日曜日の古本

今日は日曜日で、資源ゴミの日です。
あいかわらずコロナで家にいますから、それで忘れそうになるのですが、今日は日曜日で、日曜日ということは、うちの地区では、段ボールとか古本などを捨てる日です。
それで、たまっていた段ボールやら、子供の数年前の教科書やらをゴミ集積場にもっていきましたら、お宝があるのです。
マンガ『ワイルド7』の単行本が大量に、ヒモでくくられておいてある。『サイボーグ009』も。それから『マスターキートン』も大量にある。あわせて、小説もよさそうなのがいろいろある。同じアパートの誰かが捨てたのだろう。
うわっ、どうしようかな、家にもって帰ろうかな。

小説はいちいち選別していられないが、マンガのほうは読みたいなあ。
それで数秒くらい考え込みます。

二十年前の自分だったら、確実にもって帰る。
現在の僕は、たぶん、もって帰らない。
それって、進歩かな、後退かな、上昇かな、衰退かな、なんだろう。「変化」かな。
この自問自答は、よく出会すやつだ。
答えはでている。わかっていることは、昔の自分にこだわるのはいいけど、昔の自分に戻ろうとするのは良くない、ということだ。
だから、まあ、それはもういいだろう。

次の問題は、「読みたいかどうか」「読んだらトクかどうか」。
うーん、読みたい。
しかもトクだ。無料で、前から読みたかったやつが読めて、所有したかったやつが所有できる。

でも、もう一つ問題があります。
「そこに置いてなかったら読んでいなかったものを読む必要があるのかどうか」です。
本当に読まなくちゃいけないのに読んでいない本、読みたいのに読んでいない本は、数えきれないほどある。それなのに、なんでこちらを読むのか。
それは、無料だから。目の前にあるから。
・・・やばい。それはオカシイ。
やめとこう。もって帰らないでいいや。
ゴミ捨て場をあとにして、僕はアパートの階段をあがります。

それで思った。・・・ああ、またでた、あれとスゴく似てる。
インターネット。

インターネットの「情報」っていうやつは、まさにこれと同じです。
無料であることをいいことに、即座に手元にとどけられるのをいいことに、ずかずかと自分の生活に入り込んでくる。そのまま、僕の家のなかに居座ることになる。
自分の時間をとられてしまう。しまいには自分の思考をハイジャックされてしまう。
それだけではない。みんなの分断をつくる。自分と自分の家族が殺されちゃう。

無料のもの、すぐ手に入るもの、を自分の生活から出来る限り排除したい。
そうしないと、やられてしまう。
チョロチョロと家にあがりこんでくる小さなアリとか、窓からはいってくるハエやハチとか。
ギルスコットヘロンにならって言うなら、インターネットって、ビールやヘロインと同じである。娯楽や教養を提供してくれるように見えて、じつは自分をハイジャックする。
インターネットというのは、よーするに、「5キロやせて見える下着」または「ワキの汗をおさえる制汗剤」である。情報に広告がくっついているようにみえるが、そうではなくて広告に情報がくっついているのだ。いや、ちがった、情報とは広告なのだ。

ワイルド7はいつか全部ちゃんと読みたいとは思う。石森章太郎もしっかり読み直したい。
でも、ゴミ集積場においてあったワイルド7はそっと置いておこう。
あれは、僕が必要としている本ではない。あれは、僕をダマして釣りあげようとするエサなのだ。
持ち帰ったら、みんなに叱られてしまう。



2020年5月

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