2016年2月アーカイブ


*この記事は〈翻訳編〉〈解説 前編〉と合わせてお読みください。

MV「FIGHT THE POWER」翻訳

 後編です。それでは、いよいよラップの内容を詳細に追っていこうと思います。

1989 is the number. Another summer. (Get down!) Sound of the Funky Drummer. Music is hitting your heart cause I know You Got Soul. (Brothers and Sisters!)
さあ1989年 また夏がやってきた(〈踊ろうぜ〉)〈ファンキードラマー〉のビートにのせて この曲が君の心に響いたら〈君にもソウルがある〉って証拠だぜ(〈ブラザーズ&シスターズ!〉)

 「1989年」とは、言うまでもなく、この曲がつくられ、ビデオがつくられ、映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』が公開された年のことです。このビデオを見ると、文脈がより鮮明になっています。つまり「もはや1963年じゃねえぞ」と言っているわけです。
 さらにツッコミをいれますと、「かと言って、1968年でもないだろ?」「じゃあ1970年か?」ということになりますよね。まさに、その話を、いまから語るから、よく聞けと言うわけです。
 「また夏がやってきた」というのは、キング牧師のワシントン大行進が真夏だったことにくわえて、1965年の夏にワッツ暴動がおこって、そのあと毎夏に暴動がおこっていたことを指していると思います。『ドゥ・ザ・ライト・シング』のテーマも「暑い夏の一日」であり、その終わりに暴動がおこるのです。そのスパイクのメッセージとは、「みんな頭を冷やせ!」「正しいことをしろ!」ということでした。


 「ナンバー」「サマー」と続けて韻を踏む言葉は「ファンキードラマー」です。言うまでもなく、ジェイムズブラウンの曲名です。ヒップホップのドラムブレイクとして一番有名な曲です。その次には、ジェイムズブラウンの相棒のボビーバードの「I Know You Got Soul」が叫ばれます。チャックDは、まずこの冒頭において、このJBネタ二つをヒップホップサウンドの代名詞として挙げて、これが俺達の世代の音楽=ヒップホップだぞ!と高らかに宣言しています。
 もっとも、この「Fight The Power」は、ファンキードラマーというよりは、「Hot Pants Road」(The J.B.'s, 1971)の色合いのほうが濃いですね。でも、このボムスクワッドによるグチャグチャサウンドで、ファンキードラマーも含まれているんですよね・・・? そのへんは僕はよく分かりませんが。


 そして、その次にフレイヴァフラヴが言う「ブラザーズ&シスターズ!」は、1972年の『ワッツタックス』のジェシージャクソン牧師の言葉からの引用です。ソウルチルドレンを紹介するときに「Brothers & Sisters! "I Don't Know What This World Is Coming To"! The Soul Children!」と叫びます。このフレーズが、チャックDはいたく気に入っているようで、インタビューなどで何度も言及しています。また、この曲をサンプルもしています。1960年生まれのチャックDは小学六年生だったことになります。



 何故、この「Brothers & Sisters!」が気に入っているのか、僕にはディープなところまでは分かりません。ただ、とにかく気に入っているらしいです。


Listen if you're missing, y'all. Swinging while I'm singing, giving what you're getting, knowing what I know while the Black band is sweating and the rhythm rhymes rolling.

大事なことを言うから オレの話を聞いてくれ これはただの歌じゃなくて 抗議行動なんだ タメになること伝えるし オレの知ってる限りで話すから 黒人のバンドってものは汗水たらして リズムとライムでノッていくさ


 「Missing」というのは、どうやら2番目ヴァースで語られる、この曲のメインメッセージに関係しています。「道を見失っている奴はオレの話を聞いてくれ」ということです。
 「Swinging while I'm singing」における「swing」は、マルコムXの演説からの引用です。有名なスピーチ「投票か闘争か(The Ballot or The Bullet)」の一節「今の黒人は〈我らに勝利を〉を歌いすぎている。歌をうたっている場合ではない。拳を振り上げて抗議しなければならない。(Stop singing and start swinging.)」のことを言っています。
 ここでチャックDは、キング牧師を揶揄しているマルコムXのフレーズをさらに昇華させて、「オレは歌いながら抗議する」と言っています。ラップ芸術、ここに極まれり・・・って感じではないでしょうか。


