ダイバーシティーナイト書き起こし(その2)


2017年10月21日 ダイバーシティーナイト
場所:大阪 東梅田 DO WITH CAFE

(その1から つづき)
なぜ、数多くある事例のなか、スライ&ファミリーストーンだけが「初の人種混合バンド」といわれているのか?ーーーということを説明してみたいと思います。
ええとですね、これについては、「初めての、黒人がロックを演奏するバンドだから」というような答えもアリなのかもしれません。
ただし、半分は正しいと思いますが、それほど正解ではないと思います。
スライ&ファミリーストーンはロックバンドではないからです。
リズム&ブルーズというかソウルに、ロックを取り入れたのは確かですけれども、あくまでリズム&ブルーズ、つまりいわゆる黒人音楽のバンドだと思います。

名称未設定2.jpg
さて、本筋にいきます。
そのためには時代背景を分かってもらわないといけないんです。
それでは次のスライドを見てください。
(読み上げる。)

5_pdfsam_ダイバーシティナイト.jpg
1960年代というのは「激動の時代」と言われています。
1960年代のアメリカというのは、ものすごく大きな「社会変化」が起こったんですね。
いろんな変革がおこりました。
音楽でいいますと、いま「ロック」と呼ばれているものが確立したのもこの時期ですね。
エレキギターを鳴らす長髪の若者、ビートルズがイギリスからやってきた。
ソウルと呼ばれる新しい黒人音楽がイギリスやアメリカの若者に受けた。
文化的には、ヒッピーと呼ばれる、若者の新しい価値観が登場した。
セクシャルレボリューションと言われていて、性表現の自由が格段にひろげられた。
ウーマンリブと言われる女性権利運動が起こった。
ゲイカルチャーの爆発はもうすこし後だと思いますが、ヒッピーやウーマンリブと大きく関係していると思います。
そして、いわゆる公民権運動があったのです。
そして、ベトナム戦争があった。
これがあったから、良くも悪くも、反戦を訴えた若者カルチャーが爆発したといえると思います。

さて、「公民権運動」の話をします。
あのキング牧師が主導した公民権運動です。
とにかく、1960年代の公民権運動というのは、おそらくみなさんが想像しているよりも、ものすごく重要で大きなムーヴメントだったんです。
アメリカ全体がひっくり返るような、一大運動だったんですね。

想像してみてください。南部の黒人というのは、アメリカの人口の数パーセント、ハッキリとは知らないんですが、5%から10%のあいだのはずです。
その人々が、白人専用の学校やホテルやレストランから立ち入り禁止だったわけです。
実質的な選挙権もありませんでした。
要するに、自由と民主主義の国・アメリカとしては「恥」の部分だったわけですね。
それを一気に違法にして前進をみたのが公民権運動です。

いわゆる公民権運動のスタートは、1955年からのアラバマ州モンゴメリーでの有名なバスボイコット運動です。
これから火がついて、キング牧師を中心として運動が大きくなっていったんですね。
キング牧師がとった戦略が良かった。それは「非暴力主義」という考え方だったんですね。
白人専用のレストランに座り込む。いわゆる「シットイン」という戦術です。
ここで殴られたり、ツバをかけられたりケチャップをかけられても、無抵抗で座り続ける。
デモや行進で警官に殴られても、殴り返さない。
こういう凄まじい写真や映像が伝えられて、黒人だけでなく、白人リベラル層の支持をとりつけることに成功しました。
そして、1963年8月のワシントン大行進がピークです。
20万人が参加しました。キング牧師が有名な「私には夢がある」という演説をしました。
これを受けて、翌年1964年、ついに「公民権法」が成立したのです。
ここまでの十年弱を、公民権運動と呼びます。

さて、当たり前ですが、歴史には続きがあるんですね。
1964年に成立した公民権法でしたが、しかし、それだけですぐにアメリカ全土の黒人の暮らしが上向くわけではありません。
キング牧師は、それに対する処方箋を持っていなかったんですね。無理もないことですが。
大きなぶり返しがきて、1965年の夏からは、暴動がくりかえし起こります。時代はどんどん変わるんですね。
とくに、ロサンゼルスで起こった「ワッツ暴動」というのがとても大きな暴動でした。
また、1965年には、マルコムXが暗殺されます。どんどん黒人社会に不安がひろがっていくんですね。
本当に短いあいだに、キング牧師の「非暴力主義」は、時代おくれとなっていったんです。

そこで登場したのが、ストークリーカーマイケルという青年でした。
彼は1966年ごろ、「ブラックパワー」という言葉をひろめて一躍有名になりました。
この言葉に込められた意味は、黒人は非暴力で訴えるだけではダメだ、経済力や政治力、そして武力を身につけないと前進できない、という訴えです。
そしてついに、1968年4月、キング牧師も暗殺されてしまいます。
あの非暴力主義のキング牧師までもが暗殺された・・・ということで大きな絶望が広がります。
もはや非暴力主義では闘えない、とつよく印象づけられてしまったのです。
そこで「ブラックパワー」や「ブラック イズ ビューティフル(黒い肌は美しい)」という言葉が大流行します。
黒人の政党・自警団である「ブラックパンサー党」も登場しました。これは自衛のための武装を肯定する主張です。
白人警官から殺されないように銃を手に取るリーダーたちが登場する。
「黒人は、自治権や独立国家を持つべきだ、という〈分離主義〉が説得力をもつ時代になりました。
白人層は、保守層もリベラル層も恐怖を感じる。
ですから、特に1960年代後半は、ふたたび「分断の時代」なんですね。

これが、スライ&ファミリーストーンが登場してきた時代の背景です。
だからこそ、スライのメッセージは強烈だったんです。
世の中のリーダーたちが、「黒人は美しい」「黒人は武装せよ」「黒人国家をつくろう」と言っている時代に、
スライは、「黒人も白人もアジア人も関係ない。ケンカをやめろ!」と言ったのです。
これが、「初の人種混合バンド」と言われた背景です。
そしてスライのメッセージは、多くの人に引継がれていきました。
アメリカでは、かつてのように「白か黒か」という単純な図式で語ることは少なくなったと思います。
「もちろんブラックはビューティフルだ。でも、肌の色なんて関係ない」
「大事なのは、個人個人が尊重されることだ」
「違いを認め合って、人種間のケンカをやめよう」
というような思想を広めたのは、スライの功績が、本当に大きいのではないかと思います。


・・・どうでしょうか?
今の時代にすこしだけ似ていると思いませんか。
今のアメリカは、八年間つづいたオバマ政権は、人種統合的なリベラルな雰囲気をつくったのですが、
ご存知のように、そのぶり返しといってよいでしょう、トランプ大統領が登場しました。
信じられないほどの破壊力で、アメリカの人種間に亀裂が入っていったと思います。
また「分断の時代」がやってきたのです。

このようにしてアメリカは、振り子のように、融和したり分断したり、を繰り返していると言われています。


さて、それでは、スライの音楽を聴いてみたいと思います。
「初のダイバーシティソング」です。
といっても、僕が勝手にそう決めつけているだけですが。
スライの歌を、「翻訳付き」で聴いてみたいと思います。

(その3へつづく)


2018年3月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31