて世界を変えようなんてバカなことを言ってた奴がいたが、そんな他力本願じゃだめだ。それと同じで、家でテレビを眺めてても、自己変革も起きないし黒人の状況も変わるはずがないゾ」ということです。
 ・・・うーん、耳が痛い。そう感じるのは僕だけではないでしょう。テレビに加えて、パソコンやスマホに自分の時間の多くをハイジャックされている現代人は、いかにして革命的になれるのか・・・。これが本稿のテーマです。

 「skag」というのはヘロインのことです。「ヘロインでハイになってんじゃねえ」と言っています。その次、「CM中にビールを取りに行ってる場合じゃない」というフレーズは、何かのジョークのようにも聞こえますが、とても思わせぶりな一行です。
 これはつまりこういうことです。「CM」というのはテレビ広告のことです。「ビール」というのはアルコール依存のことを表しています。つまり、この三行目でギルは、現代社会にはびこる病理として三つのものを並べています。麻薬、アルコール、そして広告です。
 ギルスコットヘロンは代表曲「Home Is Where The Hatred Is」で麻薬問題をとりあげ、「The Bottle」でアルコール依存の問題をとりあげました。そして、この曲『革命はテレビで放送されない』は、広告の問題をとりあげます。  第一段落でギルは、私たち黒人の未来のためには、家にこもって三つの悪魔、すなわち麻薬・アルコール・広告に冒されていてはいけないのだと訴えています。


(第二段落)
The revolution will not be televised. The revolution will not be brought to you by Xerox in 4 parts without commercial interruptions. The revolution will not show you pictures of Nixon blowing a bugle and leading a charge by John Mitchell, General Abrams and Mendel Rivers to eat hog maws confiscated from a Harlem sanctuary. The revolution will not be televised.

来るべき革命とはテレビ放送されないのだ。革命は「ゼロックス社の提供でお送りしま・・・」せん。革命は「CM無しの四部構成でお届けしま・・・」せん。
革命とは映像化できないのだ。したがって、ニクソンが突撃ラッパを吹き、その手駒たちーーーミッチェル司法長官だの エイブラムス軍司令官だの アグニュー副大統領だの リバース議員だのーーーが、ハーレムの黒人教会の台所から豚モツをカッパラってきてムシャムシャ食べる・・・そんな放送も無いのだ。つまり革命とは放送することができないのだ。


(第二段落の解説)
 「ゼロックス」というのは、馴染みがない人も居るかもしれませんが、コピー機(複写機)をつくっている企業です。コピー機は、かつては、いっぱしの会社にだけ設置されている高価な機械でした。もう死語ですが、70年代から80年代の始めにかけては「コピーする」というのを「ゼロックスする」などといいました。
 このポエトリーでは、これから数段落にわたって、たくさんの企業(数えてみたら全部で13社ありました)を槍玉にあげて、コマーシャル(広告)批判を展開していくのですが、その一発目としてゼロックス社が持ち出された理由はわかるでしょう。つまり、「革命はコピーできない」ということを暗に表しています。
 ギルは「コピー技術」そのものを批判しているのだと思います。本当に大事なもの、本当に価値のあるものは、やすやすと「コピー」できない。ましてや〈革命〉などがそう簡単にコピーできてたまるものかと。

 その次の言葉「コマーシャル無しの四部構成」の意味するところは、あいにく僕にはよく分かりません。アメリカに住んだことのある知人に訊きましたら、「むかし、そういうのがよくあった」とのことです。おそらく、「コマーシャル無し放送」と銘打たれた番組であっても、当然ながらいずれかの企業がスポンサーとなっているわけですから、それはまやかしです。そのことをギルは指摘しているのではないかと思います。
 くわえて、「四部構成」というのは〈革命〉は小出しに振り分けることの出来るようなものではないことを暗示しているのでしょう。さきほどのコピーの話と同じです。

