「革命はテレビ放送されない」の解説(その3)

(第四段落)
There will be no pictures of you and Willie Mae pushing that shopping cart down the block on the dead run. Or trying to slide that color TV into a stolen ambulance. NBC will not be able predict the winner at 8:32 on reports from 29 districts. The revolution will not be televised.

アンタは大勢にまじって買い物カートを押して一目散に走るカッパラってきたテレビを一生懸命に車へ運び込む・・・革命とはそんなものではない。大統領選挙の日、早くも午後8時32分、NBCテレビはニューヨーク州選挙区から当選確実の報道をだす・・・そんなことはできるはずがない。革命がテレビで放送されるはずがないのだ。

(第四段落の解説)
 この段落の一行目は、「ワッツ暴動」(1965年、ロサンゼルス市)のような黒人地区の暴動の風景を描いているのだと思います。1960年代後半は、ワッツ暴動を皮切りとして夏がくるたびに暴動が頻発していました。黒人地区に火があがり、商店街のお店から物が盗まれていく様子です。
 「買い物カート」は貧しい者の象徴です。貧しい層は車を持っていないのでショッピングカートを押してそのまま家に帰るからです。または、ホームレスの人々がカートに物を乗せて生活するからです。
 「暴動がおこって略奪をするキミの顔はテレビで報道されない」とギルは言っているようですが、レトリックではなくそのまま受け止めて良いのでしょうか。もしそうなら、「キミは暴動を起こす側のはずだろ、暴動をテレビで眺める側じゃないだろ、ましてや鎮圧する側の人間じゃないだろ」というメッセージに聞こえます。
 では、暴動は革命(レボリューション)でしょうか? 暴動は革命的(レボリューショナリー)でしょうか? 暴動が起これば、一歩でも革命に近づいているだろうか?
 テレビが暴動のニュースを伝えることはあるだろう。しかしそれは革命となにか関係があるだろうか?・・・と暗に問いかけています。暴動と革命は似て非なるもの、というのがギルの答えなのでしょうか。そこは明言されていません。しかし、暴動の様子をニュースで報道したってテレビは革命の引き金にならない、ということだけは明快に分かっていることです。
 (なお、Willie Maeという名前が意味するところが、いろいろ調べたのですが分かりません。有名な野球選手ウイリーメイズのことではないと思われます。お分かりのかた教えてください。)

 それにつづいて、選挙について言及されます。大統領選挙のことでしょう。NBCはニューヨークに本社のある主要全国テレビ局です。投票所は夜八時に閉まるのにその三十分後にはテレビ局が一方の大統領の当選確実を宣言するなんてオカシイだろ。テレビなんてそんな馬鹿げたものだと言っているわけです。
 アメリカは全国で四つの時間帯を採用していますから、ニューヨークで八時半であれば、西海岸ではまだ夕方の五時半です。アラスカにいたってはまだ四時半です。これでは正常な選挙はできません。
 テレビというものは民主主義を妨害するものであると言っています。

 第四段落は、ジャーナリズム批判ということになるでしょうか。


(第五段落)
There will be no pictures of pigs shooting down brothers in the instant replay. There will be no pictures of Whitney Young being run out of Harlem on a rail with brand new process. There will be no slow motion or still life of Roy Wilkens strolling through Watts in a Red, Black and Green liberation jumpsuit that he had been saving for just the proper occasion. The revolution will not be televised.

黒人がポリ公に撃ち殺される映像がリプレイ・・・されるはずないだろ。ホイットニーヤングが 流行のストレートパーマをあててハーレムで市中引き回しになる映像が・・・放送されるはずないだろ。ロイウィルキンズが ついにアフリカ回帰運動を唱えて三色のジャンプスーツを着てワッツ地区を練り歩くところをスローモーションまたは静止画像で・・・放送されるわけないだろ。革命とはテレビで放送されないのだ。

