オトリとしての「憲法改正草案」

自民党による「憲法改正草案」というものが2012年に発表されました。
いまから六年前になります。

これを読んだときには、あまりの無茶苦茶ぶりに驚愕したものです。
僕なんかのような、憲法に詳しくない人、法に詳しくない人、誰が読んだって、オカシイことだらけのシロモノでした。

僕たち一人ひとりのことを大事にせず、国全体のことを大事にする。
自由や人権を、可能なかぎり制限する。
家族のありかたを規定する。(これは危険な考え方。なぜかというと、国が真剣にとりくまなければならない福祉や教育などを、なんでも家族のありかたのせいにして誤摩化すことが可能になるから。国家主義的なイデオロギーを植えこみやすくなるから。家族のありかたは、国が云々することではない。)

こんなバカバカしい、しかも日本語もあやふやな「憲法草案」を発表する自民党とは如何なる人達だろう?ーーーと不思議でなりませんでした。

それで、多くの人が怒りましたし、たくさんの本もでました。
僕も、そんなことをブログで書いたりしました。
野党議員もこれについて厳しく安倍首相たちを問いただしたのですが、のらりくらりとかわされました。

それから六年が経ちました。
・・・今となっては、これは全く、実は僕たちが間違っていたことが明白になったのではないかと考えているのです。
僕たちは、騙されていたのだ。

この憲法改正草案は、2012年、つまり民主党が第一党となって自民党が下野していたときに作られたもので、なんの責任も伴わない、これは「おとり」「サンドバッグ」だったのだと思う。
元々こんな草案を押し通す気など無かったのだ。
臆面なく、極端な国粋主義を打ち出したオトリを掲げることによって、むしろ自民党の求心力は増大したのだった。
リベラルはどうせ自民党を応援しないのだから、むしろ振り子を振り切ったほうが都合が良かったのだ。

自民党は返り咲き、特定秘密保護法、武器輸出解禁、安保関連法、共謀罪、カジノ法、民主党の瓦解など、いろんなことがありました。
僕には、かつてないほどの猛スピードで日本が悪い方向に向かっているようにしか見えません。
それを象徴しているのは、本屋に並ぶ、隣国のことをこれでもかというほど悪く書いた本。
「日本はスゴい!」などというテレビ番組も増えた。いまは日本の歴史上、もっともスゴくない時期なのに!

そうして、今週、自民党執行部のとりまとめで憲法改正案が決着したと報道されました。

憲法九条の二項維持がどうのこうの、自衛隊の明文化がどうのこうの、と言っています。
しかしその内容は、もはやどうでも良いのです。
(もちろん、自衛隊の明記なんてぜったいにアカンに決まっているのですが。)
何故なら、これは「お試し改憲」と言われているやつであって、「とりあえず一度でも改憲をすること」自体が彼らの目的だからです。
本当になんのこっちゃ分かりませんが、とにかく明治時代への郷愁というおかしな情念を持っている人達が存在していて、憲法の破壊を目論んでいます。その人達もアホではないので、十年や二〇年をかけて日本国憲法をぶっ壊そうとしていて、とりあえずの第一段階というわけです。
2012年の憲法改正草案は、実際の憲法改正の発議が「よりマシ」に見えるようにするためのオトリだったのだ。


いま、森友疑惑で国会が紛糾している安倍政権はもはや盤石でないかもしれません。それは良いニュースです。
でも、安倍首相などというものこそオトリに過ぎないのではないか。
安倍晋三なるものと2012年の憲法改正草案、この二つはどこか似ていないでしょうか。僕は似ているような気がしてなりません。


安倍政権が退陣しても、憲法改悪の流れはどんどん続くと思います。
憲法改正の発議は来るんじゃないかと思っています。
必死で、日本が崩れていくのを食い止めなければいけないと思います。

2021年1月

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