オーサカ=モノレール結成25周年記念にあたって
そうか、あれから25年が経ったのか・・・。
そもそもオーサカ=モノレールの目標は何だったろう? 果たしてそれは達成されたのだろうか・・・?
いろいろあります。「60年代のJBオーケストラのサウンドを出す」・・・これは3〜4割くらいまでなら達成されたかもしれません。「SOUL/FUNKの映画を配給する」という夢は叶いました。ヒーローやヒロインに会うことができたのも、夢がかなった瞬間でした。ジェイムズブラウン、パムグリア、メルヴィンヴァンピーブルズ、その他大勢。
演奏旅行で多くの場所や国々を巡って訪れる、という目標も実現しました。そしてマーヴァホイットニー、フレッドウェズリー、マーサハイ、サージョークォーターマンとの共演。
「プライベートジェットでツアーをする」という夢は実現できていませんが、これはまあ出来なくても構いません。
そんなことより、僕がそもそもオーサカ=モノレールでやろうと考えていたことは何だったか・・・。
それは、吉田ルイ子の写真をみたときや、『ワッツタックス』を観たときや、そしてソウルやゴスペルミュージックを聴いて心動かされたときの「あの感じ」。「あの世界」にどうにかして僕も足を踏み入れさせてほしい。手で触ってみたい。できることなら、自分でも同じような波動を発生させてみたい。それでした。
あの、「同胞は団結しよう!」っていうスローガンと、個人主義のエゴイズムがドロドロに混ざり合っているような不思議な空気をもつ時代。ゴスペルの高揚性なのかブルーズの官能性なのか、いまだ判別できない謎の低周波エネルギー。アフリカ大陸、カリブ諸島、アメリカ大陸、そしてヨーロッパの、リズム・音階・音律がレイヤーを成して奥深く混ざりあっている音楽。しかもそれはあの超大国アメリカの最下層からやってきたダウンホームな音楽なのだ。いや違う、虚しい夢を売る商業音楽だ。いや違う、四百年・四千万人の権利闘争と一体となった魂の音楽なのだ・・・。そういう葛藤や矛盾。それを自分なりに消化して、体現してみたい。
数年前の夏のある夜、盆踊りに出かけたら、祭りはすでに終わって後片付けがおこなわれていました。「あれ、どこかで味わったことのある感覚だぞ」と妙な興奮をおぼえました。
僕が吉田ルイ子の本を初めて読んだのは1991年ごろでした。その時点で、"Civil Rights Movement"とか"Soul Music"とか"Black Power"とか"Funky Music"という名の「祭り」(不謹慎な喩えかもしれないが)は、とうの昔に終わっていました。そうとは知らずいそいそと出かけたのは愚かだったか、、。いや、そうでもないだろう。もしかしたら祭りはまだやってるかもしれない。あらたに興すことだってできるかもしれない。問題はこれからのことなのです。
ご存知のように、いま、オーサカ=モノレールは、山縣賢太郎&淡路泰平(tp)向井志門(ts)速水暖&池田雄一(g)大内毅(b)木村創生(d)そして僕という顔ぶれで、これで毎週2回も3回もリハーサルスタジオで練習しています。バンドの息も相当に合ってきて、要するに、また新しい黄金期(〈第八黄金期〉と僕は呼んでいる)が始ったばかりです。
そしてそのハイライトは、何回目かのヨーロッパ遠征、「インプレッションズ」や「ジャクソン・シスターズ」とのツアー、そして二回目のアメリカ遠征になるはずなのです。
四半世紀やってこれたのは、苦労をともにしてくれたバンドメンバーと、途絶えることなく足を運んでくださるリスナーの皆さんのお陰です。
すみませんけれども、まだまだ頑張りますので、今後とも応援を賜りたく、なにとぞ宜しくお願いします。
中田亮