一(いち)の発見

題名に惹かれて、じつに興味ぶかい本をよみました。

吉田洋一という数学者によって書かれた本。

数学の歴史などについて、ふつうの人がたのしめるように書かれたもの。

初版は戦前だが、いまだに人気のある、とても有名な本だとききました。

「零の発見:数学の生い立ち」という読み物です。


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古代のひとびとが数(かず)をあつかうようになり、一やニや三は知っていても、零(れい)すなわちゼロは知らなかったといいます。

ゼロの概念はインドの商人がつくったそうです。

厳密にいうと、それまでゼロをあらわす文字がなかった。


誰もゼロって書くことができない・・・どんなかんじだろう。

「無」というのは意識できたのだろうけど、ゼロというものが数字の一つとして考えられていなかった、ということだろう。

僕なりに解釈してみると、きっと、

 2 ー 2 = ?

と尋ねられると、当時の答えとしては「そんなの、わかりきってるじゃん、なくなっちゃうんだよ、なにをばかな質問してるんだよ」ということになったのであろう。

大真面目な顔をして、

「こたえは、ゼロです」

なんて言わなかったんだろう。

それも分かる気もしなくもないけど。


それが、何世紀のころか知らないけど、インドのひとが、「1や2や3ばかりじゃなくて、〈無〉をあらわす数字もつくったほうが便利だよ」と言い出したと。

それは何年もかけた大革命だったのだろう。

いうまでもなく、そのあとさらにマイナスの概念が発見される。それはもっともっと後の話。マイナスの発見も、大革命だったにちがいない。


そういえば、高校で「虚数」というものを習った。

たしか、「二乗したらマイナスになる」という存在しない数のこと。

存在しないのだが、いちおう存在すると自分自身をだましてみることで、わからなかったことがわかる、新しい世界が見えて来るという。


古代の人はゼロを知らなかった、と聞くとやはり古代のひとびとは数学的に未開だったのだなあ、なんて思うが、人のことを嗤っていられない気もする。

日本人は本当にゼロやマイナスを理解しているのか、心もとない。

というのは、やっぱり、あの、エレベーターの話があるから。


日本で「一階」というのは、諸外国のエレベーターでは「0」というボタンを押します。

日本でいう「二階」というのは、英語では「The first floor」と呼びます。エレベーターのボタンでは「1」になる。


だから、ホテルに宿泊するときには、大きなホテルは困らないのですが、小さなホテルだと頭がこんがらがる。

エレベーターのない小さな宿の場合、レセプションの人から「あなたの部屋は15です。一階にありますから、そこの階段をあがってください」と不気味な指示をもらう。

そのあと、うちのバンドメンバーとの会話で、

「中田さんの部屋はどこですか」

「オレは二階だよ」

「それって、ようするに一階っていう意味ですか」

などという意味のわからない会話をするはめになる。


これは西洋と東洋で、階(かい)がひとつずれている、という単純な話ではありません。

地上階(The ground level)のことを「一階」と呼ぶのか「零階」とかんがえるのか、の違い。

地下一階が、マイナス1なのであれば、日本で云う「一階」は、「零階」とよばなければつじつまが合わないことになる。

もしかしたらどこかの外国からのお客さんが、日本のエレベーターに乗ったら、

「ああ、日本のひとはゼロの概念が希薄なんですね」

などと言われちゃうかもしれない。


僕がその本『零の発見』をなぜ手にとったかというと、ファンクをかんがえる手がかりになるんじゃないかと思ったからです。

ご存知のように、ジェイムズ・ブラウンは「The one」なるものを発明/発見した、と云われています。

ファンクというものに魅せられたひとたちは口をそろえて「The oneだよ! すごいよ! 大発明だよ!」と嬉しそうに言う。


「1、2、3、4、ときて、ふたたびあの1がくるんだ。すごい!」

とあたりまえのことを言う。さらには、

「1、2、3、4、の四つのそれぞれも、やはりおなじ1なんだよね、すごい!」

とか、

「2と4が大事だと思ってたら、じつは音楽は1と3から始まってるんだ、すごい!」

とあたりまえのことをさも大発見のように言う。

つまり、さっきの零(ゼロ)のはなしとおなじで、その概念を知る人は「これがなくちゃやってられない」となるのだけど、まだくっきりと概念がみえていない段階の人は「なにをあたりまえのことを言ってるのだ?」となる。


「The one」をよく知るひとは皆、その話をしだすといきなり「イエーイ! The one!」とか、うれしそうなスイッチがはいって、宇宙と交信するような感覚となる。

ようするに、The oneというのは、神みたいなもん、それにちょっと似た存在なのだろう。


存在。

それが、そこにあるということ。

音楽における音符(ノート)というものは、たらたらと奏でられては時間とともに消え、川の水ように流れてどこかへ去ってゆく、そんな感覚があるけれど、それを打ち破るような概念。

一つ一つの音符が、リズムが、楽器の音が、なにかたしかな存在であるという感覚。がっしりしたもので形成されていて、何かによってしっかりと支えられているという感覚。

その支配的な物体(The one)の存在のなかにもまた、果てしない世界がひろがっているような。

いわば果てしない時間をつくるビッグバンのような。

それがThe oneというもの・・・なのかな。


まあどこまでいっても意味不明なはなしではあるのですが、とにかくジェイムズブラウンは「一(いち)を発見」したとして知られる。

岩波書店から『一の発明』(ジェイムズ・ブラウン著)という本でも発売させないといけない。

一(いち)というのは、そこにある。

もしかしたら無いのかもしれないけど、あると強く思えば、存在をつくることができる。

そうして、それをつくる主体もまた、「The one」だと云う。

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