2017年10月アーカイブ

〈オーサカモノレール〉というヘンな名前のバンドを25年もやっている僕は、何を隠そう、大阪出身です。住んだことのあるのは、吹田市、枚方市、豊中市、池田市などです。

この記事では「大阪1区」について、書いてみたいと思います。
大阪1区とは、大阪市中央区、西区、港区、天王寺区、浪速区、東成区です。
僕が生まれたのは天満の追手門病院なのだそうです。
それから、やっぱり、バンドマンなので、ミナミで演奏することは多かったですから
、人並みにいろいろと思い出があります。
大阪城のあたりで働いていたこともありました。

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下記の五人が立候補しています。

  井上英孝(いのうえひでたか)維新の会、現職
  大西宏之(おおにしひろゆき)自民党、現職(比例)
  小泉修平(こいずみしゅうへい)諸派、新人
  村上賀厚(むらかみのりあつ)立憲民主党、新人
  柴山昇(しばやまのぼる)共産党、新人

このなかから一人だけ当選します。
井上英孝(維新)と大西宏之(自民)がせっているといわれています。


自民党は来年に改憲をやろうとしています。信じがたいことですが本当です。
それに、消費税を10%にあげようとしています。僕たちの生活にこんな大打撃まちがいなしのことがあるでしょうか。
(もちろん、消費税をあげても財政健全化も福祉再建もできないと思う。)
当然、維新も賛成するでしょうから、自民が当選しても維新が当選しても同じことです。

現職、維新の井上英孝が有力と目されています。
「変える!変える!」「改革!改革!」と言っているのが一番信用できません。
庶民の「なんとかして欲しい」っていう気持ちにつけこむ、一番悪い奴らだと思います。
変える気なんて無いくせに、学校の先生とか市役所の職員とかいった叩きやすいところばかり叩いて、なんかやってる雰囲気をだすのが大好きです。

維新だらけになってしまった大阪・・・いつになったら立ち直れるのだろう、と思っています。

さて、そんなことより、立憲民主党と共産党の候補が一本化されていません。
村上氏(立憲民主党)の理念やブログを、すこしばかりホームページで読みました。立憲主義や格差解消を訴えてはいるものの、その行間から「付け焼き刃のリベラリズム」を感じます。もうすこし修行してください。新自由主義的な経済政策だけを本懐とする人物と思われますがいかがでしょう。
一方、柴山氏のホームページは、案の定、見つかりませんでした。はっきり言いまして、柴山氏個人の経歴は、有権者の判断にあまり関係ないと考えます。これこそ、共産党の良いところでもあり悪いところでもあると思うのですが。

柴山氏に投票した場合(村上氏でも)、その一票はほぼ確実に死票となります。しかし、「共産党の当選を望んでいる層が、実際に何人くらい居る」という数字を残すこと(そしてそれを増やしていくこと)は、後々のために、とても大事なことです。

「投票に行ってもどうせ当選しないから投票所に行かない」というのはアカンと思います。
もし全員がそれをやったら、しまいには自民党や公明党以外の党は無くなってしまうからです。

それから、投票用紙はもう一枚あります。比例区の政党選びのほうです。
立憲民主党と共産党と社民党、この三つとも僕は良いと思います。

初の「政権交代も可能なリベラル政党」の実現へ向けて立憲民主党を応援したい。
同時に、共産党は、大阪でも野党共闘をすすめ、候補擁立を見送ることによって大きく立憲民主党の躍進に貢献すると見られています。比例で共産党に伸びてもらわないといけません。

もし仮に、僕が大阪1区の住民であったなら、
選挙区は 柴山昇
比例区は 日本共産党
へ投票することにします。

大阪1区のみなさん、おせっかいですみません。なにか間違いがあればご指摘ください。


Photo by Y.Y.


