ライナーノーツの思い出(追悼文)

音楽と関係ある度:★★★★☆


 音楽評論家・桜井ユタカさんが、今年2013年6月11日に他界されました。僕は残念ながらお会いしたことはありません。ソウルミュージック・ファンなら誰でも本当にお世話になったに違いありません。雑誌「SOUL ON」を主宰され、数知れないライナーノーツをお書きになって、日本にソウルミュージックを紹介されてきた大先生です。
 やはり、80年代後半のポリドールにおけるジェイムズブラウンのCD再発でほとんどのライナーノーツを担当されていたことが、僕にとっては大きいことです。僕はそれを最初の教科書として過ごした世代。そういうわけでやはり、恩人が逝かれたのだと感じています。
 桜井さんのライナーノーツのことを思い出すと、気になることがあります。それはジェイムズブラウンの年齢のことです。1990年に執筆された『Please, Please, Please』のライナーノーツから抜粋します。

 「彼の年令を知ったら、もっとびっくりする筈だ。今年で62歳ですヨ!もっともJ.B.の場合、年令(生年月日)はいろんな説があって、1933年説(これだと57歳になる)もあるが、どうも28年5月3日説が有力のようである。(以下略)」

 CD化当時(高校三年生ごろ)これを読んでいた僕は、「生年月日にいくつも〝説〟があるなんて、おかしな人だなあ」くらいにしか思っていませんでしたが、ここにあるように、桜井ユタカさんは「1928年説」を強く支持していたようです。ショービジネスの人間について年齢に諸説ある場合には常識的に考えれば、若く偽っているのだろうと推測される、というのが理由です。僕もこれに納得していました。

 ところが、その後20年間、僕もジェイムズブラウン・ファンをやめることなく過ごすわけですが、「1928年生まれ説」を聞くことは一切ありませんでした。どこを見ても「1933年生まれ」となっています。自伝、評伝、音楽雑誌の記事など、すべて1933年生まれで統一されています。自伝『Godfather Of Soul』(邦題:俺がJBだ!)にそう書いてありますし、それを否定する評論家や研究者はついぞ出てこなかったようです。
 「1928年説、敗れたり」つまり「桜井ユタカ説、敗れたり」、、、僕はそういう感覚でした。生年月日の記述を見かけるたびに、そう思っていたのです。
 それに反して、僕の心情としては「1928年説」を支持したかったのです。「年齢にサバを読んでいるだけ」というのは理屈にかなうし、「最初の教科書である桜井ユタカのライナーノーツにそう書いてあったから」という〝擦りこみ〟もあります。もうひとつの理由は、ちょっとアホな話なんですが「年齢が上のほうが、自分と比較する場合に夢が残る」ということです。つまり、たとえば僕が30歳の誕生日を迎えたときに「ジェイムズブラウンなら1958年かあ。つまり"TRY ME"を録音した頃だな」とか考えるわけです。年齢が下より上のほうが、自分の人生を振り返って比べるときに猶予がでてきますから、そっちのほうが安心できちゃうわけです。自分のアイドルや師の人生と比較して、そんなことを考えてしまう人は少なくないんじゃないでしょうか。

 そんな個人的な感情も長年のあいだ抱きつつ、僕は勝手に、そのライナーノーツ以降は桜井ユタカさんの新しい文章に頻繁に接することが無かったことと、「1928年説が敗れてしまった」ことをリンクさせ、とても複雑な寂しい気持ちで居たのです、、、。
 何年生まれが真実なのでしょうか、みなさんはどう思われますか? なぜ複数の説があるのでしょうか? 「Sex Machine」を発売当時(1970年)に歌っているジェイムズブラウンは42歳でしょうか、または37歳でしょうか。2006年夏、最後に来日したと きは78歳だったのか73歳だったのか。そして、桜井ユタカさんは結局のところ正しかったのか、間違っていたのか?

 そうしているうちに、つい先日、驚くことに、ほぼ生まれて初めて「1928年説」を裏付けるようなものに出くわしたのです! それは、今年発売されたマーヴァホイットニーの自伝『God, The Devil And James Brown: Memoir Of A Funky Diva』です。該当部分を抜粋・翻訳します。2006年にジェイムズブラウンの死去について触れているところ(第14章、229ページ)です。以下抜粋。

「ジェイムズが死んだことをうけてメディアでは、年齢の疑惑が再燃していました。実は73歳ではなくもっと年上だったはずだと言っている記者がいました。思い当たるところはあります。そういえばシルヴィア・メドフォードさん(訳注:ジェイムズブラウン一座のバイオリン奏者)と年齢の話をしたこともありました。60年代に一緒にいた頃は、私はジェイムズの身分証明証を二枚、持たされていました。もう何十年も前のことなので何処かに紛失してしまいましたが。そのうちの一枚では1920年代前半の生まれだということになっていて、もう一枚では1920年代の後半に生まれたとなっていました。もしそれが本当なら、私のお母さんぐらい(母は1927年生まれで現在84歳です)の年齢ということになります。アーティストなら、年齢でサバを読むのは珍しくないでしょう。逆に、年をとってからは老けてみえて困る、ということもあるでしょうが。(以下略)」

 マーヴァがジェイムズブラウンのIDを持っていたというのは違和感があります(外国では不要になったIDカードを恋人にあげたりするのかな?)けれども、二枚もあって、それぞれ違う生年月日になっていて、しかも両方とも1920年代だったとマーヴァは語っているのです。
 ジェイムズブラウンが、想像もできないほどの極貧で育ち、二度も親から捨てられ、売春宿で育ったという、あまりにも悲しい出処の人物であり、恐ろしく強大なコ ンプレクスをかかえた人であって、いま、アメリカ黒人の歴史に多大な功績を残したスーパースターの裏の顔をのぞいているわけで、僕はこの話から、背筋が凍るような不気味さを感じています。
 四歳で母親が家を出て行き、さらに六歳のときに父親からも見放されて親戚に預けられたのです。小学校に入学するときに年齢を間違ったりしても不思議はないでしょう。または、1949年に少年院送りになったときに意図して年齢を偽って証言したり、または裁判上の書類のミスがあったりしたのかもしれません。僕の憶測は、たとえば、裁判の手続きの途中で年齢を間違われて、服役・仮出所したあとでも、仮出所の処分を取り消されることを怖れて公称年齢をそのままにしておいたんじゃないかな、、、そんなことをイメージしています。

 そういうわけで、ジェイムズブラウンは1920年代の生まれであるという、桜井ユタカ先生の説を、昔も、今も、僕は支持させてもらっていることを書きとめる次第です。
 長年にわたったご活動に深い感謝の気持ちを表明したいと思います。御冥福をお祈り申し上げます。

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