 つづく「Giving what you getting, knowing what I know」は、このラップがチャックDの知識・知恵を拡散させるためのスピーチであることを宣言しています。カッコいいです。
 次の一行も面白いです。というのは、自分たちパブリックエネミーのことを「the Black band」と呼んでいるからです。これはつまり、たとえば、デュークエリントン楽団・ライオネルハンプトン楽団・ルイジョーダンとティンパニ5・ジェイムズブラウン&JBズ・クール&ギャング・Pファンク、といった具合に連綿と続く黒人音楽の歴史の1ページに自分たちを置いているように聞こえます。今となっては何の違和感もありませんが、1989年の当時は、さすがにヒップホップ黎明期でもないにせよ、ちょうどヒップホップの人気が急激に拡大していた時代ですから、この宣言には重みがあっただろうと思います。


Got to give us what we want! Got to give us what we need!
Our freedom of speech is freedom or death. We got to fight the powers that be.
Fight the power! Fight the power! We've got to fight the powers that be!

本当に欲しいものを勝ち取らなきゃ 本当に必要なものを勝ち取らなきゃ オレたちにとって言論の自由は 生きるか死ぬかの問題なんだから 権力を握っている連中と闘わなければならない
皆で叫ぼう「権力と闘おう!」「権力と闘おう!」「権力を握る者どもと闘わねばならない!」


 1番ヴァースの最後の段落です。ここで、まずは俺達の当然の権利を、獲得・行使するぞと言っています。それは「言論の自由」です。オレたち(黒人)にとって、言論の自由は、生か死かを意味する、と言います。チャックDや彼の隣人にとっては、差別、自由、再分配、教育、といった言葉は直接的に生死に関係しているでしょう。ましてや、時は1980年代後半。クラックが社会現象化し、レーガノミクス自由経済による弱肉強食の時代でした。
 さて、ここで大きな問いです。日本に住む僕たちにとって〈言論の自由〉は、チャックDが言うように「生か死か」でしょうか? 言論の自由(表現の自由)を失うことは、あなたにとって「死」に匹敵する問題といえるでしょうか?
 実は、これこそが、僕がわざわざ、この長たらしいブログを書いている理由です。これは重要な問いです。戦後生まれの僕たちは〈表現の自由〉を失ったことがありません。
 言論の自由というのは、「表現の自由」のいち形態または同義と考えてよいでしょう。表現の自由とは何でしょうか? それが意味するものはーーーことばを始めとして、考えうる
すべての伝達手段が権力によって制限されてはいけない、ということです。文章、声、歌、音楽、絵、写真、映像、舞踊、造形、等々ありとあらゆる形態が考えられます。最も重要なものは〈言葉〉でしょう。それは、新聞やテレビや書籍、教科書や日記、ブログやツイッターすべてを指しています。
 言葉は、権力や財力や組織などを持たない一般市民にとっては、唯一と言ってもよい抵抗手段であって、最後の砦です。これが制限されることは、鳥が翼をむしり取られることに等しい。
 僕は、「表現の自由」について考える機会は、それほど多くなかったかも知れません。あまりにも当たり前のものとして享受していたからです。その〈翼〉の大切さを、もう一度ふかく噛み締めないといけない時代がやってきたようです。
 ちなみに、しばしば、週刊誌が芸能人のゴシップ記事について名誉毀損で訴えられるようなケースで、よく「表現の自由」が言われます。こんなものは「自由」の履き違い(というか勘違い)の最たる例でしょう。自由とは「権力から制限されない」という意味なのですから、訴えられている週刊誌にも「表現の自由」があることなど明白です。表現の自由とは「何を言っても(書いても)、誰からも何も言われない」という意味ではありません。ゴシップ記事を書かれて名誉回復を求める側にも同じく「表現の自由」があるからです。
 本当の〈表現の自由〉とは何か・・・。それが失われたとき何が起こるか。どうやったら守ることができるか。それを真剣に考えねばならない時代がやってきたと思います。このミュージックビデオのテーマである、デモ・集会の自由も、日本においては「憲法21条 表現の自由」によってのみ、保障されています。たったの70年前には、表現の自由(集会の自由や言論の自由)は大きく制限されていました。つい四年前に自民党がつくった「憲法改正草案」を見てください。どのような恐ろしいことが書いてあるか、ご自身の目でぜひ確かめてください。

