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 サー・ジョー・クオーターマンは1944年ワシントンDC生まれです。ワシントンDCは「チョコレートシティ」と呼ばれるくらい黒人の割合が多いところで、黒人文化とくに音楽がさかんな場所です。なんと約50パーセントが黒人といわれています。(ホワイトハウスや連邦議会がある首都で、政治家やロビイストが生息しているところ、というイメージが強いかもしれませんが、どうやらそれは東京でいう永田町や霞ヶ関のような調子で、街の一部分ということなんでしょうか。)

 全米屈指の「黒人大学」であったハワード大学もここにあります。そして、後にチャックブラウンという英雄を生んで、ファンクの別の顔「ゴーゴー」がいまでも受け継がれている街です。


 若きジョーは1950年代のワシントンDCを、教会の合唱団やストリートで過ごしたそうです。子供のころからレイチャールズ、エルビスプレスリー、フランキーライモンなどから影響を受けて歌の才能を伸ばしました。中学生でトランペットを吹き始める前は、少年団でビューグル(軍隊ラッパ)を吹いていたそうです。高校生のとき初めての自身のバンド「The Knights」を組んだそうです。そのバンド名に応じて栄誉称号「サー」(勲爵士)というステージネームを使いだしたそうです。「この名前には深い意味は無いんだ。あの当時は、高貴なステージネームをつけて目立とうとするのが流行ってたのさ。《デューク(公爵)》とか《カウント(伯爵)》とか《ロード(卿)》などね。《サー》を選んだのは、僕の知る限りでは誰もそれを使っていなかったからさ」。

 なるほど、そういえば、古くはデュークエリントンやカウントベイシー、それからアール(伯爵)ハインズとか。B.B.キングなんかもこのジャンルに入るのかな? そういう黒人音楽の伝統があるみたいですね。しかし、それにしては時代が違いすぎるゾ。そういったもののリバイバルってことだろう。とりあえずそう理解しておこう。そういう名前を名乗るのが、ミュージシャンがストリートでキザに振る舞う一つのスタイルだったってことなんだろうナ。


 The Knightsがレコーディングを始めてまもなく、地元レーベルのオーナーであるローランドコヴェイ(ドンコヴェイの兄弟)に、女性ボーカルを加えようと言われたらしく、それが元でこのバンドは解散してしまいました。

 次に「サージョー&メイデンズ」というグループを結成。「Pen Pal」というローカルヒットをだしました。ジェリーバトラー、メイジャーランス、インプレッションズといった、ワシントンDCにやってくるソウル界のスターの前座で演奏したそうです。

 くわえて地元では人気のあった「The El Corols Band」にトランペットと歌担当で加入します。スティーヴィーワンダー、レイチャールズ、ナットキングコール、ディオンヌワーウィック、テンプテーションズ、スモーキーロビンソン、グラディスナイト&ピップス、オーティスレディングなどのスターのバックバンドを務めたそうです。このバンドは「The Magnificent Seven(荒野の七人)」というグループになり、ツアーで全国を廻っていました。リトルリチャードやソロモンバークのバックを務めたことがあるそうです。

 しかしバックのバンドメンバーに徹することに疲れたサージョーはヴァージニア州ピーターズバーグに移住します。そこでヴァージニア州立大学へ入学して、トロージャン・エクスプロージョン・マーチングバンドと学内の交響楽団に入りました。「僕の音楽教育のほとんどはピーターズバーグで得たものだよ」とジョーさん。日銭を稼ぐために、バージニアの州都リッチモンドでのたくさんの地元バンドで演奏し、週末にはチトリンサーキット(アメリカ南部の黒人ナイトクラブやライブハウスを巡業すること)をまわったそうです。

 1966年に、ジョーはワシントンDCに戻ります。The Uniquesの音楽監督の仕事の話があったり、地元のジャズグループ「Orlando Smithクインテット」に参加しました。ジャズの技術を身につけて自信がついたことにより、ついに自身の新しいグループの結成を決意します。「その頃ジェイムズブラウンは本当に大きな存在で、みんなファンクに夢中になり始めていたんだ。僕もやってみたかったんだが、ただのコピーはやりたくなかった。自分らしさを表現したかったんだ」。

 「ファンクをやる」という明確なコンセプトで1969年に結成されたその新しいバンドこそ、「サー・ジョー・クオーターマン&フリーソウル」でした。(つづく)


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 来週12月19日開催、オーサカ=モノレール主催イベントのメインアクトは、なんと、あのFUNKレジェンド、サー・ジョー・クォーターマン再来日です!