僕は生まれは大阪ですが、「出身は奈良です」と自らは言うことも多いです。
小学三年生から19歳くらいまで、奈良県生駒郡平群町というところで育ちました。
単線の近鉄電車が、二両編成で田んぼの中をトコトコ走っているところです。
(たしか、のちに四両編成になりましたが。)

僕の心のふるさと平群町をはじめ、生駒郡や大和郡山市あたりは「奈良2区」です。

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下記の三人が立候補しています。

 松本昌之(まつもとまさゆき)希望の党、新人
 霜鳥純一(しもとりじゅんいち)共産党、新人
 高市早苗(たかいちさなえ)自民党、当選七回、前総務大臣

このなかから一人だけ当選します。
やはり、高市早苗が当選すると目されています。


与党は来年に改憲をやろうとしています。信じがたいことですが本当です。
それに、消費税を10%にあげようとしています。僕たちの生活にこんな大打撃まちがいなしのことがあるでしょうか。
(もちろん、消費税をあげても財政健全化も福祉再建もできないと思う。)

武器輸出、安保法制、特定秘密保護法、共謀罪・・・この無茶苦茶な安倍政権を終わらせるためにはどうしたら良いでしょうか。
希望の党はこの悪政を終わらせることはできないと考えています。
もっと悪くなると思います。
共産党の霜鳥純一さんに投票することにします。
その一票は死票となる可能性が高い。しかし、「共産党や立憲民主党の当選を望んでいる層が、実際に何人くらい居る」という数字を残すこと(そしてそれを増やしていくこと)は、後々のために、とても大事だと思います。

「投票に行ってもどうせ当選しないから投票所に行かない」というのはアカン。
もし全員がそれをやったら、しまいには自民党や公明党以外の党は無くなってしまうからです。

それから、投票用紙はもう一枚あります。比例区の政党選びのほうです。
奈良二区は〈近畿ブロック〉になります。
立憲民主党と共産党と社民党、この三つとも僕は良いと思います。

初の「政権交代も可能なリベラル政党」の実現へ向けて立憲民主党を応援したい。
同時に、共産党は、野党共闘をすすめ、候補擁立を見送ることによって大きく立憲民主党の躍進に貢献すると見られています。比例で共産党に伸びてもらわないといけません。

もし僕が奈良二区の住民であったなら、
選挙区は 霜鳥純一
比例区は 日本共産党
へ投票することにします。


Photo by Y.Y.


恒例の「どこに投票するか?」です。


僕は、この12年ほど、横浜市青葉区に住んでいます。
横浜市緑区・青葉区あたりは「神奈川8区」です。

与党は来年に改憲をやろうとしています・・・。信じがたいことですが本当です。
また、消費税を10%にあげようとしています。僕たちの生活にこんな大打撃があるでしょうか。
あまりにも重要な選挙です。今週末に迫りました。
どこに投票すればよいでしょうか。

衆議院選挙は小選挙区比例代表制とよばれる制度でおこなわれます。
つまり、僕たち有権者は、二枚の紙を渡されて、候補者を一人と、政党を一つ、選びます。

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下記の四人が立候補しています。

 加藤リカ(かとうりか)共産
 大西常樹(おおにしつねき)諸派、会社役員
 江田憲司(えだけんじ)無所属、現衆議員
 三谷英弘(みたにひでひろ)自民、元衆議員

このなかから一人だけ当選します。
地盤が堅い江田憲司が当選すると目されています。

もし、あの民進党の解党劇がなければ、民進(江田) vs 自民党という構図になっていたでしょうから、江田氏を応援する心づもりをしていました。
しかし、実際には民進党は無くなってしまい、江田氏は選挙後にどうするのかサッパリわかりません。希望の党に合流するかどうか悩んでいたくらいなのですから。
僕の本分とは、反対票を入れることだと思います。

中学校給食など子育て政策に力をいれてきた人物である、共産党の加藤リカさんに投票することにします。
僕の一票は死票となる可能性が高い。でも、「共産党や立憲民主党の当選を望んでいる層が、実際に何人くらい居る」という数字を残すこと(そしてそれを増やしていくこと)は、後々のために、とても大事だと思います。

