2014年12月アーカイブ

こちらの記事は、ほぼそのまま下記へ転載しました。

http://osakamonaurail.com/nakata/2018/12/post-177.html



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 名曲「I Got So Much Trouble」が録音されたのは、19723月のこと。メリーランド州シルバースプリングスにある「トラック・レコーダーズ・スタジオ」だそうです。メンバーは下記のとおり。


Sir Joe Quarterman (vocal & trumpet)

George "Jackie Lee" (guitar)

Chrles Steptoe (drums)

Willie Parker, Jr. (rhythm guitar)

Gregory Hammonds (bass)

Karissa Freeman (keyboard)

Leon Rogers (sax)

Johnny Freeman (trombone)


 そうなんです、サー・ジョー・クオーターマンって、作曲編曲とボーカルはもちろんなんですが、トランペット奏者だったのです。この「I Got So Much Trouble」冒頭の印象的なリフで「プゥア~」と音程をわざと少し下げて吹いているのはサージョーさん本人だったのです。(これがモダンかつブルージーな雰囲気をつくっていて、とても良い。)

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 歌とトランペットの両方を担当していますが、この二つは同時に鳴っています。オーバーダビングですね。時はすでに1972年。マルチトラック・レコーディング(つまりオーバーダビングが可能)が一般的に普及した時期です。(この「So Much Trouble」のようなインディーでもマルチ録音なわけですから。)16トラックのテープレコーダーを使ったのだろうと思います。1970年代の幕開けっていう感じですね。

 これはちょっと重要じゃないかと僕は思います。というのは、よく聴くと、この曲(それから後のアルバムの他の曲すべてそうですが)アレンジがとても良くできているんです。アレンジと各楽器の音量バランスが緻密につくられている。かなりの部分が楽譜におこされたうえで演奏されているような雰囲気です。(60年代のジェイムズブラウンのFunkなどとは正反対の世界ですね。)

 ジョーさんによると、この曲だけを録りおえるのに、なんと丸一日を費やしたそうです。これは当時としては、しかも駆け出しのアーティストとしては異例の長時間レコーディングではないでしょうか。サウンド・曲の設計図が頭のなかで出来上がっていたんでしょうね。コダワリのサウンドです。

 「たんにギグのオファーが来るようにレコーディングをしたんだ。プロモーター(興行主)に我々のサウンドを聴かせたかった」とサージョーさんは語っています。地元ワシントンD.C.や、東海岸・南部のほうへ足をのばすために「名刺がわり」として録音したのでした。まさかこのシングルがヒットするなんて思っていなかったんですね。

 はじめはナイトクラブや地元ラジオ局で人気がでてきて、そのあと全国流通されることによってブレイクし、最終的にはビルボードR&Bチャート30位を記録しました。


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 シングルが評判だったので、アルバムを作るように言われたサージョーは、今まで書きためていた曲に修正を加えてレコーディングに取りかかりました。1972年11月にアルバムは完成して、1973年のはじめに発売されました。GSFはメジャー流通でしたが、お金をかけてプロモーションする気はなかったようです。しかしジョーさんによると「アルバムは口コミでうまくいくんじゃないかって思ってたんだ。ドンコーネリアス(テレビ番組『ソウルトレイン』の司会者・プロデューサー)にニューヨークのパーティーで会ったとき、《君のアルバムは特別にズバ抜けている。グラミーの可能性だってあると思う》って言ってくれたんだ」とのこと。

 ソウルトレインで「So Much Trouble」が流れたときの模様はこちら。


 ドンコーネリアスは応援してくれていたんですね。しかし残念ながらアルバムのセールスが伸びることはありませんでした。そしてこのアルバムは忘れ去られてしまったのです。なんと20年も経ってからDJやレコードコレクターに再発見されて大ブレイクするまでは。


 アルバムには、こんな曲も収録されています。「自分自身を見つけよう/厳しい社会のなかで大変だけど/本当の自分を見つけよう」というメッセージ・ソングです。



 あとで触れますが、アルバムのあと70年代中期にはシングルを残しています。そのうちの一つがフロアライクなこの曲です。

 


    *   *   *   *


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 さて、サー・ジョー・クオーターマンは1944年ワシントンDC生まれのようです。ワシントンDCは「チョコレートシティ」と呼ばれるくらい黒人の割合が多いところで、黒人文化とくに音楽がさかんな場所です。なんと約50パーセントが黒人といわれています。(ホワイトハウスや連邦議会がある首都で、政治家やロビイストが生息しているところ、というイメージが強いかもしれませんが、どうやらそれは東京でいう永田町や霞ヶ関のような調子で、街の一部分ということなんでしょうか。)

 全米屈指の「黒人大学」であったハワード大学もここにあります。そして、後にチャックブラウンという英雄を生んで、ファンクの別の顔「ゴーゴー」がいまでも受け継がれている街です。


 若きジョーは1950年代のワシントンDCを、教会の合唱団やストリートで過ごしたそうです。子供のころからレイチャールズ、エルビスプレスリー、フランキーライモンなどから影響を受けて歌の才能を伸ばしました。中学生でトランペットを吹き始める前は、少年団でビューグル(軍隊ラッパ)を吹いていたそうです。高校生のとき初めての自身のバンド「The Knights」を組んだそうです。そのバンド名に応じて栄誉称号「サー」(勲爵士)というステージネームを使いだしたそうです。「この名前には深い意味は無いんだ。あの当時は、高貴なステージネームをつけて目立とうとするのが流行ってたのさ。《デューク(公爵)》とか《カウント(伯爵)》とか《ロード(卿)》などね。《サー》を選んだのは、僕の知る限りでは誰もそれを使っていなかったからさ」。

