ミュージックビデオ「FIGHT THE POWER」を解説する。(後編)


*この記事は〈翻訳編〉〈解説 前編〉と合わせてお読みください。

MV「FIGHT THE POWER」翻訳

 後編です。それでは、いよいよラップの内容を詳細に追っていこうと思います。

1989 is the number. Another summer. (Get down!) Sound of the Funky Drummer. Music is hitting your heart cause I know You Got Soul. (Brothers and Sisters!)
さあ1989年 また夏がやってきた(〈踊ろうぜ〉)〈ファンキードラマー〉のビートにのせて この曲が君の心に響いたら〈君にもソウルがある〉って証拠だぜ(〈ブラザーズ&シスターズ!〉)

 「1989年」とは、言うまでもなく、この曲がつくられ、ビデオがつくられ、映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』が公開された年のことです。このビデオを見ると、文脈がより鮮明になっています。つまり「もはや1963年じゃねえぞ」と言っているわけです。
 さらにツッコミをいれますと、「かと言って、1968年でもないだろ?」「じゃあ1970年か?」ということになりますよね。まさに、その話を、いまから語るから、よく聞けと言うわけです。
 「また夏がやってきた」というのは、キング牧師のワシントン大行進が真夏だったことにくわえて、1965年の夏にワッツ暴動がおこって、そのあと毎夏に暴動がおこっていたことを指していると思います。『ドゥ・ザ・ライト・シング』のテーマも「暑い夏の一日」であり、その終わりに暴動がおこるのです。そのスパイクのメッセージとは、「みんな頭を冷やせ!」「正しいことをしろ!」ということでした。


 「ナンバー」「サマー」と続けて韻を踏む言葉は「ファンキードラマー」です。言うまでもなく、ジェイムズブラウンの曲名です。ヒップホップのドラムブレイクとして一番有名な曲です。その次には、ジェイムズブラウンの相棒のボビーバードの「I Know You Got Soul」が叫ばれます。チャックDは、まずこの冒頭において、このJBネタ二つをヒップホップサウンドの代名詞として挙げて、これが俺達の世代の音楽=ヒップホップだぞ!と高らかに宣言しています。
 もっとも、この「Fight The Power」は、ファンキードラマーというよりは、「Hot Pants Road」(The J.B.'s, 1971)の色合いのほうが濃いですね。でも、このボムスクワッドによるグチャグチャサウンドで、ファンキードラマーも含まれているんですよね・・・? そのへんは僕はよく分かりませんが。


 そして、その次にフレイヴァフラヴが言う「ブラザーズ&シスターズ!」は、1972年の『ワッツタックス』のジェシージャクソン牧師の言葉からの引用です。ソウルチルドレンを紹介するときに「Brothers & Sisters! "I Don't Know What This World Is Coming To"! The Soul Children!」と叫びます。このフレーズが、チャックDはいたく気に入っているようで、インタビューなどで何度も言及しています。また、この曲をサンプルもしています。1960年生まれのチャックDは小学六年生だったことになります。



 何故、この「Brothers & Sisters!」が気に入っているのか、僕にはディープなところまでは分かりません。ただ、とにかく気に入っているらしいです。


Listen if you're missing, y'all. Swinging while I'm singing, giving what you're getting, knowing what I know while the Black band is sweating and the rhythm rhymes rolling.

大事なことを言うから オレの話を聞いてくれ これはただの歌じゃなくて 抗議行動なんだ タメになること伝えるし オレの知ってる限りで話すから 黒人のバンドってものは汗水たらして リズムとライムでノッていくさ


 「Missing」というのは、どうやら2番目ヴァースで語られる、この曲のメインメッセージに関係しています。「道を見失っている奴はオレの話を聞いてくれ」ということです。
 「Swinging while I'm singing」における「swing」は、マルコムXの演説からの引用です。有名なスピーチ「投票か闘争か(The Ballot or The Bullet)」の一節「今の黒人は〈我らに勝利を〉を歌いすぎている。歌をうたっている場合ではない。拳を振り上げて抗議しなければならない。(Stop singing and start swinging.)」のことを言っています。
 ここでチャックDは、キング牧師を揶揄しているマルコムXのフレーズをさらに昇華させて、「オレは歌いながら抗議する」と言っています。ラップ芸術、ここに極まれり・・・って感じではないでしょうか。


