2020年5月アーカイブ

"STILL SUCH A THING" by Gladys Knight & The Pipps, 1980
Written by Nickolas Ashford and Valerie Simpson



この世界が
崩れ落ちて粉々になりそうでも
立ち向かえるわけもなく

こう考えましょうとか
こう思うべきとか
私には分からない

 でも 何故だか私の中に
 まだ残っている
 まだ信じられる
 まだあんなものを
 まだ人は夢みている
 愛なんてもの

時が教えてくれる
絶対に絶対に
忘れてはいけないもの

世の者は
いっときの愉快のため
ゲームに興じる

 でも 何かしら心の底に
 まだ残っている
 まだ信じられる
 嘘じゃないもの
 まだあんなもの
 まだ人は夢みている
 愛なんてもの

まだ人は追い求める
愛なんていうもの
まだ人は追い求める
愛なんていうもの


I can't convince the world
That it's crumbling or falling apart
I can't tell you what to think
Or how you should feel in your heart

I don't know why I still believe
That there's still such a thing
Still people dream of love

Time has rewritten the things
we should never never forget
Everybody wants to play the game
for the pleasure and yet

Something deep inside me still believes that is true
there's still such a thing
Still people dream of love

Such a thing as love
People dream of love

Such a thing as love
People dream of love




日曜日の古本

 
今日は日曜日で、資源ゴミの日です。
あいかわらずコロナで家にいますから、それで忘れそうになるのですが、今日は日曜日で、日曜日ということは、うちの地区では、段ボールとか古本などを捨てる日です。
それで、たまっていた段ボールやら、子供の数年前の教科書やらをゴミ集積場にもっていきましたら、お宝があるのです。
マンガ『ワイルド7』の単行本が大量に、ヒモでくくられておいてある。『サイボーグ009』も。それから『マスターキートン』も大量にある。あわせて、小説もよさそうなのがいろいろある。同じアパートの誰かが捨てたのだろう。
うわっ、どうしようかな、家にもって帰ろうかな。

小説はいちいち選別していられないが、マンガのほうは読みたいなあ。
それで数秒くらい考え込みます。

二十年前の自分だったら、確実にもって帰る。
現在の僕は、たぶん、もって帰らない。
それって、進歩かな、後退かな、上昇かな、衰退かな、なんだろう。「変化」かな。
この自問自答は、よく出会すやつだ。
答えはでている。わかっていることは、昔の自分にこだわるのはいいけど、昔の自分に戻ろうとするのは良くない、ということだ。
だから、まあ、それはもういいだろう。

次の問題は、「読みたいかどうか」「読んだらトクかどうか」。
うーん、読みたい。
しかもトクだ。無料で、前から読みたかったやつが読めて、所有したかったやつが所有できる。

でも、もう一つ問題があります。
「そこに置いてなかったら読んでいなかったものを読む必要があるのかどうか」です。
本当に読まなくちゃいけないのに読んでいない本、読みたいのに読んでいない本は、数えきれないほどある。それなのに、なんでこちらを読むのか。
それは、無料だから。目の前にあるから。
・・・やばい。それはオカシイ。
やめとこう。もって帰らないでいいや。
ゴミ捨て場をあとにして、僕はアパートの階段をあがります。

それで思った。・・・ああ、またでた、あれとスゴく似てる。
インターネット。

インターネットの「情報」っていうやつは、まさにこれと同じです。
無料であることをいいことに、即座に手元にとどけられるのをいいことに、ずかずかと自分の生活に入り込んでくる。そのまま、僕の家のなかに居座ることになる。
自分の時間をとられてしまう。しまいには自分の思考をハイジャックされてしまう。
それだけではない。みんなの分断をつくる。自分と自分の家族が殺されちゃう。