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 それでは、せっかくなので、ここでサー・ジョー・クオーターマンのことを色々と紹介してみたいと思います。
 ジョーさんと言えば、もちろんこの曲です。

"(I Got) So Much Trouble In My Mind" Sir Joe Quarterman & Free Soul


 初めて聴いたときの衝撃は忘れられません。レアグルーヴ・クラシックとして、Bobby Byrd "I Know You Got Soul" とタメをはるかんじです。1991年くらいだったかレコード屋で初めて聴きました。

 アメリカで小ヒットを果たした1973年から四半世紀も経った1980年代終わりごろ、「レアグルーヴ」として、突然イギリス・ロンドンのクラブシーンやラジオで人気がでて大カムバックを果たしたんですね。(僕はそのころ田んぼだらけの奈良県で高校生やってましたんで、そんな現場は知るはずないですが。)
 ちなみに、サージョーさん本人が、イギリスや日本でのリバイバルがあることを知ったのは1990年代後半になってからだったそうです。

 録音されたのは1972年の暮れのようです。時代は「ファンク(的なもの)」がもはやメインストリームになっていた頃と思います。スティーヴィーワンダーは「Talking Book」。JBは「There It Is」とか「Get On The Good Foot」「Doing It To Death」など。「スーパーフライ」「110番街交差点」。そして大ヒット「裏切り者のテーマ」。

 JBサウンドをひきあいに出すなら、リンコリンズの「Think」あたりの「アレンジがしっかり詰めてある完成度高い〝歌ものファンク〟」っていう雰囲気が共通の時代感を持っているように思いますがどうでしょうか。
 加えて、いわゆる「ニューソウル」的な、ハーモニーがリッチで、歌詞にベトナム戦争のことがでてきたり、というあたりがこの曲の聴きどころでしょうか。
 このポップ感とファンキー感のブレンドが、90年前後の僕たちにド真ん中に響いたんだと思います。

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 忘れがたい、ジャケットのイラストは本人によるもの。「こういうジャケットにして欲しい」とレコード会社にアイデアを伝えるために描いてみせたら、なんとそのまま使われてしまったというエピソードです。
 タイトル曲の歌詞どおりに、サー・ジョーたちの頭の中にいろんな「トラブル」がある、というイラストです。(裏ジャケの写真も「夢見る地元バンド」感があってイイですね〜。)

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 せっかくなんで、この「いろんなトラブルがあって頭がいっぱいだあ」という歌詞を書き出してみました。

  *   *   *

I got so much trouble in my mind
I got so much trouble in my mind
Give me the strength to carry on
Give me the strength to carry on
Cause everything I got is just about gone
I think about it, I think about it, and I got to shout!

トラブルだらけで頭がいっぱいなんだ
トラブルだらけで頭がいっぱいなんだ
もう耐えられない 力をお与えください
もう耐えられない 力をお与えください
すべてがダメになりそう
心配だ 心配だ ああ心配だ 叫びたいよ

I got so much trouble in my mind
I got so much trouble in my mind
I got an eight hour job
I got an eight hour job
Everyday my work gets so hard
I worry about it, I worry about it, and I got to shout!

トラブルだらけで頭がいっぱいなんだ
トラブルだらけで頭がいっぱいなんだ
いまの仕事は一日八時間なんだ
いまの仕事は一日八時間なんだ
それが毎日どんどんキツくなっていく
気が滅入る 気が滅入る ああ気が滅入る 叫びたいよ

Look here, there is:
Air pollution, much confusion, drug addiction, no convictions,
vietnam war, junkies at your door

聞いてくれよ 問題だらけさ
大気汚染 社会混乱 麻薬中毒 社会不安
ベトナム戦争 ジャンキーの強盗

I got so much trouble in my mind
I got so much trouble in my mind
Marriage I thought I never bother
Marriage I thought I never bother
Now my girl tells me I am a father
I dream about it, I dream about it, and I got to shout!

トラブルだらけで頭がいっぱいなんだ
トラブルだらけで頭がいっぱいなんだ
結婚なんて一生ないと思ってた
結婚なんて一生ないと思ってた
なのにガールフレンドが「あなたの子供がお腹に」だって
楽しみだ 楽しみだ ああ本当に楽しみだ 叫びたいよ

  *   *   *

 なんだか、説得力のある不思議な歌です。
 最後に、この曲は当時ヒットだったのか、そうでないのか?

 後述しますけれど、シングルとしてはビルボードR&Bチャート30位を記録しています。 「スーパーヒット」とはいいがたいですが、FUNKの聖地の一つであるワシントンD.C.で、地元の人気バンドがここまで駆け上ったということで相当盛り上がっていたのでしょうね。そのヒットを受けてアルバムがつくられたんですね。
 しかしアルバムのほうは(内容は傑作といえるものですが)セールスは芳しくなかったのです。

 レコード会社であるGSFも宣伝費をかけてプロモーションする気はなかったのです。なにせジャケットデザインを、本人の落書きで済ましてしまう(本人の承諾もなく)くらいですからねえ。

 そんなわけで、来週12/19のサー・ジョー・クオーターマン初来日をお楽しみに!
 これから、合計4回ほど(?)にわたり、サー・ジョーのお話をしていきたいと思います。

(↓もしかして世界初公開かも、、、? これが、Sir Joe Quarterman & Free Soulのライブ写真だ! おーッ!)