 つづく「Giving what you getting, knowing what I know」は、このラップがチャックDの知識・知恵を拡散させるためのスピーチであることを宣言しています。カッコいいです。
 次の一行も面白いです。というのは、自分たちパブリックエネミーのことを「the Black band」と呼んでいるからです。これはつまり、たとえば、デュークエリントン楽団・ライオネルハンプトン楽団・ルイジョーダンとティンパニ5・ジェイムズブラウン&JBズ・クール&ギャング・Pファンク、といった具合に連綿と続く黒人音楽の歴史の1ページに自分たちを置いているように聞こえます。今となっては何の違和感もありませんが、1989年の当時は、さすがにヒップホップ黎明期でもないにせよ、ちょうどヒップホップの人気が急激に拡大していた時代ですから、この宣言には重みがあっただろうと思います。


Got to give us what we want! Got to give us what we need!
Our freedom of speech is freedom or death. We got to fight the powers that be.
Fight the power! Fight the power! We've got to fight the powers that be!

本当に欲しいものを勝ち取らなきゃ 本当に必要なものを勝ち取らなきゃ オレたちにとって言論の自由は 生きるか死ぬかの問題なんだから 権力を握っている連中と闘わなければならない
皆で叫ぼう「権力と闘おう!」「権力と闘おう!」「権力を握る者どもと闘わねばならない!」


 1番ヴァースの最後の段落です。ここで、まずは俺達の当然の権利を、獲得・行使するぞと言っています。それは「言論の自由」です。オレたち(黒人)にとって、言論の自由は、生か死かを意味する、と言います。チャックDや彼の隣人にとっては、差別、自由、再分配、教育、といった言葉は直接的に生死に関係しているでしょう。ましてや、時は1980年代後半。クラックが社会現象化し、レーガノミクス自由経済による弱肉強食の時代でした。
 さて、ここで大きな問いです。日本に住む僕たちにとって〈言論の自由〉は、チャックDが言うように「生か死か」でしょうか? 言論の自由(表現の自由)を失うことは、あなたにとって「死」に匹敵する問題といえるでしょうか?
 実は、これこそが、僕がわざわざ、この長たらしいブログを書いている理由です。これは重要な問いです。戦後生まれの僕たちは〈表現の自由〉を失ったことがありません。
 言論の自由というのは、「表現の自由」のいち形態または同義と考えてよいでしょう。表現の自由とは何でしょうか? それが意味するものはーーーことばを始めとして、考えうる
すべての伝達手段が権力によって制限されてはいけない、ということです。文章、声、歌、音楽、絵、写真、映像、舞踊、造形、等々ありとあらゆる形態が考えられます。最も重要なものは〈言葉〉でしょう。それは、新聞やテレビや書籍、教科書や日記、ブログやツイッターすべてを指しています。
 言葉は、権力や財力や組織などを持たない一般市民にとっては、唯一と言ってもよい抵抗手段であって、最後の砦です。これが制限されることは、鳥が翼をむしり取られることに等しい。
 僕は、「表現の自由」について考える機会は、それほど多くなかったかも知れません。あまりにも当たり前のものとして享受していたからです。その〈翼〉の大切さを、もう一度ふかく噛み締めないといけない時代がやってきたようです。
 ちなみに、しばしば、週刊誌が芸能人のゴシップ記事について名誉毀損で訴えられるようなケースで、よく「表現の自由」が言われます。こんなものは「自由」の履き違い(というか勘違い)の最たる例でしょう。自由とは「権力から制限されない」という意味なのですから、訴えられている週刊誌にも「表現の自由」があることなど明白です。表現の自由とは「何を言っても(書いても)、誰からも何も言われない」という意味ではありません。ゴシップ記事を書かれて名誉回復を求める側にも同じく「表現の自由」があるからです。
 本当の〈表現の自由〉とは何か・・・。それが失われたとき何が起こるか。どうやったら守ることができるか。それを真剣に考えねばならない時代がやってきたと思います。このミュージックビデオのテーマである、デモ・集会の自由も、日本においては「憲法21条 表現の自由」によってのみ、保障されています。たったの70年前には、表現の自由(集会の自由や言論の自由)は大きく制限されていました。つい四年前に自民党がつくった「憲法改正草案」を見てください。どのような恐ろしいことが書いてあるか、ご自身の目でぜひ確かめてください。

 憲法改正草案 自民党憲法改正推進本部ホームページ)
 *第21条(表現の自由)だけでも良いので是非よんでください。


 音楽に戻ります。続いて、ようやくおなじみのフレーズです。「ファイト ザ パワー!」・・・この1番のヴァースでは、言論の自由、つまり「言うべきことを声をあげて言う権利」を確保するために、「権力と闘わねばならない」と言っています。「言論の自由」というのは、ヒップホップそのものと同義なわけです。そして、デモ・集会の自由、も当然ながら、同じひとつの概念です。一番ヴァースのテーマは「ヒップホップ讃歌」ということだと思います。言論の自由を確保するために闘おう! そのツールとして、デモやヒップホップが存在している、ということでしょう。

stage_3.jpg


As the rhythm is designed to bounce; what counts is that the rhymes
designed to fill your mind now that you've realized the pride has arrived.

