2022年7月アーカイブ

OUR DAY WILL COME by Ruby & The Romantics, 1964



わたしたちの時代がやってくる
すべてを手に入れる時が来る
愛し合えるよろこびを
分かち合いましょう

「まだ子どもだから分からない」
なんてもう言わせない
私はあなたを愛してる
あたたは私を愛してる

わたしたちの時代がやってくる
そこまで来てる もうすこし
涙はもう要らない
愛を信じて 笑顔でいましょう
この夢は魔法の力を持つ
愛があふれつづけて
わたしたちの時代がやってくる

わたしたちの時代がやってくる
わたしたちの時代がやってくる


Our day will come
And we'll have everything
We'll share the joy
Falling in love can bring
No one can tell me that I'm too young to know
I love you so
And you love me...

Our day will come
It will just wait a while
No tears for us
Think love and wear a smile
Our dreams have magic
Because we will always stay in love this way
Our day will come

Our day will come
Our day will come





下記引用は、平子義雄『翻訳の原理 異文化をどう訳すか』より。
どう訳すのかということが法の解釈を左右するーーつまり「言葉が現実をつくる」ということの例(失敗例)。


英〈right〉、独〈Recht〉は、自然法上の権利の概念を表す言葉である。これの訳語として今日、〈権利〉という日本語が用いられている。たとえば、日本国憲法の第26条に「教育を受ける権利」がうたわれている。しかし〈right〉の訳語としては、〈権利〉は正確でなかったのである。それが〈権利〉になっていったいきさつを、柳父が詳しく伝えている[柳父章(1982):『翻訳語成立事情』岩波書店:149ff]。
〈権利〉という語はその後、日本の社会に大きな影響を与えることになった。たとえば次のようなことがある。「教育を受ける権利」は、国民が国に対して社会的生活を要求できる社会権の一種である。国民には教育を受ける「権利」がある。それに応じて、国には教育を与える義務がある。そこで、国は教育の外的条件を与えるのか、それとも教育内容に立ち入るのか、という問題が出てきて、この点の解釈で学説と判例がいろいろになった。「教育権」をもつのは国である(国家教育権説)か、親である(国民教育権説)か、という家永日本史教科書裁判の論争である。
〈権利〉が〈right〉のことであれば、それは人権のひとつなのであって、国家の権利などではない、ということは明白になるはずである。柳父のいうように、〈権利〉には〈権力〉という日本語の〈権〉の意味(〈power〉に近いもの)が入り込んでいる[同書 158ff]。国がもつ〈権利〉というのなら、それは〈power〉(独 Macht)のことであり、近代の人権思想、自然法による概念である〈right〉をさすことはできない。親がもつ〈権利〉というのなら、〈right〉でよいのだが。〈権〉という文字(言語の言語現実)から、言語にないものが作られていったわけである。明治期の啓蒙思想では、国権と民権の区別が曖昧であった。日本の近代化を急いだという国家的事情が背景にある。自然法による人権思想(啓蒙主義本来の理念)と、国力をつけるというナショナリズムの要請とを、同時に目指したことによる歪みであった。



おつかれさまでございます。
オーサカ=モノレールというヘンな名前のバンドを三十年もやっているのですが、ずいぶん前に大阪から引っ越してしまい、いまは横浜市に住んでおります。
17年くらい神奈川県民です。

毎度恒例の「誰に/どこに 投票するべきか」、今週末の参議院選挙の神奈川選挙区編を考えてみたいと思います。 

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今回の選挙は参議院議員の議席248議席の半数を入れ替える選挙。
日本でかならず三年に一度おこなわれる国政選挙です。

僕の場合でしたら神奈川県です。これは大きな選挙区で、四議席が割り当てられています。

ところが、今年の神奈川選挙区の選挙はちょっと特別です。
といいますのは当選する人は四人ではなく五人なのです。
二年前に行われた横浜市長選挙のときに、松沢(維新)が立候補するので参議院議員を辞職したことにより欠員があるので、今週末の選挙で、五番目に票をあつめた人物がこの席に座ることになっております。(ただし任期は半分しかない)