無料のもの、すぐ手に入るもの、を自分の生活から出来る限り排除したい。
そうしないと、やられてしまう。
チョロチョロと家にあがりこんでくる小さなアリとか、窓からはいってくるハエやハチとか。
ギルスコットヘロンにならって言うなら、インターネットって、ビールやヘロインと同じである。娯楽や教養を提供してくれるように見えて、じつは自分をハイジャックする。
インターネットというのは、よーするに、「5キロやせて見える下着」または「ワキの汗をおさえる制汗剤」である。情報に広告がくっついているようにみえるが、そうではなくて広告に情報がくっついているのだ。いや、ちがった、情報とは広告なのだ。

ワイルド7はいつか全部ちゃんと読みたいとは思う。石森章太郎もしっかり読み直したい。
でも、ゴミ集積場においてあったワイルド7はそっと置いておこう。
あれは、僕が必要としている本ではない。あれは、僕をダマして釣りあげようとするエサなのだ。
持ち帰ったら、みんなに叱られてしまう。



ソウルミュージックとプロテストソング(全3回)
その3:1970-1974



 話しを東海岸に戻します。1971年に登場したのが〈新しい詩人〉ことギル・スコットヘロンでした。彼はどのようなテーマを扱ったでしょうか。
 「REVOLUTION WILL NOT BE TELEVISED(革命はテレビで放送されない)」は、テレビは大企業による広告だから、黒人に役立つことは何も映っていないという詩です。つまるところ、自分たちの暮らしを良くするためには集会や行進をやらなければならないと訴えています。二枚目アルバム収録の「THE BOTTLE」は「ビン漬け」とでも訳せばよいのか、《あそこの父ちゃんも〝ビン漬け〟だぜ》といって、ゲットーにおけるアルコール中毒の悪害について訴えています。「HOME IS WHERE HATRED IS」は、同じくゲットーで麻薬に冒されて死を待つだけの絶望的な日々をおくる人の歌です。




 ロバータ・フラッグの歌った「COMPARED TO WHAT?」も、資本主義や政府の欺瞞を暴こうと試みる歌です。それから、ダニー・ハサウェイが登場して、「EVERYTHING IS EVERYTHING」(僕なら「どないもこないも」とでも訳します。ここでは〈ゲットーの人々の現実をみろ〉という意味)、「GHETTO」、「LITTLE GHETTO BOY」を歌いました。




 このころを境に、ニューヨーク、LA、シカゴ、デトロイトといった北部・西部における都市部でのゲットーの問題のプロテストソングが増えます。貧困・暴力・麻薬・アルコール・ギャンブル・住宅・医療、それから警察暴力の問題を訴えます。

 七〇年代の旗手といえば、あと二人、マービン・ゲイとスティービー・ワンダーでしょう。そして、ひきつづきカーティス・メイフィールドです。
 マービン・ゲイの『WHAT'S GOING ON』はアルバムまるごと社会派ソングのコンセプトアルバムでした。有名な表題曲については、ベトナムでの戦争と、アメリカの世代が分断していること(ヒッピーや学生と保守派)を、自らの親子喧嘩(父親とマービン)に重ね合わせているのは僕はどうも感心しません。ただ、「さまよえるアメリカ」という時代の雰囲気は見事に掴んでいるのでしょう。二曲目は、ベトナムからの復員をひかえた兵士が電話で「そろそろ帰れそうだよ! そっちはどんな調子だい?」と訊くのだが、故郷の友人たちは生返事ばかり、という歌。これは反戦曲であると同時に、不況を描いています。他の曲は、麻薬、放射能や大気汚染など、テーマは多岐にわたります。
 ラストを飾る「INNER CITY BLUES (MAKE ME WANNA HOLLAR)」は、都市の内部(つまりゲットーのこと)における〝現代のブルーズ〟を綴ります。静かな曲調がその叫びをいっそう際立たせています。貧困・インフレ・失業・増税......。そして貧しい若者から順にベトナムに志願してゆきます。



 スティービー・ワンダーの「LIVING FOR THE CITY」は、都市とは、田舎からやってくる黒人を飲み込むという物語です。ミシシッピ州のまっとうな青年が大都会ニューヨークで、警察の蛮行により投獄され、元囚人となってしまうストーリーを描いた名作です。

