『あの人に会いたい』アマチュアカメラマン 増山たづ子
(NHK、2015年9月5日放送)
増山さん:
本当に、本当に諦めるなんてないでしょう? 人間は。
本当の諦めってあるでしょうか、人間は。
あんたはどう思いますか。
どう思う、あんたは? 人の心って。
(ナレーション)
失われてゆくふるさとの姿を記録しつづけたアマチュアカメラマン、増山たづ子さん。
〈カメラばあちゃん〉の愛称で親しまれました。
60歳をすぎてから撮りためた写真は、アルバムにしておよそ六百冊。
10万カットにも及びます。
亡くなる直前まで、ふるさとへ想いを馳せ、シャッターをきりつづけました。
増山さん:
これは、大事なふるさとを失ってみた者でないとわからんわ。
親がおるうちは、おうちゃくも言うがな。
親が死んでまうと、そうすると、親のありがたさというものが、しみじみ分かるがな。
それと一緒じゃ。
失ってみた者でないと、こういうな、悲しみというものは、なかなか、、、。
(ナレーション)
岐阜県、徳山村。
大正六年、増山さんはこの村の宮大工の家に生まれました。
勉学に励むいっぽうで、山深い自然のなかの暮らしを愛する少女でした。
増山さん:
まあ、山のなかで、町のもんが見りゃあな、
「あんな山のなか、どこが良うて」っちゅうなもんやけどな。
困ったときはお互いに助け合って、そして、「あれがないか」「これがないか」って助け合うし。
笑いながら、歌いながら、仕事をした。うん。
でな、町のもんから見るとな、豪雪地帯やろ?
雪が大変じゃろなと思うけれども、
こりゃあな、極楽のようなとこ、私たちには。
(ナレーション)
昭和11年、同じ村の宮大工と結婚。
一男一女にも恵まれます。
しかし、昭和16年、夫が二度目の応召で、インパール作戦へ。
生死不明と告げられます。
戦後、夫の無事を信じて、留守を守りつづけた増山さん。
昭和52年に、ダム建設で村が消えるという計画がうごきだすと、
カメラを手にとり、カメラばあちゃんになりました。
増山さん:
家のとうちゃんがな、もし戻ってきたとき、
夢にまで見たであろうアガデのふるさとがダムになってまっとっちゃな、
「どうやって、ダムになったんじゃ」って訊かれた折に、説明のしようもないわと思ってな。
昭和32年から、「明年はダムになる」「さ来年にはダムになる」って、こうやって、引き延ばされてきたんやしな。
あんまり長うなったし、それから、だんだんと、反対しとる明治生まれの気骨のある人間も死んでいくしな。
こりゃあ、国がいっぺんやろうと思ったら、戦争もダムも、必ずやるに違いないで。
こういうな、大川にアリが逆らっとるようなことをな、しとっても、しようがないでな、
ちぃとでも、これは残しとかんてぇと。
(ナレーション)
村を記録するという、強い決意。
生まれてはじめて手にしたカメラで、徳山村で生きる、村の人たちのポートレイトを写し始めました。
まもなくダムに沈んでしまう・・・。
切迫感を、笑い声を打ち消しながら、シャッターをきりつづけました。
増山さん:
この人とも、もう、これでお別れ、
この人ともお別れ、と思って、
もう、ひと月も無いんじゃからと思って、撮った。
(ナレーション)
その視線は、花や樹木にも向けられます。
苦しいとき、悲しいとき、本音を語った、ふるさとの友を失うという気持ちでした。
増山さん:
何百年も立っとる樹が、まあその、ずうっとそこにあって、
「何をトロくさいことを言うとるんじゃ、このワシを見よ」ってな、
「大水に 根をあらわれ、台風がくりゃあ枝を折られても、こうやって何百年も立っとんじゃぞ、トロくさいこと言っちゃあアカンぞ」ってな、
励ましてくれる、いつもかも。
これなんかも、生きながらにして、こうして、ダムに徐々に沈んでいくんかしらんと思うとな・・・可哀相な気がしてな。
(ナレーション)
写真を撮りはじめて六年目、最初の写真集を出版し、村の人たちに配りました。
しかし、ダム建設をめぐって、人々のあいだに亀裂がはいり、翌年、村外への移転もはじまりました。
家を壊し、更地にした人々・・・それが、保証をうけるための条件でした。
最後の祭りが行われた夜も、増山さんはシャッターをきりつづけました。
初めてカメラを手にしてから、九年の年月が流れていました。
(村人の祭りのかけ声)
ワッショイ ワッショイ
ワッショイ ワッショイ
(ナレーション)
写しても、写しても、写しきれない。
村が地図から消えたあとも、増山さんは活動を続けます。
移転先を一軒一軒たずね、声をかけ、交流をつづけました。
増山さん(訪問先の友人に写真を渡しながら):
これ見てみよ、あんたにもあげたじゃろ、これ。
ハッハッハッハ。
訪問先の友人:
いかにも嬉しそうなこと!
どうやね、こりゃあ、やれ嬉しい。
増山さん:
憶えとるか、これ?
増山さん(写真を撮影する):
えー、とー、さん、と。
(ナレーション)
新たなポートレイトも撮影します。
増山さん(訪問先の知人に):
忘れたことはないぞ、うん。
ときどきな、わしゃあ、あんたのとこに電話するんや。
泣くなて!
せっかく楽しいのに泣いちゃあかん。
増山さん(取材に応じて):
やっぱし思い出してくれるんだろうな、ふるさとのことを。
どういうわけか知らんけど、わたしが行くと、みんな笑いだすんでなあ。
わたしも、また、ワハハって笑うしな。
うん、うれしいな。
人間は、いつ、ぶっ倒れるかも分からんし、どういうことがあるかも分からんし、もうこれが最後、これが最後、と思って撮らしてもらうし、明日が今日あるかどうか分からんですから。
その時その時に、あたえられた(聴き取り不可)なんか、
すこしでも幸せを見つけていかんとな、
人生が暗くなる。
(ナレーション)
失われていくふるさとと人々の姿を記録しつづけた増山たづ子さん。
「ふるさとは心の宝。」と、カメラを手に闘いつづけた人生でした。
増山さん:
本当に、本当に「諦める」なんて無いでしょう? 人間は。
どう思う、あんたは?
人の心って。
もうね、スパッとね、仕方がないっちゅうて、
例えば、大根の尻っぽをピシャッと切ってね、
そうやって、パッと離れられるような「諦め」って、人間にはあるんでしょうか?
あなたはどう思いますか。

(エンドタイトル)
アマチュア カメラマン 増山たづ子 1917-2006
