『詩のこころを読む』(茨木のり子著 1979年、岩波ジュニア新書)より、日本の文化についての指摘。
〈第三章 生きるじたばた〉のなかの、金子光晴の詩「寂しさの歌」について語られている部分より抜粋。
つづまるところ詩歌は、一人の人間の喜怒哀楽の表出にすぎないと思うのですが、日本の詩歌はこれまで「哀」において多くの傑作を生んできました。「喜」や「楽」にも見るべきものがあります。ただ「怒」の部門が非常に弱く、外国の詩にくらべると、そこがどうも日本の詩歌のアキレス腱ではあるまいか、というのが私の考えです。(中略)さまざまな怒りはこの世に充満していますが、それを白熱化し、鍛え、詩として結晶化できているものは、多くの人の努力にもかかわらず現在でもいたって数は乏しいのです。遺伝的体質なのかもしれません。
(「遺伝的体質」というのは、厳密な医学的な意味ではなく「民族的特質」とでも置き換えられるべきでしょう。念のため。)
また、同じ箇所で、いちページめくると次のような記述があります。
第二次世界大戦時における日本とは何だったのか、なぜ戦争をしたのか、その理由が本を読んでも記録をみても私にはよくわかりません。頭でもわからないし、まして胸にストンと落ちる納得のしかたができませんでした。東洋各国との戦争は侵略であることがはっきりしましたが、アメリカとの戦いは結局なんだったのか、原爆をおとされたことで被害国でもあり、全体は実に錯綜しています。そんなわけのわからないもののために、私の青春時代を空費させられてしまったこと、良い青年たちがたくさん死んでしまったこと、腹がたつばかりです。私の子どもの頃には、娘をつぎつぎ売らなければ生きてゆけない農村地帯があり、人の恐れる軍隊が天国のように居心地よく思われるほどの貧しい階層があり、うらぶれた貧困の寂しさが逆流、血路をもとめたのが戦争だったのでしょうか。貧困のさびしさ、世界で一流国とは認められないさびしさに、耐えきれなかった心たちを、上手に釣られ一にぎりの指導者たちに組織され、内部で解決すべきものから目をそらさされ、他国であばれればいつの日か良いくらしをつかめると死にものぐるいになったのだ、と考えたとき、私の経験した戦争(十二歳から二十歳まで)の意味がようやくなんとか胸に落ちたのでした。(『詩のこころを読む』茨木のり子 1979年/岩波ジュニア新書 160-161ページ)