「投票に行ってもどうせ当選しないから投票所に行かない」というのはアカン。
もし全員がそれをやったら、しまいには自民党や公明党以外の党は無くなってしまうからです。

次に、比例区の政党選びのほうです。
神奈川8区は〈南関東ブロック〉になります。
立憲民主党と共産党と社民党、この三つのどれかがよいと思います。
まだまだ先は見えませんが、初の「政権交代も可能なリベラル政党」の実現へ向けて立憲民主党を応援したい。

選挙区は 加藤リカ
比例区は 立憲民主党
へ投票することにします。

 今日は、本当に分かり切ったようなことを、わざわざ理屈をこねて書いてみようと思います。
 理論をまず説明して、つぎに練習問題を解きます。それから応用問題をやって、最後に、実際の僕たちの生活にどのように使うかを説明したいと思います。
 
 〈囚人のジレンマ〉という、とても興味深い「例え話」があります。色々な方面でよく引き合いにだされるのでご存知の方も多いと思います。

囚人のジレンマ
 いまここに、ある事件における二人の容疑者が警察の取り調べをうけています。この二人は共犯であり実際にこの事件の犯人です。二人は、べつべつの部屋にいて、連絡をとりあうことはできません。あなたはこの容疑者のうちの一人です。つまり、「どうにかして刑を軽くしてもらいたい。できることなら釈放されたい」ということです。
 二人とも黙秘をつづけています。そこへ、取り調べ官が条件を持ちかけます。
 「別室にいる相棒は黙秘をつづけている。このままお前だけ自白してくれたなら、お前だけ釈放してやろう」
 「逆に、相棒が自白して、お前はこのまま黙秘をつづけるなら、相棒は釈放となり、お前は監獄おくりとなる」
 当然ながら、別の部屋にいる相棒にも同じ条件がだされていることでしょう。あなたは次のように考えます。
 (このまま自分が黙秘をつづければ、自分だけ監獄送りになってしまうのは時間の問題だ。)
 (もし自白すれば、わずかではあるが釈放される可能性が開かれる。)
 (よりマシなのは、自白するほうの選択肢である。)
 そういうわけで、あなたは自白します。ところが、あなたの相棒もまったく同じ条件ですので、同様に自白します。かくして、二人そろってあっけなく刑務所に送られてしまいました。

 はて、よく考えて行動したはずなのに、二人にとって最悪の結果を生んでしまいました。さて一体、あなたはどこで間違ってしまったのでしょう・・・?

 これが〈囚人のジレンマ〉と呼ばれる問題です。(本当は、数式が登場してマトリクスを書いて考えるのですが、エッセンスとしては上記の説明で十分です。)

 さて、その答えを書くまえに、これとまったく同じような、現実に発生した「練習問題」にいきます。
 2015年のことです。大規模な反対運動の起こった「安保法案」が国会に提出され、衆議院・参議院を通過したうえに成立しました。
 その際、「日本を元気にする会」という政党(当時代表=松田公太参議)がありまして(いまでもありますが)、安保法案についていくらかは反対寄りの姿勢をもっていました。しかし、切り崩し工作があったとみられて彼らは交換条件付きの賛成に転じました。「付帯決議」(この際、内容はともかく)というものを条件に、安保法制に賛成の側になったわけです。
 松田氏はおよそ下記のような意味の釈明をしました。
 《いまさら、いくら反対を叫んだところで、もはや法案の可決は避けられない。私たちは、無駄な抵抗はやめて賛成票に転じる交換条件として〈付帯決議〉というものを与党に承諾させた。効力はすくないとはいえ、安保法制にいくらかの縛りを与えたことは、よりマシな成果である。私のこの決断が正しかったことは歴史が証明するだろう》
 この判断は一見、合理的にも思われるかもしれません。「よりマシ」な結果をうんでいるからです。
 彼の選択は正しかったのでしょうか? 間違っているとするならば、一体どこが間違っているのでしょうか?

