2019年10月アーカイブ

SOUL(ウィルソンピケットによる)

 
Wilson Picket on SOUL TO SOUL 1971年



一年くらいまえにイギリスに行ったんだ
トムジョーンズとの仕事でね
そこでリンゴっていう名前の奴に出会ったよ
リンゴが訊くんだ
「ピケットくん 君は世界中を廻って
 〈ソウル〉っていうのを歌ってるよね
 その〈ソウル〉って何なの?
 もし良かったら
 ちょっと僕にも教えてくれないかな?」

そこで僕は
リンゴの目をみて言ったのさ
「リンゴくん 〈ソウル〉というのは
 〈感じる〉ものさ! それだけだよ」

リンゴはまた尋ねたよ
「それを感じたら どうなるの?
 〈ソウル〉がやってきたらどうなるの?」

僕は言ったよ
「〈ソウル〉は手にくるよ
 手に来て拍手したくなるんだよ・・・そう!」

ある女の子は
「アタシは足にきた!」って言ってたよ
そこでオレは
その娘の足を動かしてやったさ

みんな「イェー!」って言ってくれ
今宵〈ソウル〉があるヤツは 居るのかな?
〈ソウル〉を感じるなら 手をあげてくれ!
ぜぜえ゛え゛え゛え゛いいいいいいいいんんんーーっっっっ!!!!



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セブンイレブンが大量に店舗を閉めることを決めたそうです。
コンビニ業界事情にくわしくはないけれど、ようするに競争過多なのでしょう。
あと、まあよーするに「不況」とか、あとは・・・。
都心であれば、数百メートルも歩けばコンビニにあたる。いや、数十メートルでもコンビニだらけです。

ところで、コンビニというものが登場したのはいつだったっけ。
僕は大阪に生まれて、そのあと奈良県平群町というところで少年時代の大半をすごしました。小学校の高学年(八〇年代半ば)に、近所にローソンができました。
朝七時開店で夜十一時閉店でしたが、そんな夜おそくまで開いている店が歩いてたった二、三分のところにある。それはなかなかの衝撃でした。

コンビニといえば、その数年後、中学一年生のときに、部活(サッカー)があまりに忙しいので、まったく遊ぶ時間がなくて、どうにかならないものかと考えたあげく、
「そうだ! 夜中に遊んだらいいのだ」
とマヌケなことを思い付いた。
計画をたてて、夜中の一時くらいに家を抜けだして同じサッカー部の友人と落ちあい、真夜中の県道を自転車で飛ばして二、三十分ほどのところにある「王寺駅」というところまで行った。そこに24時間営業のコンビニがあったから!
そうして、夜中の二時ごろに、お菓子やジュースをのんで家へ帰った。帰宅したのは三時ごろだったろう。
両親にはバレなかったので成功だったし、とてもワクワクした小さな冒険だったが、やったのは一度きりだった。そりゃそうだ。中学一年生の「夜遊び」。
何がいいたいかというと、八〇年代半ばには、24時間営業のコンビニは、五キロくらいさきの隣り町にしか無かったのです。
これを読んでいる方も、似たような思い出があるかもしれません。

とにかく、コンビニというものはそれくらいの時期に登場して急速に普及していったはずです。
セブンイレブンの一号店ができたのは1974年だそう。でも、日本人の生活にコンビニがなくてはならないものになったという転換点は九〇年ごろという実感。あまり使いたくない表現だけれども「平成から」ということになるでしょう。
あのころから、コンビニや自動販売機で「お茶」や「水」が売られるようになりました。ジュースと同じような値段で。それも奇異なことでした。

僕のいいたいことは、こういうことなのだ。
八〇年代におこった物流革命「コンビニ」によって日本は便利になったか?
たしかに便利になったと思える。でも問題は「そのあと」だ。
いったい何がおこったか。
消費ではなく労働のほうからも「便利」になった。
いまや、すぐ就ける仕事といえば真っ先に思い浮かぶのがコンビニのバイト。そうなって久しい。
コンビニは、労働の「便利」、つまりは労働の使い捨てをうんだ。
便利というのは、まわりまわって僕たちを蝕んでゆく。

いま、インターネットの時代となり、欲しいものがすぐ買えるようになりました。
ほとんどのものが「送料無料」です。
しかも明日に届けられるという。
当たり前のことですが、配送にだってたくさんの人が汗水ながして働いているのですから、送料が無料になるわけがありません。
売上金のなかから、うまく、僕なんかには知り得ない高度な計算式にのっとって個別だけをみると「送料無料」に見えるようにやりくりされているだけのことです。
そこまでは誰だって分かります。しかし話しはそこでおわらない気がする。
「タダほど怖いものは無い」と云われるからです。無料になった送料は二倍にして返さなくてはならないのです。

