"Revolution will not be televised."(革命はテレビ放送されない。)−−−なんとカッコいいキャッチフレーズでしょう。当時もっともクールに輝いていた詩人・ギルスコットヘロンによる、1970年発表のポエトリーのタイトルです。さすがに現代の僕たちの脳みそにも突き刺さります。そして同時に、謎にみちたタイトルでもあると思います。意味が分かるような分からないような・・・。だからこそたくさんの人を魅了してきたと思います。
2015年9月、この歌詞の翻訳を、僕なりにやってみました。この拙い翻訳が完成するまで、半年くらい要しました。この詩は一体なにを訴えようとしているのか、彼が革命と呼んでいるものは一体どのようなものなのか、最後の一行に込められた意味はどのようなものか。その本意を掴もうと、知恵熱をだして取り組みました。
ちょっと脱線します。実は、この翻訳に手を着ける以前には、僕は只々ぼんやりと、つぎのようなトンチンカンなことを考えていました。
ーーーいざ革命が発生したとき、何がおこるか? ここで云う革命とは、当然ながら〈ブラックレボリューション〉という意味だろう。素直に考えて、ふつうは革命軍が政府軍を打ち破ったら国営放送局を占拠するだろう。そして全国にむけて革命が成就したことを電波にのせて宣言するだろう。それなのに、なぜ、ギルは「革命はテレビ放送されない」なんて言っているのか?
ーーーそれとも、革命が起きたとき、旧政府の命令で各放送局が電波停止させられるんだろうか? 政府による最後の抵抗として? そして各家庭のテレビ画面は真っ暗になるのか?
こんなことを考えていたのですが、オカシイですかね? 英語の聴き取りなんていうのは一般的な流行歌でも中々わからないのに、こんな早口のポエトリーは僕にはまったくお手上げでした。ペラペラと何を言っているのか聴き取れないので、タイトルだけで上記のようなことを妄想していたわけです。
この曲が発表された1970年ごろは、「革命」は現在にくらべて遥かに現実的なものとして語られていました。しかし、ついに革命は起きませんでした。半世紀ちかく経った現在もまだ起きていません。ところが、ここで饒舌に語るギルはどうやら「革命とは一体何なのか」を知っている様子です。
それは誰が起こすのか? テレビ局は放送するのかしないのか? ワッツ暴動(1965年)のような都市部の暴動からスタートするのだろうか、それともキューバ革命のように農村部や山岳部のゲリラ戦から始まるのだろうか? 指導するのはブラックパンサーだろうかNOI(ネイションオブイスラム)だろうか?
400年間苦しめられてきたアメリカ黒人3000万人を、誰がどのようにして解放するとギルは言っているのだろう? そしてその革命は、出口の見えないベトナム戦争に終止符をうつはずであるし、アメリカ合衆国の黒人のみならず、南アメリカの黒人や、さらには地球上すべての弱者を救済して理想郷をもたらすべきものである。それは一体どのようにして起こりうるのだろう?
そして、一番重要なことは、僕たちとの関係性です。「ギルの歌う〈革命〉とやらはここ日本でも倣うことは可能なのか?」「21世紀の現代でも有効なものなのか?」ということです。
それに、「革命はテレビで放送されない」とギルは言うが、インターネットはどうなんだ? テレビはダメでも、Youtubeでは放送されるのか、されないのか? Facebookでは革命は流れるの、流れないのか? ツイッターやインスタグラムでは? それとも、流石のギルスコットヘロンであっても、インターネットテクノロジー全盛の現代のことまでは予見できなかったのか? それとも彼の知性と洞察力は、半世紀が経った現代においても、僕たちが発するのすべての問いに答えてくれるものなのだろうか?
前置きが長くなってしまいました。それでは次回から、歌詞の内容を、僕の分かる範囲でじっくり解説してみようと思います。そして上記のそれぞれの問いについて答えようと思います。
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