 つぎのニクソン云々のところは重要です。「The revolution will not show you a picture...」この一文は、のちのちにギルがインタビューで何度も語っている重要なポイントとかさなります。インタビューで、「革命とはーーー少なくともその初期の段階においてはーーーまず人間のアタマの中で起こるものであって、それは決してフィルムにおさめることが出来ない」とギルは発言しています。つまり革命とは思考なのであって映像化することが叶わない。(これはさきほどの複写技術批判と、ほぼ同義といえるでしょう。)  このくだりを翻訳することはなかなか難しいように思えるのですが、意味としては、下記のような具合じゃないかと思います。いかがでしょうか。  「アンタ、テレビの前に座って何を待っているんだい? ニクソンが突撃ラッパを吹き鳴らす映像でも待ってるのかい? ミッチェル司法長官が黒人の子供から食事をとりあげて自分がムシャムシャ食べている映像でも見たいのかい? そうすればアンタの頭のなかで革命が起きるとでもいうのかい?」

 第二段落でギルが訴えていること:革命とは複写できないし映像化もできない。


(第三段落)
The revolution will not be brought to you by the Schaefer Award Theatre and will not star Natalie Woods and Steve McQueen or Bullwinkle and Julia. The revolution will not give your mouth sex appeal. The revolution will not get rid of the nubs. The revolution will not make you look five pounds thinner. Because the revolution will not be televised, brother.

革命は、〈シェーファー劇場〉で放送されたりしない。革命には、ナタリーウッズも出演しないし、スティーヴマックインも出演しないし、ブルウィンクルも登場しないし、それから、ジュリアも登場しないのだ。
革命で「歯が白くなら・・・」ないし、革命で「剃り残しナシになら・・・」ないし、 革命で「装着したら5キロ痩せて見え・・・」ないのだ。


(第三段落の解説)
 ひきつづいて、滑稽な言い回しでテレビ批判(広告批判)が始まります。下記のように翻訳してみても良いかもと思いました。どうでしょうか。
 「テレビをつけても〈革命〉は映ってないぞ。なに、ナタリーウッドが出てる? それは革命じゃねえ。それはテレビドラマってやつだ!」
 「なに、ブルウィンクルが出てる? それは革命じゃねえ。それは子供向けアニメだ!」
 「なに、ジュリアが出てるから革命かも? バカ、それは黒人の進歩を装ったシットコムだ!」
 「なに、歯が白くなるらしい? バカ、そいつは革命じゃねえ。それは歯磨き粉の広告だ!」
 「なに、剃り残しがなくて爽快? バカ、そいつは革命じゃねえ。それはヒゲ剃りの広告だ!」
 「なに、装着したら5キロ痩せて見える? バカ、そいつは革命じゃねえ。それは補正下着の広告だ!」

 シェーファーというのはアメリカのビール会社です。「シェーファー劇場」というのはその企業が提供する冠番組枠のことです。またもやアルコールです。ギルは「ビール会社が革命を応援するわけはないだろ」と言っているのです。そりゃそうだ。

   第三段落でギルはこう言っています。テレビが家にとどけてくれるもの・・・それはビールの広告、家族コメディドラマ、西部劇ドラマ、子供向アニメ、美容用品の広告。あなたに必要なものは何一つ届けてくれない。


 "Revolution will not be televised."(革命はテレビ放送されない。)−−−なんとカッコいいキャッチフレーズでしょう。当時もっともクールに輝いていた詩人・ギルスコットヘロンによる、1970年発表のポエトリーのタイトルです。さすがに現代の僕たちの脳みそにも突き刺さります。そして同時に、謎にみちたタイトルでもあると思います。意味が分かるような分からないような・・・。だからこそたくさんの人を魅了してきたと思います。

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 2015年9月、この歌詞の翻訳を、僕なりにやってみました。この拙い翻訳が完成するまで、半年くらい要しました。この詩は一体なにを訴えようとしているのか、彼が革命と呼んでいるものは一体どのようなものなのか、最後の一行に込められた意味はどのようなものか。その本意を掴もうと、知恵熱をだして取り組みました。