横浜市長に当選できる可能性なんてどうせ無かったのに、何を思ったかわざわざ参議院を辞職してまで横浜市長選に立候補した。
選挙の裏側は知りませんが、維新の宣伝がしたかったのでしょうか。
または、野党候補(立憲民主党や共産党)の票をいくらか誘導して、自民党の候補を勝たせようとしたのでしょうか。
とにかく、いつもながら自民の覚えめでたい維新。あっちに行ったりこっちに行ったり、いちいちややこしい松沢です。
こういう輩が目立つのが一番悪いと僕は考える。日本の政治腐敗の元凶です。

そういうわけで、主な候補者は次のとおりです。

寺崎雄介(立憲)
水野素子(立憲)
内海洋一(社民)
松沢成文(維新)
三原じゅん子(自民)
浅尾慶一郎(自民)
深作ヘスス(国民)
浅賀由香(共産)
三浦信祐(公明)

まあ、よーするに、
三原(自民)、浅尾(自民)、松沢(維新)、三浦(公明)
の現職四名(松沢は前職だが)は手固く当選すると目されている。
あと残り一議席を下記の三名が奪い合う構図となっている。

水野素子(立憲)
朝賀由香(共産)
寺崎雄介(立憲)

このなかから一名が当選する。一体それは誰か、という話です。
でも、ちょっと待ってください。
僕は頭がこんがらがっています。
なにか手品でも見せられているような気がしています。
定員の四議席は自民二人、公明、維新でもう埋められているわけです。
維新も自民の別働隊みたいなもん(改憲勢力)なわけですから、すべての議席があっち側に抑えられているわけです。これは恐ろしいです。
そんななか、なんだか、おこぼれみたいな議席がひとつ、野党(立憲または共産)に与えられることになっているわけです。
めちゃくちゃラッキー、という話です。

うーん、そんなことってあるでしょうか。
自民側やら維新側もアホではないのです。
みすみす、一議席を立憲やらに譲り渡すなんてことがあるはずがない。
僕はなにか見落としているのだろうか。
狐につままれたような気分です。
いったい何なんだ、この詐欺みたいなおいしい話は。

三日三晩、寝たり起きたりしながら考えましたがわかりません。
この参議院の「三年ごとに半数が改選する」という制度で頭が混乱する。

A4コピー用紙をもってきて、表を書いてみたらわかった。

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よーするに、真山勇一(立憲)の持っていた議席が今回の選挙で松沢に取られてしまう見通し、ということである。
五議席目がなんとか野党にまわってくるが、これは任期が半分しかない席なので三年分損していることになる。
なんだ、このマジックは。

それって、よーするに
参議院は選挙で勝てる見込みがあれば、途中でやめちゃって、もう一度選挙やったほうがトク。
という、とんでもない反則技を松沢が使ったということでは!
それで横浜市長選を言い訳に辞職したんじゃないの。
もっと重要なことに、三年後の選挙で野党側が議席を減らすことは間違いない。
選挙制度の悪用。民主主義の破壊。

さすが維新。
さすがみんなの党やら次世代の党やら希望の党やら渡り歩いただけのことはある。
こういうしたたかな悪人が跋扈する現代は、まじめな共産党を応援するにかぎります。

この日曜日も僕は、前回、前々回の参議院選挙と同じです。
あさか由香(共産党)
に投票します。

立憲民主党もイマイチです。
立憲民主党が頑張ってくれなければ困ります!

みなさん、日曜日は投票所へ。


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オーサカ=モノレールというヘンな名前のバンドを30年もやっているとはいえ、僕はこの17年ほど神奈川県民です。
東京のみなさんにはおせっかいですが、
選挙ごとに恒例の、「もし僕が東京都民であったら」を書いてみたいと思います。
あれだけ狭いところで日本の人口の1/10くらいが集約されている巨大都市、東京です。
経済の規模でいえばもっとスゴい。日本の数十パーセントでしょう。
誰でも、「おせっかい」をしてもよいし、しなければならないでしょう。

