『あの人に会いたい やなせたかし』(NHK、2014年3月15日放送)
漫画家、やなせたかしさん。
子供たちに大人気、『アンパンマン』の生みの親です。
アンパンマンは、困っている人に自分の顔を食べさせて助けるヒーロー。
やなせさんは、自らの考える「正義」を伝えようとしたのです。
正義の味方だったら、そこにひもじい子供がいれば、その子供になんか食べるものをあげるっていうほうが、一番正しいんだと思ったんですね。つまりですね、怪獣をやっつけるよりもですね、まず、お腹が空かないようにしてあげることが正しいんだ、と思ったんです。
やなせさんは大正八年生まれ。
少年時代を高知県で過ごしました。
子供のころから漫画が大好きで、絵にかかわる仕事をしたいと学生時代はデザインを学びました。
しかし、夢へと向かう道へ、戦争が影をおとします。
昭和15年、徴兵され、その後 中国の戦地に送られました。
当時、やなせさんは戦争の正義を信じて戦いました。
ところが、終戦を境に、自分の信じた正義は一転してしまいます。
やなせ:
正義というのはね、逆転するんですよ。僕らは、兵隊にいって向こうへやられたとき、「これは正義の戦いで、中国の民衆を救わなくちゃいけないんだ」と言われた。ところが、(戦争が)終わってみれば、おれたちが非常に悪いやつで、侵略をしてたってことになるわけでしょ。だから、ようするに、戦争に、真の正義というものは無いんだ。
「正義」への疑問をかかえたやなせさん。戦後は、プロの漫画家を目指します。
しかし、漫画だけでは食べていく事ができず、イラストレーターや舞台美術など、さまざまな仕事をします。
そうしたなかで、やなせさんが作詞した「手のひらを太陽に」は、NHK『みんなのうた』で流れ、注目をあつめました。
やなせ:
漫画の仕事が無いんだよ。で、夜、仕事をしていてですね、わびしいんだよね。それで、電球のところで、こう、手を見ているとですね、血の色がすごく赤くみえるんですよ。オレは元気が無いんだけど、血は元気なんだな、と思ってね。「手のひらを太陽に透かしてみれば」っていう歌をつくったんだ。
いっぽう、本業の漫画ではなかなかヒット作にめぐまれません。悩みつづけたやなせさんは、ずっと心にかかえてきた「正義」をテーマとする作品を描きはじめます。
昭和44年、はじめて「アンパンマン」が登場します。
アンパンマンは、お腹をすかせた子供にアンパンを配って廻る、小太りの男。
当時流行していた正義の味方とはまったく違うヒーローでした。
その後の作品で、アンパンマンはいまの姿におおきく、ちかづきます。
主人公は、売れない漫画家。
「アンパンマン」という作品を出版社に持ちこみますが、門前払いです。
お腹がすいて倒れそうになったときに現れたのが、アンパンマン。
《さあ、オレのほっぺたをすこしかじれよ。遠慮するな。ガブリといけ。》
やなせさんの考える本当の正義が作品として描かれました。
やなせ:
正義をおこなう人はですね、自分が傷つくということを覚悟しなくじゃいけない。だから、アンパンマンは自分の顔をあげる。自分のエネルギーは落ちるんだけど、それは、そうせざるをえない、そうしなくては仕方がない。つまり、正義には、一種の悲しみというんですか、傷つくというところがある。そんなにカッコいいもんじゃない。
昭和48年、やなせさんは、ストーリーと絵をわかりやすくして、幼児向けの絵本を出版します。大人たちからは、自分の顔を食べさせるという設定がグロテスクだと不評でした。しかし、子供たちの反応は違いました。幼稚園や図書館でアンパンマンの絵本を夢中になって読んでいたのです。
昭和63年に、テレビアニメも始まります。漫画家になって35年。69歳になってやっと手にした代表作でした。
アニメの主題歌も、作品への想いをこめて作詞しました。
やなせ:
なんのために生まれてなにをして生きるのかこたえられないなんてそんなのは いやだ!今を生きることで熱い こころ 燃えるだから 君は いくんだ微笑んで
アンパンマンを描きつづけたやなせさん。
そのいっぽうで、三十年以上、無報酬でつづけた仕事があります。
イラストレーターや詩人を目指す人たちが作品を発表する雑誌の、編集長です。
やなせ: この世の中へ出ていくときに、なんにも無いんですよね。なんにも無いところへ、僕らは売り出していくわけだから。どっかで、手掛かりが欲しいんだけど、なかなか無い。だから、僕の場合は、そういう手掛かりをね、いくらかでもチャンスをあげられるようにしたい。
2011年3月11日、東日本大震災。
当時、やなせさんは九十歳をこえ、引退を決意していました。
そこへ、本人もおどろく知らせがとどきます。
ラジオで、「アンパンのマーチ」にリクエストが殺到しているというのです。
(ファックス)《アンパンマンに元気をもらいました》
(ファックス)《子供が「ぼく頑張るよ」とつぶやいていました》
やなせ: ですから、現地の子供から手紙がくるんですけどね、「わたしはすこしもこわくない。いざというときは、アンパンマンがたすけにきてくれるから」って書いてあるんだよ! そう信じてるならですね、やっぱり、それに価することをしなくちゃいけないなあ、と。
やなせさんは病気に冒された体をおして、被災者の支援にのりだしました。
直筆の色紙には、《きっと君を助けるから》とアンパンマンの言葉をしるしました。
漫画家、やなせたかしさん。
自らの想いをアンパンマンに託して、亡くなる直前まで描きつづけました。
やなせ: 僕はもう死んじゃいますしね。でもね、アンパンマンそのものは、どうも、生きるんじゃないかと思います。
自分が晩年になって、このヒーローにめぐりあったわけなんで、もう夕日なんですね。
そのなかで、きみに会えてよかった、と思ってます。
(エンドタイトル)
漫画家 やなせたかし 1919-2013