 ちょっと脱線します。実は、この翻訳に手を着ける以前には、僕は只々ぼんやりと、つぎのようなトンチンカンなことを考えていました。
 ーーーいざ革命が発生したとき、何がおこるか? ここで云う革命とは、当然ながら〈ブラックレボリューション〉という意味だろう。素直に考えて、ふつうは革命軍が政府軍を打ち破ったら国営放送局を占拠するだろう。そして全国にむけて革命が成就したことを電波にのせて宣言するだろう。それなのに、なぜ、ギルは「革命はテレビ放送されない」なんて言っているのか?
 ーーーそれとも、革命が起きたとき、旧政府の命令で各放送局が電波停止させられるんだろうか? 政府による最後の抵抗として? そして各家庭のテレビ画面は真っ暗になるのか?
 こんなことを考えていたのですが、オカシイですかね? 英語の聴き取りなんていうのは一般的な流行歌でも中々わからないのに、こんな早口のポエトリーは僕にはまったくお手上げでした。ペラペラと何を言っているのか聴き取れないので、タイトルだけで上記のようなことを妄想していたわけです。

 この曲が発表された1970年ごろは、「革命」は現在にくらべて遥かに現実的なものとして語られていました。しかし、ついに革命は起きませんでした。半世紀ちかく経った現在もまだ起きていません。ところが、ここで饒舌に語るギルはどうやら「革命とは一体何なのか」を知っている様子です。
 それは誰が起こすのか? テレビ局は放送するのかしないのか? ワッツ暴動(1965年)のような都市部の暴動からスタートするのだろうか、それともキューバ革命のように農村部や山岳部のゲリラ戦から始まるのだろうか? 指導するのはブラックパンサーだろうかNOI(ネイションオブイスラム)だろうか?
 400年間苦しめられてきたアメリカ黒人3000万人を、誰がどのようにして解放するとギルは言っているのだろう? そしてその革命は、出口の見えないベトナム戦争に終止符をうつはずであるし、アメリカ合衆国の黒人のみならず、南アメリカの黒人や、さらには地球上すべての弱者を救済して理想郷をもたらすべきものである。それは一体どのようにして起こりうるのだろう?

 そして、一番重要なことは、僕たちとの関係性です。「ギルの歌う〈革命〉とやらはここ日本でも倣うことは可能なのか?」「21世紀の現代でも有効なものなのか?」ということです。
 それに、「革命はテレビで放送されない」とギルは言うが、インターネットはどうなんだ? テレビはダメでも、Youtubeでは放送されるのか、されないのか? Facebookでは革命は流れるの、流れないのか? ツイッターやインスタグラムでは? それとも、流石のギルスコットヘロンであっても、インターネットテクノロジー全盛の現代のことまでは予見できなかったのか? それとも彼の知性と洞察力は、半世紀が経った現代においても、僕たちが発するのすべての問いに答えてくれるものなのだろうか?

 前置きが長くなってしまいました。それでは次回から、歌詞の内容を、僕の分かる範囲でじっくり解説してみようと思います。そして上記のそれぞれの問いについて答えようと思います。


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GREENBACK(レイチャールズ 1958年)

 
GREENBACK by Ray Charles, 1958





《グリーンバック(ドル紙幣)》 レイチャールズ、1958年


昨日のこと 夜の街を歩くと
カワイコちゃんと眼があった
会釈をして名前を尋ねると
「ネンネの坊やはやめときな」
オイラは見返してやろうと
ポケットに手をやり差し出した
リンカーン大統領(5ドル紙幣)に見つめられ
カワイコちゃんはよろこんだ

  グリーンバック
  グリーンバック
  ドル紙幣
  緑色のインクで印刷された
  ただの紙切れ


思わせぶりな目つき
その奥がギラっと光った
「あんた 話がわかるわね
 名前はフロウっていうの よろしく
 でもあたし毛皮のコートを着てんのよ
 このご時世 一人前に遊びたいなら
 リンカーン大統領だけじゃなく
 ジャクソン大統領(20ドル紙幣)も登場ねがわなくちゃ」

