サー・ジョー・クォーターマン物語(その3)


ついに1969年、〈サー・ジョー・クォーターマン&フリー・ソウル〉を結成したところからお話をします。

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 このバンド名を考案したのは、当時マネージャーの役割を担っていたジョーのお姉さんなのだそうです。ちょうど、ジョーをふくむメンバー全員が、それぞれに所属していた別のバンドから離れて独立してつくったのがこの新しいグループだったので、「フリーソウル」(解放された魂たち)と命名したのでした。こういうのは、ある種の、半分ジョークで半分は大マジメなんだと解釈します。つまり、他人のバンドの構成員だったところから自分のバンドをつくることを、農園から解放される労働者になぞらえているようです。
 〈フリーソウル〉という言葉を選んだことについては、明確に、フリージャズ(スピリチャルジャズ)を意識していたということです。当時に沸き起こっていたファンク&ソウルの大ブームに、スピリチャルジャズや社会派の感覚を加えようとしていたのです。
 結成直後の音源は残されていませんが、コンセプトとしては、時代を反映してファラオズ/アースウィンド&ファイアーのようなものだったのでしょうね。
 (それから、ソウルという言葉からは、同郷・同時期のワシントンD.C.ファンクである「ソウルサーチャーズ」も思い出します。)

 ワシントンDCシーンで人気がでてから、かの「I GOT SO MUCH TROUBLE IN MY MIND」を録音しました。1972年のことです。


 ズシリと重いファンクのリズムに、ホーンが前面にでたサウンド。ジャズとゴスペルのハーモニー。そして、敗戦が色濃くなっていたベトナム戦争や、地元での不景気のこと、ゲットーでの身近な風景を描いて、同時代をギュッと凝縮させたような歌詞が大いにウケました。ビルボードR&Bチャート30位を記録したのです。

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 名曲「I Got So Much Trouble」が録音されたのは、1972年3月のこと。メリーランド州シルバースプリングスにある「トラック・レコーダーズ・スタジオ」だそうです。メンバーは下記のとおり。
Sir Joe Quarterman (vocal & trumpet)
George "Jackie Lee" (guitar)
Chrles Steptoe (drums)
Willie Parker, Jr. (rhythm guitar)
Gregory Hammonds (bass)
Karissa Freeman (keyboard)
Leon Rogers (sax)
Johnny Freeman (trombone)

 そうなんです、サー・ジョー・クオーターマンって、作曲編曲とボーカルはもちろんなんですが、トランペット奏者だったのです。この「I Got So Much Trouble」冒頭の印象的なリフで「プゥア~」と音程をわざと少し下げて吹いているのはサージョーさん本人だったのです。(これがモダンかつブルージーな雰囲気をつくっていて、とても良い。)

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  歌とトランペットの両方を担当していますが、この二つは同時に鳴っています。オーバーダビングですね。時はすでに1972年。マルチトラック・レコーディング(つまりオーバーダビングが可能)が一般的に普及した時期です。(この「So Much Trouble」のようなインディーでもマルチ録音なわけですから。)16トラックのテープレコーダーを使ったのだろうと思います。1970年代の幕開けっていう感じですね。

 これはちょっと重要じゃないかと僕は思います。というのは、よく聴くと、この曲(それから後のアルバムの他の曲すべてそうですが)アレンジがとても良くできているんです。アレンジと各楽器の音量バランスが緻密につくられている。かなりの部分が楽譜におこされたうえで演奏されているような雰囲気です。(60年代のジェイムズブラウンのFunkなどとは正反対の世界ですね。)

 ジョーさんによると、この曲だけを録りおえるのに、なんと丸一日を費やしたそうです。これは当時としては、しかも駆け出しのアーティストとしては異例の長時間レコーディングではないでしょうか。サウンド・曲の設計図が頭のなかで出来上がっていたんでしょうね。コダワリのサウンドです。

 「たんにギグのオファーが来るようにレコーディングをしたんだ。プロモーター(興行主)に我々のサウンドを聴かせたかった」とサージョーさんは語っています。地元ワシントンD.C.や、東海岸・南部のほうへ足をのばすために「名刺がわり」として録音したのでした。まさかこのシングルがヒットするなんて思っていなかったんですね。

 はじめはナイトクラブや地元ラジオ局で人気がでてきて、そのあと全国流通されることによってブレイクし、最終的にはビルボードR&Bチャート30位を記録しました。

 このヒットをうけて、さっそくアルバム制作にとりかかります。(当時は、まずは地元ラジオを中心に一曲のヒットをだしてチャンスをつかみ、レーベルとアルバム契約にこぎつける、というのが成功への道のりだったのです。)

