知らないオジサンについていく子供の話


もう四、五年前のことですが、こんなことがありました。
僕の娘の、当時の同級生のAちゃんのことです。小学4年生の女の子です。

「Aちゃんっていう友達、ちょっと変わってるねん」
「へえ、そうなん。どういう風に?」
「考えられへんような行動をとるねん。知らないオジサンについていったり」
「えっ! 知らないオジサンについてったん? それはタイヘンなことやんか!」
「うん、結局は何もなかったから大丈夫やってんけど」
「ああよかった。何があったん?」
「公園でな、お婆さんが倒れてたらしい。それでAちゃんが声をかけて助けようとしてん。A子ちゃん一人では助けられないから、通りかかった男の人にお願いしてん」
「ほんで?」
「それで、そのお婆さんは大丈夫やったけど、念のため、二人で家まで連れていった。そのあと、そのオジサンが、〈じつは、この番地の住所の家をさがしてるんだけれども、どこか分かる?〉って聞いてきたらしい。〈ウチが〇丁目〇番だから、それなら近くのはずだよ〉と言って、しばらく一緒に探してあげたんやって。それでそのオジサンの探していた家はすぐちかくで見つかったんやって。それだけ。だから何事もなかったんやけど」
「なんやあ、そんなことかあ。それやったら、Aちゃんは悪くないやん。〈ついて行った〉っていうわけでもないやん」

ここからが問題です。
「え、なに言うてんの、大問題やん。絶対ついていったらアカンやん?」
「そうなん? それくらいはエエんちゃうの? オレがそのオジサンの立場やったら、同じことするかも。知らない土地で〈お嬢ちゃん、どっちに行けば電車の駅か教えてくれる?〉とか訊くかもしれへん。公園で、ヒマつぶしに〈おにいちゃん、カッコいいオモチャ持ってるねえ〉とか」
「えっ! それは絶対にアカン。〈お嬢ちゃん〉って声かけた時点で、完全にアウトやん。それは、コワいオジサンやで、不審者やで」

これにはショックをおぼえました。自分が、「コワいオジサン」すなわち不審者のたぐいだと云うのです。自分で、なかなか認めることができず、しばらく僕の脳みその機能は停止しました。
すこし時間をかけて、ようやく理解してきました。結論として、僕が「不審者とまちがえられる予備軍」から離脱する方法は一つしか残されていません。なにがあっても知らない子供と話をしないと心に誓うことです。
僕は心のなかで「そんなアホな話があるか、僕は不審者じゃないぞ、子供は世の宝だ、近所の子供と挨拶程度ならさせてくれよ」なんて思ってしまいます。でもそれは誰からも許してもらえないのです。知らぬ間に自分も抑圧者のグループに属しているからです。「男性」「おじさん」という悪いほうのグループに。
いろいろと弁明をして、自分が不審者でないと説明しても意味がありません。それに、昼ならイイ、夜はダメとか、そういう問題でもありません。田舎ならイイが都会はダメとか、道を訊くのはイイがお菓子をあげるのはダメとか、そういう問題ではありえないのです。
僕ではない他の誰かのオジサンが子供にいたずらをするような事件があるので、世の子供達は知らないオジサンと口をきいてはいけませんと教えられているのであり、それを大人は常識として知らねばならず、したがって僕は子供に話しかけてはいけないのです。

たぶん、差別を無くす、ということはこういうことなのかなと思ったのです。
人は、抑圧者であったり圧倒的な優位にあるグループに属していることを認識できない。ある側からしか見たことがないので、もう一方の立場が理解できない。男と女とか、先輩と後輩とか、上司と部下とか、社長と従業員とか、医者と患者とか、お金持ちとそうでない人とか、教師と生徒とか、大家さんと借主とか、大企業と消費者とか、行政と市民とか、政治家と庶民とか。健康な人と障害のある人とか、身体に不満がないと自信が無い人とか。強いもの側からの目線。その人に悪気がなくても、すでに世の中は弱い者いじめであふれかえっている。知らないあいだに人をいじめている。
視界をひっくりかえして弱いもの側からの視点にたつことができれば。じつは簡単なことなのに、思わず、「オレはちがうぞ、オレはいじめてないぞ」とやってしまう。

本当に「オレはちがうぞ」なのだろうか、ということが問題です。いまあげたケースで云うならば、「善意の子供好きのおじさん」も、すこし子供と楽しく話をしてみたいという気持ちは、世の中からおかしな犯罪や差別が無くなる日まで我慢しなければならないということです。子供からすれば、オジサンに話かけられてもイイことなんて一つもないのです。
「強い側」と「弱い側」が発生するときに、強い側に弱い側の視点を獲得させるということです。強い側にいる者からすれば、簡単には理解できないことが、いくら聞いても信じられないようなことが、この世にはあふれかえっていて、あふれすぎて、血も涙もそこらじゅうに流れていて、それでも目に入らないのです。


2020年7月

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