つまり、何が起こっているかというと、ほんの一つか二つの、「送料無料」を謳う企業たちが、さらに想像できないほど巨大化して何の歯止めもきかなくなってゆきます。そうして、モノの値段はますます安くなり、送料も「無料」になってゆきます。この巨大生物のせいで、日本の経済は縮小の一途をたどり、従来あった仕事はどんどん無くなってゆきます。
そうして「コンビニの便利さ」と同じことが起こる。
つまり、僕たちはこぞって、アマゾンの倉庫で働くかアマゾンの配達員さんになってあのときのお返しをするのだと思う。

インターネットの時代は、こんなのばっかりが僕たちに襲いかかる時代だと思う。
目覚まし装置としてのブラックスプロイテーション
(『ブラック・クランズマン』に寄せて) 

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 メルヴィン・ヴァン・ピーブルズは、「ブラックスプロイテーションは〈カウンターレボリューショナリー〉なのだ」と言いました。そのとき、僕は頭をハンマーで殴られた気分でした。
 「カウンター」というのは「反」という意味です。カウンターレボリューショナリーは「反革命的」ということです。「似非革命的」ならまだしも、「反革命」にはびっくりです。「非進歩的」でさえない。「反動」。時計の針を進めることがないばかりか、遅らせるのでもなく、時代を逆戻りさせるものということになります。
 『黒いジャガー』も『スーパーフライ』も『コフィー』も『クレオパトラ危機突破』も、僕はレボリューショナリーだと信じていたのに、すべてカウンターレボリューショナリーだったのです。カタカナをつかわずに平易にいえば、「差別を無くす映画ではなくて差別をつくる映画」。これにはショックを受けたのです。

   *   *   *

 ハンマーで殴られるその15年前です。大学生になりたての僕も、『ドゥ・ザ・ライト・シング』で雷にうたれた。でも、分からない。難解なわけでもないが、前提がわからない。ブルックリンって何処にあるの、ニューヨーク? もちろん「ベッドスタイ地区」も知らない。「暴動をおこしちゃえ」なのか「暴動はダメ」なのか。ムーキーが、ピザ屋の窓ガラスにゴミ箱を投げつける心情がわからない。ラジオ・ラヒーム君を殺したのはピザ屋じゃなくて警察なのに? そもそも、なぜラジオ・ラヒームが死ぬのかもよく分からない。とりあえず抵抗をやめればよかったんじゃないか、とか。そんな調子。僕には、肝心のメッセージを受け止めることなんてできっこなかった。
 暑い夏の日に暴動がおこるっていうストーリーは分かる。でも、それだと一番わるいのはお天気みたいで、なんだかオカシイ。とにかく、楽しくてイケてるのだけれど意味はサッパリ分からない。

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 僕の九〇年代はそんなふうに幕をあけて、とにかく、セリフをぜんぶ覚えてしまうくらい『ドゥ・ザ・ライト・シング』や『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット/彼女の欲しいものは』を観た。『スクールデイズ』や、それから『ジャングル・フィーバー』やら『マルコムX』やらがあって、ずっと追いかけた。ブルックリンにあったスパイク・リーの店にも行ってみた(あれはどこだったんだろう、地区の名前は忘れた)。店員さんが、本当に「ジェイミー」みたいでびっくり。
 しばらくして〈ブラックスプロイテーション〉と呼ばれている七〇年代の黒人映画がわんさかあることを知る。パム・グリアやタマラ・ドブソンの映画のビデオを買いにハーレム125丁目に行くと、露天商が、カゴの中にVHSを山盛りにして一本10ドルで売っている。こりゃ、大阪のおっちゃんが東映の実録ヤクザとかATG映画が好きなのとよく似たノリやなと。現地へ行ったことで、僕もちょっと分かってきた気がした。
 数年後、あげくのはてにブラックスプロイテーション二本『コフィー』と『スーパーフライ』の配給権を買った。字幕も自分でつけた。日本で観ることができないから自分でやっちゃえと、二年ほどかけて劇場公開やビデオ化をやった。パム・グリアに会うためコロラド州デンバーにも行った。パムさんは言った。「これは女性のエンパウアメントの映画なの。それから、七〇年代ファッションの映画よ」。

 いよいよ、メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ監督に話を訊くことができたのは2005年。彼の、黒人映画の金字塔『スウィート・スウィートバック』がDVD化されるので字幕監修で関わらせていただいた。この縁でインタビューする機会をえた。たくさんの人から資金をあつめ、心血をそそいで『コフィー』『スーパーフライ』を配給した僕は、あのメルヴィン節で、「ブラックスプロイテーションというものはカウンターレボリューショナリーなのじゃ」と告げられたのでした。
 うーん、そりゃあ、たしかに娯楽作品ではあるけれど、「白人は悪者で黒人は正義の味方」っていう漫画性のなかにレボリューショナリーな文脈を読みとってもいいんじゃないの? 既存の価値感をひっくりかえしてくれる「頭の体操」でいいんじゃないの? それもダメなの?