  グリーンバック
  グリーンバック
  ドル紙幣
  緑色のインクで印刷された
  ただの紙切れ


なんだか雲行きが怪しくなってきたけど
ジャクソン大統領も取り出した
大統領二人がポケットから居なくなっても
今晩たのしめるなら構わないと思ったサ
都会に来たからには いい出会いが欲しい
リンカーン大統領でダメでも
ジャクソン大統領ならなんとかなりそうだ

  グリーンバック
  グリーンバック
  ドル紙幣
  緑色のインクで印刷された
  ただの紙切れ


雰囲気のある店に入ったよ
食事とダンスで気持ちも高まったところで
そろそろ店を出ようと言った
するとフロウちゃんは立ち上がって
お鼻に白粉をパタパタしてこなきゃ
 ちょっと待っていてちょうだい
オイラは笑顔でまた席に腰をおろした
お化粧室へ歩いてゆく彼女

  グリーンバック
  グリーンバック
  ドル紙幣
  緑色のインクで印刷された
  ただの紙切れさ


ふと音楽が鳴り止んで照明があがった
店内を見回せば 客はオイラ一人
フロウちゃんが席を立って何分くらい経ったか
お鼻にパタパタだけにしちゃ遅すぎる
そんなわけでオイラは
目に涙をうかべながら店の外へ出た
そして 大きく手を振ったのさ
リンカーン大統領とジャクソン大統領
またお目にかかります!

  グリーンバック
  グリーンバック
  ドル紙幣
  緑色のインクで印刷されている
  ただの紙切れ



As I was walking down the street last night
A pretty little girl came into sight
I bowed and smiled and asked her name
She said, "Hold it bud, I don't play that game"
I reached in my pocket, and to her big surprise
There was Lincoln staring her dead in the eyes.
On a greenback, greenback dollar bill
Just a little piece of paper, coated with chlorophyll

She looked at me with that familiar desire
Her eyes lit up like they were on fire
She said, "My name's Flo, and you're on the right track,
But look here, daddy, I wear furs on my back,
So if you want to have fun in this man's land,
Let Lincoln and Jackson start shaking hands."
On a greenback, greenback dollar bill
Just a little piece of paper, coated with chlorophyll

I didn't know what I was getting into
But I popped Lincoln and Jackson, too
I didn't mind seeing them fade out of sight,
I just knew I'd have some fun last night
Whenever you in town and looking for a thrill
If Lincoln can't get it, Jackson sure will
On a greenback, greenback dollar bill
Just a little piece of paper, coated with chlorophyll

We went to a nightspot where the lights were low
Dined and danced, and I was ready to go
I got out of my seat, and when Flo arose,
She said, "Hold on daddy, while I powder my nose"
I sat back down with a smiling face,
While she went down to the powder place
With my greenback, greenback dollar bill
Just a little piece of paper, coated with chlorophyll

The music stopped and the lights came on,
I looked around and saw I was all alone
I didn't know how long Flo had been gone
But a nose powder sure didn't take that long
I left the place with tears in my eyes
As I waved Lincoln and Jackson a last goodbye
On a greenback, greenback dollar bill
Just a little piece of paper, coated with chlorophyll

"WHY? (THE KING OF LOVE IS DEAD)" by Nina Simone, 1968



(キング牧師暗殺の三日後におこなわれた追悼コンサートにおける演奏。1968年4月7日。)



 かつて地球というこの星で
 愛と自由を 仲間に説いて
 慎ましく生きた人がいました

 いつか世界じゅうに
 平和がおとずれる その日を夢見て
 国じゅうに言葉を届けました

 頬を打たれればもう一方の頬を差し出し
 汝の隣人を愛せよ を心に刻み
 殴られ罵しられ命を狙われても 怖じけることはなかった

 いつも聖書を傍らに
 逃げも隠れもしなかった
 偉大なあの人がもうこの世に居ないなんて

 人殺したちはいつまでのさばるのか
 人間だろうか けだものだろうか
 このような所業がいったい何を生むというのか? 

 この国は持ちこたえられるか 崩壊してしまうのか
 もはや手遅れだというならば
 マーチンルーサーキングの死は無意味だったのか?

