1969年、新宿 PIT INNからはじまった あべのぼる自伝

音楽と関係ある度:★★★★☆

 久しぶりに本屋っちゅうもんに行きました。どの本を買おうかなと思っていたらこんな本があってビックリ! 目を疑いましたが確かに「あべのぼる自伝」と書いてあります!

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1969年、新宿PIT INNからはじまった あべのぼる自伝

 平積みです。今週発売されたばかりです! 僕などが阿部さんのことを書く資格はありませんが、本の宣伝の意味と、自分の記憶の整理として書かせてください。阿部登さんとは、1970年代前半は山下洋輔トリオのマネージャーとして、そして70年代中期には大阪初のインディーズレーベル「オレンジレコード」をつくった、関西の音楽プロデューサ、名物マネージャーです。2000年代は大西ユカリさんのマネージャもされていました。

  僕は、雲の上の大先輩・阿部さんとは、ほんのすこしだけ、何度か、ご一緒させていただいたことがありました。10年ほどまえ、大阪の事務所で、何度か、時間をすこし割いて声をかけてくださったり、、、。それから「仕事」(と言うのもはばかられますが、要するに「ライブ」)というかたちでは、オーサカ=モノレールとしては二回ほど、ご一緒させていただきました。僕のやろうとしていた別のことに実際にお力添えくださったことも数回ありました。

  いまから思うと、97年ごろに僕をひっぱってくれた当時RDレコードのKさんという人が居まして、その人をY社から引き抜いてきたのがMさんという人で、Mさんは阿部さんの弟分だった人。(たぶんあってると思う、、、。)  その後、当時僕がお世話になっていた事務所に数日に一度ほどやってきては電話を何本もかけて、かなり 一方的にしゃべってから数時間して夕方になると、また出て行かれるのでした。すこし通る太い声、聴き取りにくい早口。なにをやっているオジさんなのだろう と思っていました。「たまにしか来ないあの阿部さんって、何をしている人?」と会社のK君に尋ねると「阿部さんは、ほら、なんていうのかな、うちの会社の、守護神みたいなものだから、ふふふ」と言いました。

  2001年だったと思いますが、阿部さんが仕事を紹介してくださいました。服屋さんが主催のパーティに出演するという話です。それでその当日、休憩時間にライブを観た阿部さんが言いました。「自分ら、あれやな、やっぱり、オレ等のころのヤツら、石やんとかキー坊とかに比べたらヘタやな、もうちょっと上手いか思てたわ」 一言一句は覚えてません。「石やん」でなく「ヤマギシ」やったかも知れませんし、「キー坊」でなくて他の誰かやったかも知れません。「ヘタやな」ではなく「パワー足らんな」やったような気もする。とにかく、そういうようなことをおっしゃいました。いつも笑っている阿部さんの顔が、普段よりすこし固い顔でした。そんなことを言われても、それほど腹もたたなかったし逆にそれほど落ち込む事もなかったのが不思議な感覚でした。

  薮から棒に言われたので、そのときは理解できませんでしたが、そのあとヒジョーに納得しました。それから、ずっとの間、阿部さんに認めてもらえるようなパフォーマンスができるようになりたいと強く思い続けてきました。10年以上経った今でもダメだと思いますが、いつかは少なくとも自分で納得したいものです。  ちなみに、この本のあとがきを担当されている人物からも似たようなことを何度も言われました。その時は、ほんの少し僅かだけ腹がたち、いまに見ていろコノヤローと思ったものでした。  そういうわけで、それくらいの思い出しか無いにせよ、こんな凄いオッチャン二人に叱られるとは、僕はパフォーマーとしてものすごくラッキーだったのだとつくづく思う次第です。

  とにかく本を読んでください。

2016年1月

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