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 今回は、皆さんご存知の基本情報でした。
 次回からは、もうすこし突っ込んだストーリーを探ってみたいと思います。
 サー・ジョーの地元であるワシントンD.C.のことや、アルバム全体のこと、サー・ジョーさんの物語(60年代、70年代後半や80年代)、などなど、盛りだくさんで「予習」をしてまいりたいと思います。

 よろしくおねがいします。

(その2につづく)

"PEOPLE GET READY" by The Impressions, 1965



みなさまご準備ください
列車がまいります
荷物は要りませんので
ご乗車ください

信仰をお持ちの方だけに
ディーゼルエンジンの音がきこえます
切符も必要ありません
神に感謝するだけで良いのです

みなさまご準備ください
終着駅はヨルダンでございます
大陸を横断して
停車駅でみなさまを拾って参ります

信仰がカギとなっております
ゲートを開けてご乗車ください
神から愛されている人すべてに
希望をご用意してございます

のぞみがない罪人には
座席はございません
例えば自分のためならば
人を傷つけるような方

席が見つけられない方は
誠にお気の毒でございます
かの王国に到着しましても
隠れ場所はございません

みなさまご準備ください
列車がまいります
荷物は要りませんから
ご乗車ください

信仰をお持ちの方だけに
ディーゼルエンジンの音がきこえます
切符も必要ありません
神に感謝するだけで良いのです



People get ready
There's a train a-coming
You don't need no baggage
You just get on board.
All you need is faith
To hear the diesels humming
Don't need no ticket
You just thank the Lord.

People, get ready
For the train to Jordan
Picking up passengers
Coast to coast.
Faith is the key
Open the doors and board them
There's hope for all
Amongst the loved the most.

There ain't no room
For the hopeless sinner
Who would hurt all mankind
Just to save his own.
Have pity on those
Whose chances grow thinner
'Cause there's no hiding place
Against the kingdom's throne.

So people get ready
For the train a-comin'
You don't need no baggage
You just get on board.
All you need is faith
To hear the diesels humming
Don't need no ticket
You just thank the Lord.




インプレッションズの初来日(そして最後の来日)を記念して、
公民権運動讃歌である1967年のこの名曲を紹介します。

"WE'RE A WINNER" by The Impressions, 1967




私たちは勝者の民。
"黒ん坊、お前には無理だ" なんて
絶対に誰にも言わせてはいけない
そんな言葉が
私たちの能力を紡いできた

もう泣くことはない
溜めこんでいた涙はついに拭き取られた

 上へ進んでいくんだ
(上へ進んでいくんだ)
 おお神よ力を
 上へ進んでいくんだ
(上へ進んでいくんだ)

ここに居るのは目覚めし者
あの黒い土から学んできた

私たちは勝者の民。
誰しも知っている
そしてこれからも闘いつづけるのです
指導者たちもそう説いている

ついに祝福の日は来た
ここに居る者全員でよろこびましょう

 上へ進んでいくんだ
(上へ進んでいくんだ)
 おお神よ力を
 上へ進んでいくんだ
(上へ進んでいくんだ)

 [間奏]

 上へ進んでいくんだ
(上へ進んでいくんだ)
 おお神よ力を
 上へ進んでいくんだ
(上へ進んでいくんだ)

何事も恐れないと示すためなら
この世の命など惜しくはない

私たちは勝者の民。
誰しも知っている
そしてこれからも闘いつづけるのです
指導者たちもそう説いている

ついに祝福の日は来た
ここに居る者全員でよろこびましょう

 上へ進んでいくんだ
(上へ進んでいくんだ)
 おお神よ力を
 上へ進んでいくんだ
(上へ進んでいくんだ)

 これからも闘いつづけるのです
 私たちは勝者の民
 さあみんな
 上へ進んでいきましょう



We're a winner.
And never let anybody say,
"Boy, you can't make it."
Because a feeble mind is in your way.
No more tears do we cry
And we have finally dried our eyes.

 We're moving on up
(We're moving on up)
 Lord have mercy
 We're moving on up
(We're moving on up)

We're living proof in alls alert
That we're true from the good black dirt.
And we're a winner.
And everybody knows it too
We'll just keep on pushin'
Like your leaders tell you to.

At last that blessed day has come
I don't care where you come from.

 We're moving on up
(We're moving on up)
 Lord have mercy
 We're moving on up
(We're moving on up)

I don't mind leaving here
To show the world we have no fear
Because we're a winner.
And everybody knows it too
We'll just keep on pushin'
Like your leaders tell you to.

At last that blessed day has come
I don't care where you come from.

 We're moving on up
(We're moving on up)
 Lord have mercy
 We're moving on up
(We're moving on up)

We'll just keep on pushin'
We're a winner.