 憲法改正草案 自民党憲法改正推進本部ホームページ)
 *第21条(表現の自由)だけでも良いので是非よんでください。


 音楽に戻ります。続いて、ようやくおなじみのフレーズです。「ファイト ザ パワー!」・・・この1番のヴァースでは、言論の自由、つまり「言うべきことを声をあげて言う権利」を確保するために、「権力と闘わねばならない」と言っています。「言論の自由」というのは、ヒップホップそのものと同義なわけです。そして、デモ・集会の自由、も当然ながら、同じひとつの概念です。一番ヴァースのテーマは「ヒップホップ讃歌」ということだと思います。言論の自由を確保するために闘おう! そのツールとして、デモやヒップホップが存在している、ということでしょう。

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As the rhythm is designed to bounce; what counts is that the rhymes
designed to fill your mind now that you've realized the pride has arrived.

リズムトラックもいいノリを出してるが 大事なのはリリックのほうで 君の頭に浸透するように書いたよ もう分かってるだろう 黒人が誇りを持つ時代の到来だぜ


 さあ、この曲の本丸、2番ヴァースです。メッセージの中核部分へやってきました。
 「君の頭に入るような良いリリックを書いたぜ」と言っています。前のヴァースでもありましたが、この歌は「啓蒙ソング」であること。そしてチャックDは引き続いて、自身のラップに大きな自信をのぞかせています。
 そして言います。「The pride has arrived.」
 ここでの「プライド」は、もちろん「黒人の誇り」を意味しています。「誇り」よりも「尊厳」というように訳したほうが良いのかもしれません。黒人権利闘争においては「Pride」というのは重要タームですよね。
 後述しますが、明らかにチャックDはこの曲をジェイムズブラウンの「Say It Loud - I'm Black & I'm Proud」の現代版として捉えています。
 パブリックエネミーとジェイムズブラウン。ヒップホップとファンク。80年代と60年代。1989年と1968年。ラップと歌。マルコムX再評価とキング牧師の暗殺。そんな対比が浮かびあがります。


We got to pump the stuff to make us tough from the heart. It's a start, a work of art. To revolutionize, make a change. Nothing's strange.

黒人の尊厳を育てるんだ そしてタフな心を養っていこう まだ始まったばかりだ これは思うほど簡単じゃないぞ 革命化を実行するため 物事を変えていこう どんどんやっちゃおうぜ


 この段落は何を言っているのでしょうかね。

 黒人の誇り → 強靭な心 → 物事を変えて行く力 → 革命

ということで合ってますでしょうか......?(ご指導ご意見おまちしています。)


People, people, we are all the same; No, we're not the same cause we don't know the game.

〈みなさん みなさん〉人類はみな同じです! いやいや まだ同じじゃないだろ だって同じ土俵にあがっていないんだから


 改めて、この歌は、黒人(アフリカ系アメリカ人)から黒人のためのメッセージです。白人によって形成されている権力構造と闘おう、と訴えています。しかし、チャックDは、インタビューなどでも回答していることですが、黒人の優位性や白人の劣性を唱えているわけではありません。
 マルコムXは、このビデオで特別に大きな写真が掲げられていますけれども、ある時期において「白人は悪魔である(とイライジャモハメド師は教える)」という立場をとりました。しかし、それは、スパイクリーやチャックDら若い世代の支持を集めているマルコムXの思想の中心部分ではありません。チャックDは、まずそれを明言しています。「どんな肌の色であろうが、髪や目の色をしていようが、人類はすべて同じ人間である」と言っています。
 それを明確に言ったうえで、「ただし、同じというのは違う」。黒人は、白人と同じ機会を与えられていないんだから、同等に競争させられるのはオカシイだろ、と言っています。
 「We don't know the game.」というのは、「We don't know the name of the game.」という意味。アメリカという国のマイノリティに対するやり方は、チェスなのかバスケなのかテニスなのか、なんの種目かも知らせずに勝負に参加させているようなもので卑怯だぞ、と言っています。
 「Game」というのは、重要キーワードです。米黒人のあいだでよく耳にする概念のように思います。
 一言で言えば「競争」ということですが、「人生ゲーム」という雰囲気も感じます。貧困な地域に生まれた人達が、「近いうちに死ぬ」という前提で、自分の生命をゲーム(チェスや3-on-3ような勝負でしょうか、それとも競馬などの賭け事でしょうか)に準えています。
 そして、そのゲームの「親」は自分ではない。自分の知らない何処かでほくそ笑んでいる「あいつ」が、このゲームの支配者。ーーーそんなニュアンスも含んでいるように思われます。
 言うまでもありませんが、「People, people」は、もちろんJBの「ファンキープレジデント」からの引用です。