リズムトラックもいいノリを出してるが 大事なのはリリックのほうで 君の頭に浸透するように書いたよ もう分かってるだろう 黒人が誇りを持つ時代の到来だぜ


 さあ、この曲の本丸、2番ヴァースです。メッセージの中核部分へやってきました。
 「君の頭に入るような良いリリックを書いたぜ」と言っています。前のヴァースでもありましたが、この歌は「啓蒙ソング」であること。そしてチャックDは引き続いて、自身のラップに大きな自信をのぞかせています。
 そして言います。「The pride has arrived.」
 ここでの「プライド」は、もちろん「黒人の誇り」を意味しています。「誇り」よりも「尊厳」というように訳したほうが良いのかもしれません。黒人権利闘争においては「Pride」というのは重要タームですよね。
 後述しますが、明らかにチャックDはこの曲をジェイムズブラウンの「Say It Loud - I'm Black & I'm Proud」の現代版として捉えています。
 パブリックエネミーとジェイムズブラウン。ヒップホップとファンク。80年代と60年代。1989年と1968年。ラップと歌。マルコムX再評価とキング牧師の暗殺。そんな対比が浮かびあがります。


We got to pump the stuff to make us tough from the heart. It's a start, a work of art. To revolutionize, make a change. Nothing's strange.

黒人の尊厳を育てるんだ そしてタフな心を養っていこう まだ始まったばかりだ これは思うほど簡単じゃないぞ 革命化を実行するため 物事を変えていこう どんどんやっちゃおうぜ


 この段落は何を言っているのでしょうかね。

 黒人の誇り → 強靭な心 → 物事を変えて行く力 → 革命

ということで合ってますでしょうか......?(ご指導ご意見おまちしています。)


People, people, we are all the same; No, we're not the same cause we don't know the game.

〈みなさん みなさん〉人類はみな同じです! いやいや まだ同じじゃないだろ だって同じ土俵にあがっていないんだから


 改めて、この歌は、黒人(アフリカ系アメリカ人)から黒人のためのメッセージです。白人によって形成されている権力構造と闘おう、と訴えています。しかし、チャックDは、インタビューなどでも回答していることですが、黒人の優位性や白人の劣性を唱えているわけではありません。
 マルコムXは、このビデオで特別に大きな写真が掲げられていますけれども、ある時期において「白人は悪魔である(とイライジャモハメド師は教える)」という立場をとりました。しかし、それは、スパイクリーやチャックDら若い世代の支持を集めているマルコムXの思想の中心部分ではありません。チャックDは、まずそれを明言しています。「どんな肌の色であろうが、髪や目の色をしていようが、人類はすべて同じ人間である」と言っています。
 それを明確に言ったうえで、「ただし、同じというのは違う」。黒人は、白人と同じ機会を与えられていないんだから、同等に競争させられるのはオカシイだろ、と言っています。
 「We don't know the game.」というのは、「We don't know the name of the game.」という意味。アメリカという国のマイノリティに対するやり方は、チェスなのかバスケなのかテニスなのか、なんの種目かも知らせずに勝負に参加させているようなもので卑怯だぞ、と言っています。
 「Game」というのは、重要キーワードです。米黒人のあいだでよく耳にする概念のように思います。
 一言で言えば「競争」ということですが、「人生ゲーム」という雰囲気も感じます。貧困な地域に生まれた人達が、「近いうちに死ぬ」という前提で、自分の生命をゲーム(チェスや3-on-3ような勝負でしょうか、それとも競馬などの賭け事でしょうか)に準えています。
 そして、そのゲームの「親」は自分ではない。自分の知らない何処かでほくそ笑んでいる「あいつ」が、このゲームの支配者。ーーーそんなニュアンスも含んでいるように思われます。
 言うまでもありませんが、「People, people」は、もちろんJBの「ファンキープレジデント」からの引用です。


What we need is awareness; we can't get careless. You say, "What is this?" My beloved, let's get down to business. Mental self-defensive fitness.