 ギルスコットヘロンの論じている革命は「黒人革命」(すくなくとも狭い意味では)でしょう。ときは、1970年。歴史的には、進歩的であった「公民権運運動」が勢いを落としてしまい、そのあと1960年代後半の急進的な「ブラックパワー運動」が手詰まりとなった直後です。こういった運動の全体が、見直しを迫られていた時期といっていいでしょう。その文脈としては、武装闘争、つまり警察や軍隊を相手にドンパチするようなものではないということです。
 ここでは、「武器をとれ」とか「組織をつくれ」とか、そういったことは一切いっていません。「ブラックパンサーを支持しろ」とか「ストークリーカーマイケルを応援しろ」も言っていません。「キューバ革命を見習え」とか「フランス革命を見習え」というような、革命の最終的な段階のことは言っていません。

 ギルが伝えていることは、〈革命というのは段階的なものである〉ということなのです。彼はその最初の段階だけを描いています。明確に理解されているのが最初の段階だけだからです。最初の段階とは、一人ひとりが目を覚ますことです。目を覚ました者は、テレビのスイッチを消す。テレビのブラウン管(いまならば液晶画面だけれども)の向こうにあるものは、企業や政府などのアンチ革命的な者たちがつくりあげるイメージの世界だから。そのイメージによる束縛から自由になり、現実の自分、現実の社会に目をむけるということ。広告の魔の手から逃れて本当の自分と向き合うということ。それをしなければ、自分より強くて大きいものである企業や政府に簡単に釣り出されてしまい、自分たち(自分や仲間)の暮らしを良くすることはできない。人間ひとりひとりの尊厳は、いつまでたっても勝ち取ることができない。

 革命の次の段階は何でしょう。テレビを消したあとは、どうするのでしょうか。それは第六段落とつぎの最終段落で語られています。僕たちは、テレビを消したあと、外にでなければいけないのです。何のために? 仲間に「みんな、テレビのスイッチを消すんだ! そして外に出よう!」と伝えるために。本当に大切なことを仲間と共有するために。目のまえでなければ、本当に大切なことは共有できないのです(第二段落)。

 革命とは、劇的な武装闘争である必要はまったくありません。かならずしも、即座に憲法や国家体制が一変するようなものである必要もないのです。なぜなら、革命は段階的なものだからです。言うまでもなく、革命のもっとも身近な成功例は、公民権運動(およそ1955-1965)であったでしょう。それは、バスのボイコット、ワシントン大行進、セルマ行進などの、非暴力主義を掲げた行進・ボイコット・座り込みなどでした。
 チリのアジェンデ社会主義政権の誕生は1970年の暮れですから、この歌と直接的なつながりは薄いのかもしれません。けれども、むしろ「同時性」のことは考える必要があると思われます。また、いわゆる「アメリカ性革命」(女性解放運動、性表現の自由化、LGBTの権利運動)も、革命の一端というでしょう。
 八十年代には、おとなり韓国での全斗煥大統領に対する民主化運動、中国での天安門闘争がありました。記憶にあたらしいものは、エジプトのムバラク大統領政権を崩壊させた革命(2011年)がありましたが、残念ながらそのあとふたたび軍事政権になっているようです。2017年に韓国でおきた朴槿恵大統領にたいする大規模な弾劾要求デモは記憶にあたらしいところです。
 これらの革命はすべて、デモ・集会をひらくこと、によっておこっているのです。それ以外に方法論は無いのです。だから、ギルは必然的に外に出なければならないと言っているのです。

 ギルは革命の初期のプロセスのみを描いています。目覚めて外へ出ることです。そのあとどうなるのでしょうか。この詩では、「目が覚めれば、広告や麻薬や酒などが自分の敵であるとはっきり認識できる。そして目覚めを共有するために家の外へ出る。そこまでは分かる。それ以上のところはまだ分からない」と言っているように僕には思えます。
 そうです、そんなことは分からなくたって、よいのです。ギルも私たちも、いち市民であって、運動家でも政治家でもないし、ましてや占い師ではないのです。とにかく半世紀前のギルは僕たちに警告を発してくれています。「分かるところまで」を僕たちに教えてくれています。僕たちは「分かるところまで」の知識を共有していかなくてはいけないのです。
 もちろん僕も、そのつづきはハッキリとは分かりません。ただ、きっと、目覚めて外に出たあとは、そこに居合わせる人たちどうしで連鎖反応的に目覚めを加速させるべきだと思います。だから、そのような集会をひらくのがもっとも良いと思うのです。
 つまり、みんなに知らせるために外にでる。外にでたみんなで集会をおこなう。集会の目的はみんなに知らせることである。知らされた人たちは、おなじく外にでる。みんなに知らせるために。  いずれにせよ、革命とは外に出ることなのです。

(最終段落)
The revolution will not be televised, will not be televised, will not be televised, will not be televised. The revolution will be no re-run, brothers. The revolution will be live.

革命はテレビ中継されない。革命はテレビ放送されない。もちろん再放送もできない。なあ兄弟よ、革命が起きるときはーーー目の前で起きるのだ。

 革命が起きるとき、それはライヴ(目の前)で起こる。ブラウン管やスマホによって目覚めが訪れるのではないのです。テレビ放送局やインターネット企業はすべて広告に乗っ取られているからです。
 目覚めとは、「本当に有るものを見られるようになる。」ということです。寝ぼけている者は、無いものを見ています。無いものを見ている人は有るものを正しく見ることができません。本当に存在しているものだけを見れば、自分は誰か、自分の仲間が誰か、がわかります。その暮らしを本当に良くするために何が必要か、おのずから答えがでてきます。それが革命です。
 目覚めのあと、僕たちは何人かで(または何万人かで)道のうえにいるのです。
 革命は、段階的なものです。目覚めも、集会も、運動も、それぞれに段階的なものだと思われます。先に述べたようなことで、どのレベルでも発生するし、それを革命と呼ぶと僕は思います。


(おわり)


(第八段落)
The revolution will not be right back after a message about a white tornado, white lightning, or white people. You will not have to worry about a dove in your bedroom, a tiger in your tank, or the giant in your toilet bowl. The revolution will not go better with Coke. The revolution will not fight the germs that may cause bad breath. But the revolution will put you in the driver's seat.

