二年半。

父が亡くなってから二年半になります。
僕はずいぶん父のことを誤解していました。僕は父が悪い人だと思って育ったので、ながいあいだ本当に悪い人だと思っていたのですが、思い返せば、そんなに悪い人ではなかったと、このごろ四十代も後半となりかんがえます。
それどころか、なかなか偉大な人物であったと思います。ただ、完璧ではなかったというだけです。そんなの当たり前です。

父との思い出は多いわけではありません。
たしかに、キャッチボールをしたり、自転車の乗り方を教えてもらったことをおぼえています。
小学生五年生のとき、剣道を習っていた。毎週土曜日、剣道のおわりに迎えにきてくれていた。
もう忘れていたことを、亡くなってからハッと思い出します。
ただ正直なところ、小学校高学年をすぎると、なにか僕の人生に深く関連していたような気があまりしないのです。
ほとんど重要なことはすべて母が決めていたように思います。
家にまったく居なかったような気もするし、ずっとそこに居たような気もする。
なんだかよくわかりません。
朝ごはんも、晩ごはんも、一緒に食べていたような気もするし、食べていなかったような気もする。
ひとつだけ確実に言えるのは、僕よりはるかに生真面目な人物であったので、僕が寝ているあいだに起きて、なにかひと仕事くらいは終えていた。
中学校や高校のころも、きっと、僕よりも先に出勤していたから顔を合わせていなかったのだと思う。
それをあまり憶えていない。
その、憶えていない、というのが自分で申し訳ないのです。

大学のときに、なかなか卒業できないので、僕がもう退学しちゃおうかなと言い出したことがあったらしいのです。
それで、ほとんど叱ったりしたことのない父がカンカンになり、叱られたらしい。
僕はまったく憶えていません。母がそのように言っていました。
それで僕は学校をちゃんと卒業しようと思い直したらしい。

それから、僕が、大学生のころだったか、卒業したてのころだったか、駐車禁止違反ばかりをやっていて、その通達の封筒がひっきりなしに家にとどくので、最後に父が怒った。
立派な人物にならなくていいから最低限のルールだけは守れ、と言われちゃった。

基本的にはその二つくらい。
それ以外は、叱られたことは、ほとんど無かったと思います。
ときおり、学生のころ、僕がアメリカ帝国主義ガーとか、生意気なことを言っていると、なにも知らないくせにいい加減なことばかり言うなっ、ということで、最後には顔色が曇っていたりしました。
中学のときだって高校ののときだって、学業のことやらいろいろに、父は気をもんでくれていたはずです。
でも何も言いませんでした。

僕が思うのは、きっと父は、どこかの時点で、ぜったいに叱らない、と決めたんだと思う。
きっと父は、どこかの時点で、ぜったいにああしろこうしろ言わない、と決めたんだと思う。
それから、きっと父は他人に対しても、ぜったいに怒らない、って決めたんだと思う。
他人に対して、ああしろこうしろと言わない、って決めたんだと思う。

その理由はいま分かった気はしている。
きっと、諸般の事情で、叱っても、言葉が誰にも届かなくなったんだと思う。
そうなると、いま口を開くより、いっそのこと黙ったほうが、最終的には父の真意は僕にも伝わるだろう。
父はそのように考えたのだろうと思うのです。
それくらいは考えることのできる人だったと思う。
黙るというのはつらいものです。だから、僕の人生から父の存在がある一定の程度は、消えちゃっているんだと思います。
それしか選択肢がのこされていなかったのではないかと思う。
そうしないと長期戦に勝ちのこれないから。


僕が、とくに二十代や三十代のころはチャランポランだったから、どれほど父は苦々しく思っていただろうか。
でも何も言わなかった。
僕はずっと心の底で、おかしいなあ、と思っていた。
いまは分かってきた気がする。
二十年か三十年たったあと、何が起こるか、誰がどうなるか、だいたい見えていたんだと思う。
そんなことを考えながら、誰にも伝わることのない苦しみのなかで孤独に生きたんだと思う。
逆にいえば、頭が良すぎて、誰のことも分かってあげることは無かった人生だったと思うけれども。

でもまあ、そんなことを書いたって、父も母も「いや、それはちょっと違う」って言うだろうな・・・。

六十代の後半になってからは、しょっちゅうメールをやりとりしたり、音楽のことでアドバイスをもらったり、話をすることもすこし増えた。
父の誤算は、72歳になるのを待たずして逝かなければならなかったことだ。
でも、頭のいい父だから、ぜんぶ分かっていたような気もする。
亡くなる二週間前、痩せてしまった父は、大晦日の深夜をすぎて、年を越したとき、筆談で、「来年のいまごろはどうしてるかいな?」と書いた。
そんなことを書かれて、僕は困った。いまから思えば、渾身のジョークだったのだと思う。

父の遺した大量の本やら、書類やらがまだ片付いていません。
いまは、父の部屋は、何も片付けていないから博物館の展示みたいになっちゃってる。
パソコンの中や写真も片付けている途中。
それで、ゆっくり、すこしずつ分かってくる気がしています。
むろん、父は、そんなことにこだわってはダメだ、ちゃんと仕事をしろ、前を向け、と言うと思う。
だから、出来るかぎりは、そのように努力したいと思っているところです。

2020年8月

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