What we need is awareness; we can't get careless. You say, "What is this?" My beloved, let's get down to business. Mental self-defensive fitness.

オレたちに必要なのは「目覚めること」 つまり無関心ではダメだ アンタは「何のこっちゃ?」って言うかもしれないが...... 親愛なる同胞たちよ そろそろコトに掛かろうではないか 自己防衛の精神的訓練だ


 「Awareness」という言葉も、ブラックヒストリー重要ワードですよね。覚醒。気づくこと。目覚めること。知ること。
 チャックDの立ち位置から考えて、スピリチュアルなことを意味していることは無いでしょう。たとえば「我々は、五千年前に、アフリカを経由して宇宙からやってきた神の子供達なのだ!」とかーーーそんなことは言っていません。チャックDの言っていることは、黒人の尊厳と機会の平等です。
 我々は、白人と比べて劣っている人間などではないという目覚め。そして、被支配階級である黒人は、400年のあいだ権力によって、貶められ騙されてきたというアメリカの欺瞞についての目覚めです。
 だから「諦めたり」「満足したり」していては、自由は勝ち取れないのだということを、強く訴えています。

 二行目の「What is this?」というのは、目覚めていない同胞を嘲っています。こういうのは、一種のジョークという意味でフレイヴァフラヴが道化を演じているようです。たとえば、
 「おーい、オレの声が聞こえるか?」
 「ダメだよ、まったく聞こえないよ!」
とか
 「これから、絶対に、ゼッタイって言うな!」
というたぐいのジョークですね。
 そして「Mental self-defensive fitness」というのは、前の段落で登場した「tough from the heart」と同じ意味となるでしょう。


Yo! Bum Rush The Show! You gotta go for what you know. Make everybody see in order to fight the powers that be. Let me hear you say, "Fight the power!" "Fight the power." We got to fight the powers that be!

〈おいみんな! 一気に突っ込むぞ〉 自分の知識が頼りだぞ 皆を目覚めさせて闘わなきゃ オレたちは権力を握る者たちと闘わなければならないのだ 「権力と闘おう!」「権力と闘おう!」「権力を握る者どもと闘わねばならない!」


 "Yo! Bum Rush The Show"というのは、パブリックエネミーのアルバムのタイトルです。「おいみんな、突っ込むぞ!」という意味です。1987年の元歌(1987年)のほうでは、Hip-Hopのクラブに、入場料を払わずに済むよう全員で突っ込め、みたいな意味のようなのですが、ここにおいては「知恵を結集させて、みんなの力を合わせて権力と闘うぞ!」ということでしょう。



Elvis was a hero to most but he never meant shit to me. You see straight up racist that sucker was simple and plain. (Motherfuck him and John Wayne!)
エルヴィスプレスリーは国民の英雄らしいけど オレにとってはカスほどの意味も無いし ヤツは完全な差別主義者だったのさ(あのクソ野郎と それからジョンウェインもな)