革命は「この続きはCMの後!」などと言わない。革命は、白くなる洗剤のCMだの、白い歯になれる歯磨き粉のCMだの、白い人達が登場するCMだの、の後でも放送されない。鳩マークの制汗クリームだの、トラのように力強く走れるガソリンだの、トイレの汚れを落としてくれる「便器の巨人」だの、そんなものは革命とは何の関係もない。
それからな、革命は甘味飲料じゃねえぞ? 革命で「スカッと爽やか」にならない。革命は口内殺菌剤じゃねえぞ? 革命で「お口クチュクチュ」できない。ところで、革命はレンタカーみたいなもんだぞ? 革命は「ハンドルを握るのはアナタです!」

(第八段落の解説)
 まず、テレビ広告の特徴として〈三つの白いもの〉を挙げています。洗剤と歯磨きと、それから「白人」です。
 現代のアメリカの常識と照らし合わせるならば違和感があるでしょう。現代アメリカにおいては、かつての「白人対黒人」という単純な対決図式から大いに進歩をしました。以前として人種問題は横たわっていますが、その問題の本質は「格差」や「偏見」であって「肌の色」ではないからです。とくにスペイン語系の移民が大量に押し寄せて、問題はもっと大きく複雑になりました。「白人」を非難するようなこの物言いは少し時代遅れと言うべきでしょう。
 つぎに、白色のつぎは、動物などのマスコットをつかった広告の糾弾です。「ベッドルームの鳩」というのは、鳩マークでお馴染みの「Dove」の制汗クリームのことです。「ガソリンタンクのトラ」というのは、当時のエッソの宣伝を指しています。「便器のなかの巨人」というのはトイレ洗浄剤の宣伝のことですが、さらに、便器というのは英語で「ボウル」といいますから、これがニューヨーク(ひいてはアメリカ合衆国全土)のことを指していて、「ボウルは、そんな簡単に洗浄できない」とギルは暗示しているのだとも考えられています。

 つづいて、炭酸飲料水のブランド(コカコーラ)と、口腔消毒剤ブランド(リステリン)をあげます。
 そしてその次が、この長い広告批判のポエトリーの最後となります。作者はここで少しヒネりを効かせています。最後は「じゃない」ではなく「である」で締めくくります。レンタカー会社のキャッチコピーだけは、なかなか良いと言っているのです。
 革命とは、人民ひとりひとりが自分の力で行うもの。誰かにやってもらうものではない。人々が、いまある問題を、自分に直接的に関わる問題であることをしっかり認識して、自分の力で解決するために、自らすすんで家から外に出るのが革命である。ギルが言いたいことはそれです。このあとの最終段落も、そのことを言い換えているだけでしょう。

 
 ようやく終わりに近づいてきたようです。まとめます。
 「テレビで革命が家に届けられることはない」ことの理由は二つ。一つ目は、「革命は映像化できないから。」 二つ目は、「テレビは広告だから。」
 テレビは広告です。広告に娯楽がくっついているのです。娯楽に広告がくっついているのではありません。広告の商品を買ってもらうためにテレビ放送が存在しているのです。私たちを楽しませるためにテレビ放送が行われているのではありません。何をどうしたって、そのテレビが革命を後押しするはずは無い。
 本来は、映像を遠隔伝達するという「テレビ技術」そのものは反革命ではなかったはずです。しかし、いくら優れた科学技術であっても、いったん広告に乗っ取られたあとはもはや逆戻りできません。テレビと革命は、互いに相容れないもの、水と油、の関係です。否、互いに敵対して立ちはだかり、一方が消滅するまで拮抗する関係にあると言うべきでしょう。

 それでは、いま、僕たちが対峙しているインターネット技術はどうでしょうか。フェイスブックは? Youtubeは? ツイッターやインスタグラムは? これらは革命的になりうるでしょうか。僕たちの家庭のパソコンやスマートフォン端末を通じて、「革命」は届けられるでしょうか。僕たちはこれらの道具を使いこなして世界に革命を起こすことができるでしょうか。
 世界に冠たる巨大企業となったGoogle社やフェイスブック社。彼らの立脚点は何でしょうか。彼らはどうやって収益をあげているのでしょうか。彼らが提供する情報技術やSNSのインフラは、革命的でありうるでしょうか、それとも反革命的でしょうか。
 誠に残念ながら、答えはもちろん「反革命的である」です。その理由は、「彼らは広告だから」です。簡単なことです。わざと難しくして分かりにくくしているのは向こう側の作戦です。

 さあやっと最後まで来ました。大事なことが一つ残っています。「革命とは何か?」です。
 そしてその革命は、ここ日本に住む僕たちと関係があるのか、ないのか。どのように関係があるのか。