 僕なりの答えを書きます。
 〈囚人のジレンマ〉の設問において、この「囚人」がとるべきだった行動とは「誰が何を言おうとも黙秘を続ける」です。それが出来ていれば二人とも自由の身となれたのです。つまり、実は問いは「オプションAをとるべきか、オプションBをとるべきか」ではないのです。「Aをとればこうなる、Bをとればこうなる、どちらが得だろうか」と考えるところに間違いがありました。つまり、「自分は何者であるのかを考え、出来る出来ないに関わらず、何を為さねばならないのか」を考えて行動すれば良い・・・これが「解答」です。
 別の言い方で説明すると、「長期的かつ包括的に考えなければならない」ということです。「長期的」というのは、つまり目の前の選択肢とその結果だけで意思決定してはならない、ということです。「包括的」というのは、自分一人の行動とその結果だけで意思決定してはならない、という意味です。

 「日本を元気にする会」の問題については、もちろん「安保法制に反対しつづけるべきだった」が僕の意見です。なぜなら、「このまま反対しても、どうせ可決するのだから意味がない」という考えが「正しい」のであれば、ほかのすべての野党も交換条件付きで賛成票に回ることが「正しい」ということになります。そんなことになれば、その次の選挙で、有権者は一体どの政党に投票したらよいのか分からなくなってしまうでしょう。そうすると、いままでの支持者も失うことになり、その政党は崩壊への道をすすむでしょう。これは「正しくない」。
 まあ、よーするに、《目のまえの損得に惑わされてはダメ》《自分だけではなく全体で動くことを考えろ》って、なんだか、当たり前なことを書いているだけなんですけれども。

 さて、ようやく本題です。上記をふまえて、応用問題と実践問題の二つにまいります。
 前原誠司と小池百合子による暗躍があり、二〇年つづいた日本の最大野党・民進党(民主党)が一夜にして瓦解しました。こんな馬鹿な話があるでしょうか。はたから見ていると信じられないことでした。なぜこんなことが起こったのでしょうか。
 「ひとまずは、安倍政権を終わらせるためには必要な選択であった」と本人は主張します。はたしてこれは正しいのでしょうか? もちろん正しくありません。どこが間違っているのか? 「選択肢」で考えているからです。「こっちにつくか、あっちにつくか、どちらが議席数が多くなるか?」 当面のこと(議席数)のことしか考えていません。政治理念や有権者との信頼関係が、意思決定のプロセスに抜け落ちているのです。
 いま日本が抱えている問題はこれだけではありません。僕たち有権者も同じ問題をかかえています。あれから二週間を経たいまでも、「安倍政権を終わらせるために希望の党に投票しよう」とか、「リベラルの受け皿(立憲民主党)が誕生したのであるから、あの解党劇は喜ぶべきであった」という声もあるようです。最大野党が崩れて一番喜んでいるのは他ならぬ自民党なのに!

 長たらしいことを書きましたが、こういった僕たちの目の前にたちふさがる迷路から抜け出す方法は、まるで簡単で分かりきったようなことです。それは、僕たち庶民の一人一人が「市民としてとるべき行動をとればいい」ということです。
 具体的には、政治を椅子取りゲームのように弄ぶ者ではなく、平和や人権というものを大切に考えている政党・政治家に投票するということです。「しっかりやればやるほど得票数が増えるのだ」と野党に思ってもらわないことには何も起こらないと思うのです。
 残念ながら、「とるべき行動をとる」をやったところで、いますぐ平和や理想の社会は実現しないでしょう。自分が生きているあいだ、でさえも難しいかもしれません。でも、「とるべき行動をとる」は、当面の選挙だけでなく次の選挙、次の次の選挙に力強くつながっていくはずなのです。