2022年は、三年に一度かならずやってくる参議院選挙の年です。
参議院議員の定員は248名、衆議院議員の定員は465名。
あと一週間したらやってくる投票日で、参議院議員の半分(124名)が入れ替えになります。
ということは、国会議院の七分の一くらいかあ・・・そんなに多くない。
でも、日本は二院制で、一院の半分なわけですから、ある種、四分の一。
法律をストップさせることも、いちおう可能。
そう考えるとスゴいことだ。

参議院の選挙は三年に一度かならず行われる。
こんな基本的なことさえも、僕がハッキリ認識したのは、けっこう最近・・・。
恥ずかしながら告白しておきます。

人のせいにしたらアカンのですが、そういう話をみんなしないし、テレビのニュースもなくなっちゃって「ワイドショー」ばかり。
日本はほんとうにオカシイ。
ジャーナリズムが発達していなければ、こんな一億人以上も擁する大きな国で民主主義は成立しない。

どっかの街角にポスターやら貼り出して、「今年は、三年に一度の選挙の年!」とかなんとか、書いておいてください。
そうしたら、大人もそうだし、世の中の子どもたちも、「ふーん、選挙って三年に一度あるんだな」って知ることができる。
子どもたちは、大人よりよっぽど政治家のポスターや選挙掲示板をよく見ている。
アホなキャッチフレーズの政治家がいたら、子どもたちは「アホだな」とよく分かってる。
でも、「そんな奴らを追い出さなくては」って思うようになる子どもも居るだろうし、
「政治なんてアホのやるもの」って諦めちゃう子どもも居るだろう。
あと、子どもにも伝染してどんどんアホになっちゃう。
ていうか、もうなってる。自分。
僕より僕の父や母のほうが一所懸命だし、さらに祖父や祖母のほうがもっと一所懸命だったわけ。
日本の大問題。

そういうわけで、三年前って何があったっけ。
2019年。
この年はまだコロナが来ていなくて、年末あたり「中国で流行ってるらしい」って報道されていた頃。
僕はちょうど、東京オリンピックを批判するお芝居「アルトゥロ・ウイ」の準備をしていたのを覚えている。
2019年で一番大きかったことといえば、香港民主化デモだろうか。
民主化に至らなかった。本当に恐ろしい。歴史の転換点。
ああ、ちょっと大きなことを忘れていた。「令和」がはじまった年。
もちろん、僕は元号を使うのが大嫌いなのでわざわざ言う必要もないのだけど。
元号がかわったからといって何かが前に進むわけでもないのに大騒ぎする。日本はオカシイ。
そういえば、その時期、ブログで「平成」について書いた。マンガや映画のこと。
http://osakamonaurail.com/nakata/2019/02/post-179.html

あのときは、こういう結果だった。下記当選者、定員六名。

自民 丸川珠代・・・114万票
公明 山口那津男・・・81万票
共産 吉良佳子・・・70万票
立憲 塩村文夏・・・68万票
維新 音喜多駿・・・52万票
自民 武見敬三・・・52万票

立憲の二人目、山岸一生は善戦して49万票。もうすこしのところで落選した。
維新の音喜多を落選させないとアカンかったのに、惜しかった。
丸山珠代などという小物が110万票もとってトップ当選というのが、じつに納得いかない。
そういえば、タピオカドリンクの大ブームがやってきたとき、丸山珠代が、
「(タピオカで)プラスチック容器のゴミが大量にでるので、政治課題として解決したい」
などとトンチンカンなことを言い出して失笑を買ったのが記憶に新しいけど、あれって、 タピオカって中国語で「珍珠(チンスー)」って書く。だから、
「タピオカ大ブーム、あっ、私の名前!」
ってなって、大喜びして考えついたキャンペーンだったにきまってる。
(なんの証拠もないけど。)

そんなことより、今回改選となる、さらに三年前の選挙を見直さなくては。2016年です。
これは、五十年に一度という政治の嵐がまきおこった安保法制闘争の翌年の選挙だった。

民進 蓮舫・・・112万票
自民 中川雅治・・・88万票(今年で引退)
公明 竹谷とし子・・・77万票
共産 山添拓・・・66万票
自民 朝日健太郎・・・64万票
民進 小川敏夫・・・50万票(今年で引退)

