「革命はテレビ放送されない」の解説(その4)

(第八段落)
The revolution will not be right back after a message about a white tornado, white lightning, or white people. You will not have to worry about a dove in your bedroom, a tiger in your tank, or the giant in your toilet bowl. The revolution will not go better with Coke. The revolution will not fight the germs that may cause bad breath. But the revolution will put you in the driver's seat.

革命は「この続きはCMの後!」などと言わない。革命は、白くなる洗剤のCMだの、白い歯になれる歯磨き粉のCMだの、白い人達が登場するCMだの、の後でも放送されない。鳩マークの制汗クリームだの、トラのように力強く走れるガソリンだの、トイレの汚れを落としてくれる「便器の巨人」だの、そんなものは革命とは何の関係もない。
それからな、革命は甘味飲料じゃねえぞ? 革命で「スカッと爽やか」にならない。革命は口内殺菌剤じゃねえぞ? 革命で「お口クチュクチュ」できない。ところで、革命はレンタカーみたいなもんだぞ? 革命は「ハンドルを握るのはアナタです!」

(第八段落の解説)
 まず、テレビ広告の特徴として〈三つの白いもの〉を挙げています。洗剤と歯磨きと、それから「白人」です。
 現代のアメリカの常識と照らし合わせるならば違和感があるでしょう。現代アメリカにおいては、かつての「白人対黒人」という単純な対決図式から大いに進歩をしました。以前として人種問題は横たわっていますが、その問題の本質は「格差」や「偏見」であって「肌の色」ではないからです。とくにスペイン語系の移民が大量に押し寄せて、問題はもっと大きく複雑になりました。「白人」を非難するようなこの物言いは少し時代遅れと言うべきでしょう。
 つぎに、白色のつぎは、動物などのマスコットをつかった広告の糾弾です。「ベッドルームの鳩」というのは、鳩マークでお馴染みの「Dove」の制汗クリームのことです。「ガソリンタンクのトラ」というのは、当時のエッソの宣伝を指しています。「便器のなかの巨人」というのはトイレ洗浄剤の宣伝のことですが、さらに、便器というのは英語で「ボウル」といいますから、これがニューヨーク(ひいてはアメリカ合衆国全土)のことを指していて、「ボウルは、そんな簡単に洗浄できない」とギルは暗示しているのだとも考えられています。

 つづいて、炭酸飲料水のブランド(コカコーラ)と、口腔消毒剤ブランド(リステリン)をあげます。
 そしてその次が、この長い広告批判のポエトリーの最後となります。作者はここで少しヒネりを効かせています。最後は「じゃない」ではなく「である」で締めくくります。レンタカー会社のキャッチコピーだけは、なかなか良いと言っているのです。
 革命とは、人民ひとりひとりが自分の力で行うもの。誰かにやってもらうものではない。人々が、いまある問題を、自分に直接的に関わる問題であることをしっかり認識して、自分の力で解決するために、自らすすんで家から外に出るのが革命である。ギルが言いたいことはそれです。このあとの最終段落も、そのことを言い換えているだけでしょう。

 
 ようやく終わりに近づいてきたようです。まとめます。
 「テレビで革命が家に届けられることはない」ことの理由は二つ。一つ目は、「革命は映像化できないから。」 二つ目は、「テレビは広告だから。」
 テレビは広告です。広告に娯楽がくっついているのです。娯楽に広告がくっついているのではありません。広告の商品を買ってもらうためにテレビ放送が存在しているのです。私たちを楽しませるためにテレビ放送が行われているのではありません。何をどうしたって、そのテレビが革命を後押しするはずは無い。
 本来は、映像を遠隔伝達するという「テレビ技術」そのものは反革命ではなかったはずです。しかし、いくら優れた科学技術であっても、いったん広告に乗っ取られたあとはもはや逆戻りできません。テレビと革命は、互いに相容れないもの、水と油、の関係です。否、互いに敵対して立ちはだかり、一方が消滅するまで拮抗する関係にあると言うべきでしょう。

 それでは、いま、僕たちが対峙しているインターネット技術はどうでしょうか。フェイスブックは? Youtubeは? ツイッターやインスタグラムは? これらは革命的になりうるでしょうか。僕たちの家庭のパソコンやスマートフォン端末を通じて、「革命」は届けられるでしょうか。僕たちはこれらの道具を使いこなして世界に革命を起こすことができるでしょうか。
 世界に冠たる巨大企業となったGoogle社やフェイスブック社。彼らの立脚点は何でしょうか。彼らはどうやって収益をあげているのでしょうか。彼らが提供する情報技術やSNSのインフラは、革命的でありうるでしょうか、それとも反革命的でしょうか。
 誠に残念ながら、答えはもちろん「反革命的である」です。その理由は、「彼らは広告だから」です。簡単なことです。わざと難しくして分かりにくくしているのは向こう側の作戦です。

 さあやっと最後まで来ました。大事なことが一つ残っています。「革命とは何か?」です。
 そしてその革命は、ここ日本に住む僕たちと関係があるのか、ないのか。どのように関係があるのか。

 しつこいようですが、「革命は映像化できない」のです。そういうことであれば、文章にすることだって出来ないでしょう。ギルはインタビューで繰り返しこう言っています。
 「革命とはーーー少なくともその第一段階においてはーーーまず人間のアタマの中で起こるもので、それは決してフィルムにおさめることが出来ない。目の前にあるものは、かわりばえのない、普段から目にしているもの。そこで革命が起きる。ふと突然に、《あれ、いままでオレはちがうページを開いてたぞ》となる。」
 要するに、革命とは〈目覚める〉ということです。しかし、「目覚めよ!」などと言ったって、「はい、目覚めていますが、一体なんのことでしょう?」という返事がかえってくるでしょう。
 映像にも文字にもすることが出来ません。すなわち媒体で伝達できない。もちろん複写もできない。もし簡単に伝達することができるのなら、とっくの昔にあらゆる国で革命が起きて、世界の人々はとうに解放されているのでしょう。
 そんなわけで、ここで革命とは何かを書いてみたところで、その言葉の意味はスルスルと流れ落ちてゆくのかもしれない。・・・まあそれでも、ちゃんと書いておこうと思います。本当のところは、「目覚めとは何か?」それは短くたった一言で答えられるようなことなのだと思いますが。



2018年8月

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