2015年12月アーカイブ

僕が日本のアーティストに望むこと

 
総じて、アーティスト/音楽家というものは、やっぱり、ある種の影響力を持っているはずです。
その人達が実際に動けば、大きな<風>をおこす能力を持っています。

アーティスト/音楽家というものは、辺野古基地をストップさせたり、安保法制を廃止にしたり、原発再稼動をとめたりできるパワーを持っていると、僕は信じています。
2016年7月に選挙があります。そこで安倍政権を退陣に追い込み、日本の政治の流れを変えることも、当然ながら出来ます。


ところが、そういった実績は今のところ無い。
やっぱり、動かない。
動きそうな人でも動かない。
リベラルっぽい人でも動かない。

多くの人がこう思っていると思います。
「アーティストはレコード会社やテレビ局との<しがらみ>があって、個人的な意見を言う事ができないんだろう・・・」
しかし僕が考えるに、そういう事情は無いんじゃないか。

実際、動けない理由は、
「どうしたらよいか分からない」
「なにを言ったらよいか分からない」
「それによって何を失うのか、よくわからない」
ということなんだろうと思う。
(もちろん、僕だってその一人です。)

そういったスイッチを入れるのは勇気が要る。
フツーの市民とちょっと違う。
ステージに立つ人には期待も大きい。
たくさんの人の前で、語ることが求められる。
もしかしたら、次の日の仕事で、イベント司会者や雑誌インタビュアーから、
「集団的自衛権についてどう思いますか?」とか
「日本が脱原発できない理由はなんだと思いますか?」
なんて質問されちゃうかもしれない。
そのとき、専門的な事柄をよく知らないことがバレちゃったらカッコ悪い。
<平和>や<人権>について、気の利いた言葉を吐き出すことができなかったら、ダサいと思われちゃうかもしれない。


・・・・それについて、僕はこう考えています。

アーティストや音楽家というものは、饒舌に語る必要はない。
政治情勢について、自らの分析を披露したりする必要はない。
エネルギー政策についての対案を持っていなくて良い。
経済政策を詳細に批判するような知識がなくとも良い。
尖閣問題について解決策を提示できなくてよい。

そんなことは、アーティストに求められていないし、出来るようになる必要性は、無い。

僕はこうしたらいいと思う。

デモや集会に参加したらいいと思う。
デモや集会に参加することを世間に予告したら良いと思う。
デモや集会に参加したことを報告したら良いと思う。
デモや集会で写真を撮られたらいいと思う。

もし求められたら、デモで一曲演奏したらいいと思う。
スピーチをするなら、知人と原稿を練ったらいいと思う。

7月の選挙では、どの政党/候補を支持するか発表するのが良いと思う。

選挙は<消去法>です。ブログやSNSで明言する。できれば応援演説にいって、一曲歌うのがよいと思う。

(結局のところは、アーティストも一般市民も無い。結論は同じ。とても重要。)

わざわざヘタを打つ必要はない。
アーティストは、バットの良い振りかたを練って、スカッと爽やかなスイングを見せて欲しいと思う。

それが、「音楽の力」で世の中を変えるということじゃないかと思う。
たしかに、たくさんの人の利害が渦巻くところだから一筋縄ではいかないかもしれない。

しかし、なによりも、音楽家の発言が求められている時代だ。

今は「激動の時代」と言われる。
「崩壊の時代」と言っても良い。
時間の猶予は無い。
 朝4時すぎ、僕は、国会正門前から離れて国会の裏側、議員会館のほうへ移動しました。Tさんとお会いするため。
 歩く途中で、どんどん明るくなりました。「総がかり行動」は解散となった模様。いくつかの団体がまだ残っていた。
 Tさんはちょうど片づけを始めたところだった。KTさんもいらっしゃった。昼からぶっ通しで一日中コールを続けていたらしい。目が真っ赤で、もうヌケガラみたいに疲れ果てておられた。

 それから、Tさんと1時間ほど立ち話。興味深い話をたくさんしていただいた。そのあいだに、始発の時間がきて、どんどん人が帰っていく。六時すぎには、完全に明るくなって、人も全くいなくなってしまいました。
 別れ際にTさんがおっしゃった。「国会前に12万人も集まって、それでもこの新しい安保法制を止めることはできなかった。やっぱり、数万人でもダメだ。もっともっと大きくしていかないといけない。ましてや数百やら数千ではまったく足らない。いろんな<風>を起こしていかないと、市民運動を大きくして勝利をかちとっていくことは難しい」