(第五段落の解説)
 黒人に対する警官による暴力の問題。黒人街にたむろする人々を乱暴に尋問したり、いわれなく逮捕されたりする。最悪のケースは黒人男性が白人警官に路上で射殺されたり、逮捕後に不明な死をとげる。これは現代にまで連綿とつづいています。1960年代にはブラックパンサーが「警察から身をまもるために武装しなくてはならない」と主張しました。1991年にはロドニーキング事件、翌年にはロサンゼルス大暴動が発生しました。
 近年では、2014年に起こったマイケルブラウン君が射殺された事件、エリックガーナー窒息死、2015年のウォルタースコット事件、フレディーグレイ死亡事件、サンドラブランド死亡事件、そして2016年のフィランドキャスティール事件などです。これらの事件で罪を問われた警官はみな無罪となっています。
 また、2012年のトレイボンマーティン殺害事件は、白人至上主義者が待ち伏せして17歳の黒人青年を射殺した事件ですが犯人が無罪となったことで「Black Lives Matter運動」のきっかけとなりました。
 「Instant replay」は、スポーツ中継でよくある「いまのシーンをスローモーションでもう一度」みたいなやつでしょう。当時としては最先端の映像技術だったのでしょう。だから、「もし黒人男性が警官に射殺されるところがテレビで放送されるなら、スポーツ中継みたいにリプレイやってくれるかもね」という辛辣な皮肉を言っているわけです。
 これは、2018年に日本に住む僕たちも、本当に笑っていられることではありません。僕が子供のころには、「テレビニュース」というのがあったと記憶しています。いまは、ほんのわずかな枠を除いてそんなものは無くなってしまったようです。すべて「ワイドショー」と呼ばれるものに取って替わられました。
 つまり、ニュース報道というものは広告とそりが合わないのです。だから広告媒体であるテレビにうまく適合させるために、スポーツも娯楽芸能も政治社会ニュースもすべてひっくるめたワイドショーになってしまったのでしょう。その意味で、ここでギルが指摘していることーーー「テレビ局は、黒人が警官に殺されるところをスローモーション再生してショーにしちゃったらいいじゃん」ーーーは、あまりにも核心に迫っていると言えるのではないでしょうか。

 現代にはテレビやインターネット、そしてスマートフォンの登場。不条理に人々が警察に撃ち殺される映像が見ることはいとも簡単に見られるようになりました。では、それで一体なにかが変わったのか、または変わっていないのか、進歩したのか後退したのか? 革命に近づいたのか遠のいたのか? そもそも革命とは何なのか・・・

 ホイットニーヤング(1921-1971)は、黒人の雇用問題にとりくむ団体「全国都市同盟」の事務局長を務め、公民権運動のリーダーの一人として活躍した人物です。現実的な功績をおさめた反面、妥協することも多かったので、迎合的・体制寄りであるとされて、黒人のあいだでは批判の的となってきた人物です。
 「プロセス」というのは、黒人のあてるストレートパーマのことです。1970年ごろは、アフロヘア(ナチュラルヘア)が大流行した時期でしたから、ここでは体制寄りであることの象徴として言われています。前述の「ニクソンがラッパを吹く映像」という話と同じ理屈です。革命は映像化できないということを言っています。
 つづいて、ロイウィルキンズ(1901-1981)も著名な黒人活動家です。60年代にNAACP(全米黒人地位向上協会)の事務局長を務めました。ここでは批判の対象として登場しています。つまり、「ブラックパワー」運動が大きくなっていた1960年代後半〜1970年にあっては、武装主義や「いかなる手段をとろうとも」という主張が有力となっていて、50年代〜60年代前半にキング牧師たちと公民権運動を闘った世代は「および腰」として批判されていたのです。
 ここで、赤黒緑の「三色」というのは、マーカスガーベイ(1887-1940)らが唱えた黒人民族運動、パンアフリカ運動をあらわす三色国旗のことです。ここでは、六〇年代前半の公民権運動家が、より革命的であると考えられている六〇年代後半のブラックパワー運動に同調しないことを批判しているのでしょう。

 くどいようですが、この詩はこのように訴えます。《・・・テレビで革命を起こすことは出来ない。本当に革命が起きるということは、私たち黒人全体の意識が目覚めるということだからだ。テレビで人々の意識が目覚めることはない。ところが、君は家でテレビを観ている。僕は君に問う。君は一体どのような映像を待っているんだ? ニクソン大統領が黒人の子供から豚肉をとりあげる映像だろうか? ホイットニーヤングがプロセスパーマをあてた映像だろうか? ロイウィルキンズが三色スーツを着た映像だろうか? もちろん、そんな映像は無いし、仮にそんな映像が放映されたところで君の意識が目覚めることは無いだろう。つまり、革命の思考は映像化できないのだ。》


(第六段落)
"Green Acres", "The Beverly Hillbillies" and "Hooterville Junction" will no longer be so goddamned relevant. And women will not care if Dick finally screwed Jane on "Search for Tomorrow" because Black people will be in the street looking for a brighter day. The revolution will not be televised.