 なるほど、そういえば、古くはデュークエリントンやカウントベイシー、それからアール(伯爵)ハインズとか。B.B.キングなんかもこのジャンルに入るのかな? そういう黒人音楽の伝統があるみたいですね。しかし、それにしては時代が違いすぎるゾ。そういったもののリバイバルってことだろう。とりあえずそう理解しておこう。そういう名前を名乗るのが、ミュージシャンがストリートでキザに振る舞う一つのスタイルだったってことなんだろうナ。


 The Knightsがレコーディングを始めてまもなく、地元レーベルのオーナーであるローランドコヴェイ(ドンコヴェイの兄弟)に、女性ボーカルを加えようと言われたらしく、それが元でこのバンドは解散してしまいました。

 次に「サージョー&メイデンズ」というグループを結成。「Pen Pal」というローカルヒットをだしました。ジェリーバトラー、メイジャーランス、インプレッションズといった、ワシントンDCにやってくるソウル界のスターの前座で演奏したそうです。

 くわえて地元では人気のあった「The El Corols Band」にトランペットと歌担当で加入します。スティーヴィーワンダー、レイチャールズ、ナットキングコール、ディオンヌワーウィック、テンプテーションズ、スモーキーロビンソン、グラディスナイト&ピップス、オーティスレディングなどのスターのバックバンドを務めたそうです。このバンドは「The Magnificent Seven(荒野の七人)」というグループになり、ツアーで全国を廻っていました。リトルリチャードやソロモンバークのバックを務めたことがあるそうです。

 しかしバックのバンドメンバーに徹することに疲れたサージョーはヴァージニア州ピーターズバーグに移住します。そこでヴァージニア州立大学へ入学して、トロージャン・エクスプロージョン・マーチングバンドと学内の交響楽団に入りました。「僕の音楽教育のほとんどはピーターズバーグで得たものだよ」とジョーさん。日銭を稼ぐために、バージニアの州都リッチモンドでのたくさんの地元バンドで演奏し、週末にはチトリンサーキット(アメリカ南部の黒人ナイトクラブやライブハウスを巡業すること)をまわったそうです。

 1966年に、ジョーはワシントンDCに戻ります。The Uniquesの音楽監督の仕事の話があったり、地元のジャズグループ「Orlando Smithクインテット」に参加しました。ジャズの技術を身につけて自信がついたことにより、ついに自身の新しいグループの結成を決意します。「その頃ジェイムズブラウンは本当に大きな存在で、みんなファンクに夢中になり始めていたんだ。僕もやってみたかったんだが、ただのコピーはやりたくなかった。自分らしさを表現したかったんだ」。

 「ファンクをやる」という明確なコンセプトで1969年に結成されたその新しいバンドこそ、「サー・ジョー・クオーターマン&フリーソウル」でした。(つづく)


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今週末、誰に投票するべきか。

 
 衆議院選挙の投票日まであと数日となりました。いまのところ安倍政権を退陣に追い込める見通しは残念ながらありません。野党の散々たる体たらくが最大の要因だと思います。野党再編は実現しませんでした。「リベラルの受け皿」が一つもありません。

 僕がどこに投票するかを書きます。これを書くことって大事じゃないかと思うんです。
 僕の住む選挙区は、神奈川8区です。候補者は次の三人。

江田憲司(維新の党・現職)
福田峰之(自民党・比例区当選)
若林靖久(共産党)

 地盤を固めている江田憲司が当選すると目されています。もしかしたら「政界再編」を目指していた頃は良かったのかも知れないが、いまや「維新の党」という右翼政党の代表です。どう間違ってもこれに投票するわけにはいきません。次に、福田峰之は比例区当選している自民党議員です。もちろんこれには投票しない。
 民主党の候補がいないのはもしかして「野党共闘」? 僕は自民党の議席ができるかぎり減ることを願っていますが、維新には投票しないですよ。こんなことをやっていて民主党は大丈夫なのか?

 比例区について。

自民党.....とくに現在は、ネトウヨの類いが率いる恐ろしい暴走状態。
民主党.....震災・原発事故のさなか権力抗争をしてみたり、野田政権ではなんと消費税増税をしてしまうという悲しい人達。第二政党を応援したいが、本当に期待できない。早く分裂して、リベラルから支持される政党を作りなおしてください。
維新の党.....右翼。新自由主義。強きを助けて弱きをくじく。
公明党.....平和を掲げる党ではあるが、戦争政権の補完勢力。
次世代の党.....シンプルな極右。ネトウヨ。
共産党.....「戦争反対」や「暴走ストップ」を応援したい。(現在もまた、ここしか応援する政党がない。)
生活の党.....小沢一郎の党です。
社民党.....護憲の精神を応援したい。しかし実力が無さすぎる。
新党改革.....よく知らない。シンプルな極右と理解。
幸福実現党....「釈迦大如来」の意向を実現しようとする人達と理解。

というようなことを思っています。そういうわけで、僕自身は、
小選挙区は、若林靖久(共産党)
比例区は、共産党
に投票するつもりです。

  *  *  *

小選挙区制の弊害が、ついに大きな右傾化の波にのってやってきた、ということなのでしょうか。
希望を持つのが難しい時代ですが、耐えていきたいです。コツコツとやっていかねばと思っています。

1. 雨が降っても、面倒でも、投票所に行きましょう! 棄権や白票は、絶対にダメ!
2. 応援したい候補が居なくても、「すこしでも"マシ"」な候補や政党に投票する!
3. 事前に、投票するつもりの候補者や政党を、ネットなどで出来るかぎり公表したほうがいいと思います。

いつか必ず、良き世界が実現されると信じています、、、!

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