 ここでつくられたアルバムは、本当にすごいと僕は思っています。全曲、むちゃくちゃキャッチーで、それぞれがシングルヒットしてもまったく不思議でない曲ばかり。やっぱり、サージョーさんは、作詞作曲の能力がものすごいんだと思います。
 9曲のうち7曲は地元の「トラックレコーダーズスタジオ」で録音されたとのことですが、2曲はなんとマッスルショールズ録音です。あのFAMEスタジオで録音されたのです。その曲がこちらです。





 「オレを兵士にさせて、この人生を狂わせようとする奴ら。負けてたまるか」と歌う「The Way...」。ベトナム戦争のことですね。それから、「Find Yourself」のほうは、「どんなに困難があっても、自分自身が傷ついても、本当の自分の道をみつけるんだ」と歌います。

 アラバマ州マッスルショールズまで行ったストーリーを直接本人から聞きました。「えっ! アラバマまで行ったんですか?」「そーやで、行ったがな。すごいやろ。これが忘れられへん旅になったんや」
 やっぱり、アメリカ人にとっても凄いことだったのですね。当時、フェイムといえば大人気スタジオだったはず。レーベルの人(GSF)とサージョーさんの二人で行ったそうです。僕は訊きました。
 「そんな予算を、よくレーベルの人が出してくれましたね」
 「そう、僕もビックリしたよ。〈あそこで録音したらイイってみんなが言うから、行ってみよう〉っていわれたんだ」
 飛行機で行ったのかなと思いきや、車で二人で運転していったそうです。13時間くらいですので、ざっくり感覚的には東京から福岡ほどですかね。

 つまり、電話で予約してから、自分で書いた曲の楽譜をもっていくわけです。そうしたら、かのリックホールさんやFAMEギャングさんたちが待ち構えていて、彼らのフレイバーを加えつつ演奏して録音してくれるわけです。それでマルチテープ(当時は16トラックでしょうね)を「ありがとうございましたー」といって持ち帰るんだそうです。
 ですので、この「FIND YOURSELF」と「THE WAY THEY DO MY LIFE」は、リズムトラックがFAME録音で、あとのボーカルとホーンは持ち帰ってワシントンDCで録音したそうです。

 さきほど「忘れられない旅になった」と書きました。サージョーさんがアメリカ深南部まで足を運んだのは初めてだったのです。「深南部(ディープサウス)」というのは、サウスカロライナ州より南のことで、とくに差別の激しい地域として知られています。ミシシッピ州、ルイジアナ州、ジョージア州など、そしてフェイム録音スタジオのあるアラバマ州もここに含まれるのです。
 サージョーさんたちは、スタジオに到着するすこし手前のところで、レストランに入りました。そこで差別の眼差しを感じたのだそうです。そのあと、突然の激しい腹痛にみまわれ、嘔吐すると、驚いたことに緑色のものだったそうです。ジョーさんは、そのレストランで毒を盛られたのだと確信しています。
 特にこの地域は、沼地の、ものすごい田舎ですから、さもありなん、ということなのでしょう。同行していたレーベルの人は白人だったのでしょうね。そういうところにFAMEスタジオがあった。ソウルミュージックとは何かを考えさせられるエピソードです。

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 さて、このアルバムの他の曲も紹介します。
 「So Much Trouble」のアンサーソング(続編ソング)というべき「Trouble With Trouble」です。これも名曲ですね。「学校で勉強しようにも、いい学校が近くには無い、バスに乗ったら、こんどはバス代で父ちゃんが怒りだす。トラブルがトラブルを呼ぶんだ」という歌。


 さて、傑作と評して良いと思うこのアルバムですが、発売元であるGFSレコードが弱小だったこともあり、全国的な話題を呼ぶまでには至りませんでした。
 ジョーさん直筆の、「こういうアートワークにしたい」というスケッチがそのままジャケットになってしまったお話は前回にしました。
 GSFはメジャー流通でしたが、お金をかけてプロモーションする気はなかったようです。しかしジョーさんによると「アルバムは口コミでうまくいくんじゃないかって思ってたんだ。ドンコーネリアス(テレビ番組『ソウルトレイン』の司会者・プロデューサー)にニューヨークのパーティーで会ったとき、《君のアルバムは特別にズバ抜けている。グラミーの可能性だってあると思う》って言ってくれたんだ」。
 かのドンコーネリアスも太鼓判をおしてくれていて、実際に彼の番組で使ってくれたのですが、それ以上のヒットにはつながらなかったわけです。



 サージョーさんほどの作詞作曲センス、それから時代に敏感に反応していたサウンドをもってすれば、もっとヒットを出して、大きなレコード会社と契約することもできたのかもしれません。
 このアルバムのあとも、1976年ごろまで、カッコいいシングルを連発するのです。それを次に見て行きましょう。


(その4へつづく)

2019年2月

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