 やっぱりダメなのです。メルヴィンは言いました。「ハリウッドの大手映画会社というものは、サブリミナルといってもよい手法を駆使して、政治的な文脈を骨抜きにしたり、カウンターレボリューショナリーなメッセージを含ませてくるのだ」。それは、大きくプロットを追うことによって見えてくるのです。『黒いジャガー』のプロットは何だったでしょうか。主人公の私立探偵・シャフトは警察に脅されてハーレムの情報をとりにいきます。ラストシーンでは、わざわざ警部に報告の電話をかける。つまりシャフトは同胞を警察に売っているのです。『スーパーフライ』のプロットは「高飛び」です。逃げることが唯一の解決策として提示されます。しかも相棒二人を見捨てていく。黒人解放運動では、いつだって「団結」が最重要のテーゼなのですから、これはカウンターレボリューショナリーそのものである。
 看護婦が一人でイタリア人の麻薬組織に闘いを挑む『コフィー』は、女性解放運動に1ミリ程度なら役立っているのかもしれませんが、画面を賑やかすのは、滑稽な衣装のポン引きや、スイカ割りみたいに頭をショットガンで吹っ飛ばされる麻薬売人です。『クレオパトラ危機突破』も反革命的であることは、『ブラック・クランズマン』のなかでも説明されています。その理由は「警察だから」です。(厳密にはクレオパトラジョーンズはCIAです。)この世に「善良な警官」がいることは否定しませんが「レボリューショナリーな警官」など存在しません。現実の世界では、警官が黒人を殺しているのです。または路上の黒人の子供たちを微罪で刑務所におくります。
 こうしたハリウッドの二枚舌は現在にいたるまで長々とくりかえされています。「バディもの」「救世主もの」「警官もの」。最近では『ヘルプ 心がつなぐストーリー』『ドリーム』『それでも夜は明ける』などがカウンターレボリューショナリー作品の典型的な例でしょう。スパイク・リーがアカデミー賞受賞に際して『ドライビング・ミス・デイジー』や『グリーンブック』を批判したのはこのことを言っています。

 『ドゥ・ザ・ライト・シング』の冒頭がどんなだったか憶えている人はいますか。ユニバーサル社ロゴの地球儀が映し出されるやいなや、伝統派・ブラウンフォード・マルサリスの独奏による黒人国歌「Lift Every Voice and Sing」が聴かれます。まるで、六〇年代おわりにコルトレーンの死とともに途切れてしまったアフリカ系アメリカ人の誇りの結晶としてのジャズの歴史がここから甦るかのようです。
 次に、「40エーカーとラバ一頭」。これはスパイクの会社の名前で、「アメリカの欺瞞」を糾弾し、これから一歩も譲ることのないアフリカ系アメリカ人の闘いを表しています。その次に、「正しいことをしろ」というタイトルが表示されます。今でもこの言葉の意味を尋ねる人は少なくないと思いますが、ようするに、お馴染みの「ウェイク・アップ!」とまったく同じ意味と考えればよいのです。
 そして、パブリック・エネミーの「ファイト・ザ・パワー/権力と闘おう」が流れます。いわく、〈さあ、1989年! また夏がやってきた!〉です。この最初の一行だけをとっても、どれだけの破壊力があるか。
 「1989年!」というのは、「(キング牧師がワシントン大行進をやった)1963年じゃねえぞ」と言っているのです。つまり、「いまから、キング牧師とはちがう新しい戦術をひねりだして、もう一度アレと同じことをやるぞ、おいコラ!」という意味です。同時に、映画のプロットを捉えれば明らかに「1965年かよ!」という意味も含んでいるでしょう。1965年夏というのは、かのロサンゼルス・ワッツ暴動。そして1967年夏にはニューアーク暴動やデトロイト暴動。そして1968年春には......。チャックDは、〈時代は変ったぞ、いや変っていない。また暴動の季節がやってきたのか? どうやってオレたちは未来を切り開くんだ?〉と問いかけているのです。ここでは、スパイク・リーが提示するまったく新しい映画と、パブリック・エネミーの新しい音楽が、アメリカ黒人の現代の闘争の武器となることを宣言しています。
 そのあと、ご存知のように映画本編の最初の、あのセリフへと相なります。「目を覚ませーーー!」