オレたちに必要なのは「目覚めること」 つまり無関心ではダメだ アンタは「何のこっちゃ?」って言うかもしれないが...... 親愛なる同胞たちよ そろそろコトに掛かろうではないか 自己防衛の精神的訓練だ


 「Awareness」という言葉も、ブラックヒストリー重要ワードですよね。覚醒。気づくこと。目覚めること。知ること。
 チャックDの立ち位置から考えて、スピリチュアルなことを意味していることは無いでしょう。たとえば「我々は、五千年前に、アフリカを経由して宇宙からやってきた神の子供達なのだ!」とかーーーそんなことは言っていません。チャックDの言っていることは、黒人の尊厳と機会の平等です。
 我々は、白人と比べて劣っている人間などではないという目覚め。そして、被支配階級である黒人は、400年のあいだ権力によって、貶められ騙されてきたというアメリカの欺瞞についての目覚めです。
 だから「諦めたり」「満足したり」していては、自由は勝ち取れないのだということを、強く訴えています。

 二行目の「What is this?」というのは、目覚めていない同胞を嘲っています。こういうのは、一種のジョークという意味でフレイヴァフラヴが道化を演じているようです。たとえば、
 「おーい、オレの声が聞こえるか?」
 「ダメだよ、まったく聞こえないよ!」
とか
 「これから、絶対に、ゼッタイって言うな!」
というたぐいのジョークですね。
 そして「Mental self-defensive fitness」というのは、前の段落で登場した「tough from the heart」と同じ意味となるでしょう。


Yo! Bum Rush The Show! You gotta go for what you know. Make everybody see in order to fight the powers that be. Let me hear you say, "Fight the power!" "Fight the power." We got to fight the powers that be!

〈おいみんな! 一気に突っ込むぞ〉 自分の知識が頼りだぞ 皆を目覚めさせて闘わなきゃ オレたちは権力を握る者たちと闘わなければならないのだ 「権力と闘おう!」「権力と闘おう!」「権力を握る者どもと闘わねばならない!」


 "Yo! Bum Rush The Show"というのは、パブリックエネミーのアルバムのタイトルです。「おいみんな、突っ込むぞ!」という意味です。1987年の元歌(1987年)のほうでは、Hip-Hopのクラブに、入場料を払わずに済むよう全員で突っ込め、みたいな意味のようなのですが、ここにおいては「知恵を結集させて、みんなの力を合わせて権力と闘うぞ!」ということでしょう。



Elvis was a hero to most but he never meant shit to me. You see straight up racist that sucker was simple and plain. (Motherfuck him and John Wayne!)
エルヴィスプレスリーは国民の英雄らしいけど オレにとってはカスほどの意味も無いし ヤツは完全な差別主義者だったのさ(あのクソ野郎と それからジョンウェインもな)


 ここから、有名な第三番ヴァースです。アメリカの英雄は白人ばかりで、オレたち黒人には英雄が居ないのだ、と歌います。大げさに言いますと「メディア論」になっていると思います。
 日本でいうところの、江戸時代のお侍さんが登場する「時代劇」にあたるのが、アメリカ開拓時代を舞台にした「西部劇」で、アメリカ先住民(いわゆるインディアン)やアフリカ系アメリカ人のイメージが著しく歪められていたことで有名なものです。その西部劇の大スターがジョンウエインで、役柄のみならず本人も人種差別主義者として知られていました。
 ジョンウエインについては議論の余地は無いのですが、エルヴィスプレスリー批判については違和感を抱く人も多いのではないでしょうか。というのも、かの地メンフィスで南部の教会音楽に慣れ親しみ、リズム&ブルーズの発展にも貢献したプレスリーは、どちらかといえば「親黒人派」と考えられているからです。
 このことについては色んな議論があるので詳しく書きませんが、ここでチャックDが問題にしていることは、エルヴィスが個人的に差別主義者だったかどうかではなく、「アメリカ音楽の歴史に貢献した(黒人の)英雄が多くいたはずなのに、何故その英雄たちは無視されているのか?」ということです。プレスリーより貢献した人物はもっといたはずなのにオカシイだろ、と訴えています。


Cause I'm Black and I'm proud. I'm ready and hyped plus I'm amped. Most of my heroes don't appear on no stamps. Sample a look back. You look and find nothing but rednecks for 400 years if you check. "Don't Worry Be Happy" was a number one jam. Damn, if I say it, you can slap me right here.
だってさ オレは〈ブラック&プラウド〉だから いつでもOKだし マイク片手にアクセル全開だぜ 切手に描かれる人物は オレの尊敬する人だったためしが無い 調べてみたらわかるだろうけど アメリカ400年の歴史で切手になってるのは白人野郎ばかり 去年は〈心配ないさ 気楽にいこう〉なんていう歌がチャート一位になってたけど もしオレがそんな曲を歌うことがあったら この顔をひっぱたいてくれ