『農業天国』だの、『じゃじゃ馬億万長者』だの、『ペチコート作戦』だの、そんなコメディドラマを見る必要なんてどこにあるんだ? ソープオペラ『明日を探して』の二人は「結局ヤッちゃうのかな?」なんて気にとめる主婦なんて居るのか? すべての黒人は明るい未来を求めて家から外に出るのだ。なぜなら、革命がテレビで家まで届けられることは無いからだ。

 ここで三つのシットコムが登場します。「シットコム」というのは「シチュエーションコメディ」の略ですが、日本ではあまり馴染みがありません。日本でもっとも有名なのは『奥様は魔女』でしょうか。画面には映らない観客が居て、笑い声だけが聞こえてきます。こういうのを「録音笑い」というそうです。撮影セットはわざと舞台風になっていて壁の四方にあるうち一方だけがカメラに向けて開放されています。
 アメリカではとても普及しているもので、夜の娯楽といえばシットコムかトークショーです。両方とも観客を入れて行われるところが興味深いですね。
 日本だと、録音笑いといえば、『ドリフの大爆笑』を思い出します。それから、80年代終わりの『やっぱり猫が好き』もシットコムの実験的なものですかね。そういえば、日本では90年代以後でしょうか、制作スタッフの笑い声をわざと拾うという方法が編み出されているようです。

 いずれにせよ、コメディーを観ていても革命は起きないぞ、と言っています。そりゃそうだ。
 ここで挙げられている三つのシットコムはいずれも60年代当時、日本でも放送されていて、とても人気があったそうです。"Green Acres"の日本放送用のタイトルは『農業天国』で、"The Beverly Hillbillies"のほうは『じゃじゃ馬億万長者』でした。前者のほうは、大都会ニューヨークから田舎農場に移り住む夫婦のお話。後者は、田舎農場の金持ちがビバリーヒルズにやってきて引き起こす珍騒動ドラマ。三つ目の"Hooterville Junction"は、本来は "Petticoat Junction"(日本放送用タイトル『ペチコート作戦』)と思われます。
 大昔のコメディのことを詳しく掘り下げる必要は無いかもしれません。ようするにギルはここで、「オレたち黒人が、農業を営む白人家庭を舞台にしたコメディ番組を観るバカがあるか」と言っているのです。
 これは僕の推測ですが、資本主義の一端(いや本質というべきか)として、田舎から出てきた労働者が掠め取られることによって都市が繁栄しつづけるということについて暗に言及しているのかもしれません。

 シットコムの次はソープオペラです。ソープオペラとは、主婦向けに昼の時間帯に放送される、多くは洗剤会社がスポンサーとなる恋愛ドラマです。この『明日を探して』というのは超がつく長寿ドラマで、なんと1951年から1986年までの35年もつづいたそうです。(もちろん僕は観たことはありません。このブログを書くためにYoutubeですこし観ましたが。)
 あまりにタイトルがハマりすぎて笑いを誘います。


(第七段落)
There will be no highlights on the eleven o'clock news and no pictures of hairy armed women liberationists and Jackie Onassis blowing her nose. The theme song will not be written by Jim Webb or Francis Scott Keys, nor sung by Glen Campbell, Tom Jones, Johnny Cash or Englebert Humperdink. The revolution will not be televised.

革命が起きれば 夜11時のニュースで流れると思うか? アンタの革命は「ウーマンリブの女性は脇毛を剃りません」てか? アンタの革命は「ジャッキーオナシスが人前で鼻をかみました」てか? それからなあ、革命ってのはBGMもついてないんだぜ? ジムウェブだの、フランシススコットキーズだのによるオープニング音楽も無いし、グレンキャンベルだの、トムジョーンズだの、ジョニーキャッシュだの、イングルバートハンパーディンクだのが唄う主題歌も無いんだぜ? 革命というのはテレビで放送されないのだ。

 この段落は、僕はうまく翻訳できずにモヤモヤしています。でも意味はとてもシンプルなはずです。《革命は夜11時のニュースでもやってないぜ》と言っているだけです。ウーマンリブの女性は脇毛をのばしているとか、ジャッキーオナシス(暗殺されたケネディ大統領の未亡人)、つまりオナラもしないようなセレブ面をした特権階級が鼻をかんだという程度の「衝撃映像」ならテレビでやってるだろうけどなーーーと言っているだけです。
 「衝撃映像」と「革命映像」をごっちゃにするなと言っています。
 革命は映像化できないのです。そしてギルは、「革命はニュースにもならない」と言っています。すこしばかり耳を疑います。えっ、革命はニュースにもならないの?・・・これは重要な気がします。どうなのでしょうか。

 つづいて、「音楽もついてねえぞ」と言っています。言われてみれば、これも重要です。(・・・そうか、音楽もついてないのか!)
 僕は、革命って、なんだかカッコいい音楽がついてるものだと先入観を持っていました。でも、確かに音楽はついていないかも。逆もまた真なり。音楽がついているものは本当のレボリューションじゃない。音楽をかけるのがダメといっているのではない。音楽なんて意味が無くなるほどの瞬間が訪れるのだと考えればいいかもしれない。





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