 あの人は 山の頂きで約束の地を見た
 殺されることを悟り
 もはや休むことなど出来なかった

 さあみなさん、立ち止まってよく考えましょう
 わたしたちは瀬戸際に立たされている
 一体どうなってしまうのでしょう?
 あの人が逝ってしまった今・・・


 平等を訴えたあの人は
 わたしたち全員に教えてくれた
 愛と良心にあふれ 憎しみを煽ることは決して無かった

 非暴力を唱えたあの人が
 一体なぜ つい数日前
 撃ち殺されなければならなかったのか

 あの人は 山の頂きで約束の地を見た
 殺されることを悟り
 もはや休むことなど出来なかった

 さあみなさん、立ち止まってよく考えましょう
 わたしたちは瀬戸際に立たされている
 一体どうなってしまうのでしょう?
 愛のキングが逝ってしまった今・・・



Once upon this planet earth
Lived a man of humble birth
Preaching love and freedom for his fellow man.

He was dreaming of a day
Peace would come to earth to stay
And he spread this message all across the land.

Turn the other cheek he'd plead
Love thy neighbor was his creed
Pain humiliation death, he did not dread.

With his Bible at his side
From his foes he did not hide
It's hard to think that this great man is dead.

Will the murders never cease?
Are thy men or are they beasts?
What do they ever hope, ever hope to gain?

Will my country fall, stand or fall?
Is it too late for us all?
And did Martin Luther King just die in vain?

Because he'd seen the mountain top
And he knew he could not stop
Always living with the threat of death ahead.

Folks you'd better stop and think
Because we're heading for the brink
What will happen now that he is dead?

He was for equality
For all people you and me
Full of love and good will, hate was not his way.

He was not a violent man
Tell me folks if you can
Just why, why was he shot down the other day?

He'd seen, the mountain top
And he knew he could not stop
Always living with the threat of death ahead.

Folks you'd better stop and think (and feel again)
For we're heading for the brink
What's gonna happen now that the king of love is dead?

「極悪人のつくる素晴らしい音楽」

 

 高校生のときに読んだ本なのですが、五木寛之の小説で『青年は荒野を目指す』(1967年)というのがありました。
 青年がトランペットを片手に世界中を旅する。さまざまな体験や出会いを経て、ひとりの音楽家、ひとりの人間として成長してゆく物語です。
 この小説のなかで、主人公があるものに出くわして真剣に悩むエピソードがでてきます。それは、《ナチスの将校が描いた、ものすごく美しい絵》というものです。(うろ覚えですので詳細が違っていたらご容赦ください。)
 高校生だった当時から今にいたるまで答えは出ていませんが、僕も、いまだにしょっちゅう考えているのですが。

  極悪人であっても素晴らしい芸術を生むことはできるのか?
  (善人でなければ人を感動させることはできないのか?)
  作品が、それの持つ意味や制作背景やメッセージを超えて、「ただ美しい」ということは可能なのか?

 という問いです。

 僕の知りたいのは、「作者の人がら」「制作された文脈」「作者が意図したメッセージ」などを越えて、芸術表現の価値が存在しうるものなのか、それとも、そういった「意味」そのものが表現と考えるべきなのか。
 自分で書いていてアタマがしっちゃかめっちゃかですが。
 ・・・はっきり言いまして、僕なんかにはよく分かりません。難しいです。まあ、われながら「美」なんて云ってみても胡散臭くて仕方がありません。
 その五木寛之の本、ちかいうちに読み直してみようかなと思っています。

 今日のところは、話が長くなるんで、どうせ文才も時間もないので、スッ飛ばして僕なりの、いまのところの結論だけ書きます。
 僕は次のように考えています。

  ・音楽の能力があれば、人に快感をあたえることは可能。
  その快感と、作品が素晴らしいかどうかは、かならずしも繋がらない。
  ・なにかしら邪悪な意義をもちつつも、音楽の力で人に快感を与えるとは可能。それどころか、とても容易。
  ・もちろん、その場合、作品としては〈素晴らしくない〉ということになる。
  ・また、物理的な快感をまったく感じさせない音楽であっても、素晴らしい意義をもたせることは可能。
  ・その場合は、作品としては、〈素晴らしい作品〉となるだろう。

