1998年でした。「面白そうなイベントだから行くよ」といって、NIPPSさんと一緒にわざわざ大阪まで来て下さって共演させてもらいました。そのあと、ブッダブランドのアルバムで演奏してほしいと言われて、録音。それが僕たちオーサカ=モノレールにとって初のレコーディングでした。はじめて入る「レコーディングスタジオ」。曲をつくったことさえ無かった僕はどうして良いやら、まったくわからず、言われるがままに・・・。それが、あのアルバムの冒頭になりました。
今から思えば、あの頃の数年間は目まぐるしくて、正直に言って、当時、そのスゴさやデカさに気付いていなかったのです。だから、適切な立ち回りができなかったことが多くて、とても反省しています。いつかコンさんに謝りたいと思っていたこともいくつかありました。それは、あらためて謝りに行きます。
その後も、コンさんは機会あるごとに色んなアドバイスをくださいましたし、勇気づけてくれました。「○○とか、やんないの?」「△△とかカッコいいんだよな〜。ああいうのはどうですか?」「××な感じとか、たぶんみんな好きだと思うんだよね」 コンさんの口癖だったと思います。
とくに、2005年だったと思いますが、僕はもうバンドを続けることができるかどうか、という心境だったことがあって、コンさんに相談する機会がありました。「それは中田くん、そういうもんだよ、だってそれは中田くんが作ったそういうゲームなんでしょ?」と言われて目が醒めました。そうか、これって、自分でサイコロを振って、自分でコマを移動するゲームなんだ。いつかは終わりがあるからゲームなんだよな。どんな人生のゲームにするかは、誰のせいにしても意味がない、自分の問題なんだ。しんどい時も楽しい時も、悲しいことや嬉しいこともある、俺のゲームなんだ。そのゲームをどういう風にデザインしてプレイするかは自分の選択なんだ。それをコンさんから教えてもらったと僕は思っています。
うまく文章で伝えるのは難しいですが、コンさんの口癖の一つだったんじゃないかと思うので、よく知られた言葉じゃないんでしょうか。それこそコンさんが普及させたコンセプトと言っていいんじゃないでしょうか。その「ゲーム」の響きは、もちろん「娯楽」「遊び」っていうことではなく、意味としては「人生ゲーム」ってことなんだろうけど、なんだか、もっとシビアで切迫感のある雰囲気なんですよね......。
もっと言うと、そのゲームっていう言葉は、ある問いを投げかけているように聞こえるんです。「いつかは死ぬんだろ、じゃあお前、今どうすんの?」と。そういう空気が「Dev Largeの空気」だっと思います。
それから、その同じときに、加えて、「中田くんはさあ、種まきが終わって、これからは収穫の時期なんじゃないかな?」と言ってくださいました。その真意は当時あまり理解できませんでしたが、のちに、理解できたような気がします。
その後、イベント「IN BUSINESS」で合計約6年でしょうか、長くご一緒させていただきました。そのメンバーで行ったミーティングが、僕がお目にかかった最後となってしまいました。
「IN BUSINESS」にて
とにかく、僕にとってコンさんは、一番最初のスタートをくださった人、そして苦境から救ってくれた人です。思ったことを、あの独特な少し控え目なしゃべり方で、本音でズバっと発言する人でした。本当にカッコ良かったです。
いつも、他のアーティストをフックアップしたりアドバイスをしたりする人だったと思います。それに、注意をくらったり叱られたことも多いんですよ......。
本当に大きな人、憧れの人でした。言葉や雰囲気で、人を勇気づけることができる人だったと思います。
Dev Largeには、「俺は何も恐れない」・・・そういうパワーがありました。
これからもたくさんの人の心の中で生き続けると思います。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。