 ここから、有名な第三番ヴァースです。アメリカの英雄は白人ばかりで、オレたち黒人には英雄が居ないのだ、と歌います。大げさに言いますと「メディア論」になっていると思います。
 日本でいうところの、江戸時代のお侍さんが登場する「時代劇」にあたるのが、アメリカ開拓時代を舞台にした「西部劇」で、アメリカ先住民(いわゆるインディアン)やアフリカ系アメリカ人のイメージが著しく歪められていたことで有名なものです。その西部劇の大スターがジョンウエインで、役柄のみならず本人も人種差別主義者として知られていました。
 ジョンウエインについては議論の余地は無いのですが、エルヴィスプレスリー批判については違和感を抱く人も多いのではないでしょうか。というのも、かの地メンフィスで南部の教会音楽に慣れ親しみ、リズム&ブルーズの発展にも貢献したプレスリーは、どちらかといえば「親黒人派」と考えられているからです。
 このことについては色んな議論があるので詳しく書きませんが、ここでチャックDが問題にしていることは、エルヴィスが個人的に差別主義者だったかどうかではなく、「アメリカ音楽の歴史に貢献した(黒人の)英雄が多くいたはずなのに、何故その英雄たちは無視されているのか?」ということです。プレスリーより貢献した人物はもっといたはずなのにオカシイだろ、と訴えています。


Cause I'm Black and I'm proud. I'm ready and hyped plus I'm amped. Most of my heroes don't appear on no stamps. Sample a look back. You look and find nothing but rednecks for 400 years if you check. "Don't Worry Be Happy" was a number one jam. Damn, if I say it, you can slap me right here.
だってさ オレは〈ブラック&プラウド〉だから いつでもOKだし マイク片手にアクセル全開だぜ 切手に描かれる人物は オレの尊敬する人だったためしが無い 調べてみたらわかるだろうけど アメリカ400年の歴史で切手になってるのは白人野郎ばかり 去年は〈心配ないさ 気楽にいこう〉なんていう歌がチャート一位になってたけど もしオレがそんな曲を歌うことがあったら この顔をひっぱたいてくれ


 「Black & Proud」は、言うまでもなくジェイムズブラウンの代表曲のひとつ「Say It Loud - I'm Black and I'm Proud」からの引用です。JBは1968年にこの曲「〈オレは誇り高き黒人だ〉と声をあげよう」を八月に録音してヒットさせました。


 この曲が夏にリリースされたことは大きな意味があります。というのは、その春にキング牧師が暗殺されたからです。JBは、新しい時代のアンセムをつくったわけです。
 キング牧師からマルコムX、そしてストークリーカーマイケル、ラップブラウン、そしてブラックパンサーの時代へ。公民権運動からブラックパワー運動へ。ゴスペルからファンクへ。そして今、ヒップホップの時代へ。
 一番ヴァースでも既出ですが、つまり、公民権法制定への大きな力となった曲「We Shall Over Come(勝利を我らに)」から五年後の「Say It Loud」へ。そして「Fight The Power」はその続編にあたる、というわけです。
 さて、「黒人には英雄がいない」「歴史が書き換えられて意図的に英雄が消されてきた」という言説はアメリカ黒人社会では常に話題となる一大テーマです。英雄の存在は「黒人もやれば出来る」ということの証明ですので、メディアは意図的にそういった歴史を抹消する傾向にあって、白人支配構造の大いなる助けになっていると考えられています。
 『ドゥ・ザ・ライト・シング』は、まさにそれ(ピザ屋の壁に黒人の写真を掲げろという要求)が火種となって暴動に発展するストーリーでした。そしてこのミュージックビデオでも、英雄の写真が多くプラカードに掲げられます。


 次に、大ヒット曲「Don't Worry - Be Happy」は、一度聴けば耳から絶対に離れない、万人の心に訴える魅力あふれたメロディーの曲で、1988年9月に全米POPチャート1位となりました。しかしこの曲は、偉大なジャズ歌手・ボビーマクファーリンのキャリアにとって唯一の汚点といってよいものです。現に、絶対にボビーはこの曲をライブで歌いません。・・・なぜか?