 「YOU HAVEN'T DONE NOTHING(アンタは何一つ成し遂げていない)」は、ウォーターゲート事件をうけて退陣寸前であったニクソンに宛てた歌。「HE'S MISTRA KNOW-IT-ALL(あの人は、なんでも出来る素晴らしいお方)」もニクソン大統領へ皮肉なげつける曲でした。



 ソロに転向してからカーティス・メイフィールドがとりあげた問題も、都市ゲットーの貧困・犯罪・麻薬過多(『SUPERFLY』・『THERE'S NO PLACE LIKE AMERICA TODAY』)、ベトナム復員兵の悲劇(『BACK TO THE WORLD』)です。それから、肌の色なんて最終的には関係ないんだ、肌の色で人や物事をみてはだめだというメッセージ(「IF THERE'S A HELL BELOW」・「THE UNDERGROUND」)を引き続いて訴えました。大事なものが最後になりましたが、「MOVE ON UP」や「KEEP ON KEEPIN' ON」は、下火になってしまった公民権運動に喝を入れようとするものでした。




*     *     *

 20世紀初頭にはじまり1940年代をピークに1970年ごろまで、六百万人の人々が、自由をもとめて北部・西部に移り住みました。〈大移動〉の先に待ち受けていたものは都市の貧困問題や麻薬戦争
でした。探し求めた「約束の地」は、北の方角には無かったということになるのでしょうか?
 前述した「LIVING FOR THE CITY」は、まさに上記を描きだした大作です。かつて1950年代には、北部のシカゴから差別のはげしい南部であるアラバマをおとずれたエメット少年が、白人女性に口笛をふいたためにリンチで殺害されたのですが、いまや南部のミシシッピからニューヨークへでてきた青年が歩いていただけで投獄されるという物語です。差別の根強い南部から北部への移住、そして都市のゲットーでの警察暴力、麻薬問題、不完全な裁判制度。さらには、現在アメリカの最大の問題である〈大量投獄〉、警察取り調べや刑務所内での暴力の問題を予見していたといえるでしょう。
 今回はここまで、七〇年代前半までとします。アフリカからアメリカ大陸へと流されてきた人々は、南から北へと新天地をもとめて「移動」しました。ヨコ移動です。このあと、ふたたび二輪馬車に乗って天国へ向かうというタテ移動の物語が復権します。
 いうまでもありません、問題はこれからです。これから、アメリカでも日本でも公民権運動やブラック・ライヴズ・マター運動をひきつぐ大きな運動がおこると思いますし、必ずそこに音楽もあると思います。(おわり) 

ソウルミュージックとプロテストソング(全3回)
その2:1965-1969



 次に、60年代中期以後のインプレッションズをみていきたいと思うのですが、そのまえに、ニーナ・シモンのことを付け加えておきます。
 ニーナ・シモンは、50年代、グリニッヂ・ビレッジ地区でジェイムズ・ボールドウィン、ラングストン・ヒューズ、ロレイン・ハンズベリーと親しくしていて、ニューヨークの進歩的な空気を象徴する存在となっていきました。
 曲タイトルでパンチを一発おみまいする「MISSISSIPPI GODDAMN」(1963年)は、《アラバマはお行儀よろしくありませんね、テネシーにも一言申し上げます、ミシシッピにいたってはご近所に知れわたっていますわ・・・クソくらいやがれ!》と歌います。アラバマは少女四人が死亡した教会爆破事件(バーミンガム、同年9月)、ミシシッピは活動家メドガー・エヴァース暗殺(同年6月)とエメット・ティル少年の惨殺事件(1955年)について歌っています。「テネシー」というのはおそらくナッシュヴィルの座り込み運動(1960年)のことでしょうか。とにかく差別の激しい三州を非難しています。



