2017年8月アーカイブ

ノウハウの蓄積

 
 誰かが言っていました。「デモやストって、ノウハウの蓄積なのだ」・・・だそうです。

 なるほどなあ、なんだか分かる気がします。
 僕はデモなんて、時代の変化を感じてこの数年すこし足を運んでいるだけです。しかも参列しているだけで、デモを主催する側にまわったことはありません。ましてやストなんて、やったこともないどころか、見たこともありません。
 それでも、その「ノウハウの蓄積」というのは、理解できるような気がします。
 素人考えで恐縮ですけれども、たとえば、デモを行う場合、どこで何時ごろやるのが効果的なのか? 警察などへの届け出はどうやるのか? どこまで届け出る必要があるのか? けが人や病人がでたらどうするのか? 大勢の参加者をあつめるにはどうしたらいいのか? 妨害する者があらわれたり、ケンカが起こったりしたらどう対応するのか? たくさんのスタッフがうまく連携して大がかりなデモを成功させる方法は?
 そのような数限りなくある「ノウハウ」を、多くのスタッフで継続的に共有することが、必要になってくるでしょう。
 これまた想像ですが、ストライキにいたっては、もっと難しいんではないでしょうか。

 六〇年安保のときや、七〇年安保のときにも、そういったノウハウがあったはずなのですが、そういうものが失われている・・・。そういうことを、この発言主を言っていたのだと思います。

 〈音楽家が戦争に反対する〉も、同じことじゃないのかと、しみじみ思うのです。その「ノウハウの蓄積」が失われていることが問題なのだと。
 すこし前に流行った言い方でいえば「音楽に政治を持ち込む」というやつです。それはそうとして、その方法とは、どうあるべきなのか?

 今この時代を生きていて、約七〇年間もつづいた平和な時代は終わりをとげて、なんらかのかたちで、大きな戦争が、僕たちの身近なところへやってくる(または、すでに戦争は始まっている)と感じている人は多いはずなのです。そんななか、音楽家や、まあ一般にはアーティストなんて呼ばれている者たちが、いま何をなすべきか、悩んでいるはずです。いちおう僕もその一人です。
 ところが、どうやったら良いのかが分からない。つまり「ノウハウの蓄積が無い」。そこが問題なのだ。
 音楽家は、どのあたりから手をつけるのが最善の策なのだろう? どうすれば効果的に平和のメッセージを伝えることができるのだろう? それに、こういったものは多少のリスクを伴うと聞く。それならば、「どういう方法であれば自分の名前に傷がつかずに済むか」? 倣うべき見本が目の前にないから、それが分からない。本来なら、七〇年安保のときだって、六〇年安保のときだって、戦前だって、音楽家が反戦を唱えたりするアプローチは様々な形態があったはずなのに。

 ちなみに、そんなノウハウがあったからといって、どうもならないかも知れません。かのジョンレノンだってベトナム戦争を止めることはできなかったし、スライストーンだって人種差別をなくすことはできなかった。カーティスメイフィールドだろうがジェイムズブラウンだろうが、どれだけ巨大な音楽的才能や影響力をもってしても、そのパワーはジョンソン政権やニクソン政権の前では、小さなアリンコのごときでしかありません。
 けれども、すべての音楽家は、戦争をはじめとする暴力の問題や、貧困や人権の問題にたいして、なんらかの方法で自らの活動のなかにメッセージを織り込んでゆかなければならないはずです。

 このブログでは何度も書いています。同じことばかり書いてしまうのですが、僕なりに十数年のあいだ考えた結論としては:

 一、そういう曲をつくる。
 一、デモに行く。デモへの参加を表明する。
 一、短いコメントを発表する。
 一、そういうイベントに出演する。または、主催する。

 やっぱり、この四つくらいがイイ線なのではないかと思うに至っています。
 「ノウハウの構築」に役立てばよいのですが。

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