 それはこの曲が「ジョークソング」であり、しかもジャマイカ人を侮辱し、しかも問題が山積するこのアメリカ社会のなかで「心配するな」などという反進歩的な歌だからです。生粋のニューヨーク人であるボビーが、「レゲエのおじさん」よろしく、偽ジャマイカ訛りで「明るく振る舞えば なんでも上手くいく」などと能天気なことを歌います。道化となって白人と戯れるビデオまで制作されました。もともと、スタジオの暇つぶしで「お遊び」で録音した歌だったのですが、図らずも大ヒットとなりました。これは誉れあるジャズの歴史を受け継ぐ者として相応しいものではありません。
 そんな事情ですので、チャックDのライムは、同胞ボビーを責めているわけではありません。作者ではなく、歌そのものだけを糾弾しています。「もしオレがその歌をうたったら、オレの顔をひっぱたいてくれ」と言っています。「ボビーの顔をひっぱたいてやれ」とは言っていません。
 真の黒人の英雄はメディアには登場しない。その実例の一つとしてボビーマクファーリンの悲劇的事例をあげています。


(Let's get this party started right!) Right on, come on!
What we got to say, "Power to the people!" No delay. To make everybody see, in order to fight the powers that be!
さあ これから騒ぐぞ (本当のパーティーを始めよう)その通り! 合い言葉は?「すべての権力を人民に!」それも今すぐ 皆を目覚めさせて 知らせよう オレたちは権力を握る者たちと闘わなければならないのだ
「権力と闘おう!」
「権力と闘おう!」
「権力を握る者どもと闘わねばならない!」


 さあパーティーを始めるぞ!と宣言しています。パーティーというのは闘争のことを指しています。これは僕の心にも、強く響いてきます。というのは、権力と本当に勝負するためには、比喩でなく本当のところ、パーティ/祭り/大騒ぎというものが実は有効であるからです。
 行儀の良い「市民の集い」や「勉強会」も必要です。しかし、往々にして本当に力となり得るのは、楽しいドンチャン騒ぎであったりするのでしょう。最終的な革命は大喧噪のなかで達成されるでしょう。騒ぐことに意味がある。人数の多いのは、支配者ではなく市民のほうなのです。だから、権力者にとって恐ろしいのは「騒動」なのです。大挙して騒げば、武器を持った警察や軍隊ではなく、声をあげる市民が勝利することは歴史が証明しています。
 その「パーティー」を始めるぞ、と言うわけです。無論ながら、それは「正しいパーティー」でなければならない。それこそが〈ヒップホップ〉である、と宣言しているように僕には聞こえます。

(おわり)
音楽と関係ある度:★★★★★



 * この記事は〈翻訳編〉〈解説 後編〉と合わせてお読みください。

 MV「FIGHT THE POWER」翻訳

 MV「FIGHT THE POWER」を解説する。(後編)



 パブリックエネミーの「Fight The Power」は、スパイクリーの映画『DO THE RIGHT THING』のためにつくられた曲でした。タイトル曲でもあり、劇中でも繰り返し流れます。例の「ラジオラヒーム君」がビッグサイズのラジカセでこの曲を流しながら街を歩き回ります。「パブリックエネミー」という名前さえ劇中に登場します。

 このミュージックビデオもスパイクによって監督されました。その姿も、何度かビデオに映っています。冒頭の「Playback!」という声もスパイク。


 このビデオがつくられたのは1989年。ニューヨーク市ブルックリンでした。

 そして、30年ちかく経った2016年、遠く太平洋を挟んだ日本に生きる僕たちと、このメッセージが、直球ストライクでつながっているように思えます。それで、わざわざこうして「解説」を書いてみることにした次第です。


 というのも、このミュージックビデオのテーマが、ずばり「デモ・集会」だからなのです。

 「曲」のほうのテーマは三部構成に分かれます。それも追って詳しく見て行きます。


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*     *     *


 まず一番最初は、1963年のキング牧師による〈ワシントン大行進〉のニュース映像が流れます。そのあとで、チャックDがでてきて、手を横に振りながら「だめだこりゃ」というようなことを言います。