 わざと底抜けに明るい調子の曲をあてて、ここでニーナがあらわしているものは、リンチなどの暴力や差別への猛烈な「怒り」です。もはや冷静でいられないという激しい直接的な怒り。思えば、ジャズでは、ビリー・ホリディは「奇妙な果実」の静かな曲想によって、そしてチャールズ・ミンガスはおどけた曲想で、激しい怒りを表現しました。
 ゴスペル側にいるステイプル・シンガーズやインプレッションズが希望を歌っていることと比較すると、ずいぶんスタイルが違うというべきでしょうか。

 1965年夏のLAワッツ暴動を経て、時代は、ゴスペル音楽や非暴力主義などの柔和な戦術では、黒人社会全体の不満に応えられなくなってゆきました。1967年暮れの、インプレッションズの「WE'RE A WINNER」は、公民権運動のつぎの段階として、キリスト教主義だけでなく、黒人の誇り・尊厳、そして団結をこれからの運動の柱にしようというメッセージが語られます。とても具体的で実践的です。

  We're a winner. Don't let anybody say,
  "Boy, you can't make it." because feeble mind is in your way.
  私たちは勝者の民なのだ 誰にも〝おい小僧〟なんて言わせるな
  蔑みの言葉を投げつけられて実力を発揮できなくなる




 しかし、この曲がヒットしているさなか、「団結」の中心的存在であったキング牧師が暗殺され、アメリカは混沌・分断の時代、ブラックパワーの時代へと一気に向かいます。カーティスはそれに異を唱えました。
 「CHOICE OF COLORS」は、《肌の色をえらべるとしたら、黒と白どちらを選ぶ?》と問いかけます。つまり、そんな質問をすることは馬鹿げている。黒人も白人も、人間として正しい道を生きようと訴えます。当時は、人種問題に挑発的な内容であるとしてラジオ放送できなかったそうです。
 「MIGHTY MIGHTY (SPADE & WHITEY)」は、キング牧師もロバート・ケネディも暗殺され、黒人もリベラル白人も次々とリーダーを失って、アメリカが分断されていくことを食い止めようとしています。《クロ野郎もシロ野郎も力をあわせろ。ブラックパワーは失敗する》と言うのです。この二曲はともに、公民権運動が下火になって台頭したブラックパワー運動の分離独立主義を批判しています。

 ブラックパワー時代のアンセムといえば、何といってもジェイムズ・ブラウンの、1968年夏に黒人の尊厳をうたった「SAY IT LOUD - I'M BLACK & I'M PROUD」です。〈みんなで叫ぼう:黒人ってカッコいい!〉 キング牧師が暗殺されてから半年ちかく経ったころ、黒人社会にあたえたインパクトは計り知れないものがあったと云われています。この曲がラジオでかかった次の日からは、肌の色の濃い男の子や女の子がモテるようになったのだそうです。(それまでは、黒人のあいだでも色の薄いコがモテていた。)ヘアスタイルも、縮れた髪を矯正したりウィッグを使ったりしない〈ナチュラルルック〉が流行しました。
 ところで、実はこのような、ラディカルで実力行使的として知られる曲も、第二段落は、古い霊歌「BUKED AND SCORNED」の引用であることを指摘しておきたいと思います。また、第一段落では、「move」という言葉をつかって「前に進むことをやめない」といっています。



 そのほか、JBによるプロテストソングは意外に多くありませんが、「I DON'T WANT NOBODY TO GIVE ME NOTHING」(1969)は姉妹曲として重要だと思います。《オレは施しは受けない。ただ、扉を開いてくれ》と演説調で訴えます。フェアにして機会を平等にしてくれ、学校を建てるなどしろ、そこまでは政府がやってくれ、そのあとは自分たちの黒人コミュニティーで経済をまわしていく、と同胞とアメリカ社会全体の両方に向けて訴えています。これは分離独立主義ではなくフェアネス(機会均等)を求めているのだ、というのがブラウンの主張です。(まあ、民主党を支持していても、ニクソンが当選したらホイホイと祝賀会に出演したりする人なのですが。)
 ほかにブラック・プライド(黒い肌は美しい)を表現した歌は、ニーナ・シモンの「(TO BE) YOUNG, GIFTED, AND BLACK」、カーティス・メイフィールドの「MISS BLACK AMERICA」などがありました。