 しつこいようですが、「革命は映像化できない」のです。そういうことであれば、文章にすることだって出来ないでしょう。ギルはインタビューで繰り返しこう言っています。
 「革命とはーーー少なくともその第一段階においてはーーーまず人間のアタマの中で起こるもので、それは決してフィルムにおさめることが出来ない。目の前にあるものは、かわりばえのない、普段から目にしているもの。そこで革命が起きる。ふと突然に、《あれ、いままでオレはちがうページを開いてたぞ》となる。」
 要するに、革命とは〈目覚める〉ということです。しかし、「目覚めよ!」などと言ったって、「はい、目覚めていますが、一体なんのことでしょう?」という返事がかえってくるでしょう。
 映像にも文字にもすることが出来ません。すなわち媒体で伝達できない。もちろん複写もできない。もし簡単に伝達することができるのなら、とっくの昔にあらゆる国で革命が起きて、世界の人々はとうに解放されているのでしょう。
 そんなわけで、ここで革命とは何かを書いてみたところで、その言葉の意味はスルスルと流れ落ちてゆくのかもしれない。・・・まあそれでも、ちゃんと書いておこうと思います。本当のところは、「目覚めとは何か?」それは短くたった一言で答えられるようなことなのだと思いますが。



(第四段落)
There will be no pictures of you and Willie Mae pushing that shopping cart down the block on the dead run. Or trying to slide that color TV into a stolen ambulance. NBC will not be able predict the winner at 8:32 on reports from 29 districts. The revolution will not be televised.

アンタは大勢にまじって買い物カートを押して一目散に走るカッパラってきたテレビを一生懸命に車へ運び込む・・・革命とはそんなものではない。大統領選挙の日、早くも午後8時32分、NBCテレビはニューヨーク州選挙区から当選確実の報道をだす・・・そんなことはできるはずがない。革命がテレビで放送されるはずがないのだ。

(第四段落の解説)
 この段落の一行目は、「ワッツ暴動」(1965年、ロサンゼルス市)のような黒人地区の暴動の風景を描いているのだと思います。1960年代後半は、ワッツ暴動を皮切りとして夏がくるたびに暴動が頻発していました。黒人地区に火があがり、商店街のお店から物が盗まれていく様子です。
 「買い物カート」は貧しい者の象徴です。貧しい層は車を持っていないのでショッピングカートを押してそのまま家に帰るからです。または、ホームレスの人々がカートに物を乗せて生活するからです。
 「暴動がおこって略奪をするキミの顔はテレビで報道されない」とギルは言っているようですが、レトリックではなくそのまま受け止めて良いのでしょうか。もしそうなら、「キミは暴動を起こす側のはずだろ、暴動をテレビで眺める側じゃないだろ、ましてや鎮圧する側の人間じゃないだろ」というメッセージに聞こえます。
 では、暴動は革命(レボリューション)でしょうか? 暴動は革命的(レボリューショナリー)でしょうか? 暴動が起これば、一歩でも革命に近づいているだろうか?
 テレビが暴動のニュースを伝えることはあるだろう。しかしそれは革命となにか関係があるだろうか?・・・と暗に問いかけています。暴動と革命は似て非なるもの、というのがギルの答えなのでしょうか。そこは明言されていません。しかし、暴動の様子をニュースで報道したってテレビは革命の引き金にならない、ということだけは明快に分かっていることです。
 (なお、Willie Maeという名前が意味するところが、いろいろ調べたのですが分かりません。有名な野球選手ウイリーメイズのことではないと思われます。お分かりのかた教えてください。)

 それにつづいて、選挙について言及されます。大統領選挙のことでしょう。NBCはニューヨークに本社のある主要全国テレビ局です。投票所は夜八時に閉まるのにその三十分後にはテレビ局が一方の大統領の当選確実を宣言するなんてオカシイだろ。テレビなんてそんな馬鹿げたものだと言っているわけです。
 アメリカは全国で四つの時間帯を採用していますから、ニューヨークで八時半であれば、西海岸ではまだ夕方の五時半です。アラスカにいたってはまだ四時半です。これでは正常な選挙はできません。
 テレビというものは民主主義を妨害するものであると言っています。

 第四段落は、ジャーナリズム批判ということになるでしょうか。


(第五段落)
There will be no pictures of pigs shooting down brothers in the instant replay. There will be no pictures of Whitney Young being run out of Harlem on a rail with brand new process. There will be no slow motion or still life of Roy Wilkens strolling through Watts in a Red, Black and Green liberation jumpsuit that he had been saving for just the proper occasion. The revolution will not be televised.

