2015年5月アーカイブ

『ジェームズ・ブラウン 最高の魂を持つ男』
を10倍たのしく観る方法(五回シリーズ)

第一回 ボストンガーデン事件


 ジェイムズブラウンのキャリアの中で、最もモニュメンタルな日といえば、やはり1968年の4月5日(金曜日)でしょう。なにしろ、この日の出来事だけに焦点をあてたドキュメンタリがあるほどです。そのドキュメンタリ『The Night James Brown Saved Boston』(ジェイムズブラウンがボストン市を救った日)はDVDで入手可能です。




 当然、この日のことは、『最高の魂をもつ男』でも採りあげられ、なかなか精巧な再現シーンがくりひろげられます。途中のジェイムズブラウンの演説は、一字一句がかなり忠実に再現されていますから、その再現性をお楽しみください。


 1968年4月5日、何があったか? この日は、アメリカ史上もっとも大規模な黒人暴動が、全米の各都市で大発生した日でした。それは、前日の4月4日木曜日の午後六時、キング牧師がテネシー州メンフィスで暗殺されたからです。その暴動で「各都市が"焼け落ちた"」と言われたくらい、たいへんな日だったのです。


 「非暴力」を掲げて、アメリカ黒人の希望を一身に背負っていた指導者、キング牧師までもが凶弾に倒れたとなると、「もはや白いアメリカと黒いアメリカが《融和》することなど絶望的だ。アメリカに未来は無い」と当時の人々(とくに黒人)は誰しも思ったでしょう。
 かくして各地で暴動がおこります。怒れる黒人や、その空気に便乗した黒人の子供が街にでて、放火したり強奪をしたりしてしまうのです。

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 しかし、なんと、マサチューセッツ州ボストン市だけは暴動が発生しなかった、というのです。その日、4月5日は、黒人エンタテイメント界のスーパースター、ジェイムズブラウンの一行がアリーナ「ボストンガーデン」で公演を予定していたのです。

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 キング牧師暗殺の知らせを受けて、ボストン市長・ケビンホワイトは公演の中止を要請します。まさに非常事態ですので当然の行動だったでしょう。しかしジェイムズブラウンは、「間違っている。もし公演を中止したら、すでにチケットを買ってショーを楽しみにしていた子供達がストリートに飛び出て、さらに暴動が大きくなるに違いない」と主張します。だから、公演をそのまま行うことが、ボストン市のためになるし、子供たちのためになる、黒人コミュニティを守ることになるし、市長の利益にもなる。当然ながらジェイムズブラウンのためにもなる、というわけです。

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(写真左から:市会議員トムアトキンス、JB、ボストン市長ケビンホワイト)

 果たして、公演は、市長の同意を得て、開催されました。しかもテレビで生中継されました。(だからテープが残っていて僕たちは現在このコンサートを見ることができる。)子供達は家にとどまってテレビを見るように、という考えでした。さらに、このことは最終的には色々な意味で大成功して、その晩はずっと朝まで数回にわたって同じコンサートを再放送し続けたのでした。

ボストン公演より。「Cold Sweat」を歌うJB。

見せ場のひとつ。クライドスタブルフィールドのドラムソロ。

 「色々な意味で大成功して」と書きました。市長とブラウンを仲介した市議会議員のトムアトキンス(写真左)は立役者として手柄をたてたし、ボストン市長はテレビで黒人の家庭に向けて演説をして、「黒人に親和的な市長」を印象づけました。ジェイムズブラウンは市長のことを紹介するとき、「Swingin cat(ノリのいい野郎)」と言って、煽りました。ホワイト市長は非常時に乗じて黒人票を獲得したわけです。そしてジェイムズブラウンは「(アメリカの各都市で州兵が出動していた事態だったのに)一人で暴動を鎮めた男」として記憶されるにいたったのです。

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映画『最高の魂を持つ男』における再現シーンではチャドウィックボウズマンが熱演。

 さらにコンサートの最中に、事件が発生します。正確に言うと、「大事件が勃発しかけた」のです。
 コンサートの後半、子供達がステージに飛び乗ってきたのです。それだけなら、JBショーで珍しくない光景だったでしょう。ところが、その子供を警官が突き飛ばしたのです。その日は特別に多くの警官がステージ脇で構えていました。「白人の警官が黒人の子供を突き飛ばしている」という映像がテレビに流れてしまいました。これは最悪です。暴動をストップさせるどころか、テレビを観ている子供たちに「外出して警察に石を投げろ」と言っているようなものです。
 そのあとどうなったか、実際の映像でお楽しみください。