 僕のブログはいつも結論は同じなんですけど・・・「よりマシな政党を応援するしかない。」ということです。この選挙では、立憲民主党、共産党、社民党を応援することが、僕たちの暮らしをよくする選択であり戦争回避の道です。分かりきったことです。
マーサ・ハイ物語(番外編)


今回は〈番外編〉として、僕の独断で選ぶ、マーサハイを知ってもらうための動画集をお送りします。

50年以上に及ぶ、マーサの輝かしい音楽活動で、どの時期がもっとも充実していたでしょう・・・それは、70歳を超えた「今」だろうと僕は思います。
ジェイムズブラウンやメイシオパーカーの楽団員として、本当に素晴らしい活躍をしてきた彼女でしたが、21世紀にはいってから、ソロ活動がますます充実している今が一番輝いていると思います。


*****マーサハイ、ソロステージ傑作選!*****

"FIRE SHUT UP IN MY BONES"
2017年3月、仏サンテティエンヌ市でのライブ。バックを務めているのは、2016年のマーサのアルバム『SINGING FOR THE GOODTIMES』のプロデュースを手がけたイタリアのグループ〈Italian Royal Family〉です。



次に紹介するのは、2011年の映像。メイシオパーカーのバンドメンバーとして世界中を飛び回っていたころのマーサです。(2000-2015年在籍。)トロント公演の「THINK (ABOUT IT)」です。



1979年、マーサの初ソロアルバム『MARTHA HIGH』(JBプロデュース Salsoul)から、イチ押しトラック「Showdown」を演奏する貴重な映像です。
演奏はもちろん、JBズ(当時は「JB'sインターナショナル」と呼ばれていました)です!


このビデオは、1989年、JBバンドのメンバーや元メンバーが行った再会コンサート(独TV)に出演したときのマーサです。(この頃はメイシオもまだブレイクしていなかった!)



もうひとつ、最近の、2016年の映像をどうぞ。
ジェイムズブラウンの死後、バンドメンバーたちが再結集してヨーロッパを中心に廻っています。最近はフレッドウェズリーが正式に公認したので「The JB's」という名前でライブをしています。みなさん、これからもお元気で!



次は、つい去年の2016年にリリースされたPV。
最近のイチ押し曲、「Hardest Woking Woman In Town」です。



いかがでしたか? まあ、Youtubeですので、伝わらないもんも大きいですが・・・。 でも、最近のマーサハイの映像を観ていただいて、これからのマーサハイを応援していただけたらと思っています。

それでは、現場でお会いしましょう!
(「マーサ・ハイ物語」はまだまだ続きます。)
マーサのパワフルなステージを楽しみにしていてください!

楽しみましょう!!!


マーサ・ハイ MARTHA HIGH
『TRIBUTE TO MY SOUL SISTERS』発売記念 JAPANツアー
 with オーサカ=モノレール
 10月4日(水曜日)大阪梅田・シャングリラ
 10月5日(木曜日)代官山・UNIT
  オープニングアクト:BOOGIE TRAIN feat. MARU & Hiro-a-key
 10月7日(土曜日)朝霧高原・ASAGIRI JAMs
 10月8日(祝前日)"IN BUSINESS" CLUB ASIA(渋谷)
  出演:黒田大介、DJ JIN、MURO、Ultimate 4th、Black Belt Jones、ドミンゴ企画




マーサ・ハイ物語(第四回)


 マーサがフォージュエルズのメンバーとなって、最初の大きなコンサートは、かのハワード劇場でした。ジェリーバトラー&インプレッションズとセオラ キルゴアが一週間出演していたので、そのオープニングアクトを務めたのです。1962年のことです。
 ところが、ちょうどその週は、高校の卒業式と、その予行演習をおこなう週でした。マーサは、卒業式に出席して卒業証書の授与をうけることができなかったそうです。
 それでも、マーサに気持ちに迷いはありませんでした。これから、音楽の道を歩むことを固く決心していました。