 「Black & Proud」は、言うまでもなくジェイムズブラウンの代表曲のひとつ「Say It Loud - I'm Black and I'm Proud」からの引用です。JBは1968年にこの曲「〈オレは誇り高き黒人だ〉と声をあげよう」を八月に録音してヒットさせました。


 この曲が夏にリリースされたことは大きな意味があります。というのは、その春にキング牧師が暗殺されたからです。JBは、新しい時代のアンセムをつくったわけです。
 キング牧師からマルコムX、そしてストークリーカーマイケル、ラップブラウン、そしてブラックパンサーの時代へ。公民権運動からブラックパワー運動へ。ゴスペルからファンクへ。そして今、ヒップホップの時代へ。
 一番ヴァースでも既出ですが、つまり、公民権法制定への大きな力となった曲「We Shall Over Come(勝利を我らに)」から五年後の「Say It Loud」へ。そして「Fight The Power」はその続編にあたる、というわけです。
 さて、「黒人には英雄がいない」「歴史が書き換えられて意図的に英雄が消されてきた」という言説はアメリカ黒人社会では常に話題となる一大テーマです。英雄の存在は「黒人もやれば出来る」ということの証明ですので、メディアは意図的にそういった歴史を抹消する傾向にあって、白人支配構造の大いなる助けになっていると考えられています。
 『ドゥ・ザ・ライト・シング』は、まさにそれ(ピザ屋の壁に黒人の写真を掲げろという要求)が火種となって暴動に発展するストーリーでした。そしてこのミュージックビデオでも、英雄の写真が多くプラカードに掲げられます。


 次に、大ヒット曲「Don't Worry - Be Happy」は、一度聴けば耳から絶対に離れない、万人の心に訴える魅力あふれたメロディーの曲で、1988年9月に全米POPチャート1位となりました。しかしこの曲は、偉大なジャズ歌手・ボビーマクファーリンのキャリアにとって唯一の汚点といってよいものです。現に、絶対にボビーはこの曲をライブで歌いません。・・・なぜか?


 それはこの曲が「ジョークソング」であり、しかもジャマイカ人を侮辱し、しかも問題が山積するこのアメリカ社会のなかで「心配するな」などという反進歩的な歌だからです。生粋のニューヨーク人であるボビーが、「レゲエのおじさん」よろしく、偽ジャマイカ訛りで「明るく振る舞えば なんでも上手くいく」などと能天気なことを歌います。道化となって白人と戯れるビデオまで制作されました。もともと、スタジオの暇つぶしで「お遊び」で録音した歌だったのですが、図らずも大ヒットとなりました。これは誉れあるジャズの歴史を受け継ぐ者として相応しいものではありません。
 そんな事情ですので、チャックDのライムは、同胞ボビーを責めているわけではありません。作者ではなく、歌そのものだけを糾弾しています。「もしオレがその歌をうたったら、オレの顔をひっぱたいてくれ」と言っています。「ボビーの顔をひっぱたいてやれ」とは言っていません。
 真の黒人の英雄はメディアには登場しない。その実例の一つとしてボビーマクファーリンの悲劇的事例をあげています。


(Let's get this party started right!) Right on, come on!
What we got to say, "Power to the people!" No delay. To make everybody see, in order to fight the powers that be!
さあ これから騒ぐぞ (本当のパーティーを始めよう)その通り! 合い言葉は?「すべての権力を人民に!」それも今すぐ 皆を目覚めさせて 知らせよう オレたちは権力を握る者たちと闘わなければならないのだ
「権力と闘おう!」
「権力と闘おう!」
「権力を握る者どもと闘わねばならない!」


 さあパーティーを始めるぞ!と宣言しています。パーティーというのは闘争のことを指しています。これは僕の心にも、強く響いてきます。というのは、権力と本当に勝負するためには、比喩でなく本当のところ、パーティ/祭り/大騒ぎというものが実は有効であるからです。
 行儀の良い「市民の集い」や「勉強会」も必要です。しかし、往々にして本当に力となり得るのは、楽しいドンチャン騒ぎであったりするのでしょう。最終的な革命は大喧噪のなかで達成されるでしょう。騒ぐことに意味がある。人数の多いのは、支配者ではなく市民のほうなのです。だから、権力者にとって恐ろしいのは「騒動」なのです。大挙して騒げば、武器を持った警察や軍隊ではなく、声をあげる市民が勝利することは歴史が証明しています。
 その「パーティー」を始めるぞ、と言うわけです。無論ながら、それは「正しいパーティー」でなければならない。それこそが〈ヒップホップ〉である、と宣言しているように僕には聞こえます。

(おわり)

2020年6月

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