本棚のなかの本

僕の育った家で印象的だったことの一つは、その本棚です。
父の本や、母の本がおいてあります。
どの本が父のもので、どの本が母のものか、子供である僕にとってはあいまいです。
いろいろな本があるのですが、そのなかに、ひとつヘンな本がありました。
とても有名な本です。
「箱男(はこおとこ)」という小説です。
初版本で、ケースには「純文学書き下ろし特別作品」とわざわざ書いてある、それこそ、箱のような、ちょっとぶかぶかの赤茶色の外函におさめられていました。

よく知られた本ですので、読んだことのある人は多いと思います。
この小説は、まったくタイトルの通りの内容で(小説というのは、タイトルがあらすじとまったく関連がないことも珍しくないと思いますが)、なんとまあ、冷蔵庫につかわれるダンボールやら何やらの大きめの箱をもってきて、小さなのぞき穴をつくり、その中に男が棲みつく、という突拍子もない話です。
いったん箱のなかの生活をはじめると、いいことがいろいろあるので、なかなかやめられない、ということらしいです。
いいこと、というのは(読んだのはずいぶん前ですので、内容はもう忘れているのですが)、たとえば、自分が誰かわからなくなる、自分が誰であるか他人にしられることがなくなる、もしくは自分が〈何者か〉である必要がなくなる、ということです。

その本は、僕が幼いときから、そこにありました。
高校生くらいになって、手にとり、読んでみました。そのとき一度読んで、そのあと十年後くらいにもういちど読みました。
いまここで詳しく論じるでもありませんが、書いた本人によると、箱男というのは、アイデンティティーの問題、それから「民主主義」の問題なのだそうです。
個人として自立した人間があつまって民主主義を担うことが、これからの日本で可能か問うているんだろうと思います。

まあ、それはいいのですが、その本の箱の表紙には、イラストはなく、大きな字で「箱男」とかいてあります。その下に作者の名「安部公房」とありまして、さらに下のほうに、彼の写真があります。
長髪でもありませんが(当時はこれを長髪と云ったのかもしれません)、うっとおしい、雀の巣のような髪で、黒いふちの眼鏡をかけたオジサンです。
作品のわりには、作者の顔写真がわざわざケースの表側にでかでかと載っています。オジサンとは云ったものの、発表当時の安部公房はちょうど、いまの僕の年齢くらいだったはずです。

そのモジャモジャの髪、黒い太ぶちの眼鏡、そしてその目が、僕の父の四十代のころの風貌にそっくりです。こりゃあ、父が買った本にちがいないと思い込んでいました。
父の死の数年前、そのことを訊ねたら、「あれはボクの本じゃない。あそこの隣りに並んでいた高橋和巳の本はボクのだが、あれは違う」と言うていました。だから母の本だったのかもしれません。母も買った記憶がないと言うていますので、よくわかりません。ただ、云われてみれば、安部公房みたいな斜に構えたのは父の趣味ではありませんから、それもうなずけます。
「安部公房本人によると、箱男とは民主主義について述べた小説らしいよ」と父に言いましたら、「それはちがうだろう」と父は言い捨てました。

物心ついたころから、そこにあった箱男という不思議な本。
その本の表紙にある作者の顔写真が父を思わせるので、この本を読んだら父のことが理解できるのかもしれない、と僕が思い込んでいた本。

三年前父は往き、その数年後にコロナという災いがやってきて、僕も、皆と同じように家に閉じこもっていたら、数十年まもりとおした坊主頭が、そのうちモジャモジャになった。こんなに伸びたのは中学生のとき以来だろうか。それから三度ほど散髪に行ったにせよ、髪の毛なんていくらでも伸びてくるもので、あいわらずの伸び具合です。

この一年半、僕は演奏旅行に出掛けることもなくなり、いろんなものが失われてゆく。反対に、役にたたない髪はのび、いつ、元の坊主頭にもどそうか、いやこのまま伸ばしておこうか、と考える。


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2021年5月

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