 それから、(僕のような、いわゆる活動家ではない)ミュージシャンには、新しい風を起こしてくれるよう期待をもっている、という意味のことをおっしゃった。

 お別れをして、参議院議員会館前から永田町駅出口まで、ほんの150メートルほどを歩きました。
 もう辺りにはたったの一人も居ません。お巡りさんが数名いるだけ。朝はまだ静かで肌寒いが、今日はいい天気のようで、もう陽がまぶしい。
 つい数時間前まで、ここで、戦後70年における大転換点といってもよい抗争が行われて、数万人が目に涙をためて必死に声をふりしぼっていたのが嘘みたいです。みんな帰っちゃった。

 ああ、あれだ。<革命の夜、いつもの朝>・・・このフレーズが本当にピッタリ。初めて体験した。
 正確にいえば、肝心の<革命>を起こせなかったわけで、やっぱり違います。でも、<革命>は今からみんなで起こすのだから、まあいいか。

 地下鉄に乗って、車をとめておいた青山一丁目まで。そこから運転して自宅へ。土曜日の朝7時だから交通量は多くありません。渋谷あたりもスイスイ。
 運転しながら、昨晩のことや、この一週間のこと、この数ヶ月のことが頭をめぐりました。(これだけ盛り上がったのに、やっぱり安保法は成立した・・・。みんな分かっていたことだけど。)

 12万人が国会前に来ても、全国で100万人規模のデモをやっても、ストップできませんでした。悪の組織はスイッチが入ると、もう誰にも止められなくなります。あらためて、敵の恐ろしさ、巨大さを想いました。
 (日本はこのまま、「武器商人の国」になっていくのかな? アメリカと同じ「経済的徴兵制」になっていくのかな?)
 (自衛隊の若者が、アメリカ兵と一緒になって世界中で殺したり殺されたりするのかな?)
 そして、数十年後には、行きつく先が、1945年のような民間人もふくめた大殺戮だとしても、もはや違和感をおぼえません。

 そして自分の小さな娘たちのことを考えた。
 (・・・ぜったい大丈夫だぞ、なにも心配することないぞ。いざとなったらパパが外国でもどこでも連れて行ってやるからな。何の心配事もなく成長するんだぞ・・・!)
 そんなことを考えていたら、同時に、自分の無力さもよく分かってきて、涙があふれてきた。

 こんなことになるなんて。二十数年前にはもう分かっていたようなことなのに。いままで何も出来なかった。何もしなかった。何故だろう?

 7時半頃、家にたどりついて朝食をとり、アパートのベランダから外を眺めたら、まるで、この一週間 何事も無かったかのよう。
 驚くほどいい天気で、年配者は犬の散歩。
 
 そこでようやく、僕は理解したのでした。山本太郎議員や、SEALDsの人達が言っていたことを深く理解しました。

 涙を流したり、嘆いたりしていてはダメだ。感傷的になって、これを<安保闘争に敗れた日>なんて美化するのはバカバカしいことだ。
 今後やらなければならないことは、もう明白です。戦争法を廃棄すること。さらには、辺野古基地問題、原発問題、経済問題、差別問題、その他たくさんの課題があって、とにかく、「正しいか間違っているか」とか「得か損か」とか「カッコいいか悪いか」とか「誰が何と言っているか」ではなく、弱い者の側から物事を見て判断して、微力ながらも発言したり行動したりしていくしかないのだ。
 終わりは無いのだから、明るく朗らかに行くほか道は無い。

 その土曜日と日曜日は、自分でも理由は分からないが、思い出すたびに涙がでそうになったが、泣いたって良いことは一つも無いと考え、やっぱり、明るい光のさす方向へ導いてくれた各氏に深く尊敬の念を抱いた。
 これからは、行動あるのみ、でいこう。 (おわり)

午前0時10分、ついに参院本会議が再開。民主党 福山議員が演説。

「福山がんばれ! 福山がんばれ!」

 国会前では「福山がんばれ!」のコールが何分間にもわたって続きました。ながいあいだ皆で同じことを言い続けました。「福山がんばれ!(福山がんばれ!)」・・・何分間だったでしょうか、延々と言い続けていたら不思議な効果で、涙があふれてきました。

 こうやって数ヶ月のあいだ、たくさんの人が何度もここに集まって声をあげてきました。8月31日には雨にもかかわらず12万人も集まりました。今日はこんなにたくさんの人が来ている・・・。それでもこのままこの法案は通ってしまうのでしょうか?
 いまここで声をあげている人は、惨敗の現実を受け入れなければいけない悔しさで、半分くらいの人が泣いているんじゃないでしょうか。暗いから見えないし、知らない人の顔を覗き込むわけにもいかないのですが。