ちなみに七位につけていたのは田中康夫で49万票という僅差だった。
そのときの田中は「維新」であり、近年ではみずから「あれは黒歴史」などと言っている。
政治家が「クロレキシ」などと冗談めかした言葉で過去を総括して、それでも叱られないというのは、本当にオカシイ。
こういうところに、日本の「無責任国家」の性質がよくあらわれている。
ええと、よーするに、維新がそこまで来とる、ということです。

前置きがながくなってしまいました。
あと一週間後に迫った、大激戦区 東京選挙区について考えてみたいと思います。
主な候補者は下記のとおり。

竹谷とし子(公明)現職 公認会計士
松尾明弘(立憲)前衆議院議員、弁護士
蓮舫(立憲)現職、元タレント
山本太郎(れいわ)前衆議院議員、党代表
乙武洋匡(無所属)作家
海老沢由紀(維新)前大阪市会議員
荒木千陽(ファ)党代表、前東京都議会議員
朝日健太郎(自民)現職、元ビーチバレーボール選手
服部良一(社民)党役員、元衆議院議員
山添拓(共産)現職、弁護士
生稲晃子(自民)俳優

まあいろいろな調査やら報道があるのですが、
よーするに、朝日健太郎と生稲晃子と蓮舫と竹谷とし子が落選するということは無い。
政権与党たる自民党が、日本最大の選挙区に、スポーツ選手とアイドル歌手の二人を出すという、日本の聚落を絵に描いたようなことをやっている。
当選しても何も仕事をできない人、しない人。お人形だけが国民の前に姿をあらわす。
それで票が入るのだからそうなってしまうのだろう。
各紙が朝日健太郎がトップ当選だと言っている。ついこないだまで60万票しかとっていなかったのに、東京のど真ん中でトップ当選か。本当にオカシイ。
ヘタしたら生稲晃子がまさかのトップ当選するんじゃないのか。・・・それはないか。
それに、もし蓮舫が90万票とか80万票とかになったら、すごくヘコむから、頑張って欲しい。
公明は、前よりは人気ないかもしれないけど、落選はないだろう。

上記四人は大丈夫で、のこり2議席。
山本太郎、山添拓、そして海老沢由紀、松尾明弘の四名が追いかけている。
よーするに、番狂わせがなければ山本太郎と山添拓が当選し、のこりが落ちる。

さっきも書いたが、維新はそこまで来ている。ええ加減に早いところ息の根をとめないとアカン。維新というものには信念が何もない。空洞。つまり、NHKナントカと一緒でどんな汚いことでもやる。

海老沢由紀が予想されるより得票数がすくなく、分析として浮動票が山本太郎に流れた、ということになれば、いちおう、山本太郎が来て結果的にはよかったやん、となる。(衆議院をやめて立候補するのはオカシイと思うし、どっちにしても立憲議席がれいわ議席に移っただけですが。)
そうはいっても、山本太郎もけっこう長く議員をやっているのだから、いつまでも「浮動票を動かす人」っていうゴマメみたいな言い訳は、そろそろ許されないというのもあると思う。(ゴマメというのは、僕が小さいときに大阪の地元でみんなが使っていた言葉。近所の子どもで遊ぶときの、鬼ごっこでデンをされてもオニにならない、年齢の離れている誰かの弟か妹のこと。)

今回の東京選挙区は、これ以外に選択肢はない。
共産党の山添拓は、とても若く、頭もキレて理論武装も行動力も非の打ち所がない、バツグンの人物である。
「学費を半額に」「憲法が希望」をかかげる、弱い者の味方である。
これから、何期も何期も、やっていただきたい。

もし僕が東京都民であれば、山添拓に一票を投じます。

下記は僕が勝手にかんがえた選挙心得です。どうだろう、有効だろうか。みなさんはどう思われますか。

一、民主主義に観客席はない。かならず投票に行く。
一、この世にスーパーマンはいない。「よりマシ」を選ぶ。
一、ジャーナリズムも井戸端会議も、選挙の話をしよう。
一、なるべく、候補者でなく政党で選ぶ。
一、投票の秘密は侵してはならない。
一、何十年のこととして選ぶ。国全体のこととして選ぶ。
一、選挙期間だけでなく、選挙にそなえる。

7月10日は、投票所へいきましょう。


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