今日は、本当に分かり切ったようなことを、わざわざ理屈をこねて書いてみようと思います。
理論をまず説明して、つぎに練習問題を解きます。それから応用問題をやって、最後に、実際の僕たちの生活にどのように使うかを説明したいと思います。
〈囚人のジレンマ〉という、とても興味深い「例え話」があります。色々な方面でよく引き合いにだされるのでご存知の方も多いと思います。
囚人のジレンマ
いまここに、ある事件における二人の容疑者が警察の取り調べをうけています。この二人は共犯であり実際にこの事件の犯人です。二人は、べつべつの部屋にいて、連絡をとりあうことはできません。あなたはこの容疑者のうちの一人です。つまり、「どうにかして刑を軽くしてもらいたい。できることなら釈放されたい」ということです。
二人とも黙秘をつづけています。そこへ、取り調べ官が条件を持ちかけます。
「別室にいる相棒は黙秘をつづけている。このままお前だけ自白してくれたなら、お前だけ釈放してやろう」
「逆に、相棒が自白して、お前はこのまま黙秘をつづけるなら、相棒は釈放となり、お前は監獄おくりとなる」
当然ながら、別の部屋にいる相棒にも同じ条件がだされていることでしょう。あなたは次のように考えます。
(このまま自分が黙秘をつづければ、自分だけ監獄送りになってしまうのは時間の問題だ。)
(もし自白すれば、わずかではあるが釈放される可能性が開かれる。)
(よりマシなのは、自白するほうの選択肢である。)
そういうわけで、あなたは自白します。ところが、あなたの相棒もまったく同じ条件ですので、同様に自白します。かくして、二人そろってあっけなく刑務所に送られてしまいました。
「日本を元気にする会」の問題については、もちろん「安保法制に反対しつづけるべきだった」が僕の意見です。なぜなら、「このまま反対しても、どうせ可決するのだから意味がない」という考えが「正しい」のであれば、ほかのすべての野党も交換条件付きで賛成票に回ることが「正しい」ということになります。そんなことになれば、その次の選挙で、有権者は一体どの政党に投票したらよいのか分からなくなってしまうでしょう。そうすると、いままでの支持者も失うことになり、その政党は崩壊への道をすすむでしょう。これは「正しくない」。
まあ、よーするに、《目のまえの損得に惑わされてはダメ》《自分だけではなく全体で動くことを考えろ》って、なんだか、当たり前なことを書いているだけなんですけれども。
理論をまず説明して、つぎに練習問題を解きます。それから応用問題をやって、最後に、実際の僕たちの生活にどのように使うかを説明したいと思います。
〈囚人のジレンマ〉という、とても興味深い「例え話」があります。色々な方面でよく引き合いにだされるのでご存知の方も多いと思います。
囚人のジレンマ
いまここに、ある事件における二人の容疑者が警察の取り調べをうけています。この二人は共犯であり実際にこの事件の犯人です。二人は、べつべつの部屋にいて、連絡をとりあうことはできません。あなたはこの容疑者のうちの一人です。つまり、「どうにかして刑を軽くしてもらいたい。できることなら釈放されたい」ということです。
二人とも黙秘をつづけています。そこへ、取り調べ官が条件を持ちかけます。
「別室にいる相棒は黙秘をつづけている。このままお前だけ自白してくれたなら、お前だけ釈放してやろう」
「逆に、相棒が自白して、お前はこのまま黙秘をつづけるなら、相棒は釈放となり、お前は監獄おくりとなる」
当然ながら、別の部屋にいる相棒にも同じ条件がだされていることでしょう。あなたは次のように考えます。
(このまま自分が黙秘をつづければ、自分だけ監獄送りになってしまうのは時間の問題だ。)
(もし自白すれば、わずかではあるが釈放される可能性が開かれる。)
(よりマシなのは、自白するほうの選択肢である。)
そういうわけで、あなたは自白します。ところが、あなたの相棒もまったく同じ条件ですので、同様に自白します。かくして、二人そろってあっけなく刑務所に送られてしまいました。
はて、よく考えて行動したはずなのに、二人にとって最悪の結果を生んでしまいました。さて一体、あなたはどこで間違ってしまったのでしょう・・・?