 (書き起こし&翻訳:MV「FIGHT THE POWER」翻訳


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 このニュースのどこが「ダメ」なのか、分かるでしょうか? 
 もう、この原稿のほぼすべて一言一句が、猛烈にダメなんです。たとえば、冒頭の一文「リンカーンが奴隷を解放してから百年にあたる今年・・・」というのさえ、「ダメ」。いろんな声が聞こえてきそうです。「まだ黒人を奴隷と思ってるのか?」「まだ本当の奴隷制の歴史は終わってないぞ」「〈解放したこと〉ばかり言いやがって、〈奴隷にしたこと〉の話はしないのかよ」「キング牧師とリンカーン大統領は関係ない。なぜ同列に扱う?」という様々な声が、僕の耳には聞こえてくる気がします。・・・どうでしょうか。
 いずれにせよ、キング牧師を中心とした公民権運動は、襲撃やリンチや放火が行われていた当時の「今」を扱っているのですから、「リンカーンから数えて何年目か?」なんて、まったくナンセンスでしょう。ワシントン大行進は奴隷解放宣言100周年を記念しておこなわれたものですが、そんなの、ただの盛り上げるための戦術です。なんだかめでたいことのようにアナウンサーが言うのはオカシイのです。「百年経ってもこの惨状」というのならまだしも、そういう文脈ではないことは明らかです。

 最も屈辱的な部分はこの一文でしょう。「ワシントンD.C.を訪れた人が大人数すぎて、ビールも買えなくなってしまいました」。まるで大行進の参加者が、ビールを飲んでお祭りでもやったかのような印象操作です。
 そして最後は、バカバカしくも「(デモが行われているので)民主主義は健全です!」というアメリカ合衆国賛美で締めくくります。民主主義が実現されていないから行進をやっているのに。

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 さて、時代は四半世紀ほど飛びまして、われらがチャックDの登場です。僕は当時の反応について詳しく知りませんが、このチャックDの言葉が論争を醸したことは想像にかたくありません。世紀の偉人・キング牧師の行進のことを「ナンセンス」とこきおろしているのですから。

 「何様! ヒップホップとかラップとかいうアホの音楽をやる小僧が、キング牧師を侮辱しているぞ。けしからん!」という論調が、少なからずあっただろうと思います。

 しかしそれは違うでしょう。チャックDは、キング牧師の偉大な足跡はもちろんのこと、20世紀を通して、とくに1960年代に起こったことはすべて良く知ったうえで発言しているのです。1989年のチャックDにとっては、「黒人問題」というのは「現在の問題」であり「自分自身の問題」なのですから、「四半世紀前、キング牧師というエラい人がいて、こういう戦術をとった」というのは過ぎ去った歴史的な事実であって、むしろ、それを乗り越えなければならない責務を負っているわけです。

 まさに今日 クラックで死んでいく人がいる、今日 警官に撃たれる人がいる、今日ギャングになって撃ち合いをやっている子供が居る。・・・そういうことじゃないでしょうか。


 キング牧師の戦術はもう古い。新しい世代は違う方法で闘わなければならない。そして、それは、1989年の今、拡大しつづけているヒップホップという新しい音楽と強くシンクロしているように聞こえます。


 キング牧師のとった戦術は、ガンジーに倣った〈非暴力主義(無抵抗主義)〉による〈座り込み〉や〈行進〉でした。

 その思想・戦術は、公民権法の制定(1964年)などの大きな成果をあげました。しかし、ベトナム戦争激化やワッツ暴動を経て、1960年代後半には「時代遅れ」と見なされるようになっていきました。


 それでは、チャックDが「現代のアプローチ」として提唱しているものは何でしょうか。

 彼がこのビデオで挙げているものは、下記の三つです。


 ・セミナー(Seminars)

 ・記者会見(Press conferences)

 ・抗議集会(Straight-up rallies)


 それぞれを確認していくことにします。まず一つ目の〈セミナー〉です。日本語で言うと〈勉強会〉というような感じでしょうか。辞書ではおよそ下記のように掲載されていました。


Seminer [noun] 1. A conference or other meeting for discussion or training. 2. A class at a college or university in which a topic is discussed by a teacher and a small group of students.

【セミナー】[名詞] ①議論や訓練を行う集まり。②大学における授業。一人の教師と何名かの生徒が、一つの議題について議論する。


 どうやら、講師がしゃべり続けるのではなく、講師の指導のもとで参加者(生徒)が「議論する」というのがアメリカ式のようですね。

 つぎに〈記者会見〉です。これは、まあお馴染みですよね。


Press conference: An interview given to journalists by a prominent person in order to make an announcement or answer questions.

【記者会見】 一人の中心人物が記者団とおこなう面接のこと。何かを発表したり、質問に答えたりする。


 そして、最後です。"Straight-up rallies" と言っていますので、〈直接抗議集会〉とでも訳したら良いのでしょうか。


Rally [noun]: A mass meeting of people making a political protest or showing support for a cause.

