2012年12月アーカイブ

なぜ「負けた」のか?

 
音楽と関係ある度:★★☆☆☆


 選挙が終わってフタを開けたら自民党の「圧勝」ということだった。日本全体が敗北感というか、虚無感みたいなものに包まれていると思う。応援している政党がいるわけでもないのに、いや、いなかったからこそ、負けた。「日本、終わったナ」としか言いようがない。でもそんな言葉だけ発してストレスを消そうとしても意味はない。

 なぜ「負けた」かと言うと、投票すべき政党がでてこなかったからだ。有権者の気持ちは一つだったはずだと思う。「脱原発」や「増税反対」だ。それに、「中国と対話をしよう」と誰かが唱えれば「そうだそうだ」と言ったはずだ。しかしそれが争点にならなかった。「脱原発だが、実現はウン十年後」などという言葉遊びをする人が登場したので、それは脱原発と呼んでいいのか分からなくなってしまった。その時点で争点を「即脱(そくだつ)」対「アンチ即脱(と推進派)」に切り替えないといけなかった。あくまで原発への是非で選挙を終えなければいけなかったのだ、、、。
 野田首相が短期戦を選択して、もともと強い人が有利になった。リベラルの受け皿がなくなるように仕組まれていた。有権者は誰に投票してよいか最後まで分からず、投票率も下がる。小選挙区制だ。そして自民が「勝った」。
 一体誰が自民党に投票しているのだろう? 僕には分からない。医師会や郵便局の人、農協、遺族会、生長の家や霊友会、土建屋さんや経団連、そのほか「特例」や「許認可」の恩恵を被っている人たち、、、本当にそんな人達なのか? それとも浮動票と思われている層も掴んでいるのか。「テレビをぼんやり見てると自民党に入れたくなるように工夫されてる」とか。そういう仕組みでもあるのか? いったい敵はどこにいるのだろうか?

 たとえば、原発問題とエネルギー政策はそもそも関係ないはずだった。原発反対の理屈はただ一点。尊い人命や健康を奪う恐ろしいものだから、という理由。ということは「電力は(仮に足らないとしても)足らなくて結構!」という主張だ。エネルギー政策と一緒にしてはダメだった。ましてや景気対策の議論とは何も交わらない。それが徹底されなかったことが本当に悔やまれる。いつまで経っても、テレビでは「反原発!」「じゃあ代替エネルギーは?」「火力でも足りるはず」「いや足らない」「ソーラーや風力は難しい」 そんなことを言っていただけだった。

 とにかく、「僕たち」は「負けた」。原発だけではない。あの自民党に戻ったのだから、これを敗北と言わずしてなんだろうか。「公共工事をやれば景気が上向いて日本がハッピーになれる」と本気で信じている人たちだ。完敗したプロの政治家さん達にも怒りをぶつけたい。どうしたら良いか、どうしたら次で勝てるか。これから考えてゆきたい。





衆議院選挙

 
音楽と関係ある度:★★☆☆☆

 さあ、選挙が二日後に迫った。比例は「日本未来の党」に一票を投じるつもり。
 改めて書くまでもないけれど、争点は多い。原発問題、震災の課題、対中外交、対米地位協定、消費税、TPP、行政改革、などなど多くあるが、一番は、早期の脱原発を願う気持ちだ。「びわこ宣言」も応援したい。
 僕の住んでいるところは神奈川第八区。小選挙区の候補者は、くぎまる進(日本共産党)に入れるのがよいと考えている。江田憲司(みんなの党)への反対票として入れる。みんなの党は前回の選挙で投票したのだが、未来の党と連携できなかったことに失望した。

 一番最悪の事態は、石原慎太郎が首相になることだったが、それは回避された気がする。現在マスコミは自民党が優勢と連呼しているようだ。自民党と密約でもして応援放送をしているように思える。自民党は「取り戻す」と言っている。完全にピントがずれている。経済が悪いので公共投資を臆面なくブチあげることができる。もう高度成長期はやってこないし、もちろんバブルもないのに。
 改憲や右傾化が心配されるけれども、僕は、わりあい、日本の政治の将来に楽観的だ。これからまだまだ政界再編が進むと思い、「いまは過度に悲観したり恐れなくてもよいだろう」と思っている。

 それから投票権はないけれど、東京都知事選挙では、宇都宮健児氏が当選することを願っている。
 おっと、大事なことを忘れていた。最高裁裁判官の国民審査だ。これはすべて「×」をするべきと信じている。裁判官を国民が監視したり選んだりする仕組みがほとんど無いので、改革への初めの一票として。



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