 どうして良いか分からず過剰に反応する警官を、ジェイムズブラウンが制止します。「オーディエンス 対 警察」の大惨事となることを避けるためです。自分の意思で子供たちが席に戻るところをテレビで放送しなければならなかったからです。

 この記事の最後に、この歴史的なやりとりのジェイムズブラウンの言葉を書き出してみました。英語としては易しいですが、なにぶんジェイムズブラウンは聞き取りにくいので......。とくに「We're Black! Don't make us all look bad.」(俺達は黒人だ! カッコ悪いところを見せるんじゃない。)というところ。雰囲気を味わっていただければ幸いです。

(ちなみに、少し違いますが、『Wattstax』におけるルーファストーマスも同じようなことになってましたね。似たような言葉で皆をなだめるところにアツいものを感じます。)


 いかがでしたか。これが「ジェイムズブラウン」のクライマックスのひとつです。そしてこれは「終わりの始まり」でもありました。ジェイムズブラウンは、「暴動を止めた男」としてさらに大きくなってしまい、「アメリカで最も影響力のある黒人」として祭り上げられました。そして彼は、権力から恐れられ、利用され、捨てられた、と言ってよいと思います。国税庁からの追徴課税の問題はこの年(68年)に始まり、68年暮れの大統領選の民主党支持、1972年の共和党支持を経て、最終的には70年代半ば、国税庁(IRS)から450万ドルの課税で告訴されます。そうしてジェイムズブラウンは葬り去られ、長い冬の時代を迎えることになりました。不屈の精神で返り咲く1980年代中期まで。

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LOOK誌1969年2月号 ジェイムズブラウン特集「彼がアメリカで最も重要な黒人なのか?」

   *   *   *   *

(書き起こし)
Wait a minute. I'll be alright. I'll be fine.
I'm alright. I'm alright.

Do you wanna dance? Dance.

Wait a minute. They are alright. That's alright.
It's alright. It's alright.

Wait a minute. Let me finish the show for everybody else, alright? 
Let me finish the show for everybody else, okay?
Okay fellows. Thank you very much. Thank you.
Let me finish the show. Come on, everybody wanna see the show.
Well, go down now. Go down, fellows.
Wait a minute, we got a show for you, young men and young ladies.
wait a minute. Now, wait!
Ladies and gentlemen, wait a minute! Wait!
Can I please have your attention.
This is no way. We are Black. We are Black!
Now wait a minute.
Can't y'all go back down and let's do this show together?
We're Black. Don't make us all look bad. 
I'm doing a show. Come off the stage.
Sit down now. Be a gentleman.
Now, all of you. wait a minute, wait a minute, son.

Why you're up here? Do you wanna see the show?
Why don't you go down, son, and let me do the show.

No, that's not right. 
Let's represent our-own-self. Let's represent our-own-self.
Step down. No, no, that's not right.
You're making me look bad because I had to ask the police to step back, and you wouldn't go down.
No, no, that's wrong.
You're making me...
You're not being fair to yourself and me either.
You're not being fair to yourself and me at all your waste
I asked the police to step back because I think I could get some respect from my own people.
Don't make sense.
Now we are together, or we ain't?
Get that thing, man...

おい待て 俺なら大丈夫 俺は大丈夫
俺は大丈夫 俺は大丈夫
踊りたいのか? じゃあ踊りな
おい待て こいつらは大丈夫だよ 問題ない
大丈夫だと言ったら大丈夫だ

待ってくれ ショーの続きがある
ショーの続きを観たいんだろ
みんな ありがとう ありがとう
待ってくれ ショーをやらせてくれ お兄さん お姉さんも
待ってくれ おい 待って
紳士淑女の皆さん 待ってくれ おい!
頼むから俺のことを聞いてくれ
おかしいぜ 俺達は黒人だろ? 俺達は黒人だろ?
おい 待ってくれ
おい席に戻って ショーを一緒にやりなおそうぜ
俺達は黒人だろ? こんなのカッコ悪いぜ
ショーをやるんだ ステージから下りてくれ
席に戻って 大人しく
みんな 待ってくれ 待ってくれ
君は何故ここに上がってるんだ? ショーを観たいんだろ?
下りてくれ ショーをやるから
こんなの間違ってる
黒人のいいところ見せようぜ 黒人のいいところ見せようぜ
早く下りてくれ こんなのは間違ってる
俺は恥をかいちまったぞ
警察に下がってもらったのに 今度はお前達が言うことを聞いてくれない
こんなの間違ってる
自分自身を傷つけてるぞ 俺も傷つく
自分自身を傷つけてるぞ 俺も傷つく なんの得にもならない
同じ黒人だから 耳を傾けてくれると思ったから
警察に下がってもらったのに・・・
そんなの間違ってるだろ?
よし 俺達は結束したか? どうだ?
いくぞ
(曲:I Can't Stand Myself)