【抗議集会】[名詞] 何らかの主張についての、政治的抗議をするため、または賛成表明するため、大人数が集まること。


 そんなことですので、キング牧師の「March」と、チャックDの「Rally」が本質的にどう違うのか?・・・を知りたいところですね。米語版ウイキペディアから、部分的に翻訳します。

https://en.wikipedia.org/wiki/Demonstration_(protest)

https://en.wikipedia.org/wiki/Protest#Forms_of_protest


〈デモンストレーション〉または〈街頭抗議〉とは、多人数の団体(ひとつの団体、または、ある程度の人数の団体が複数)が、政治的主張を目的として行動をとること。通常、大行進または集会の形態をとる。行進の場合は、集合場所またはスタート地点が決められる。集会の場合は、スピーチを行なって参加者が聴く。(中略)


[形態について]

デモンストレーションには多くの型が存在する。細かな違いも多くありうる。下記はその代表的なもの。

・Marches(行進)......行列をなして、決められた道程を進みながら政治主張を行う。

・Rallies(集会)......大勢の人が集まり、演説や音楽演奏をきいたりする。

・Picketting(ピケ).....ある場所(主として職場)のまわりを取り囲んで、人が通れないようにする。(以下略)


 また、ほかには、Sit-in(座り込み)、Vigil(キャンドル集会)、Civil disobedience(市民的不服従)、Ceremony(式典、祭り)などがあると他ページに列挙されていました。


 上記により分かることは、「March」も「Rally」も、意義のうえで大きな違いは無いということです。そうなってくると、Straight-up という言葉が肝心ということになるでしょう。日本語でいうと「マジで」「ガチで」という意味。


 つまり、どういうデモが「Straight-up rally」であって、 どういうデモがそうでないのか? これが一番のテーマではないでしょうか。


 「直接的に要求を訴えるデモ」または「直接的な政治力となるデモ」ということだと解釈したら良いでしょうか。

 みなさんはどう思われますか?


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 それでは、〈前編〉の最後に、プラカードになっている偉人の面々を記しておきます。いちおう登場順です。
 この「偉人」つまり「黒人(我々)の英雄」というのが非常に重要なのです。〈後編〉でそのことを書きます。

 ・ジョールイス Joe Louis(ボクシング選手)
 ・ポールロブソン Paul Robeson(俳優・歌手)
 ・ハリエットタブマン Harriet Tubman(奴隷解放運動家)
 ・アンジェラデイヴィス Angela Davis(活動家、カリフォルニア大学教授)
 ・メドガーエヴァーズ Medgar Evers(活動家、全米黒人地位向上協会ミシシッピー支部)
 ・マルコムX Malcolm X(活動家、アフリカ系アメリカ人統一機構)
 ・サーグッドマーシャル Thurgood Marshall(最高裁判所判事)
 ・ジェシージャクソン Jessie Jackson(活動家、Rainbow/PUSH)
 ・フレデリックダグラス Fredderick Douglas(活動家)
 ・マーチンルーサーキング(活動家、南部キリスト教指導者会議)
 ・ジャッキーロビンソン Jackie Robinson(野球選手)

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*     *     *


 さて、いよいよ〈後編〉では、「Fight The Power」の歌詞の研究にうつりたいと思います。


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 一つ目のヴァースは、導入部であり、音楽(ヒップホップ)と抗議行動、の関係について歌っています。

 二番目のヴァースでは、本丸のメッセージが語られます。オレ達に一番必要なものは「Pride」と「Awareness」(人としての尊厳、それに目覚めること・関心をもつこと)だと言います。

 そして三番目のヴァースでは、偽善的ヒーローや既存の権力(いわゆる「The Hype」)を糾弾します。そして、当時人気者だった同胞のボビーマクファーリンの悲劇的事例をあげて、真のメッセージを届ける新しい音楽=ヒップホップを讃えているという構造になっています。


 それでは、〈後編〉で詳しく歌詞の内容を説明したいと思います。

 (つづく)


 MV「Fight The Power」を解説する。(後編)

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2019年3月

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