黒人がポリ公に撃ち殺される映像がリプレイ・・・されるはずないだろ。ホイットニーヤングが 流行のストレートパーマをあててハーレムで市中引き回しになる映像が・・・放送されるはずないだろ。ロイウィルキンズが ついにアフリカ回帰運動を唱えて三色のジャンプスーツを着てワッツ地区を練り歩くところをスローモーションまたは静止画像で・・・放送されるわけないだろ。革命とはテレビで放送されないのだ。

(第五段落の解説)
 黒人に対する警官による暴力の問題。黒人街にたむろする人々を乱暴に尋問したり、いわれなく逮捕されたりする。最悪のケースは黒人男性が白人警官に路上で射殺されたり、逮捕後に不明な死をとげる。これは現代にまで連綿とつづいています。1960年代にはブラックパンサーが「警察から身をまもるために武装しなくてはならない」と主張しました。1991年にはロドニーキング事件、翌年にはロサンゼルス大暴動が発生しました。
 近年では、2014年に起こったマイケルブラウン君が射殺された事件、エリックガーナー窒息死、2015年のウォルタースコット事件、フレディーグレイ死亡事件、サンドラブランド死亡事件、そして2016年のフィランドキャスティール事件などです。これらの事件で罪を問われた警官はみな無罪となっています。
 また、2012年のトレイボンマーティン殺害事件は、白人至上主義者が待ち伏せして17歳の黒人青年を射殺した事件ですが犯人が無罪となったことで「Black Lives Matter運動」のきっかけとなりました。
 「Instant replay」は、スポーツ中継でよくある「いまのシーンをスローモーションでもう一度」みたいなやつでしょう。当時としては最先端の映像技術だったのでしょう。だから、「もし黒人男性が警官に射殺されるところがテレビで放送されるなら、スポーツ中継みたいにリプレイやってくれるかもね」という辛辣な皮肉を言っているわけです。
 これは、2018年に日本に住む僕たちも、本当に笑っていられることではありません。僕が子供のころには、「テレビニュース」というのがあったと記憶しています。いまは、ほんのわずかな枠を除いてそんなものは無くなってしまったようです。すべて「ワイドショー」と呼ばれるものに取って替わられました。
 つまり、ニュース報道というものは広告とそりが合わないのです。だから広告媒体であるテレビにうまく適合させるために、スポーツも娯楽芸能も政治社会ニュースもすべてひっくるめたワイドショーになってしまったのでしょう。その意味で、ここでギルが指摘していることーーー「テレビ局は、黒人が警官に殺されるところをスローモーション再生してショーにしちゃったらいいじゃん」ーーーは、あまりにも核心に迫っていると言えるのではないでしょうか。

 現代にはテレビやインターネット、そしてスマートフォンの登場。不条理に人々が警察に撃ち殺される映像が見ることはいとも簡単に見られるようになりました。では、それで一体なにかが変わったのか、または変わっていないのか、進歩したのか後退したのか? 革命に近づいたのか遠のいたのか? そもそも革命とは何なのか・・・

 ホイットニーヤング(1921-1971)は、黒人の雇用問題にとりくむ団体「全国都市同盟」の事務局長を務め、公民権運動のリーダーの一人として活躍した人物です。現実的な功績をおさめた反面、妥協することも多かったので、迎合的・体制寄りであるとされて、黒人のあいだでは批判の的となってきた人物です。
 「プロセス」というのは、黒人のあてるストレートパーマのことです。1970年ごろは、アフロヘア(ナチュラルヘア)が大流行した時期でしたから、ここでは体制寄りであることの象徴として言われています。前述の「ニクソンがラッパを吹く映像」という話と同じ理屈です。革命は映像化できないということを言っています。
 つづいて、ロイウィルキンズ(1901-1981)も著名な黒人活動家です。60年代にNAACP(全米黒人地位向上協会)の事務局長を務めました。ここでは批判の対象として登場しています。つまり、「ブラックパワー」運動が大きくなっていた1960年代後半〜1970年にあっては、武装主義や「いかなる手段をとろうとも」という主張が有力となっていて、50年代〜60年代前半にキング牧師たちと公民権運動を闘った世代は「および腰」として批判されていたのです。
 ここで、赤黒緑の「三色」というのは、マーカスガーベイ(1887-1940)らが唱えた黒人民族運動、パンアフリカ運動をあらわす三色国旗のことです。ここでは、六〇年代前半の公民権運動家が、より革命的であると考えられている六〇年代後半のブラックパワー運動に同調しないことを批判しているのでしょう。

 くどいようですが、この詩はこのように訴えます。《・・・テレビで革命を起こすことは出来ない。本当に革命が起きるということは、私たち黒人全体の意識が目覚めるということだからだ。テレビで人々の意識が目覚めることはない。ところが、君は家でテレビを観ている。僕は君に問う。君は一体どのような映像を待っているんだ? ニクソン大統領が黒人の子供から豚肉をとりあげる映像だろうか? ホイットニーヤングがプロセスパーマをあてた映像だろうか? ロイウィルキンズが三色スーツを着た映像だろうか? もちろん、そんな映像は無いし、仮にそんな映像が放映されたところで君の意識が目覚めることは無いだろう。つまり、革命の思考は映像化できないのだ。》


(第六段落)
"Green Acres", "The Beverly Hillbillies" and "Hooterville Junction" will no longer be so goddamned relevant. And women will not care if Dick finally screwed Jane on "Search for Tomorrow" because Black people will be in the street looking for a brighter day. The revolution will not be televised.