 しかし、こうなってくると、「じゃあ、音楽(空気の振動を利用した時間の芸術)なんて存在理由ないやん」ということになりかねない。
 しかしそれは、そんなことは無いと僕は思う。
 音楽的に優れていて、かつ素晴らしい意義を持っているものをつくるように努力すれば良いのだろうと思う。
 そうして、最終的なところでは、音楽の力というものと、作品のもつ力というものは結び付くのだろうと予想される。そう、そこにたどり着いたら良いのだ。
 たどり着ける気はしませんが、まあ理屈としてはたぶんそういうことなのでしょう。
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2017年10月21日 ダイバーシティーナイト
場所:大阪 東梅田 DO WITH CAFE


(その2から つづき)
それでは、新しい試みをやってみたいと思います。
曲をかけてもらいますから、僕が、歌に合わせて、つくってきた翻訳のスライドをめくっていきます。
うまく、
歌詞のメッセージと音楽があわさって伝わると良いんですけれども。

曲は、スライ&ファミリーストーン、1968年発表の「EVERYDAY PEOPLE」です。

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この「Everyday」は、「毎日」という意味の名詞ではなく、「毎日の」つまり「普通の」という形容詞です。
〈それぞれ違うところはあっても、みんな同じフツーの人間なんだ〉という歌なんです。
それでは行ってみましょう。
1969年2月にビルボードPOPチャート1位、R&Bチャート1位の「EVERYDAY PEOPLE」です。
音楽おねがいします。

(歌詞のスライドをめくりながら音楽を聴く。)




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Sometimes I'm right and I can be wrong
My own beliefs are in my song
The butcher, the banker, the drummer and then
Makes no difference what group I'm in
I am everyday people!

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There is a blue one who can't accept the green one
For living with a fat one, trying to be a skinny one
Different strokes for different folks
So on and so on and scooby dooby doo
Woo sha sha. . .
We got to live together!

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I am no better and neither are you
We are the same whatever we do
You love me, you hate me, you know me and then
You can't figure out the bag I'm in
I am everyday people!

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There is a long hair that doesn't like the short hair
For being such a rich one, that will not help the poor one
Different strokes for different folks
And so on and so on and scooby dooby doo
Woo sha sha. . .
We got to live together!

11_pdfsam_ダイバーシティナイト.jpg
There is a yellow one that won't accept the black one
That won't accept the red one, that won't accept the white one
Different strokes for different folks
And so on and so on and scooby dooby dooby
Woo sha sha. . .
I am everyday people!


・・・はい。いかがでしたか。
ご覧になってどうでしたか? うまくメッセージは伝わったでしょうか?

(概ね、一同うなずいていただく。)

いましがた、この歌のなかに出てきんですが、このフレーズがものすごく有名なんです。
ほんとに、あちこちで引用されていますから、覚えておいてください。
スライがオリジナルだと思います。

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「ストローク」という言葉は「振り下ろす」とか、ひとつの動作をあらわす単語だと思います。この場合は「手で撫でる」という意味もあるそうです。
〈人種や民族が違えば、やりかたも色々ちがうでしょ〉
〈褒めどころも色々ちがうでしょ〉
ということだそうです。
"Different strokes for different folks."・・・これ、ぜひ覚えておいてください。

そんなわけでですね、さきほど言ったように、「ブラックは美しい」「黒人は武装せよ」という大改革が起こっている時代。
それから、いっぽう白人の側は、「もっと自由を!」「君と僕は違うんだ」とか言っている自由の時代。
その最中にあって、
「そんなもん、当たり前やろ〜! ケンカするな〜!」
というメッセージを発しているわけです。
ものすごいインパクトがあったというわけなんですね。

・・・それでは、スライはこのへんで終わりです。
つぎに、僕の専門であるジェイムズブラウンにいきます。
でも、時間がなくなってきましたね。
ちょっと急いでいきたいと思います。


(書き起こし、ここまで。)
(作成したスライドだけ、次ページその4に掲載しておきます。)


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