 フォージュエルズは、まもなく〈ジュエルズ The Jewels〉に改名し、地元で人気の女性ボーカルグループとして、キャバレーやナイトクラブ、それから大学のパーティにひっきりなしに出演しました。北西地区14丁目にあった〈バードランド〉が一番有名なクラブでした。

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The Jewels:中央上マーサ、右 グレース ラフィン、左 サンドラ ベアーズ

 そしてもっと大きな場所、ワシントンDCのハワード劇場、バルチモア市のローヤル劇場、フィラデルフィア市のアップタウン劇場が、主な活動場所になってゆきました。
 この時代のどのアーティストでもそうですが、全国区で有名になる前には、自分の地元にやってくる数々の有名アーティストのオープニングアクトを担当するのです。
 オープニングをやったアーティストをあげるときりがないそうです。グラディスナイト&ピップス、テンプテーションズ、リトルアンソニー&インペリアルズ、ドリフターズ、キャデラックズ、ルビー&ロマンティックス、ジーンチャンドラー、ベイビーワシントン、マクシーンブラウン、フリップウィルソン、メイジャーランス・・・などのショーのオープニングをやりました。

 マーサ達は、こういったアーティストのショーを見たり、仲良くなったりして、ショーや音楽のワザ、人生訓を学んでいきました。とくに仲の良かったのは、ドリフターズのジョニームーア、グラディスナイト&ピップスの各メンバー、そしてテンプテーションズのポールウイリアムズでした。

 そんななか、当時はとても人気のあった〈ソウルシスターズ The Soul Sisters〉という、日本でいうとピーナッツのようなカッコいい女性二人組のオープニングアクトもやりました。すると、そのマネージャーだった通称・スモーキージョーという人物が、ジュエルズのマネジメントを申し出ました。

 その彼は正式にマネージャーとなり、ニューヨークの〈ディメンジョン〉レーベルとの契約をとってきて、「Opportunity」という歌をもってきました。この歌は、大ヒットとなり、1964年、ビルボードチャートの64位、さらにロサンゼルスのラジオチャートでは2位を記録しました。


 面白い逸話としては、この曲をマーサたちに稽古をつけてくれたのが、のちにP-FUNKで大成功をおさめることになるジョージクリントンだったそうです。スモーキージョーがジョージクリントンと同じでニュージャージー出身だったので、おそらくそのコネクションなのでしょう。ジョージは(モータウンで働く前に)そのレーベルから仕事をもらって働いていたんですね。
 ディメンジョンは、あのキャロルキング&ジェリーゴフィンのレーベルでした。

 ジュエルズは、ディメンジョンでシングルをもう一枚だします。オープニングショーだけでなく、自分たちでのショーも行うようになっていきました。


 そうして、人生の転機が訪れます。
 ある日、ハワード劇場に出演していたときのこと、客席が騒々しくなって、大きな歓声や叫び声が聞こえました。「あれ、私たちの歌がウケたのかしら?」と思いましたが、そうではないことが分かりました。客席のなかにジェイムズブラウンがまじっていて、劇場の観衆は、ジェイムズブラウンを見つけて叫んでいたのでした。ようやく彼が席につくまで、歓声がおさまりませんでした。

 1965年ことです。当時のジェイムズブラウンは、間違いなくソウルミュージック界のトップの座を誰にも譲らない人気歌手で、「ソウルブラザー ナンバー1」「ミスターダイナマイト」「Mr.プリーズプリーズプリーズ」「キング オブ ソウル」と称していました。ジャズとR&Bの両方を演奏できる超一流のミュージシャンの豪華バンドを従えて、誰にも真似のできない最先端の音楽を演奏していました。
 どのR&B界のアーティストも、バンド無し、または3〜4人の小編成バンドを連れて巡業(チトリンサーキット)していた時代に、ジェイムズブラウンだけは、20人近いオーケストラと、何組もの他のアーティストやダンサーを引き連れて、目の眩むような、まるでサーカスの一座のようなショーをアメリカ全土で行っていたスーパースターでした。