 約30分後に福山議員の演説は終了。三時間くらいやってほしかった。演説は一人15分までと制限されてしまったとのこと。「あほ! <牛舌>をやって、演説台から引きずりおろされるまで、しゃべらんかい!」と激しく思う。

 午前2時ごろ、ついに投票開始。コールは中止される。皆でスピーカーに耳を傾け、投票する議員が一人ひとり呼ばれる声を聞く。スマホで中継の動画を観ると、山本太郎議員がひとりで牛歩をやっている。そのほかは牛歩をするものは誰もいないようです。粛々と投票がすすむ。
 しばらくすると、山本太郎議員ひとりになりました。時間をかけて階段をのぼったあと、議員席に向かって何か大声で言っているようだ。「そんなに議員の席にしがみつきたいか!」「外の声が耳に入らないのなら国会議員なんて辞めてしまえ!」と叫んでいたのだと、のちに知る。

 投票は終了。票が読み上げられ、かくして戦争法案は可決した。

 午前2時30分ごろ、国会前にて福山議員スピーチ。
福山議員:「昨日の、あの暴力的な強行採決の景色と、今日のこの一瞬を忘れないでください!そしてこれからも一緒に闘ってください!」

「選挙に行こうよ! 選挙に行こうよ!」
「デモに行こうよ! デモに行こうよ!」

 そして午前3時ごろ・・・何が起こったか? やっとここまできました・・・。実は、これが、とても長いこの「日記」の、本題なのです。

 不可解なハイテンションの山本太郎議員がスピーチ。
 そして謎のコール。

「アベ〜は ヤメ〜ロ! アベ〜は ヤメ〜ロ!」
「センソ〜は スル〜ナ! センソ〜は スル〜ナ!」

 Youtubeにも動画が残されています。けど、今それを改めて見ても、あのときの「違和感」はちょっと伝わらないと僕は思うのだ・・・。

 あのとき、あの場所に居た人は、ほとんどが、数週間または数ヶ月、国会に通い詰めた人だったと思う。だから、参議院の通過が決定したとき、かなりの悲壮感に打ちのめされていたはずです。福山議員がスピーチしたとき、涙を流した人も多かったと思う。
 そこへきて、この太郎議員のナゾに満ちた、無理矢理に明るいスピーチでした。決して、成功している(ウケている)とは言えないのですが、この日記を書いている今となっては、彼のやろうとしたスピーチの<意味>はよく分かるのです。

 「明るくいかないとダメだぞ」と彼は言っていたのです。この段階で、打ちひしがれたり、感傷的になったり、果ては<挫折>したり・・・そんなことでは、権力側の思うツボなのです。ここでガハハハと笑うことができる<信念>が僕たちにあれば、それって権力者にとっては一番おそろしいものじゃないか? それを太郎議員は言っていたのだと思う。

 太郎議員:「なんで、あんな法案が通ったのに(お前は)そんなに明るいんだ?って思われる方いらっしゃるかも知れませんけど・・・、これ、今から変えていくだけなんですよ、あとは! そうですよねっ!」

 そうして、国会前の数千人で、朝の始発電車まで、スピーチやコールがつづいたのでした。
 このあと、SEALDs KANSAIの方の「親子丼とコーヒーの美味しいお店です」のスピーチ。みんなが泣いた。

(最終回へつづく)

 午後10時ごろ  国会前到着。

「野党はがんばれ! 野党はがんばれ!」
「強行採決 絶対反対! 強行採決 絶対反対!」
「アベはヤメロ! アベはヤメロ!」
「憲法守れ! 憲法守れ!」
「憲法守れ! 憲法守れ!」

 ところで、「安倍は死ね!」とか、そんな類いの、汚い言葉を使ったコールをやっているという誤解もあったようです。
 ・・・断じてありえない。活動を貶めようとする悪質なデマです。
 どの団体にせよ、そんな稚拙な表現力で闘っていたのであれば、デモがここまで大きくなっているはずがない。そんなことは全員了解済みなのだ。

午後11時ごろ 「太郎はがんばれ! 太郎はがんばれ!」
       「野党はがんばれ! 野党はがんばれ!」

 たしか、この時間帯に、テレビ番組「サンデージャポン」の取材を受けました。
 一つ目の質問は「まもなく安保法制が成立しますが、いまの気分はどうですか?」でした。これだけでもイライラさせられましたが、そのあとは「デモでお腹すきませんか?」「トイレはどうするんですか?」とアホなことばかり質問されて閉口でした。