 さあ、2019年です! 三十年たちました。『ブラック・クランズマン』です。
 今回の主人公も、おきまりの「目の覚めていないキャラクター」で、寝坊して遅刻ばかりのロン・ストールワース青年。革命家のガールフレンドから何度も「目を覚ましなさい」と叱られます。いくら「目を覚ませ!」なんて叫んだところで、そうそう誰も目を覚ましません。だからスパイクは同じことを言い続けているのです。
 劇部分は、ブラックスプロイテーションのパロディー(オマージュではない)としてとても好感がもてます。たとえば、アンジェラ・デイビスに憧れる黒人大学の学生と、警官であることを隠しているボーイフレンドの二人が渓谷の公園でデートしているところをロングショットで演出するなんて、七十年代前半のノスタルジーとしてはすごくてイイと思います。
 しかし、本筋は、ブラックスプロイテーション(トホホ感。カーチェイスがショボいとか、爆弾がやたらデカいとか)が、さきほど説明したようなカウンターレボリューショナリーなプロットを観客が批判的に認識するための仕掛けとして機能しているのでしょう。レボリューショナリーな部分(たとえばストークリー・カーマイケルの演説)と、カウンターレボリューショナリーの部分を見極めて受容しなければなりません。「警察が、署をあげてレイシスト警官を自主的に排除するはずねえだろ、アホ!」とか、「主人公がFBIの使い走りだなんて、どこまでカウンターレボリューショナリーな映画なんだよ、バカ!」とか、スクリーンにむかって叫びながら映画を観なくてはいけないのです。面倒くさいのですが民主主義というのはそういうものなのです。
 スパイクは、「映画は真実を伝えない。だから、みんな、目を覚ませ!」と言っています。

 ドン、ドン、ドン(ノックする音)。朝がきました。今年、2019年は、僕たちの住む街でも、三年に一度の国家の大イベントがおこなわれます。準備はよろしいでしょうか。「はい、とっくにできてます」。


(本稿は、『ユリイカ』2019年5月号のために書かれたもの。許可をいただいて転載しました。)

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"WE ALMOST LOST DETROIT" by Gil Scott-Heron, 1975



高速道路のむこう
にょきっと現れた
近未来からやってきた怪獣

小さい子供なら
「お母さん、あれなーに?」
そんな声が心に浮かぶ

でも実際には
子供たちの声なんて
子供たちの命があぶないなんて
立ち止まって考える者は一人もいない

そんなわけで
このたび
デトロイトが地図から消えるところだった。
僕たちは立ち直ることができるか
心が消失した場所から


デトロイトの先
たった四〇キロ
巨大な発電所がそびえる

街が眠っているころ
毎夜のように動き続ける
消滅へ秒針を刻む

でも実際には
街に暮らす人々のことなんて
街に暮らす人々の命があぶないなんて
立ち止まって考える者は一人もいない

そんなわけで
このたび
デトロイトが地図から消えるところだった。
僕たちは立ち直ることができるか
心が消失した場所から


モンロー郡の保安官は
頭のなかだけでも
大災害だったろう

カレン・シルクウッドは
何と訴えるだろう?
もう殺されてしまったが

どうやら
人間の命と健康をまもろうと
なにを尽くしても
最後にはカネが勝ってしまう

そんなわけで
このたび
デトロイトが地図から消えるところだった。
僕たちは立ち直ることができるか
心が消失した場所から


あのとき
 デトロイトは失われた
あのとき
 デトロイトは失われた
   どうやって立ち直る?

こいつは確実にいえる
 いつか必ず 何処かで必ず
    街が無くなってしまう

こいつは確実にいえる
 いつか必ず 何処かで必ず
    街が無くなってしまう

心が消失した場所から
  どうやって立ち直る?
心が消失した場所から
  どうやって立ち直る?


It stands out on a highway
Like a creature from another time
It inspires the babies' questions, "what's that?"
For their mothers as they ride
But no one stopped to think about the babies
Or how they would survive
And we almost lost Detroit this time
How would we ever get over
Losing our minds?

Just thirty miles from Detroit
There stands a giant power station
It ticks each night as the city sleeps
Seconds from annihilation
But no one stopped to think about the people
Or how they would survive
And we almost lost Detroit this time
How would we ever get over
Losing our minds?

The sheriff of Monroe county had
I'm sure enough disasters on his mind
And what would Karen Silkwood say to you
If she was still alive?
That when it comes to people's safety
Money wins out every time
And we almost lost Detroit this time
How would we ever get over
Losing our minds?

You see, we almost lost Detroit that time
Almost lost Detroit that time
And how would we ever get over
'Cause, odds are
We're gonna lose somewhere one time
Odds are
We're gonna lose somewhere sometime
And how would we ever get over losing our minds?
And how would we ever get over losing our minds?

Didn't they decide?
When we almost lost Detroit that time
Damn near totally destroyed one time
People all over the world know
Say, didn't you know?
People all over the world know
Say, didn't you know when?
We almost lost Detroit
Damn near totally destroyed
Yes, or will one morning
See it clear as day
I'm sitting here, giving you a warning


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