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 そのショーのあと、楽屋にやってきたジェイムズブラウン。その髪型や服や靴を見て、マーサたちは息が出来ないほど大興奮したそうです。ジェイムズブラウンは、なにか言葉を発するたびに、鏡を覗き込んで自分の髪や服を確認しながらしゃべったそうです。「とてもいいショーだったよ」と言われて、メンバーで大喜びしたそうです。

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 数ヶ月後、ジュエルズはニューヨークのアポロ劇場に出演していました。そのとき、ふたたび同じことが起きました。客席で大きな歓声が起こったのです。やはりジェイムズブラウンが観に来ていたのでした。
 そのとき、アポロ劇場の楽屋で「どうかね、オレのレヴューに参加してみないか?」と言われました。
 マーサの頭のなかは大混乱になったそうです。・・・「ツアーにでたら、一体どれくらいのお給料をもらえるのかしら?」「一体どんな場所へ行くのでしょう?」「お母さんやお父さんは、ツアーに出るのを許してくれるかしら?」
 恐怖も感じていました。「この世で最高のショーの一員になるなんて、私たちで務まらなかったら
どうしよう!」
 当時ジュエルズは上り調子だったとはいえ、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントン、などの東海岸を廻っていただけです。同じ音楽/ショービジネスの世界とはいえ、まったく規模が違います。マーサたちにとっては、未知の世界に踏み入る決断をする必要がありました。

 1965年、マーサが20歳のときのことでした。


(第五回へつづく)

マーサ・ハイ物語(第三回)

 
マーサ・ハイ物語(第三回)

 マーサたちのグループ(名前はまだありませんでした)は、ワシントンDCの大物・ボーディドリーのスタジオへ出かけます。はたして、彼からとても気に入ってもらい、それからは彼のスタジオに入り浸って練習するようになりました。ボーの奥さんと子供達とも仲よくなったそうです。
 数ケ月後にはボーディドリーのバックで歌うことになり、ボーの専属女性コーラス隊として「ボーエッツ(The Boettes)」と呼ばれることになりました。

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Bo Diddley (1928-2008)

 ボーディドリーがNYハーレムの有名なナイトクラブ〈スモールズ パラダイス〉に出演にするというので、初めてニューヨークへ行ったそうです。マンハッタンの高層ビル街を初めて観て、大感激したそうです。そりゃあ容易に想像がつきます。まだ彼女たちは高校生だったのです。・・・奈良県の田んぼのなかで育った僕も、初めて東京に来たときのことを覚えています。似たようなもんでしょう。(それはどうでもよいのですが。)
 ところが、まだ成人でなかった彼女たちは、出演するどころか、クラブに入ることさえ許されず、結局、夜はホテルでだらだらするだけで帰って来たそうです。面白い逸話ですね。

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 若かったマーサたちは、ボーのバンドメンバー達と深い仲になるところだったのですが、ボーはハッキリと釘をさしたそうです。「うちの楽団員が何かをやらかして、オレが刑務所に行くのは絶対にごめんこうむる!」・・・それでボーの廻りの人たちは、マーサたちに手をだそうとしなくなったそうです。

 ところで、この「〇〇エッツ」という名前は、ホントよく登場しますよね。これって何なんでしょうか?
 レイチャールズの女性コーラス隊は「レイレッツ」、アイク&ティナターナーの女性コーラス隊は「アイケッツ」。あとは「シャーメッツ」とか「ロネッツ」とか。(それに、パロディも枚挙にいとまがないと思うのですが。)女性のコーラスグループに使う名前なんですよね。