午後11時20分ごろ
小熊英二氏(映画監督)スピーチ:「民主主義って何だ?(これだ!)」

午後11時25分ごろ
奥田愛基氏スピーチ:「19日の未明になんか始めてるヤツがいたらそれはオレ達なんですよ」
          「民主主義に観客席は無いんです」

午後11時35分ごろ
共産党 志位委員長スピーチ:「せっかくつくった野党共闘、どんなことがあろうとも、今後も発展させることを皆で確認しました」

午後11時45分ごろ
SEALDs:「民主党の人はいま、牛歩をやるかどうか悩んでいるそうです・・・やってもらうしか無いでしょう!」

「野党は牛歩! 野党は牛歩!」
「国会議員は起きて話聞け! 国会議員は起きて話聞け!」
「憲法まもれ! 憲法まもれ!」
「野党は牛歩! 野党は牛歩!」
「安倍はヤメロ! 安倍はヤメロ!」

国会内では、鴻池委員長の問責決議案の趣旨説明を、民主党小西議員が約一時間行う。極端に長い演説をやって時間かせぎをするという、<牛歩>の演説版、<牛舌戦術>だ。

「小西は頑張れ! 小西は頑張れ!」

午後12時ごろ
平田オリザさんスピーチ:「レジスタンスに最も大事なのは信頼と連帯です!」

「野党はがんばれ! 野党はがんばれ!」
「野党は牛歩! 野党は牛歩!」

(つづく)

 金曜日。朝11時に起床。お昼前にもなって目を覚ましました。しかし就寝したのが朝六時でしたので、「寝坊」ってわけでもないのですが・・・。
 前の晩つまり木曜日、国会前でデモが終了するときに、SEALDsが「今日のところは電車のある時間で早く終了しましょう。明日は朝八時に集まりましょう」と言っていた。
 さすがに朝八時に行くつもりは無かったにせよ、学生のみなさんが頑張っているのに、僕なんか、こんな時間まで寝ていて、ちょっと罪悪感です。

 ところで、SEALDsが木曜の夜を早めに切り上げたのには、もちろん経緯がありました。
 さらにひとつ前の晩(つまり水曜日の夜)が、ヤマ場だったからです。

 雨だったにもかかわらず、戦争法案に対する抗議行動は夜遅くまで続き、電車がなくなって、老いも若きも国会前で、雨のなか朝までコールということになりました。
 あの日は、みんなの団結力はすごいものがありました。風邪ひいた人も少なくないのでは? いくらなんでもちょっと無理があったかも・・・。
 とにかく、あの晩はすごかった。(僕は、車で来ていたので朝3時半くらいに帰ったんですけど。)冷たい雨がつづき、余計にアツくなるものがありました。

 水曜日は、たったの一日であまりにたくさんのことが起った長い一日でした。
 午前中は地方公聴会があって新横浜で座り込み行動(僕は行っていないけど)、そして午後から参議院特別委員会の質疑開始をめぐって揉み合いがあった日。
 結局、夜中2時くらいまでかかって、翌日に持ち越しが決まりました。

 その水曜日の晩、とても印象的だったことがあります。
 それは、深夜2時くらい、あの国会前の小さなステージの前にひろげられた、おにぎりやパンでした。
 SEALDsの学生さん達が、交代で食料品を買い出しに行ったり、温かい飲み物を用意して頑張っているようでした。
 動き回っていた彼らの姿を、傍らから、僕は惜しみない賞賛と憧憬をもって眺めました。「ああ、オレにもこんな時代があったなあ・・・」なんて、マジに胸がアツくなりました。
 僕の場合のそれは、単なる学園祭やバンド活動だったわけですが、彼らの場合は「安保闘争」なわけです。僕の場合はとくに世間様のお役には立てなかったけど、彼らの場合は大勢の人をまきこんで、いま日本が本当に変わろうとしていると思います。
 疑いなく、これは「60年安保闘争」や「70年安保闘争」の現代版です。誰かの表現によれば「バリケードのなかの青春」などという言葉で記憶されたりしたものの現代版・・・。
 しとしと降る雨のなかで、そんな光景を僕は目にしたのでした。

 いや、そんな〈感傷的〉なことを言っている場合じゃ無いことは重々承知しています。それどころか、僕は、今まさに、そのことについて書こうとしています。


 話をもとに戻します。とにかく、水曜の夜が「オールナイト」になってしまったので、木曜は早めに終わって金曜日に備えたわけです。与党は金曜日に採決をしてくるということでしたので、さらに長い一日になると分かっていたわけです。

 木曜の晩、国会前から自分の仕事場に戻ったのが深夜1時ごろ。そこから朝まで、いろいろ雑務を片付けながら、考えていました。

 明日はいよいよ決戦の日やなあ・・・。この数ヶ月のあいだ、いろいろあった。そしてこの最後の一週間は、毎日、国会前に行ってもうた。やっぱり、本当にこの<戦争法案>は参議院も可決されてしまうんやろうか? 総がかり行動は「絶対に阻止する!」と言っていた。SEALDsは「本当に止める」って言っていた。でも、ほんまに、やっぱり止められへんというのが現実なんやろうか・・・?

