僕はいま神奈川県民ですが、もし東京都民であったなら、今回の都議選で、小池百合子の一味には絶対に投票しません。
すこしだけ自分の個人的な話をしてみます。
もう16年前、2001年のことです。僕たちオーサカ=モノレールは二枚目のアルバムを発売しました。そのアルバムのテーマは、「人殺しの手助けをしたら人殺しや。日本はいま戦争をやっているんや」というものでした。
つまり、2001年9月11日の世界多発同時テロが発生して、ブッシュ大統領はアフガニスタンへの空爆を開始。首相・小泉純一郎はすぐさまこれを支持表明しました。自衛隊は給油活動にとどまりましたが、結局、日本も戦争に参加しているのではないか、その実感を持つべきではないか、ということを表現したかったのです。
しかし、「反戦」という、音楽家としての大事な本分を貫くべきだったものの、本当に情けないことですが途中でフニャフニャと挫けてしまったように思います。なぜか。
戦争は長期化して、国内ではまったく別のことが始まりました。「小泉構造改革」です。
歯切れのよいスピーチ、ライオンと呼ばれたカッコいい髪型、の小泉首相が、自民党内の「抵抗勢力」と闘う姿に国民は熱狂しました。
そして僕はといえば、やはり、小泉政権をかなり肯定的に受け止めるようになっていきました。
「規制を緩和したり、ムダを省いたり、利権集団をやっつけることは、良いことといえるだろう」・・・そんなふうに思ってしまった。僕は何もわかっていなかったのです。
小泉政権をとことんまで批判しつづけなければならなかったのに、世の空気に流されてしまったと思います。
何が言いたいかというと・・・ほんまに、僕がいかにアホやったか、ということです。
猛省しています。
小泉改革が、いかに間違った選択であったかは、改めてここで書くまでもないでしょう。格差社会・貧困の増大を生み、労働環境を壊しまくった。果ては現在の政治腐敗を生んだ元凶ともいえる。
「小泉劇場」でも「橋下劇場」でも、そして「小池劇場」でも、この人達は同じことをやっています。「悪い奴」(規制、既得権益、公務員、官僚など)をテキトーに仕立てて、自らへの求心力を高めるという政治手法です。いわゆる新自由主義の改革という「劇場」の夢から国民の目が覚めるとき、残るのは、負の遺産ばかりでしょう。
別の言葉でいいかえるなら、「この人なら、何かを変えてくれるかも・・・」なんていう考えは絶対にダメ!ということです。
政治とは、誰かに任せたり頼ったりして投票することではない。
政治とは、選んだ政治家や行政を市民が監視すること。
小泉政権の、「抵抗勢力」との茶番は、格差社会をもたらしました。
橋下人気の、公務員との戦いの茶番は、「維新の会」という負の遺産をのこしました。
そして、今回の自民党や石原慎太郎や森喜朗との芝居が終わって、民進党が壊滅状態においやられたあと、「小池劇場」はどのような負の遺産をのこしてくれるでしょうか。
・・・そうです。「改憲」です。間違いないと思います。
小池百合子も、そのブレーンも子飼いも、憲法の破壊に突き進んでいます。
小池百合子もアホではないから、今は、そのようなことは口にしない。
僕は、都民ホニャララの会へ絶対に投票してはいけないと考えています。