 僕も僕もはっきり説明できませんが、「-ette」(エット)というのがフランス語由来の接尾語で、これを語尾につけると名詞の〈女性形〉になるそうなんです。一番分かりやすい例が、「シガー Cigar」(葉巻たばこ)に、この「-ette」をつけると「シガレット Cigarette」(紙巻きたばこ)になる。男性的が女性的になる。ちょっと違うかもしれないけど、大体そんな感じです。
 アイクターナーの「アイク」に、「-ette」をつけて複数形の「s」をつけると「アイケッツ」になります。日本語でいうと、「アイク子さんたち」みたいなニュアンスかな? (まあ、テキトーな説明で失礼。)

 それから、細かい話をしますが、ジェイムズブラウンのコーラス隊に〈ブラウネッツ The Brownettes〉という幻のグループがありました。シングルが一枚あるだけで、誰が歌っているのか、分かりません。ながらく、これはマーサ達の〈ジュエルズ〉の変名であろうと考えられてきましたが・・・どうやら違うようです。本人が否定していました。

 うわっ、また話が逸れてしまいました。残念ながら、〈ボネッツ〉はあまり発展しませんでした。ボーディドリーは、当初はレパートリーを増やしてから売り出すつもりだったのですが、どこかで頓挫しました。そんなとき、ボーから新しい話がきました。「〈フォージュエルズ The Four Jewels〉が新しいメンバーを探しているよ。マーサ、会ってみるべきだよ」と言われたのです。

 フォージュエルズは、すでに地元では知られていた四人組の女性ボーカルグループでした。マーサたちと同じ高校の卒業生でした。マーサより1~2歳ちがうだけです。同じくボディドリーの界隈にいたのでした。メンバーのなかで唯一、一番年下のサンドラだけはマーサと同い年で、まだ高校生でした。
 まだ、シングルが3枚ほどと、学校主催のダンスパーティー(アメリカにはそういう仕事があるんですよね)や、いわゆる「ソックホップ」に出演していた段階でしたが、勢いにのっていたのです。ソックホップというのは、50~60年代当時のダンスパーティーのことです。

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 「Loaded with Goodies」という曲が、地元のラジオ局で人気が出ていて、「さあこれから全国へ活動の域をひろげるぞ」というタイミングでリードボーカル担当が家庭の理由で脱退したのでした。


 ボーディドリーの家で、毎週土曜日、フォージュエルズは新しいシンガー候補と会っていました。マーサもそこへ出向きました。
「私たちの曲、〈Loaded with Goodies〉は知ってる?」
「聴いたことあります」
「じゃあ、やってみましょう」
マーサは、自分の耳には自信がありました。自分がどの音で歌ったらいいかをすぐに見つけて全員とブレンドすることは得意でした。何度も何度も繰り返して、メロディーもパートも歌詞もすべて教えてもらったのでした。(もちろん楽譜や紙は使いません。)

 一週間後、サンドラから電話がかかってきて、再びボーディドリーの家に来るように言われました。「たくさんの女の子をオーディションしてみたけど、あなたが一番だと決まったわ」と言われました。マーサは「ありがとう!ありがとう!」と言いました。
 そのあと、みんなで冗談を言い合ったりして、すぐに四人は仲良くなったそうです。

 「ボエッツのほうはどうする?」と言われましたが、ボエッツはもうすでに解散寸前だったので気持ちの問題はありませんでした。「大丈夫、なんとかなるわ」と言いました。 ボエッツのみんなに脱退を申し出たところ、すこし口論になりましたが、ボーディドリーが、「みんな心配しなくていい。フォージュエルズのオーディションを受けた方がいいとマーサに言ったのは私なんだよ。合格したんだから、喜んであげなさい。マーサが脱退したって、活動を続けたらいいじゃないか」と言って収めてくれました。
 こうして、晴れてマーサはフォージュエルズの一員となったのでした。

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 これから、マーサたちフォージュエルズ(のちに〈ジュエルズ The Jewels〉に改称)での快進撃、それからジェイムズブラウンとの出会いがあります。



第四回につづく


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