なぜ「負けた」のか?

音楽と関係ある度:★★☆☆☆


 選挙が終わってフタを開けたら自民党の「圧勝」ということだった。日本全体が敗北感というか、虚無感みたいなものに包まれていると思う。応援している政党がいるわけでもないのに、いや、いなかったからこそ、負けた。「日本、終わったナ」としか言いようがない。でもそんな言葉だけ発してストレスを消そうとしても意味はない。

 なぜ「負けた」かと言うと、投票すべき政党がでてこなかったからだ。有権者の気持ちは一つだったはずだと思う。「脱原発」や「増税反対」だ。それに、「中国と対話をしよう」と誰かが唱えれば「そうだそうだ」と言ったはずだ。しかしそれが争点にならなかった。「脱原発だが、実現はウン十年後」などという言葉遊びをする人が登場したので、それは脱原発と呼んでいいのか分からなくなってしまった。その時点で争点を「即脱(そくだつ)」対「アンチ即脱(と推進派)」に切り替えないといけなかった。あくまで原発への是非で選挙を終えなければいけなかったのだ、、、。
 野田首相が短期戦を選択して、もともと強い人が有利になった。リベラルの受け皿がなくなるように仕組まれていた。有権者は誰に投票してよいか最後まで分からず、投票率も下がる。小選挙区制だ。そして自民が「勝った」。
 一体誰が自民党に投票しているのだろう? 僕には分からない。医師会や郵便局の人、農協、遺族会、生長の家や霊友会、土建屋さんや経団連、そのほか「特例」や「許認可」の恩恵を被っている人たち、、、本当にそんな人達なのか? それとも浮動票と思われている層も掴んでいるのか。「テレビをぼんやり見てると自民党に入れたくなるように工夫されてる」とか。そういう仕組みでもあるのか? いったい敵はどこにいるのだろうか?

 たとえば、原発問題とエネルギー政策はそもそも関係ないはずだった。原発反対の理屈はただ一点。尊い人命や健康を奪う恐ろしいものだから、という理由。ということは「電力は(仮に足らないとしても)足らなくて結構!」という主張だ。エネルギー政策と一緒にしてはダメだった。ましてや景気対策の議論とは何も交わらない。それが徹底されなかったことが本当に悔やまれる。いつまで経っても、テレビでは「反原発!」「じゃあ代替エネルギーは?」「火力でも足りるはず」「いや足らない」「ソーラーや風力は難しい」 そんなことを言っていただけだった。

 とにかく、「僕たち」は「負けた」。原発だけではない。あの自民党に戻ったのだから、これを敗北と言わずしてなんだろうか。「公共工事をやれば景気が上向いて日本がハッピーになれる」と本気で信じている人たちだ。完敗したプロの政治家さん達にも怒りをぶつけたい。どうしたら良いか、どうしたら次で勝てるか。これから考えてゆきたい。





2016年1月

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