これが〈囚人のジレンマ〉と呼ばれる問題です。(本当は、数式が登場してマトリクスを書いて考えるのですが、エッセンスとしては上記の説明で十分です。)
さて、その答えを書くまえに、これとまったく同じような、現実に発生した「練習問題」にいきます。
2015年のことです。大規模な反対運動の起こった「安保法案」が国会に提出され、衆議院・参議院を通過したうえに成立しました。
その際、「日本を元気にする会」という政党(当時代表=松田公太参議)がありまして(いまでもありますが)、安保法案についていくらかは反対寄りの姿勢をもっていました。しかし、切り崩し工作があったとみられて彼らは交換条件付きの賛成に転じました。「付帯決議」(この際、内容はともかく)というものを条件に、安保法制に賛成の側になったわけです。
これが〈囚人のジレンマ〉と呼ばれる問題です。(本当は、数式が登場してマトリクスを書いて考えるのですが、エッセンスとしては上記の説明で十分です。)
さて、その答えを書くまえに、これとまったく同じような、現実に発生した「練習問題」にいきます。
2015年のことです。大規模な反対運動の起こった「安保法案」が国会に提出され、衆議院・参議院を通過したうえに成立しました。
その際、「日本を元気にする会」という政党(当時代表=松田公太参議)がありまして(いまでもありますが)、安保法案についていくらかは反対寄りの姿勢をもっていました。しかし、切り崩し工作があったとみられて彼らは交換条件付きの賛成に転じました。「付帯決議」(この際、内容はともかく)というものを条件に、安保法制に賛成の側になったわけです。
松田氏はおよそ下記のような意味の釈明をしました。
《いまさら、いくら反対を叫んだところで、もはや法案の可決は避けられない。私たちは、無駄な抵抗はやめて賛成票に転じる交換条件として〈付帯決議〉というものを与党に承諾させた。効力はすくないとはいえ、安保法制にいくらかの縛りを与えたことは、よりマシな成果である。私のこの決断が正しかったことは歴史が証明するだろう》
この判断は一見、合理的にも思われるかもしれません。「よりマシ」な結果をうんでいるからです。
《いまさら、いくら反対を叫んだところで、もはや法案の可決は避けられない。私たちは、無駄な抵抗はやめて賛成票に転じる交換条件として〈付帯決議〉というものを与党に承諾させた。効力はすくないとはいえ、安保法制にいくらかの縛りを与えたことは、よりマシな成果である。私のこの決断が正しかったことは歴史が証明するだろう》
この判断は一見、合理的にも思われるかもしれません。「よりマシ」な結果をうんでいるからです。
彼の選択は正しかったのでしょうか? 間違っているとするならば、一体どこが間違っているのでしょうか?
僕なりの答えを書きます。
〈囚人のジレンマ〉の設問において、この「囚人」がとるべきだった行動とは「誰が何を言おうとも黙秘を続ける」です。それが出来ていれば二人とも自由の身となれたのです。つまり、実は問いは「オプションAをとるべきか、オプションBをとるべきか」ではないのです。「Aをとればこうなる、Bをとればこうなる、どちらが得だろうか」と考えるところに間違いがありました。つまり、「自分は何者であるのかを考え、出来る出来ないに関わらず、何を為さねばならないのか」を考えて行動すれば良い・・・これが「解答」です。
僕なりの答えを書きます。
〈囚人のジレンマ〉の設問において、この「囚人」がとるべきだった行動とは「誰が何を言おうとも黙秘を続ける」です。それが出来ていれば二人とも自由の身となれたのです。つまり、実は問いは「オプションAをとるべきか、オプションBをとるべきか」ではないのです。「Aをとればこうなる、Bをとればこうなる、どちらが得だろうか」と考えるところに間違いがありました。つまり、「自分は何者であるのかを考え、出来る出来ないに関わらず、何を為さねばならないのか」を考えて行動すれば良い・・・これが「解答」です。
別の言い方で説明すると、「長期的かつ包括的に考えなければならない」ということです。「長期的」というのは、つまり目の前の選択肢とその結果だけで意思決定してはならない、ということです。「包括的」というのは、自分一人の行動とその結果だけで意思決定してはならない、という意味です。
「日本を元気にする会」の問題については、もちろん「安保法制に反対しつづけるべきだった」が僕の意見です。なぜなら、「このまま反対しても、どうせ可決するのだから意味がない」という考えが「正しい」のであれば、ほかのすべての野党も交換条件付きで賛成票に回ることが「正しい」ということになります。そんなことになれば、その次の選挙で、有権者は一体どの政党に投票したらよいのか分からなくなってしまうでしょう。そうすると、いままでの支持者も失うことになり、その政党は崩壊への道をすすむでしょう。これは「正しくない」。
まあ、よーするに、《目のまえの損得に惑わされてはダメ》《自分だけではなく全体で動くことを考えろ》って、なんだか、当たり前なことを書いているだけなんですけれども。
さて、ようやく本題です。上記をふまえて、応用問題と実践問題の二つにまいります。
前原誠司と小池百合子による暗躍があり、二〇年つづいた日本の最大野党・民進党(民主党)が一夜にして瓦解しました。こんな馬鹿な話があるでしょうか。はたから見ていると信じられないことでした。なぜこんなことが起こったのでしょうか。
「ひとまずは、安倍政権を終わらせるためには必要な選択であった」と本人は主張します。はたしてこれは正しいのでしょうか? もちろん正しくありません。どこが間違っているのか? 「選択肢」で考えているからです。「こっちにつくか、あっちにつくか、どちらが議席数が多くなるか?」 当面のこと(議席数)のことしか考えていません。政治理念や有権者との信頼関係が、意思決定のプロセスに抜け落ちているのです。
いま日本が抱えている問題はこれだけではありません。僕たち有権者も同じ問題をかかえています。あれから二週間を経たいまでも、「安倍政権を終わらせるために希望の党に投票しよう」とか、「リベラルの受け皿(立憲民主党)が誕生したのであるから、あの解党劇は喜ぶべきであった」という声もあるようです。最大野党が崩れて一番喜んでいるのは他ならぬ自民党なのに!