 六〇年代後半、かのジェイムズ・ブラウンさえも時代遅れになりかねないほど輝きだしたのは1967年に登場したスライ&ファミリーストーンでした。歌詞云々でなく、グループの存在そのものがプロテストでした。つまり、黒人も白人も、男も女も、R&Bもロックも、メッセージソングもダンス曲も、すべての「分断」を無くしてしまえというのが結成のコンセプトだったのです。まさに六〇年代を象徴するグループでした。
 「STAND!」では、何をやるにしたって、そして黒人も白人も、自由のためにたちあがらなきゃダメと力強く訴えました。「EVERYDAY PEOPLE」は、だれだって一人ひとりが同じ「ふつうの人間」なんだから、いがみあうことなく干渉せずに共生しよう、とサラリと(分離主義でも融合主義でもなく)個人主義を唱えました。混沌の時代にあって、自由の町・サンフランシスコの若者が発したこのメッセージは、いまでも大きな影響力をもっているのだと、映画などで耳にするたび思います。



 この曲は「次世代の黒人解放運動アンセム」にはならなかったようです。まだまだ、目の前には解決せねばならない問題が山積していたからです。しかし、カーティス・メイフィールドもジェイムズ・ブラウンも最終的なメッセージはほぼ同じです。「黒人は誇りを取り戻そう」「団結せよ」「肌の色なんて関係ない、みんな同じ〝人間〟になろう」です。これらは矛盾しません。ブラックパワーの「分離主義・独立主義」と、公民権運動の「統合主義」は矛盾点があれば少しずつ軌道修正しながら共に前進してゆくのだと思います。(その3へつづく)

 その1 1963-1965:ボブディラン、サムクック、ステイプルシンガーズ、インプレッションズ
 その3 1970-1974:ギルスコットヘロン、ダニーハサウェイ、マーヴィンゲイ、カーティスメイフィールド、スティーヴィーワンダー


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(こちらは、『ブルース&ソウル・レコーズ』No.146(2019年2月発売 特集:ブラックミュージックのメッセージ)に書き下ろしたものです。発売からしばらく経ちましたので、編集部よりの承諾をいただいて転載・公開します。興味をもたれたかたはぜひ、雑誌のほうをお求め下さい。)


ソウルミュージックとプロテストソング(全3回)
その1:1963-1965



 1963年、ボブ・ディランの「BLOWIN' IN THE WIND(風に吹かれて)」を初めて聴いてメイヴィス・ステイプルズは、「すごい、これは私たち黒人の歌だ! 本来であればこんな歌をうたう黒人歌手が登場しなくてはオカシイ!」と思ったそうです。

  How many roads must a man walk down before he's called a man?
  ひとりの人間として認められるまで いったいあとどれくらい歩けばよいのだろう?


 歌いだしが、あまりにもキング牧師たちの「行進」(マーチ)を鮮明に描いているようでした。〈差別、戦争、抑圧は、どうすればこの世から無くすことができるのだろう、その答えは目の前にあるが掴むことができない〉という歌です。この「a man」という言葉。「有色人種」でも「ニグロ」でも「黒人」でも、その他の何でもなく、〈人間〉となることが真の解放なのだということを捉えています。
 また、二行目は《白鳩は、あといくつの海をわたれば土のうえで安らぐことができるのだろう》というもので、流離の民であるアメリカ黒人の長い旅(たとえば、南部から北部への移動)を想起させますから、これにもメイヴィスは舌をまいたことでしょう。



 そういうことで、「風に吹かれて」をさっそく自身のショーのレパートリにくわえた人がいました。誰あろうサム・クックです。彼がこの歌をとりあげたのは必然だったのです。そして、差別に抗議するこのような歌をうたうこと(とりわけテレビで)は本当に勇敢なことだったはずです。
 そしてサム・クックは、「風に吹かれて」に駆り立てられるかたちで、かの「A CHANGE IS GONNA COME」を自ら書きました。