『農業天国』だの、『じゃじゃ馬億万長者』だの、『ペチコート作戦』だの、そんなコメディドラマを見る必要なんてどこにあるんだ? ソープオペラ『明日を探して』の二人は「結局ヤッちゃうのかな?」なんて気にとめる主婦なんて居るのか? すべての黒人は明るい未来を求めて家から外に出るのだ。なぜなら、革命がテレビで家まで届けられることは無いからだ。

 ここで三つのシットコムが登場します。「シットコム」というのは「シチュエーションコメディ」の略ですが、日本ではあまり馴染みがありません。日本でもっとも有名なのは『奥様は魔女』でしょうか。画面には映らない観客が居て、笑い声だけが聞こえてきます。こういうのを「録音笑い」というそうです。撮影セットはわざと舞台風になっていて壁の四方にあるうち一方だけがカメラに向けて開放されています。
 アメリカではとても普及しているもので、夜の娯楽といえばシットコムかトークショーです。両方とも観客を入れて行われるところが興味深いですね。
 日本だと、録音笑いといえば、『ドリフの大爆笑』を思い出します。それから、80年代終わりの『やっぱり猫が好き』もシットコムの実験的なものですかね。そういえば、日本では90年代以後でしょうか、制作スタッフの笑い声をわざと拾うという方法が編み出されているようです。

 いずれにせよ、コメディーを観ていても革命は起きないぞ、と言っています。そりゃそうだ。
 ここで挙げられている三つのシットコムはいずれも60年代当時、日本でも放送されていて、とても人気があったそうです。"Green Acres"の日本放送用のタイトルは『農業天国』で、"The Beverly Hillbillies"のほうは『じゃじゃ馬億万長者』でした。前者のほうは、大都会ニューヨークから田舎農場に移り住む夫婦のお話。後者は、田舎農場の金持ちがビバリーヒルズにやってきて引き起こす珍騒動ドラマ。三つ目の"Hooterville Junction"は、本来は "Petticoat Junction"(日本放送用タイトル『ペチコート作戦』)と思われます。
 大昔のコメディのことを詳しく掘り下げる必要は無いかもしれません。ようするにギルはここで、「オレたち黒人が、農業を営む白人家庭を舞台にしたコメディ番組を観るバカがあるか」と言っているのです。
 これは僕の推測ですが、資本主義の一端(いや本質というべきか)として、田舎から出てきた労働者が掠め取られることによって都市が繁栄しつづけるということについて暗に言及しているのかもしれません。

 シットコムの次はソープオペラです。ソープオペラとは、主婦向けに昼の時間帯に放送される、多くは洗剤会社がスポンサーとなる恋愛ドラマです。この『明日を探して』というのは超がつく長寿ドラマで、なんと1951年から1986年までの35年もつづいたそうです。(もちろん僕は観たことはありません。このブログを書くためにYoutubeですこし観ましたが。)
 あまりにタイトルがハマりすぎて笑いを誘います。


(第七段落)
There will be no highlights on the eleven o'clock news and no pictures of hairy armed women liberationists and Jackie Onassis blowing her nose. The theme song will not be written by Jim Webb or Francis Scott Keys, nor sung by Glen Campbell, Tom Jones, Johnny Cash or Englebert Humperdink. The revolution will not be televised.

革命が起きれば 夜11時のニュースで流れると思うか? アンタの革命は「ウーマンリブの女性は脇毛を剃りません」てか? アンタの革命は「ジャッキーオナシスが人前で鼻をかみました」てか? それからなあ、革命ってのはBGMもついてないんだぜ? ジムウェブだの、フランシススコットキーズだのによるオープニング音楽も無いし、グレンキャンベルだの、トムジョーンズだの、ジョニーキャッシュだの、イングルバートハンパーディンクだのが唄う主題歌も無いんだぜ? 革命というのはテレビで放送されないのだ。

 この段落は、僕はうまく翻訳できずにモヤモヤしています。でも意味はとてもシンプルなはずです。《革命は夜11時のニュースでもやってないぜ》と言っているだけです。ウーマンリブの女性は脇毛をのばしているとか、ジャッキーオナシス(暗殺されたケネディ大統領の未亡人)、つまりオナラもしないようなセレブ面をした特権階級が鼻をかんだという程度の「衝撃映像」ならテレビでやってるだろうけどなーーーと言っているだけです。
 「衝撃映像」と「革命映像」をごっちゃにするなと言っています。
 革命は映像化できないのです。そしてギルは、「革命はニュースにもならない」と言っています。すこしばかり耳を疑います。えっ、革命はニュースにもならないの?・・・これは重要な気がします。どうなのでしょうか。

 つづいて、「音楽もついてねえぞ」と言っています。言われてみれば、これも重要です。(・・・そうか、音楽もついてないのか!)
 僕は、革命って、なんだかカッコいい音楽がついてるものだと先入観を持っていました。でも、確かに音楽はついていないかも。逆もまた真なり。音楽がついているものは本当のレボリューションじゃない。音楽をかけるのがダメといっているのではない。音楽なんて意味が無くなるほどの瞬間が訪れるのだと考えればいいかもしれない。





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