長たらしいことを書きましたが、こういった僕たちの目の前にたちふさがる迷路から抜け出す方法は、まるで簡単で分かりきったようなことです。それは、僕たち庶民の一人一人が「市民としてとるべき行動をとればいい」ということです。
具体的には、政治を椅子取りゲームのように弄ぶ者ではなく、平和や人権というものを大切に考えている政党・政治家に投票するということです。「しっかりやればやるほど得票数が増えるのだ」と野党に思ってもらわないことには何も起こらないと思うのです。
残念ながら、「とるべき行動をとる」をやったところで、いますぐ平和や理想の社会は実現しないでしょう。自分が生きているあいだ、でさえも難しいかもしれません。でも、「とるべき行動をとる」は、当面の選挙だけでなく次の選挙、次の次の選挙に力強くつながっていくはずなのです。
僕のブログはいつも結論は同じなんですけど・・・「よりマシな政党を応援するしかない。」ということです。この選挙では、立憲民主党、共産党、社民党を応援することが、僕たちの暮らしをよくする選択であり戦争回避の道です。分かりきったことです。
前原誠司と小池百合子による暗躍があり、二〇年つづいた日本の最大野党・民進党(民主党)が一夜にして瓦解しました。こんな馬鹿な話があるでしょうか。はたから見ていると信じられないことでした。なぜこんなことが起こったのでしょうか。
「ひとまずは、安倍政権を終わらせるためには必要な選択であった」と本人は主張します。はたしてこれは正しいのでしょうか? もちろん正しくありません。どこが間違っているのか? 「選択肢」で考えているからです。「こっちにつくか、あっちにつくか、どちらが議席数が多くなるか?」 当面のこと(議席数)のことしか考えていません。政治理念や有権者との信頼関係が、意思決定のプロセスに抜け落ちているのです。
いま日本が抱えている問題はこれだけではありません。僕たち有権者も同じ問題をかかえています。あれから二週間を経たいまでも、「安倍政権を終わらせるために希望の党に投票しよう」とか、「リベラルの受け皿(立憲民主党)が誕生したのであるから、あの解党劇は喜ぶべきであった」という声もあるようです。最大野党が崩れて一番喜んでいるのは他ならぬ自民党なのに!
長たらしいことを書きましたが、こういった僕たちの目の前にたちふさがる迷路から抜け出す方法は、まるで簡単で分かりきったようなことです。それは、僕たち庶民の一人一人が「市民としてとるべき行動をとればいい」ということです。
具体的には、政治を椅子取りゲームのように弄ぶ者ではなく、平和や人権というものを大切に考えている政党・政治家に投票するということです。「しっかりやればやるほど得票数が増えるのだ」と野党に思ってもらわないことには何も起こらないと思うのです。
残念ながら、「とるべき行動をとる」をやったところで、いますぐ平和や理想の社会は実現しないでしょう。自分が生きているあいだ、でさえも難しいかもしれません。でも、「とるべき行動をとる」は、当面の選挙だけでなく次の選挙、次の次の選挙に力強くつながっていくはずなのです。
僕のブログはいつも結論は同じなんですけど・・・「よりマシな政党を応援するしかない。」ということです。この選挙では、立憲民主党、共産党、社民党を応援することが、僕たちの暮らしをよくする選択であり戦争回避の道です。分かりきったことです。