  I was born by the river in a little tent
  Just like the river I've been running ever since
  川のほとりの小さなテントで僕は生まれた
  あの川に流れる水のごとく 押しながされて逃げるばかりの人生だった


 詞・曲・編曲ともに、ボビー・ウォマックが「死を連想してしまう」と言ったという不気味な悲壮感・絶望感でおおわれていますが、各コーラスの最後の一行だけは希望でしめくくられています。《でも、きっと、変わる。ああそうだよ。》
 〈帰ることのできる家(故郷)は無く、やすらぐ居場所も無い。生きることは苦しく、死を待つのもつらい〉と歌います。教会のおしえでは、人は死ぬと、神に召されて天国という素晴らしいところへ行き、苦しみから解放されるので、死(=自由)を楽しみにできないというのは信仰がゆらいでいる苦悩の状態です。
 ゴスペル歌手から転向して、いまやR&B歌手となっていたサム・クックがこれを歌い、死や自由と向き合っている。逆説的にいえば、ほかの霊歌におなじく、現世での自由への闘いを、天国へ召されることになぞらえている歌なのだと僕は考えています。



*    *    *

 五〇年代後半にはじまった公民権運動は、黒人霊歌・ゴスペル・フォークとともにありました。「WE SHALL OVER COME(勝利を我らに)」、「OH FREEDOM」、「THIS LITTLE LIGHT OF MINE」、「YOUR EYES ON THE PRIZE」そのほか多数の古い霊歌を歌いながら、行進や座り込みをおこなって南部の隔離政策と闘いました。今回は、霊歌などは採りあげませんが、六〇年代・七〇年代に生み出されたプロテストソングの流れを追ってみたいと思います。
 公民権運動にふかく関わった音楽グループのひとつは、なんといってもステイプル・シンガーズでしょう。キング牧師に帯同して各地の演説会で演奏をしていました。お父さんのローバックが作曲した「WHY? (I AM TREATED SO BAD)」は、毎晩キング牧師から演奏するようせがまれたそうです。アーカンソー州リトルロック高校事件(1957年、白人黒人の共学を実施するため九人の生徒が登校したが州知事が反対して州兵を出動させた)をテレビで見て書いた曲だと言われています。《こんなにひどい目にあっても、それでも、主がお示しになる道を歩きつづけます》というゴスペルソングです。



 歩く、という歌をもう一つ。「Freedom Highway」は、キング牧師による1965年3月のセルマ〜モンゴメリー行進をそのまま歌にしたものです。この抗議行動は、アラバマ州で黒人も選挙登録ができるように求めておこなわれた行進でした。

  March on freedom highway. March each and everyday.
  I made up my mind. I won't turn around.
  自由へのハイウェイを行進しよう 毎日々々行進しよう
  もう心に決めた ひきかえしはしない


 警察と衝突を避けるため3月9日の行進が中止、つまり「ひきかえし」になったあと、やっと3月17日の行進で成功したことを歌っています。



 もう一組、ゴスペル寄りのR&Bスタイルで「公民権運動のサウンドトラック」を奏でたグループは、カーティス・メイフィールド率いるインプレッションズです。代表曲「PEOPLE GET READY」は、なにかにプロテスト(異議を唱える)しているわけではありませんが、黒人が自由に向かうところを美しくえがいています。ワシントン大行進に参加するため各地から列車やバスで集まってくる人々の姿に着想をえたと言われています。

  People get ready. There's a train a-coming.
  You don't need no baggage. Just thank the Lord.
  みなさまご用意ください 列車がまいります
  荷物も持たずにそのままご乗車ください 主に感謝するだけでよいのです




   以上みてきた曲はすべて、行進すること、歩くこと、または流されたり彷徨ったりすることを描いています。自由と仕事を求めて北部へ移り住むこと、個人が神に召されて天国へ向かうこと、民としてモーゼに導かれて約束の地へと向かうこと、これらのイメージが相互に強く結びつけられています。(その2へつづく)



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