 〈言葉〉や〈目標〉や〈夢〉というのは、やっぱり<現実>と乖離していて、もしかして、もうすぐ、あの怪物、〈挫折〉という名前のアイツがやってくるんだろうか? 金曜日の深夜に、たくさんの人達のところへ。
 「60年安保」で大挙して闘った末に、多くの人達が体験したと伝え聞くアレ。「70年安保」のあとには、約10年間の暗黒の時代を生んでしまったアレ。一体そのアレってどんなものなんだろう?

 今晩と明日、僕一人に何かできることは、もう何も残されていないんだろうか?  まもなく、その決戦の金曜の朝が明ける。4時ごろ考えた。
 (とにかく、僕にできそうなことは、国会前でスピーチできる著名な音楽家を探すことくらいだ。)

 そして、「誰かいませんか?」とフェイスブックに書き込む。日本がひっくり返るくらいの有名人が出て来てくれたらいいんだがなあ・・・そんな大袈裟なことを考えました。  朝6時ごろ 帰宅・就寝。

 金曜日、午後1時すこし前  事務所につきました。仕事に手を付けるも、やっぱり国会の攻防のことが気になって、あまり仕事は捗りません。国会前では午後1時から「総がかり行動」の集会のはず。国会では安倍総理問責決議案が提出されました。
 SEALDs・奥田氏がツイッターで「著名人出て来てほしい」という旨の書き込み。そうだよな、いま求められているのはそれだよな、と勇気をもらう。

 午後2時ごろ  個別には書きませんが、僕の思いつくかぎり「有名な人」や「有名な人につながってる人」にメールや電話。
 「今日、国会前に行って短いスピーチをしませんか?」
 久しぶりの人や、全然知らない人にも勇気をだしてメールしてみたり。重要性を理解してくれた友人・知人も手伝ってくれました。
 ちなみに、ツイッターはいままで頑にやらないと決めていたのですが、必要にかられ、初めて挑戦。新規にアカウントを作成。ヘンな感じです。

 午後8時くらいまで、いろいろやるが、成果なし。こういうのは難しい。丁寧に返事をくださった方、返事なしの方、気のきかない返事をくれた人・・・いろいろでしたが、とにかく結果は出せませんでした。

 この日に限らず、僕がこの三ヶ月間(たったの三ヶ月だが)トライしたのは、これでした。「音楽家に登場してもらう」ということです。沖野修也さんたちと8月12日に渋谷駅前でやった『World Peace Festival』でも、それがテーマでした。
 アーティストは〈出てくること〉が大事・・・。僕はそう考えています。名前のあるアーティストが市民活動に赴くとき、何をスピーチするか、どういう思想を持っているか、はさほど重要ではないと思う。〈そこに出てくること〉が大きな大きな意味をもちうると思います。
 World Peace Festivalについては、8月上旬のたったの一週間でしたが、手分けして、何組ものアーティストに声をかけさせて頂き、たくさんの人が出演してくださった。

 このままだと今日 参議院で可決してしまうという最終的な局面で、誰でもいいから、影響力のあるミュージシャン/アーティストがデモに登場して、それをきっかけとして〈時代の空気〉が変わったら・・・なんて。
 僕個人のエゴとしては、そんな絵を描いており、その目撃者になりたかった。その手伝いをしたかった。誰かに出て来てほしかったのです。
 言葉はほんの一言だけで十分のはずだった。国会前に来るという〈行動〉で、音楽の力を、日本全国いや全世界に見せつけて欲しかった。

 僕が勝手に思い描いていただけの夢物語です。しかし、そんな簡単に大きな山が動くわけはなかった。

 ちなみに、最後の最後に、もっとも勇気ある〈行動〉をとって、影響力を行使したのは、ロックミュージシャンでもJ-Popアーティストでもありませんでした。
 カーディガンをまいた俳優の石田純一さんでした。これには脱帽するほかありませんでした。

 午後9時ごろ  結局のところ今日の5〜6時間は徒労に終わりました。とても残念でしたが、力不足を認めるほかありません。いい勉強になりました。
 事務所を出て国会前に向かう。(つづく)



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