DEV LARGEを偲んで

 
 1998年でした。「面白そうなイベントだから行くよ」といって、NIPPSさんと一緒にわざわざ大阪まで来て下さって共演させてもらいました。そのあと、ブッダブランドのアルバムで演奏してほしいと言われて、録音。それが僕たちオーサカ=モノレールにとって初のレコーディングでした。はじめて入る「レコーディングスタジオ」。曲をつくったことさえ無かった僕はどうして良いやら、まったくわからず、言われるがままに・・・。それが、あのアルバムの冒頭になりました。

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 今から思えば、あの頃の数年間は目まぐるしくて、正直に言って、当時、そのスゴさやデカさに気付いていなかったのです。だから、適切な立ち回りができなかったことが多くて、とても反省しています。いつかコンさんに謝りたいと思っていたこともいくつかありました。それは、あらためて謝りに行きます。

 その後も、コンさんは機会あるごとに色んなアドバイスをくださいましたし、勇気づけてくれました。「○○とか、やんないの?」「△△とかカッコいいんだよな〜。ああいうのはどうですか?」「××な感じとか、たぶんみんな好きだと思うんだよね」 コンさんの口癖だったと思います。
 とくに、2005年だったと思いますが、僕はもうバンドを続けることができるかどうか、という心境だったことがあって、コンさんに相談する機会がありました。「それは中田くん、そういうもんだよ、だってそれは中田くんが作ったそういうゲームなんでしょ?」と言われて目が醒めました。そうか、これって、自分でサイコロを振って、自分でコマを移動するゲームなんだ。いつかは終わりがあるからゲームなんだよな。どんな人生のゲームにするかは、誰のせいにしても意味がない、自分の問題なんだ。しんどい時も楽しい時も、悲しいことや嬉しいこともある、俺のゲームなんだ。そのゲームをどういう風にデザインしてプレイするかは自分の選択なんだ。それをコンさんから教えてもらったと僕は思っています。
 うまく文章で伝えるのは難しいですが、コンさんの口癖の一つだったんじゃないかと思うので、よく知られた言葉じゃないんでしょうか。それこそコンさんが普及させたコンセプトと言っていいんじゃないでしょうか。その「ゲーム」の響きは、もちろん「娯楽」「遊び」っていうことではなく、意味としては「人生ゲーム」ってことなんだろうけど、なんだか、もっとシビアで切迫感のある雰囲気なんですよね......。
 もっと言うと、そのゲームっていう言葉は、ある問いを投げかけているように聞こえるんです。「いつかは死ぬんだろ、じゃあお前、今どうすんの?」と。そういう空気が「Dev Largeの空気」だっと思います。


 それから、その同じときに、加えて、「中田くんはさあ、種まきが終わって、これからは収穫の時期なんじゃないかな?」と言ってくださいました。その真意は当時あまり理解できませんでしたが、のちに、理解できたような気がします。
 その後、イベント「IN BUSINESS」で合計約6年でしょうか、長くご一緒させていただきました。そのメンバーで行ったミーティングが、僕がお目にかかった最後となってしまいました。

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「IN BUSINESS」にて

 とにかく、僕にとってコンさんは、一番最初のスタートをくださった人、そして苦境から救ってくれた人です。思ったことを、あの独特な少し控え目なしゃべり方で、本音でズバっと発言する人でした。本当にカッコ良かったです。
 いつも、他のアーティストをフックアップしたりアドバイスをしたりする人だったと思います。それに、注意をくらったり叱られたことも多いんですよ......。

 本当に大きな人、憧れの人でした。言葉や雰囲気で、人を勇気づけることができる人だったと思います。
 Dev Largeには、「俺は何も恐れない」・・・そういうパワーがありました。

 これからもたくさんの人の心の中で生き続けると思います。
 心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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