【鋭意執筆中!】マーサ・ハイ物語(第四回)

マーサ・ハイ物語(第四回)


 マーサがフォージュエルズのメンバーとなって、最初の大きなコンサートは、かのハワード劇場でした。ジェリーバトラー&インプレッションズとセオラ キルゴアが一週間出演していたので、そのオープニングアクトを務めたのです。1962年のことです。
 ところが、ちょうどその週は、高校の卒業式と、その予行演習をおこなう週でした。マーサは、卒業式に出席して卒業証書の授与をうけることができなかったそうです。
 それでも、マーサに気持ちに迷いはありませんでした。これから、音楽の道を歩むことを固く決心していました。

 フォージュエルズは、まもなく〈ジュエルズ The Jewels〉に改名し、地元で人気の女性ボーカルグループとして、キャバレーやナイトクラブ、それから大学のパーティにひっきりなしに出演しました。北西地区14丁目にあった〈バードランド〉が一番有名なクラブでした。

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The Jewels:中央上マーサ、右 グレース ラフィン、左 サンドラ ベアーズ

 そしてもっと大きな場所、ワシントンDCのハワード劇場、バルチモア市のローヤル劇場、フィラデルフィア市のアップタウン劇場が、主な活動場所になってゆきました。
 この時代のどのアーティストでもそうですが、全国区で有名になる前には、自分の地元にやってくる数々の有名アーティストのオープニングアクトを担当するのです。
 オープニングをやったアーティストをあげるときりがないそうです。グラディスナイト&ピップス、テンプテーションズ、リトルアンソニー&インペリアルズ、ドリフターズ、キャデラックズ、ルビー&ロマンティックス、ジーンチャンドラー、ベイビーワシントン、マクシーンブラウン、フリップウィルソン、メイジャーランス・・・などのショーのオープニングをやりました。

 マーサ達は、こういったアーティストのショーを見たり、仲良くなったりして、ショーや音楽のワザ、人生訓を学んでいきました。とくに仲の良かったのは、ドリフターズのジョニームーア、グラディスナイト&ピップスの各メンバー、そしてテンプテーションズのポールウイリアムズでした。

 そんななか、当時はとても人気のあった〈ソウルシスターズ The Soul Sisters〉という、日本でいうとピーナッツのようなカッコいい女性二人組のオープニングアクトもやりました。すると、そのマネージャーだった通称・スモーキージョーという人物が、ジュエルズのマネジメントを申し出ました。

 その彼は正式にマネージャーとなり、ニューヨークの〈ディメンジョン〉レーベルとの契約をとってきて、「Opportunity」という歌をもってきました。この歌は、大ヒットとなり、1964年、ビルボードチャートの64位、さらにロサンゼルスのラジオチャートでは2位を記録しました。


 面白い逸話としては、この曲をマーサたちに稽古をつけてくれたのが、のちにP-FUNKで大成功をおさめることになるジョージクリントンだったそうです。スモーキージョーがジョージクリントンと同じでニュージャージー出身だったので、おそらくそのコネクションなのでしょう。ジョージは(モータウンで働く前に)そのレーベルから仕事をもらって働いていたんですね。
 ディメンジョンは、あのキャロルキング&ジェリーゴフィンのレーベルでした。

 ジュエルズは、ディメンジョンでシングルをもう一枚だします。オープニングショーだけでなく、自分たちでのショーも行うようになっていきました。


 そうして、人生の転機が訪れます。
 ある日、ハワード劇場に出演していたときのこと、客席が騒々しくなって、大きな歓声や叫び声が聞こえました。「あれ、私たちの歌がウケたのかしら?」と思いましたが、そうではないことが分かりました。客席のなかにジェイムズブラウンがまじっていて、劇場の観衆は、ジェイムズブラウンを見つけて叫んでいたのでした。ようやく彼が席につくまで、歓声がおさまりませんでした。

 1965年ことです。当時のジェイムズブラウンは、間違いなくソウルミュージック界のトップの座を誰にも譲らない人気歌手で、「ソウルブラザー ナンバー1」「ミスターダイナマイト」「Mr.プリーズプリーズプリーズ」「キング オブ ソウル」と称していました。ジャズとR&Bの両方を演奏できる超一流のミュージシャンの豪華バンドを従えて、誰にも真似のできない最先端の音楽を演奏していました。
 どのR&B界のアーティストも、バンド無し、または3〜4人の小編成バンドを連れて巡業(チトリンサーキット)していた時代に、ジェイムズブラウンだけは、20人近いオーケストラと、何組もの他のアーティストやダンサーを引き連れて、目の眩むような、まるでサーカスの一座のようなショーをアメリカ全土で行っていたスーパースターでした。

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 そのショーのあと、楽屋にやってきたジェイムズブラウン。その髪型や服や靴を見て、マーサたちは息が出来ないほど大興奮したそうです。ジェイムズブラウンは、なにか言葉を発するたびに、鏡を覗き込んで自分の髪や服を確認しながらしゃべったそうです。「とてもいいショーだったよ」と言われて、メンバーで大喜びしたそうです。

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 数ヶ月後、ジュエルズはニューヨークのアポロ劇場に出演していました。そのとき、ふたたび同じことが起きました。客席で大きな歓声が起こったのです。やはりジェイムズブラウンが観に来ていたのでした。
 そのとき、アポロ劇場の楽屋で「どうかね、オレのレヴューに参加してみないか?」と言われました。
 マーサの頭のなかは大混乱になったそうです。・・・「ツアーにでたら、一体どれくらいのお給料をもらえるのかしら?」「一体どんな場所へ行くのでしょう?」「お母さんやお父さんは、ツアーに出るのを許してくれるかしら?」
 恐怖も感じていました。「この世で最高のショーの一員になるなんて、私たちで務まらなかったら
どうしよう!」
 当時ジュエルズは上り調子だったとはいえ、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントン、などの東海岸を廻っていただけです。同じ音楽/ショービジネスの世界とはいえ、まったく規模が違います。マーサたちにとっては、未知の世界に踏み入る決断をする必要がありました。

 1965年、マーサが20歳のときのことでした。


(第五回へつづく)

2017年10月

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